幕間「人喰いミズコさんの実話」その3

 そこで私の記憶はいったん途切れ、気がつくと家のベッドで寝ていた。精神的なショックで失神でもしたのかと思ったが、言葉を濁そうとする養父母から話を聞き出すと事態はなお悪く、どうやら私は錯乱して暴れ、最終的には鎮静剤を打たれたようだった。単に失神したのであれば心ない言葉に傷つけられたと被害者アピールもできたところだが、暴れて他人に危害を加えたとなるとそれも難しく、これで今まで以上に私が異物として見られることになることは確定し、私の陰鬱な気分に拍車をかけた。


 養父母の勧めと私自身の希望もあり、私はしばらく通学をやめ、カウンセリングを受けつつ学習は自宅で行うことになった。そしてその間に、私達は離れた地域に引っ越した。養父母は、寮生活をしつつ私立中学に通っている二人の義姉が自宅から通学できるようにするため、と私には言ったが、それは恐らく私に気を使わせないための表向きの理由だろう。あのような事件にあっただけで十分に不運と言える私だが、あの養父母に引き取られたことだけはとても幸運だったと思う。

 そしてその時、私は名前を変えた。正式に養父母の戸籍に入って琴家姓となり、新たに瑠々ルルという名前もつけてもらった。二人の義姉の名前がそれぞれ螺々ララ璃々リリであったため、『うちの子らしいから』という理由で選ばれた名前で、今にして思えば姉妹三人揃ってそこそこのキラキラネームと言えるが、当時は兎にも角にも、人から変な目で見られる原因とならない新しい名前をもらえたことが嬉しかった。

 容姿も変えた。と言っても、さすがに整形はしていないし、小学生なので化粧も一見したところでは分からない程度にしかしなかったが、おかっぱだった髪をのばし、フレームが目を引く鮮やかな赤の伊達眼鏡をかけただけで、ゴシップ誌に載った解像度の低い写真からは、そう簡単には同一人物だと見破られない程度には印象を変えられた。

 中学に上がって以後はメイクの技術も向上し、髪も明るい茶色に染めてウェーブをかけたりもした。整形は結局しないままできたが、それらの努力の甲斐あって、単純に成長したことと合わせて、私は件の写真とは更に別人になっていった。


 見た目を変えるにつれて、私の精神は安定を取り戻していった。本当の私は、家族の死体を……あるいは、まだ息のある弟を喰らって生き延びたかもしれない人間だ。見つかってしまえば、嫌悪と軽蔑の目で見られ、迫害の憂き目にあうことは火を見るよりも明らかだ。だが、今見られているのは、本物ではなく見せかけの私だ。

 そして、小卯芽が件の記事を持って来た高校時代には、この見せかけは決して見破られないという自信を持てるだけの水準に達していた。


「どうもねー、元ネタになったのは、十年前に実際にあった事件っぽいんだよね。強盗が平和な家庭に押し入って両親を殺害、事件から三日後、当時六歳の女の子、三井田伊豆子ただ一人が衰弱しながらも生存した状態で救出される。ミイダ イズコ。ね?ミズコと似てるよね、この名前。考えてみたら、ミズコなんて水子を連想させそうな名前、親が実際に子供につけるわけないしね」

「それはどうだろう、世の中には信じられないようなキラキラネームを親につけられた不幸なお子さんもいることだし。そう、たとえば、ルルとか」

「余計な御世話だよ!瑠々はそこまでキラキラネームじゃないでしょ」

「はいはい、話を逸らさないでねー、お二人さん。で、話を戻すけど、まあでも名前が似てるってだけじゃあこの事件が人喰いミズコさんの元ネタってい言うには弱いよね?重要なのはここから!良い?三日間っていうのはね、大の大人でも、飲まず食わずでいたら結構な確率で死んじゃう期間なんだよ?体力のあまり無い六歳の女の子が、衰弱していたとはいえ、生きていられると思う?」

