6
『王子この野郎ぉぉぉぉぉーっ!』
「うわあぁぁっ! こ、こっちにきたぞぉっ!」
「クライヴ様っ、お下がり下さいっ!」
王子様のお付きのおっちゃんは、腰から剣を抜いて構えた。
「っ、止めろっ! そ奴に傷を付けるなっ!」
ご主人が慌てて止めに入る。
でも、おっちゃんは俺へ向かって剣を振り被った。
頭の上に掲げられた剣は、下ろされる直前に、水の縄に絡め取られる。
「な、何をするのですかシェパード殿っ!」
アイリーンさんが、こっちに向けて手をかざしている。
さっきより、もっともっと目をつり上げながら。
「そちらこそ何をするのですかっ? 姫様が止めろとおっしゃっているのですっ。今すぐ剣を下ろしなさいっ!」
「し、しかしっ」
「そ奴は妾の飼っておるオヴィスだっ! 少しでも傷付ける事は許さぬぞっ!」
ご主人が怒鳴ると、王子様達は戸惑った顔になった。その隙に、俺は王子様へ飛び掛かる。手前のおっちゃんに遮られたけど、脳天に頭突きを食らわせてやったら倒れちゃった。
白目を剥くおっちゃんに、王子様達の顔色はゆっくりと悪くなる。
『王子様ぁ……』
俺が唸ると、王子様はビクっと体を揺らした。
『ご主人に毒食わそうとしやがってぇ……覚悟しろてめぇこらぁぁぁぁぁーっ!』
手で床を二回掻いて、俺はまた走り出す。王子様は、情けない声を上げて俺に背を向けた。
逃げていく王子様の後ろに、ぴったりと張り付いてやる。メェメェ鳴いて脅すのも忘れない。
「落ち着けメータッ! 一体どうしたというのだっ! せ、せめて前を隠せっ!」
ご主人も、俺の後ろを追い掛けてくる。アイリーンさんは水を操って、縄や柵で俺を捕まえようとした。
でも、甘いっす。
こんなもんで、俺の足は止められないっす。
「おいアイリーンッ! 全然捕まらないではないかっ! もっとしっかり水を操れっ! お前っ、妾よりも力が強いんだろうがっ!」
「言われなくても分かってるわよっ! でもしょうがないでしょうっ! メータ様が予想以上に成長しちゃったんだからっ! 躾の賜物よ賜物っ!」
「何が賜物だっ! 妾に隠れて家族ごっこなんかしてるからこんな事になるんだっ! これに懲りたら少しは自重しろっ! この行き遅れめっ!」
「いっ、行き遅れかどうかはっ、今は関係ないでしょうっ!?」
ご主人とアイリーンさんが口喧嘩してる間に、俺はお付きのおっちゃんを、一人、また一人と頭突きで倒していく。
王子様を守るおっちゃんは、今はもう三人しか残ってない。
「ク、クライヴ様っ、こちらへっ!」
『あっ、待てこの野郎ぉっ!』
王子様は、おっちゃんに連れられて部屋の外へと逃げていった。勿論俺も追い掛けていく。フカフカの絨毯の上を、四つん這いで全力疾走した。
「き、きゃあぁぁぁぁぁーっ!」
「え、な、何っ!?」
「誰かぁっ! 誰かきて下さいっ! 全裸の男が走ってますぅっ!」
すれ違ったメイドさん達が、俺を指差してめっちゃ叫んでる。
お粗末なもんを見せてさーせん。でも、俺だって好きで見せてるわけじゃないっす。不可抗力って奴っす。これも後で謝りますから、今は見逃して下さい。
『待て王子いぃぃぃぃぃーっ!』
俺は床を蹴って、捨て身の体当たりを放った。一番後ろを走っていたおっちゃんを巻き込みながら、壁へと激突する。
「くそっ、また一人やられたかっ!」
「ど、どうするんだロッドッ! このままじゃ、私達も危ないぞっ!」
「ご安心下さいクライヴ様っ!」
不意に、王子様の隣にいたおっちゃんがポケットを漁った。中から何かを取り出して、その腕を後ろに突き出す。
「食らえっ!」
