第17話 不穏な予感

クルフの尋問から解放されたリーベンは背後についた二人の兵士に促され、重い疲労を感じながら、足を引きずりつつ暗い廊下を歩いて行った。


尋問には毎回気を張り詰めて臨まなければならなかった。不用意なことを口にすればすかさず追及が入り、ふとした沈黙でさえも、クルフにとっては十分に利用する価値のあるもののようだった。


蛇のような男だ――クルフと接する度にそう感じる。


しなやかな蛇にじわじわと締め上げられ、感情のない冷徹な目に間断なく隙を窺われているような、息詰まる緊張に支配される。そんな男との数時間にわたる対峙は神経を激しく消耗することだった。

加えて、クルフが最後に口にした示唆――あからさまな脅迫が胸の内を舐めるように這い回り、重苦しさは増すばかりだった。


玄関ホールへと続く階段を、まだ不慣れな松葉杖をつきながらたどたどしく降りてゆく。

最後の一段を降りきろうという時だった。


いきなり後ろから激しい力で突き飛ばされた。不意を衝かれて床に倒れ込みながらも、反射的にリーベンは体を反転させていた。

押さえつけようとのしかかってくる上背のある兵士の腹を、右足で思い切り蹴り上げる。息を詰まらせて怯んだ相手を力任せに払い除け、身を翻して立ち上がりかけた。が、すぐさま別の兵士の体当たりをくらい、再び床に倒れ込む。


無我夢中で伸ばした手が何かに触れた。放り出された松葉杖だ。固く握り締めると、なおも掴みかかってくる相手を目がけて力の限り横様に振り切る。だがその反撃も、とっさにのけ反った兵士の鼻先を掠めただけだった。唯一の武器は馬乗りになった兵士にもぎ取られ、逆に体を押さえつけられる。


起床時刻よりだいぶ前の、誰もが寝静まり人気のないホールで繰り広げられる激しい挌闘戦。リーベンは全力で抵抗したが、負傷している左足のせいで思うように体の自由が利かない。加えて相手は2人だ。


「……!」


不意に鳩尾に強烈な一撃を受けた。目の前が発光したようになり、息が詰まる。


兵士たちはその瞬間を逃さなかった。

リーベンはあっという間に後ろ手に縛りあげられ、動きを封じられた。声を上げる間もなく口に布切れが押し込まれ、目隠しまでされた。驚くほどの手際の良さ。それがこの二人の兵士の素性を垣間見せた。思わず背筋が冷たくなる。


完全に視界を奪われ、抵抗する術のなくなったリーベンは、両脇を強い力で押え込まれ否応なく引きずられてゆく。


『足の怪我だけでは済まなくなりますよ』


クルフの言葉が現実となりつつあることだけははっきりと分かった。不穏な予感に心臓が激しく打ち、緊張と不安が喉元に迫り上がってくる。息苦しい。

リーベンは呼吸を整えようと意識して息を長く吐き出した。


落ち着け。動揺して恐怖に煽られれば相手の思うつぼだ。冷静になれ。どんな状況になっても対処できるよう備えるんだ――。


これから自分の身に降りかかるであろうことを予期して覚悟を決める。


二人の兵士はリーベンを引きずって、ためらう様子もなく足早に進んでゆく。

周囲の様子は何も見えなかったが、ふと、空気が変わったのが分かった。湿ったような黴臭さが鼻を衝く。足元は急な下り階段になった。地下に向かっているのだ。


階下に着いたのか、再び床は平らになり、少し進んだところで兵士は足を止めた。

抱え込まれていた両腕を放されたと思うと、後頭部に銃口が押し付けられた。同時に撃鉄を下ろす小さな音と振動が伝わってきた。


撃たれる――。


全身の筋肉が硬直したようになり、冷汗が吹き出した。


だが、引き金は引かれなかった。


銃を向けられたまま、両手首を背後で縛っていた縄が解かれ、上半身に身に着けていたものを全て引き剥がされた。凍てついた空気に直に晒される。

すぐ傍で鎖のぶつかり合うような音が聞こえた。腕を取られ、両手首に冷え切った金属の枷が嵌められたのを感じる。両腕が頭上斜めに引き上げられた。辛うじて爪先が床に届く高さで鎖が固定され、今や完全に無防備な状態だ。


周囲で兵士2人が動き回る気配だけが感じ取れた。全くの無言のうちに作業が進められていた。つまり、細かいことを相談する必要すらないほど、準備は完璧に整えられていたということだ。


唐突に何かが胸元に触れた。革手袋をはめた手が無造作にリーベンの首から下がった認識票を掴んだ。首の後ろに軽い痛みが走り、チェーンが切れる。


あからさまな脅しだった――認識票を失った今、ここで死ねば誰もお前の身元を明らかにできる人間はいなくなるぞ。名前のない死体になりたくなければ、意地を張るのはやめることだ――不気味な無言の圧力は何よりも雄弁にそう告げていた。


兵士たちの気配がしばらく止まった。彼らの視線が自分に向けられているのを感じる。

視界を奪われたまま、リーベンは顔を前方に向け、決然とした態度のみではっきりと拒絶の意を示した。


ふっと息を漏らす音が微かに聞こえた。


次の瞬間、リーベンの意識は弾けとんだ。

何の前置きもなく、左足に強烈な打撃を受けた。堅い棒のようなものが、まさに銃創を直撃した。


「ぐっ……」


思わず声を上げそうになったのを辛うじて堪える。口に押し込まれた猿轡を噛みしめ、必死に息をつく。

更に二度、三度と兵士は執拗に傷を弄った。

まだ完全に塞がっていなかった傷口に容赦なく警棒を突き立てられ、抉るように先端が押し込まれる。


「うう……!」


痛みのあまり血の気が引いていくのが自分でもはっきり分かった。心臓が恐ろしいほどの速さで鼓動している。意識がふっと遠のきかける。そのとたん、頬を平手打ちされ我に返った。


今や拷問官へと豹変した兵士たちは、繰り返し左足の傷を痛めつけた。リーベンが気絶しかける度に顔や腹を殴打し、無理やり覚醒させた。

リーベンは絶え間ない激痛に呼吸すら満足にできず朦朧となりながらも、心の中でひたすら自分自身を鼓舞していた。


耐えろ――耐えろ――必ずいつか終わる――この一撃……この一撃を耐えれば……!


その希望は何十回となく裏切られたが、自身にそう言い聞かせるしか、彼にはこの苦痛を耐え忍ぶ術がなかった。

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