「な、何をされるのですかっ、ミルギレッド王女っ!」

「見て分からないか? 妾は、己の愛オヴィスを不埒な手より守ったのだ」

「不埒などと……っ! 不埒なのはその生き物の方ではありませんかっ! いきなり晩餐会に侵入してきたかと思えば料理をひっくり返しっ、人になったかと思えばクライヴ様を追い掛け回して……っ。しかも全裸でなどっ! これを不埒と言わずなんとするのですっ!」

「メータは賢い。なんの意味もなくそのような行為をするわけがない」

「そんな生き物相手にっ、ミルギレッド王女ともあろうお方が何を過信されているのですかっ!」

「それよりも、いいのか? クライヴ王子をこのまま放っておいて」


 ご主人が指を差せば、おっちゃんはハっと振り返り、すぐに王子様の肩を揺すった。


「クライヴ様っ、クライヴ様っ」

「う、うぅ、ロッド……」

「よし、意識はあるなっ。おい、すぐに部屋へお連れしろっ!」


 おっちゃん達は王子様を二人掛かりで支えると、さっさと中庭から去ろうとする。


「待て」


 それを、ご主人が止めた。

 手を一振りして、王子様の進行方向を塞ぐように噴水の水を叩き付ける。


「……邪魔をしないで頂けますか?」

「なに、妾の質問に答えてくれればすぐにでも通すさ」


 ご主人は手を腰に当てて、軽く首を傾げる。


「何故、貴殿達はそのように急いでおるのだ?」

「クライヴ様の容態が心配だからです」

「何故、心配なのだ?」

「それは……それは、見れば分かるでしょう。これ程力なく横たわられているのです。あなたの飼っていらっしゃるオヴィスに追い掛け回され、クライヴ様はお疲れなのですよ」

「ほほう、そうなのか。メータに追い掛けられ、疲れたから、クライヴ王子はそのようにグッタリとしておるのか。そうかそうか」


 ご主人は何度も頷くと、ふと、動きを止める。


「妾はてっきり、ワプーの実を食べて中毒を起こしておるのかと思ったぞ」


 おっちゃん達の顔色が、変わった。


「な、何を、おっしゃっているのですか」

「いやなに、アプーの実とワプーの実はとても良く似ていると小耳に挟んだものでな。普通の人間にはまず見分けられないようだし、もしかすれば、間違えて混入してしまったワプーによる中毒になってしまったのかと、ただそう思っただけだ」


 ご主人の雰囲気も、少しずつ変わっていく。


「そういう可能性も、あるとは思わないか? ロッド殿」

「そ、そうでございますね。ですが、モファット国には優秀な料理人が揃っております。まさかそのような事故が起こるとは、到底思えません」

「事故ではなく、故意だとしたら、どうだ?」


 おっちゃんだけでなく、王子様も落ち着きを失くしていく。


「この晩餐会で、妾をワプー中毒にする為に、誰かが故意に、ワプーの実を混ぜたという事も、考えられるとは思わないか? なぁ、クライヴ王子」


 王子様の体が、不自然に震えた。真っ青な顔で、口をパクパク動かしている。


 押し黙る王子様に、この場の視線が集中する。

 緊張と静けさが、中庭に広がった。


「……一つ、いい事を教えてやろう」


 ご主人が、一歩前へ出る。


「妾は、メータをとても可愛がっておる。メータも、妾をとても愛しておる。我らは常に寄り添い、時間の許す限り共に行動をしておるのだ。メータある所に妾がおり、妾おる所にメータがある。勿論例外はあるが、大抵は傍に置いている事が多いな」


