第24話 繰り返される拷問

脱走を試みたことに対する制裁を受けてから、リーベンはひとりで立ち上がることすらできなくなった。

両方の下肢を執拗に踏みにじられ、膝から下は足首のくびれも分からないほど腫れ上がって丸太のようになっていた。天井から鎖で吊るされ、足は床に届いてはいるが体を支えることはできず、枷をはめられた手首が全体重を受けていた。


全身が痛み、もはやどの部分が痛んでいるのかさえ定かではなかった。頭の芯が麻痺したようになって、すべてがはっきりとしない。もうどのくらい水分を摂っていなかっただろうか、喉が渇いて仕方なかった。


突然髪を鷲掴みされ、手荒く顔が引き上げられた。耳元で誰かが怒鳴っている。その声は痺れた頭の中で割れ鐘のように反響した。


ああ――分かってる……目を開けろというんだろう……。分かっているから、そう大声を出さないでくれ……。


何度か頬を殴られ、ようやく瞼を持ち上げた。やっとのことで目の前の男を見上げる。

視界は霞み、腫れ上がっている瞼のせいでよく見えなかったが、前にいるのは細身の方の拷問官のようだった。少し離れたところに、左腕を三角巾で吊った大柄の拷問官の姿もおぼろげに見えた。


「……水を……」


我知らず、リーベンは呟いていた。血の味がする口の中はカラカラに干からびて、舌が張り付いたようになってうまく動かない。


「頼む……水を……」


目の前の兵士がリーベンの髪を掴んだまま再び怒鳴った。その剣幕に思わずびくっと体が震えた。こちらの言葉は通じない。そして、相手の言っていることも分からない。何を言っても、どんなそぶりをしても反抗的な態度とみなされる、絶望的な状況だった。

拷問官は髪を離すと、さっと右肩を引いた。リーベンが身構える間もなく、鳩尾に固く握り締めた拳がめり込む。


「ぐっ――うう……」


空の胃袋から吐き出されるのは、空気の塊と苦い胃液だけだった。立て続けに同じところを数発殴られた。両腕を吊られたまま、リーベンは曲げられるだけ上体を折り曲げて何度も吐いた。終いには胃液すら涸れ果て、息が詰まって苦しさのあまり涙があふれた。しかしそれで終わりではなかった。


腕を吊っている鎖がいきなり緩められた。突然支えを失って、リーベンは崩れるように床に倒れ込んだ。

間髪置かず大柄の拷問官が背中にのしかかり、片膝に体重をかけて動きを封じた。

リーベンは声にならない悲鳴を漏らした。散々に引き裂かれた背中を膝頭で圧迫され、目の前が真っ白になる。


左腕は背中にねじりあげられ、右腕は真っ直ぐ横に伸ばして手のひらを開いた状態で床に押さえつけられた。何が始まるのか分からず、リーベンは恐怖に体が震えるのを止めることができなかった。

細身の男が傍らに屈みこんだ。慣れた手つきでリーベンの口に布きれを押し込むと、やおら、細くて薄い鉄の板状のものを指と爪の間にあてがった。


何が行われようとしているのかを悟った時、リーベンの体から一瞬にして血の気が引いた。

拷問官は容赦なかった。

激痛が指先から全身を貫く。あまりの痛みに体をのけ反らせ、猿轡の下でリーベンは絶叫した。だが、どんなにもがこうと、体も腕もがっちりと押さえ込まれているので少しも自由にならない。


片手の爪を全て剥ぎ取られる頃には、リーベンは満足に息をつくことさえできず、半ば失神したようになって小刻みに震えていた。

その様子を見て、拷問官たちはようやく休息を入れる気になったようだった。

両脇を抱えあげられたのを感じた。そのまま少しの距離を荷物のように引きずられ、独房として使われている真っ暗な狭い空間に放り込まれた。頭をしたたかに打ち付け、ふっと意識が遠のきかける。


気絶してしまえば、この痛みを感じずに済む……。


だが、体を苛む痛みは、一時もリーベンに安息を許すことはなかった。肌を刺すような冷気と氷のようなコンクリートの冷たさが、傷ついた体により一層の追い討ちをかける。

独房の隅の方に、たった一枚だけ与えられた薄い毛布がくしゃくしゃになって転がっているのが目に入ったが、それを引き寄せるために腕を伸ばすだけの力すらなかった。


朦朧となりながら、彼は故郷の記憶へと意識を逃がす。

ジーナとティムの待つ我が家へ――痛みも、孤独も、飢えも寒さもない、温かな我が家へ――。


今頃、二人はどうしているだろう……。


何年か前に、ちょうど今頃の時期に短い休暇を取って帰国していた時、ジーナが果実酒を作ろうと忙しく動き回っていた姿が思い浮かんだ。


テーブルの上には、大きな瓶に入ったリキュール、山盛りの氷砂糖、そして籠いっぱいに盛られた黄金色のカリンが用意されていた。


『ご近所のノムスさんの庭に、古いカリンの樹があるでしょう? 今年はたくさん実をつけたから手伝って欲しいって、こんなに頂いたの』


台所で大鍋に熱湯を沸かし、大小様々なガラス瓶を煮沸消毒しながら、ジーナがうきうきとした様子で言った。


『カリン酒は体が温まるし、風邪の引きはじめにもいいというから、出来上がったら他の荷物と一緒に送ってあげる。漬け込んで一か月もすれば飲めるみたいだから――ああ、ティム! 熱いなら無理してやらなくていいのよ!』


テーブルの一角で、果実酒づくりのための材料に囲まれるようにして、まだ小さいティムがたらいに張った熱い湯の中に丸々としたカリンを幾つも浮かべ、一生懸命洗おうとしていた。


『手が熱くないか?』

『うん、大丈夫! パパ、いいにおいがするよ』


そう言って、ティムは盥の中に浮かんでいるカリンを両手でひとつ掴むと、腕を伝った水滴でまくりあげた袖が濡れるのも構わず、リーベンの鼻先に実を持った手を突き出した。


『本当だな。きっとおいしいのができるだろう』


リーベンは微笑んで、小さな息子の肩に手を置いて栗色の柔らかい髪の上にキスをした……。


――その時の光景がまざまざと蘇り、リーベンは思わず体を震わせた。


明るく快活なジーナの話し声、自分を見上げるティムの屈託のない眼差し、部屋の中に漂う甘い芳香――。


もう二度と、手の届かないものなのかもしれない……。


その思いに囚われた刹那、深い絶望に突き落とされそうになり、リーベンは固く目をつむった。暗闇の中でたったひとり、歯を食いしばり、慟哭したくなるのを必死に堪えていた。

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