拳の隙間から、芽が生えた。
かと思えば、一気に成長した蔦が、俺目指して伸びてくる。
両手を蔦で一纏めに縛り上げられる。俺はバランスを崩し、その場に腹這いとなった。解こうともがくが、蔦は全然緩まない。
「や、やったっ! よくやったぞロッドッ!」
「これで走れない筈です。今の内に兵士を呼んで、速やかに回収して貰いましょう」
俺を見下ろしながら、王子様とおっちゃんはホっとした顔で立ち止まった。真っ裸で転がる俺が可笑しいのか、王子様はちょっと馬鹿にした風に笑っている。
その顔が、凄ぇムカつく。
『……羊ぃ……っ、舐めんじゃねぇよぉ……っ!』
俺は大きな口を開けて唸り、腕に絡み付いた蔦に噛み付いた。
いつものように前歯で千切って、奥歯でモグモグ噛み砕く。
一心不乱に蔦を食べていく俺を、王子様達はぽかんと見つめた。唇を震わせて、顔色を青くしていく。
一番太い蔦を噛み、思いっ切り引っ張った。するとブチっという音と共に、残りの蔦が解け落ちる。
自由になった両手を床に付いて、俺は体を起こした。
咥えた蔦を吐き捨てて、前を見る。
唸りながら前傾姿勢になると、王子様が変な顔をした。
「う……うわぁぁぁぁぁーっ!」
『逃がすかぁぁぁぁぁーっ!』
また走り出した王子様達を追い掛けていく。
王子様は俺の勢いに押されたのか、それとも運動不足なのか、荒く息を吐きながら腕を振り回している。お付きのおっちゃん達に引っ張られるも、足の動きがどんどん鈍くなってきた。
俺との差が、徐々に縮まる。
「クライヴ様っ、どうかお急ぎ下さいっ! 追い付かれてしまいますっ!」
「そ、そんな事言われたって」
『待ぁぁぁぁてぇぇぇぇぇーっ!』
「ひいぃっ!」
王子様は情けない声を出すと、更に足をバタつかせた。
おっちゃん達は王子様を守りながら、どうにか俺を引き離そうとする。急に曲がったり、ジグザグに走ったり、時には上着とか草の塊とか投げてきた。
でも、そんなもん俺には通用しないんだよ。遊んでる時のアイリーンさんの方が、もっとえげつねぇ攻め方してきたんだからな。
あぁ、温い温い。温過ぎて笑いが込み上げてくるわ。
『ふははははーっ!』
俺は羊なりの高笑いをしながら、ゆっくりと左へ寄った。すると俺の予想通り、おっちゃん達は王子様を連れて左へ曲がろうとする。
その瞬間を狙って、俺は飛び掛かった。手前にいたおっちゃんの膝に頭突きを食らわして、コケたところを踏んでやった。
「マ、マズいぞロッドッ! このままじゃっ、全員やられてしまうっ!」
王子様は隣を走るおっちゃんの腕を掴んで、そりゃあもう情けない面を晒している。おっちゃんもおっちゃんで、お付きが自分一人だけになって超焦ってるっぽい。
内心どころか満面でニヤリと笑い、俺は更に駆けていく。王子様達も逃げていく。
足音と悲鳴と羊の鳴き声が、廊下中に響き渡った。
「……あっ、ちょ、メータ様ーっ! なんて恰好をしてるんですかーっ!」
王子様達の前から、突然シムさんが顔を出した。急いで上着を脱ぐと、内股気味で俺の所に走ってくる。よく見ると、鼻と目がちょっと赤くなっていた。
「っ、おい君っ! この者を捕まえてくれっ!」
「えっ、あ、クライヴ王子っ? な、何をなさっているんですかー?」
「見て分からないのかっ! 襲われているんだっ! いいから早く助けてくれっ!」
王子様はそう叫ぶと、シムさんは何がなんだか分かんないって顔をした。でも、取り合えず上着を広げて、駆けてくる俺を待ち構える。
「メ、メータ様ー? 駄目ですよー。その姿の時はー、何かを羽織って頂かないと――」