 もう一歩、進み出る。


「まぁ、つまり何が言いたいのかというと」


 立ち止まったご主人は、足を広げて、腕を組んだ。


「密談を聞いておったのは、メータだけではないという事だ」


 後ろからでも分かる位に、ご主人は、笑った。

 王子様達の顔が、一斉に引き攣る。


 と、急に噴水の水が動き出した。

 目で追い付けない速さで、王子様とおっちゃんを縛り上げていく。


「ワインバーガー国王子、クライヴ・ワインバーガー様以下六名。ミルギレッド王女暗殺未遂の容疑で拘束致します」


 掌をかざしたアイリーンさんが、無表情でそう言った。


「あ、暗殺など、そんな、我々は、そのような事」

「違うのですっ、シェパード殿……っ。わ、私は、何も知らなかったのですっ。部下達が、勝手にやっただけでしてっ」

「なっ! クライヴ様っ、あなた何を」

「ほ、本当ですっ。信じて下さい……っ」

「言い訳は結構です。証拠は全て揃っておりますので、あなた方はただ、大人しく連行されてくだされば良いのです」


 アイリーンさんが目配せをすると、後ろで待機していた兵士さん達が、王子様達の体を掴んだ。引き摺るように、城の中へと連れていく。


「や、止めてくれっ。頼むっ、私は違うんですっ。ミ、ミルギレッド王女っ、どうか、信じて――」

「あぁ、そうだ」


 王子様の言葉を、ご主人はわざとらしくぶった斬る。


「我が国の料理人達は、それはもう優秀な者ばかりだ。例え見分けの付きにくい食材でも、一発で選別出来る程にな」

「あ……え?」


 間抜けな面を晒す王子様を、ご主人は遠慮なく笑った。


「お前が混ぜ込んだワプーなど、とっくの昔に処分されている。今夜の晩餐会に使われたものは、全て正真正銘アプーの実だ。残念だったな」


 そう言われ、王子様は茫然とご主人を見つめた。

 数秒後、顔を歪めて項垂れる。


「さぁ、国王陛下がお待ちです。あちらで政治の話を、ゆっくりと致しましょう」


 アイリーンさんの声も聞こえてないかのように、王子様はピクリとも動かない。そのまま兵士さんに引かれながら、城の中に消えていった。

 辺りは、一気に静かになる。


 俺は、全然動けなかった。

 王子様と同じように、目と口を丸くして、凄ぇ間抜け面を晒してる気がする。


 つまり、なんだ。


 俺の頑張りは、最初から意味がなかったって事なのか。


 ご主人は最初から王子様の計画を知っていて、最初から毒柿を使ってなくて、最初から、王子様を捕まえる為に騙されたフリをしてたって事なのか。


『……っ、なんだよぉぉぉー……っ』


 全身の力が一気に抜ける。ペショっと地面に顎を付けて、羊なりの呻き声を上げる。


『なんだよぉー。だったら最初から言っといてくれよぉぉー。超焦ったじゃあぁぁぁーん。もぉぉぉぉー、なんだよぉぉぉぉぉー』


 転げ回りたい気持ちで、でも巻き付く草が邪魔で、俺はメェメェ言いながら体を揺らした。傍から見たら、高一の男子が尻を振ってるようにしか見えないだろう。でも、今は周りの目を気にしてる余裕はない。この胸に沸き起こる不満をどうにかする方が先だ。


『俺、一人で必死こいて馬鹿みたいじゃあーん。料理人さんに怒られたりメイドさんに全裸晒したりしてさぁー、めっちゃ頑張ったのにさぁぁー、このオチって酷くなぁぁぁーい?』

「ベェ」

『あ、リーダーさぁん。ちょっと聞いて下さいよぉー。ご主人が酷いんすよぉー? 俺が折角ご主人の為に走り回ったのに、実はそれ意味なかったんだよーみたいなオチを用意してたんすよぉぉー? 酷くないっすかぁぁぁー?』

「ベェ」

『ですよねぇー、酷いっすよねぇぇー。そもそも、ご主人も一言言ってくれれば良かったんすよぉぉぉー。そうしたら俺もこんながっかりしなかったしぃぃぃー、真っ裸で走らなくたって良かったんですからぁぁぁー。そう思いませぇぇぇーん?』

「ベェ」

『ですよねぇぇぇぇー』


 モリモリ俺に巻き付く草を食べるリーダーさんに愚痴れば、言ってる事は分かんないけどめっちゃいいタイミングで相槌を貰った。これだけで会話が成立するという奇跡。やっぱり大事なのはフィーリングなんだよ。うんうん。


 山羊顔さん達に囲まれて、俺は体を起こした。身震いして草のカスを落とすと、リーダーさんに向き直る。


『リーダーさん、あざっした。リーダーさんがきてくれなかったら、俺、今頃王子様に蹴られてたっす』

「ベェ」

『皆さんもあざっす。草食ってくれて、凄ぇ助かりました』

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

『近い内に、絶対お礼に行きます。本当にあざっした』


 深々と頭を下げて、感謝の気持ちを現してみる。するとリーダーさんは「ベェ」と一鳴きしてから、俺に背を向けた。他の山羊顔さん達を引き連れて、どこかへと去っていく。


 遠ざかる筋肉ムキムキの逞しい体を見送る。

 結局、最後まで何言ってるか分かんなかった。


 てゆーか、よくよく考えてみれば、リーダーさん達はいつぞやに見た馬小屋的な所に住んでるんだよな。という事は、あそこから大勢で脱走してきたって事だよな。今頃、世話係の兵士さん達は数が足りないって焦ってんじゃねぇっすかねぇ。


