「どうだ、これだけ拘束すれば動けないだろう。えぇ?」

『くそ……っ』


 俺はすぐに口を開けて、腕を縛る草を食べる。でも、食べても食べても減らない。千切った箇所からまた草が伸びて、一層俺を縛り上げた。


「無駄無駄。いくらお前が食べようと、ここには沢山の植物がある。この場にいる限り、お前は私に勝てないんだよ」

『うっせぇっ! 余裕ぶっこいてんじゃねぇよ馬ぁぁぁ鹿っ!』

「チッ、少しは黙れよ。メェメェメェメェ、お前は本当に私を苛立たせるのが上手いな」


 王子様が目を細めると、芝生の草が動いた。俺の口を塞ぐように、クルクルと巻き付いてくる。

 モガモガ呻く俺を、王子様は馬鹿にしたように笑った。


「まぁ、お前のお蔭で事はスムーズに行きそうだ。ミルギレッド王女に付け込む隙を与えてくれて、感謝するぞ、メータ殿。これで私も、王配陛下となれるだろう」

『なにが感謝するだっ! お前に感謝されたところで、全然嬉しくないんだよっ!』

「ミルギレッド王女と結婚した暁には、お前もそれなりに可愛がってやろうではないか。なんせ、私達の仲を取り持ってくれたのだからな。ん?」


 王子様はムカつく位勝ち誇った顔で、立ち上がる。


「しかし、躾がなっていないのは些か困るな」


 うつ伏せでもがく俺を覗き込むと、ゆっくりと足を持ち上げた。


「未来の飼い主として、一体誰が偉いのか、しっかりと叩き込んでやらねば」

『お前なんかにっ、誰が飼われるかってんだっ。俺の飼い主はっ、ご主人だけだっつーのっ!』


 怒りに任せて起き上がろうとした。けど、体は全然動いてくれない。草が邪魔して動けない。鼻息荒く暴れる俺を、王子様はもう一度笑った。


 そして、上げていた足を、俺の頭目掛けて、下ろす。


 迫る靴底に、思わず目を瞑った。体中に力を入れて、痛みに備える。


 ……しかし、いくら待っても、何も起こらない。


 痛みどころか、足の重みも感じない。


 代わりに、


「ぐへあぁっ!」


 何かがぶつかる音と、王子様の悲鳴が、聞こえた。


 王子様の声が、凄い勢いで離れていく。それに合わせ、別の何かも離れていく。

 茂みに何かが落ちた音。王子の叫び。また何かがぶつかった音。飛んでいく雄叫びと、それを追い掛けていく足音。

 俺の耳に、訳の分かんない音が連続して入ってくる。

 ついには、ザッブーンッ、という音が、頭の上から聞こえた。少し遅れて、水しぶきも顔に掛かる。


 一体、何が起こってるんだ。


 俺は、恐る恐る、目を開けた。


『…………あ……』


 上げた目線の先では、ずぶ濡れの王子様が、噴水の中に立っていた。


 ……いや、違う。


 あれは、立ってるんじゃない。


 持ち上げられてるんだ。


 顔にいくつもの傷をこさえた王子様を、俺は茫然と眺めた。


 と、不意に王子様の体が、右に大きく揺れる。


 かと思えば、左に勢い良く吹き飛んだ。


 芝生の上の叩き付けられた王子様は、小さく呻き声を上げるだけで逃げる様子はない。

 ピクピク痙攣する王子様から、俺は視線を噴水の方へ移した。


 噴水の奥から、大きな体が近付いてくる。いつぞやに聞いた軽快な足音とは違い、静かで重々しい雰囲気を漂わせていた。


 俺の目の前までくると、その筋肉の付いた逞しい足を止めた。それから首を屈め、俺の顔を覗き込む。


「ベェ」


 立派な角を持つ山羊顔が、至近距離で、鳴いた。


『リ、リーダーさん……』

「ベェ」

『あの、た、助けにきてくれたんすか……?』

「ベェ」


 リーダーさんは更に首を屈めると、俺に巻き付いた草を食べ始める。まるで某掃除機みたいな吸引力で、草はモリモリ消えていった。


 本当に助けてくれる感じだ。ちょっと感動して、お礼を言おうと目線を上げたら、


「ベェ」


 リーダーさんの横から、別の山羊顔が現れた。


 それも、一匹じゃない。


「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」


 何匹もの山羊顔が、俺を取り囲んで草を貪っていく。

 どんどん自由になる体。どんどん減っていく草。一分もしない内に、俺を縛り付けていた草は、綺麗さっぱりなくなってしまった。


 俺は手を付いて、立ち上がる。周りを見回せば、リーダーさんよりも少し小さめな山羊顔さん達が俺を見下ろしている。


『あ、あの、皆さん、あざっす。お蔭で助かったっす』

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

『このご恩は、一生忘れないっす。本当に感謝してるっす』

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

『後で改めてお礼に行くっす。その時は、美味い菓子を持って行くっすから、楽しみにしてて下さいっす』