「あれ、人間ってそんなすぐに死ぬもんなの?イスラム教の人とか一ヶ月くらい断食するんじゃなかった?」

「あれは夜になったらちゃんと食べるから」

「あ、そうなんだ」

「まあでも、実際生きていられると思うも何も、実際に生きてたわけでしょ?」

「そう、そこなんだけどね、これを書いた記者は、取材中に偶然、実際にその事件で殺された人の死体を見た人が、こんなことを言うのを聞いたんだよ。なんと、その死体は」

「食べられていた」

 私は、先手を打って自分から言った。そうすることで、自分がこの話を他人事として楽しんでいるように見えることを期待して。

「ちょっと!何で先に言うの!」

「いや、だってさっきのミズコさんの話から考えたら、どう考えてもそういうオチになるじゃん」

「それはそうだけども!」

 その時、グループの一人、戸部麗奈が小卯芽の手元にあった記事をひょいっと取り上げた。

「食べられてたっていうか、齧られた跡があったくらいにしか書いてないじゃん。しかもそれだって本当かどうか怪しい感じだし。だいたい、実際に死体を見た人から聞いたって書いてあるけど、何か曖昧な書き方だよね、怪談でよくある、友達の友達に実際に起こったことなんだけど……みたいな」

「いやー、だって実際に死体を見た人って言ったら、第一発見者以外はほぼ警察関係者じゃん?具体的に誰の証言か記事に書かれちゃったら、立場上まずいことになるでしょ。せっかくの取材協力者にそんなことしちゃったらさー、今後誰もここの記者には話なんかしてくれなくなるし、そりゃー書けないよー。それよりさ、気がつかなかった?十年前に六歳ってことは、私達と同世代なんだよ。もしかしたらミズコさん、いや、三井田伊豆子はこの学校にいるかもしれないよー?」

 普段の小卯芽の言動から考えて、何かを感づいてのことではなく、単に聞いている私達を怖がらせたいという意図での発言であろうことは間違いなかった。しかしそうと分かってはいても、まさにこの学校にいる三井田伊豆子である私は内心、冷や汗をかかずにはいられなかった。

「そして次なる獲物を見定めているのかも……!そういえばそちらのお嬢さんはつくべきところにしっかり肉がついていてなかなか美味しそ……」


「あのさぁ」

 麗奈が目を細めて読んでいた記事をばさりと机に戻しながら、硬い声で小卯芽の言葉を遮った。

「この話、もうやめない?」

 麗奈の表情が思いの外険しいものだったため、小卯芽は狼狽えて目を泳がせた。

「えっ、え……何?何でそんな怒ってんの?麗奈ってそんなに怖い話苦手だったけ……?」

「そういうこと言ってるんじゃなくってさ、ただの怪談とか都市伝説だったら別にいくら話しても良いけど、これは本当にあった事件で、この三井田さんって人も実際にいる事件の被害者で、多分今も生きてる人なんでしょ?それをこんな風に面白半分に話のネタにするなんて、さすがに不謹慎っていうか悪趣味だよ」

 麗奈はこの時のグループのメンバーの中では唯一、小学校からのつきあいだったが、昔から妙に感情移入の度合いが激しいというか、他人事を我が事のように捉えるところがあった。さすがに高校生になってからは無かったが、小学生の時は国語の教科書に出てくる登場人物に感情移入し過ぎて泣きだしてしまったこともあるくらいだ。

 恐らく一般的には、この時の麗奈の態度は、空気が読めてないとか、所詮他人事なのにいちいちそんな真面目に考えるなんて面倒くさい、白ける、などと不興を買う類のものだっただろう。しかしながら、薄気味の悪い都市伝説を語ってばかりいるせいでクラスで浮いていた小卯芽がこのグループに入れ、完全なる孤立を免れたのは、麗奈がその性格故に小卯芽を放っておけなかったからである。更に言えば、グループの他のメンバーも何やかやでそんな麗奈に助けられた経験がある者ばかりだった。そのあたりを理解している小卯芽は、それ以上変にゴネたりせず、おとなしく引き下がった。

「そうだね、確かに実際にあった事件の被害者をこんな風にネタにするのは悪趣味だったかも。ごめん……」

「いや、別に私に謝らなくても良いけど」


 こうしてこの話題はあっさり終了し、私は、麗奈の妙に生真面目で感情移入の激しい性格のおかげで、私は難を逃れた。

 この時は、そう思った。

 今にして思えば、私は気がつくべきだった。いくら麗奈が生真面目とはいっても、小卯芽に話をやめさせた時の態度は、あまりにも強硬だったということに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る