 可哀そうになぁとか思ってたら、ふと、尻に何かが当たる。

 振り向けば、ご主人の肩に掛かっていた布が乗っていた。


「い、いつまでその恰好でいるつもりだ。それで早く隠せ」


 後ろを向いたまま、ご主人は腕だけを伸ばしている。

 誰の為に素っ裸でいると思ってんすか。なんて不満をちょっと抱きつつも、割と聞き分けのいい俺は手を使って布を腰に巻き付ける。それからご主人の方を向いて、いつもの崩れた土下座スタイルで座った。


「か、隠したか?」

『うっす』


 返事をすれば、ご主人は妙に慎重にこっちを向いた。いい加減人の姿の俺にも慣れて欲しいっす。そんな気持ちを込めて鳴けば、「む」とか唸って眉間に皺を寄せると、そのまま無言で俺を見下ろした。


 ……え、何すかこの空気。

 え、もしかして、俺、怒られる?


 い、いやいや、ちょっと待って下さいよご主人。確かに俺、今日はちょっとわんぱくだったかもしれませんけど、でもそれもこれも、ご主人に毒柿を食わせないようにする為っす。

 シムさんの股間に頭突きしたのも、台所で料理をひっくり返したのも、シムさんに目潰しと鼻フックをお見舞いしたのもそうっす。

 執事さん追い立てて、兵士さんにゲロ掛けて、また金的攻撃して、ご主人に軽く頭突きして、皆さんに裸をお見せして、シムさんを全力で倒してからダイビングアタックを食らわせたのも、全部全部ご主人を思っての事っす。


 こうやって思い返してみると、シムさん超可哀そうっすね。後で目一杯謝っとくっす。


 兎に角、全然悪気があっての事じゃないっすし、遊んでたわけでもないんすっ。ちゃんと理由があるんすっ。羊なりにご主人を守ろうと必死だったんすっ。


『だから、お願いっすっ。怒んないで下さいっすご主人っ』


 高速で瞬きをして、俺は目をうるんうるんにする。上目でご主人を窺いつつ、可愛い顔で小首を傾げてみせた。


 でも、ご主人の眉間の皺は、消えない。

 おばばみたいに、唇をもにゅもにゅ動かすだけ。


 ……やっぱり、高一の男子がやっても効果ないか……。


 そうっすよね。これが可愛く見えるのは、じいちゃんばあちゃんだけっすもんね。大体、ご主人は羊の俺が好きなんすから、こんな天然パーマの男が可愛子ぶったところで「うわ、キモ」としか思わないっすよね。


 ……自分で言ってて、ちょっと悲しくなってきた。今まで散々可愛がって貰ってたからか、意外にダメージがデカい。

 思わず「メェ……」と情けない声を上げて、俺は前で組んだ腕の上に顎を乗せる。


 と、上から咳払いが聞こえてきた。


「あー、なんだ、その」


 ご主人が、目を泳がせている。あーとかうーとか唸ったと思えば、急に俺の前にしゃがみ込む。片膝を付いて、伏せる俺の顔を覗き込んだ。


「妾は、お前を心から可愛いと、思っておる。また、お前が、妾を心より愛しておると、知っている。お前は常日頃から妾を癒し、妾を喜ばせようとしていると、妾は分かっておるのだ」


 ご主人は、眉間に皺を寄せたまま、見下ろす。


「お前の様子が可笑しい事にも、気付いておった。その原因も、大体想像は付いておった。お前は賢い。だからきっと、クライヴ王子達の密談を聞いて、妾の身を案じたが故に、あのように離れなかったのだろう」