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」

「ベェ」


 うん、何言ってるか全然分かんない。けど、でもこういうのはフィーリングだから。大事なのは言葉じゃなくて気持ちだから。


 俺は丁寧に頭を下げてから、リーダーさん達の間から抜け出した。手足を動かして、倒れる王子様に歩み寄る。


 王子様は、仰向けに転がって白目を剥いていた。

 俺は王子様の腹に跨って、もう爽やかさの欠片もない顔を引っ叩く。


「ぐぅっ、う、な、何を」

『おはようっす、王子様ぁ』


 王子様は俺と目が合うと、引き攣った声を上げて暴れ出した。その動きを、尻の重さで封じ込める。ついでに芝生を触ろうとした手は、左右それぞれの足で踏ん付けてやった。


「や、止めろっ、退けっ! くそっ」

『ふっふっふ。大股開きの男に跨られて、さぞ不愉快だろう。ほーらほらほら。あんまり動くと、俺のイチモツさんが顔にくっ付くぞー』

「う……っ! お、おいっ、こっちにくるなっ! ちょ、近付けるなっ!」


 首を目一杯伸ばして、王子様は抵抗をする。


 その頭を掴んで、俺はずっと握り込んでいたものを、高々と掲げた。


 にんまりと笑い、王子様を見下ろす。


『これでも食らえっ、この野郎ぉぉぉぉぉーっ!』


 ご主人から奪い取った毒柿を、王子様の口に押し込んでやった。

 食べた瞬間分かったのか、王子様はさっきよりももっと暴れた。その顔色は、月の下でも分かる位悪い。


『食えっ、食えっ!』

「うぐっ、ぐぅ、ぐえぇっ」

『ほらっ、お前が用意したんだろっ! 責任持って食えっ!』

「げぇっ、ぐぇっ、ぐぅぅぅっ!」

『自分が食えないもんっ、ご主人に食わそうとしてんじゃねーよっ!』


 俺の怒声が中庭にメェメェ響く。王子様の吐き出そうとする音も、グェグェ鳴った。もう泣いてる王子様に、俺は更に毒柿を擦り付ける。


『これでご主人を狙った事を後悔しろっ! そして二度とくるな馬ぁぁぁ鹿っ!』


 イチモツさんごと体を揺らして、毒柿を押し込んで押し込んで押し込みまくる。

 そうしたら、王子様の喉が、上下に動いた。

 王子様の充血した目が、弾けそうな程大きく開く。


「クライヴ様ぁっ!」


 直後、俺の体は横に吹っ飛ばされた。

 芝生の上を転がると、ニョキニョキ伸びてきた草にまた縛り付けられる。


「クライヴ様っ、大丈夫ですかっ? お気を確かにっ!」

「すぐに吐き出させるんだっ!」

「誰かっ、シラツナ草をっ! 早くっ!」


 王子様のお付きのおっちゃん達が、王子様を囲んで慌ててる。あれやこれやと大騒ぎしつつ王子様の口から毒柿を吐かせて、代わりに薬草っぽい奴を食わせた。


 周りを見れば、リーダーさん率いる山羊顔集団は、俺と同じく伸びた草に捕まっている。ベェベェ言いながらモリモリ千切り食ってるけど、すぐには動き出せそうにない。その奥では、メイドさんや兵士さんが野次馬的な感じで集まっていた。渡り廊下から俺達を見ている。


「貴様ぁ……っ」


 不意に、顔に影が掛かる。

 お付きのおっちゃんの一人が、凄ぇ怖い顔で俺を見下ろしている。


「ワインバーガー国の王子相手にこんな真似をしおって……許されるとでも思っているのかぁっ!?」

『うっせぇっ! それはこっちの台詞だっ! ご主人相手に毒食わそうなんてっ、許されると思ってんのかぁっ!?』


 メェメェ言い返してやると、おっちゃんはもっと目と眉をつり上げて、歯を食い縛った。

 怒鳴り声を上げて、勢い良く手を振りかざす。握られた拳が、凄ぇ速さで振ってくる。


 俺は、咄嗟に目を瞑ろうとした。


 でもその前に、おっちゃんの腕は、止まる。


「なぁ……っ!?」


 俺とおっちゃんの間に割り込んできた影が、一つ。


「……言った筈だ」


 それはおっちゃんの腕を、片手一本で軽々と止めてみせた。いくらおっちゃんが振り解こうとしても、ビクともしない。


「この者を少しでも傷付ける事は……」


 丸出しの足を広げ、バーンと出た尻を落とす。


「妾が……許さぬとっ」


 腰で軽く握られた拳が、おっちゃんの顔面にめり込んだ。

 高々と突き上げられた細い腕。その延長戦上を、おっちゃんは飛んでいく。


 パンチを繰り出した拍子に、肩に掛けてた布が、ズレた。


 布の下からは、いつかの朝に盗み見た刺青が、大きな顔を覗かせる。


 月明かりの加減のせいか、単に俺の気持ちの問題か、ちょっとキラキラ輝いて見えた。


『ご主人……』


 小さく呼べば、ご主人は俺を守るように立ちはだかった。王子様達と、真っ向から対峙する。


 ここからじゃ全然顔が見えないけど、多分、凄ぇ怖い顔してんだと思う。

 だって、王子様達、超ビビってるもん。

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