『ふんっ!』
王子様がシムさんの脇を通った瞬間、俺は顎を引いて、シムさんに全力でぶつかっていった。
シムさんは、後ろへ勢い良く吹っ飛んでいく。
王子様の横を走るおっちゃんを巻き込みながら、仰向けに倒れた。
廊下に仲良く転がる俺達。呻き声が漏れる中、俺はいち早く起き上がる。
そしてその場でジャンプして、シムさんごとおっちゃんにダイビングアタックをかましてやった。
「ぐえぇっ!」
痛そうな音と声が、二つ聞こえた。かと思えば、俺の下にいる二人は、ピクリとも動かなくなる。
俺は、ゆっくりと立ち上がる。床に手と足をついて、体勢を低くした。
顔を上げれば、そこにいるのは、王子様ただ一人。
自然と、顔もにやけちゃいますよ。
「ひぃ……っ」
王子様は後ずさると、大げさに体を跳ねさせた。
『ようやく二人っきりになったなぁ、王子様よぉ?』
「く、くるな……っ」
『ほほーん、俺にきて欲しくないのかー。そっかー、ふーん』
「あっちに行けっ」
『どうしよっかなー。そっち行っちゃおうかなー。やっぱあっちかなー』
右へ左へ揺れる俺に、王子様は超ビビってる。おばばみたいにプルプル震える姿に、ニヤニヤが止まらない。
『うーん、悩むなー。でもぉー、やっぱりぃー……』
俺は王子様を見つめたまま、右手を握り込む。
『……こっちに行っちゃいましょうかぁぁぁぁぁーっ!』
足に力を入れて、床を蹴って走り出す。王子様は、すぐさま俺に背を向けた。暴れるように逃げる王子様を、俺はメェメェ追い立てる。
『おらおらぁぁぁぁーっ! 待てぇぇぇぇぇーっ!』
「あぁぁぁぁぁーっ!」
『このエセ爽やか王子めぇぇぇぇぇーっ! 悪だくみなんかしてんじゃねぇぇぇぇぇーっ!』
「うわぁぁぁぁぁーっ!」
『ご主人に毒なんか食わせようとしやがってぇぇぇぇぇーっ! ふざけんじゃねぇぞこらぁぁぁぁぁーっ!』
「ひゃぁぁぁぁぁぁーっ!」
『天誅じゃ天誅ぅぅぅぅぅーっ!』
後ろから王子様の尻を小突いては、メェメェ怒鳴り散らす俺。王子様はもう半泣きだ。汗と鼻水を垂らして必死で手足を動かしている。もうあの頃の爽やかさなどない。
いい気味だとニヤニヤしつつ、俺は思いっきり飛び掛かった。
『おりゃぁっ!』
俺の頭突きが、王子様の尻にヒットする。王子様はぶつかられた勢いで、前に倒れて転がっていった。渡り廊下から、中庭に落ちる。
芝生の上で悶える王子様を、月明かりが照らし出した。尻を押さえて、でも顔を上げて俺を警戒している。
膝を使って後ずされる王子様に鼻を鳴らし、俺も中庭に下りた。芝が素肌にチクチク当たる。ちょっとくすぐったいけど、俺はズンズン手足を進めた。
王子様は、ひぃひぃ言いながら逃げていく。でも俺を気にし過ぎたせいで、後ろの噴水に気付かなかったようだ。背中をぶつけて、めっちゃビビってた。
『もう逃げられねぇぞ、王子様ぁ』
「ひ、う、うぅ」
『大人しく……俺に倒されろこらぁぁぁぁぁーっ!』
芝生を手で二回掻いて、体勢を低くする。
そして顎を引いて、力を入れた足で、思いっ切り地面を蹴った。
直後、俺の足を、誰かが掴んだ。
足だけじゃない。
手も、胴も、腰も、雁字搦めに押さえられる。
誰だ? と思い、目玉を動かす。
草だ。
芝生の草が伸びて、俺の体に巻き付いている。
「……ふ……ふふ、ふふふふははははは……っ」
不意に、笑い声が聞こえた。
王子様が、噴水に寄り掛かりながら、俺を見てる。
その掌は、芝生を触っていた。
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