 その言葉に、少しだけ腕から顎を持ち上げる。

 すると、ご主人の眉間の皺がちょっとだけ緩まった。


「今回の大暴れも、妾がワプーの実を食べぬようにとお前なりに考えたのだろう。その恰好で走り回られたのは少々困ったが、まぁ、なんだ」


 ご主人は自分の口に拳を当てて、もう一度咳払いをする。


 その手を、俺の頭に乗せた。


「よくやったな、メータ」


 俺の天然パーマをかき混ぜるように、掌が左右に揺れる。


「よくぞ妾を守ろうとした。流石は妾の愛オヴィスだ。褒めてつかわすぞ」


 撫でられる感触に、俺は顔を持ち上げた。

 綺麗に笑うご主人と、目が合う。


「ふふ、なんだその間抜け面は。怒られると思っておったか?」

『……し、正直、うっす』

「そんなわけあるまい。妾の為を思ってやった事だ。褒めこそすれ、叱るわけがなかろう」


 ご主人は更に笑うと、頭を撫でていた手を俺の顎へと移動させた。

 いつもみたいにくすぐられて、ふと、顔の力が抜ける。自分でも分かる位、だらしなく緩んだ。口からは自然と甘えた声が出てきて、俺はご主人の手に顔を思いっきり擦り付ける。


 メェメェとご主人を呼ぶ。

 何度も、何度も。


「メ、メータ様ー」


 不意に、名前を呼ばれた。

 見れば、城の方からシムさんが走ってくる。三つ編みも服装も乱したまま、ヨタヨタと上着を広げてやってきた。あれ、確実に俺のせいだな。


「どうしたシム。少し見ない内に、随分とボロボロになったな」

「うぅー、これには深い訳があるんですよー。それよりも、ほらほら、駄目ですよー。そんな恰好では体を冷やしてしまいますよー」


 シムさんは、持ってた上着を俺の体に巻き付ける。ご主人から借りた布も、丁寧に腰に巻き直してくれた。


「全くもー。やんちゃが過ぎますよー、メータ様ー。使用人達がどれ程驚いたと思っていらっしゃるんですかー?」

『さーせんシムさん。でも俺、全然後悔してないっす。ご主人褒めてくれたし』

「良いではないか。メータは妾を守ろうと死力を尽くしたのだ。これ程忠誠心のある行動を、誰が咎められようか」

「ですがミルギレッド様ー。メータ様のご乱心のお蔭で、城の至る所にて被害が出ているんですよー? きちんと反省して頂かないとー、こちらとしても困りますよー」

「反省はしておる。なぁ、メータ?」

『うっす。もう二度と台所には入らないっす。料理もひっくり返さないっす。真っ裸で走らないし、ゲロも吐き掛けないっす』

「ほれ、メータもこう言っておる」

「うぅー、ですが、ミルギレッド様ー」

「それに、飼っているオヴィスの尻ぬぐいをするのも飼い主の務めだ。今回は、妾にも非があった。よって妾から各所に詫びを入れておこう。それで許してやってくれないか」


 ご主人に説得されて、シムさんは唸り声を上げる。唇を尖らして、ちょっと納得いってない感じだ。でも、大きく溜め息を吐くと、指で頬を掻いた。


「んもー。今回だけですよー?」

「うむ。すまないな、シム」

「そう思ってくださるのならー、使用人達への説明等をきちんとお願いしますよー? メータ様もー、この次はないですからねー? もう一回やったらー、流石に私も怒りますからねー?」

『うっす。了解っす』

「それと、あまり男性の股は狙ってはいけませんよー? やられる方はとっても痛いんですからねー? いいですねー?」


 人差し指を立てて、シムさんは俺を叱る。眉をつり上げてるけど、母ちゃんに比べたら全然怖くない。だから俺は、顔と声だけ反省しておいた。本当は全然反省してないっす。もしまた同じ事が起こったら、迷わず股間に頭突き食らわすっす。


「姫様」


 アイリーンさんが戻ってきた。


「ん? おぉ、アイリーンか。クライヴ王子は?」

「先程国王陛下へ引き渡しました。これより軽い尋問と、これからの国交についての話し合いが行われるそうです」

「そうか。妾も出席した方が良いか?」

「どちらでも構わない、と国王陛下はおっしゃっておりましたが」

「では行かぬ。もう二度と奴の顔など見たくはないからな」


 ご主人は立ち上がると、ふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。


「母上は、どういった判断を下しそうだ?」

「まだはっきりとは分かりません。ですが、これでモファット国の優位は確固たるものとなりました。直接国に手を下さずとも、貿易や関税などの経済的制裁で十分事足りるのではないかと思われます」

「温いな」

「ですが、今後の事を考えればそれが妥当かと」


 アイリーンさんの考えに、ご主人は少し眉を顰めた。でも、それ以上は何も言わない。小さく頷いて、この話は終わりとでも言わんばかりに俺の頭を撫でた。


「ところで、姫様」


 アイリーンさんが、ご主人を見やる。


「その背中の模様は、一体何なのですか?」

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