『王子この野郎ぉぉぉぉぉーっ!』

「うわあぁぁっ! こ、こっちにきたぞぉっ!」

「クライヴ様っ、お下がり下さいっ!」


 王子様のお付きのおっちゃんは、腰から剣を抜いて構えた。


「っ、止めろっ! そ奴に傷を付けるなっ!」


 ご主人が慌てて止めに入る。

 でも、おっちゃんは俺へ向かって剣を振り被った。


 頭の上に掲げられた剣は、下ろされる直前に、水の縄に絡め取られる。


「な、何をするのですかシェパード殿っ!」


 アイリーンさんが、こっちに向けて手をかざしている。

 さっきより、もっともっと目をつり上げながら。


「そちらこそ何をするのですかっ? 姫様が止めろとおっしゃっているのですっ。今すぐ剣を下ろしなさいっ!」

「し、しかしっ」

「そ奴は妾の飼っておるオヴィスだっ! 少しでも傷付ける事は許さぬぞっ!」


 ご主人が怒鳴ると、王子様達は戸惑った顔になった。その隙に、俺は王子様へ飛び掛かる。手前のおっちゃんに遮られたけど、脳天に頭突きを食らわせてやったら倒れちゃった。


 白目を剥くおっちゃんに、王子様達の顔色はゆっくりと悪くなる。


『王子様ぁ……』


 俺が唸ると、王子様はビクっと体を揺らした。


『ご主人に毒食わそうとしやがってぇ……覚悟しろてめぇこらぁぁぁぁぁーっ!』


 手で床を二回掻いて、俺はまた走り出す。王子様は、情けない声を上げて俺に背を向けた。

 逃げていく王子様の後ろに、ぴったりと張り付いてやる。メェメェ鳴いて脅すのも忘れない。


「落ち着けメータッ! 一体どうしたというのだっ! せ、せめて前を隠せっ!」


 ご主人も、俺の後ろを追い掛けてくる。アイリーンさんは水を操って、縄や柵で俺を捕まえようとした。


 でも、甘いっす。

 こんなもんで、俺の足は止められないっす。


「おいアイリーンッ! 全然捕まらないではないかっ! もっとしっかり水を操れっ! お前っ、妾よりも力が強いんだろうがっ!」

「言われなくても分かってるわよっ! でもしょうがないでしょうっ! メータ様が予想以上に成長しちゃったんだからっ! 躾の賜物よ賜物っ!」

「何が賜物だっ! 妾に隠れて家族ごっこなんかしてるからこんな事になるんだっ! これに懲りたら少しは自重しろっ! この行き遅れめっ!」

「いっ、行き遅れかどうかはっ、今は関係ないでしょうっ!?」


 ご主人とアイリーンさんが口喧嘩してる間に、俺はお付きのおっちゃんを、一人、また一人と頭突きで倒していく。


 王子様を守るおっちゃんは、今はもう三人しか残ってない。


「ク、クライヴ様っ、こちらへっ!」

『あっ、待てこの野郎ぉっ!』


 王子様は、おっちゃんに連れられて部屋の外へと逃げていった。勿論俺も追い掛けていく。フカフカの絨毯の上を、四つん這いで全力疾走した。


「き、きゃあぁぁぁぁぁーっ!」

「え、な、何っ!?」

「誰かぁっ! 誰かきて下さいっ! 全裸の男が走ってますぅっ!」


 すれ違ったメイドさん達が、俺を指差してめっちゃ叫んでる。

 お粗末なもんを見せてさーせん。でも、俺だって好きで見せてるわけじゃないっす。不可抗力って奴っす。これも後で謝りますから、今は見逃して下さい。


『待て王子いぃぃぃぃぃーっ!』


 俺は床を蹴って、捨て身の体当たりを放った。一番後ろを走っていたおっちゃんを巻き込みながら、壁へと激突する。


「くそっ、また一人やられたかっ!」

「ど、どうするんだロッドッ! このままじゃ、私達も危ないぞっ!」

「ご安心下さいクライヴ様っ!」


 不意に、王子様の隣にいたおっちゃんがポケットを漁った。中から何かを取り出して、その腕を後ろに突き出す。


「食らえっ!」


 拳の隙間から、芽が生えた。

 かと思えば、一気に成長した蔦が、俺目指して伸びてくる。


 両手を蔦で一纏めに縛り上げられる。俺はバランスを崩し、その場に腹這いとなった。解こうともがくが、蔦は全然緩まない。


「や、やったっ! よくやったぞロッドッ!」

「これで走れない筈です。今の内に兵士を呼んで、速やかに回収して貰いましょう」


 俺を見下ろしながら、王子様とおっちゃんはホっとした顔で立ち止まった。真っ裸で転がる俺が可笑しいのか、王子様はちょっと馬鹿にした風に笑っている。


 その顔が、凄ぇムカつく。


『……羊ぃ……っ、舐めんじゃねぇよぉ……っ!』


 俺は大きな口を開けて唸り、腕に絡み付いた蔦に噛み付いた。

 いつものように前歯で千切って、奥歯でモグモグ噛み砕く。


 一心不乱に蔦を食べていく俺を、王子様達はぽかんと見つめた。唇を震わせて、顔色を青くしていく。


 一番太い蔦を噛み、思いっ切り引っ張った。するとブチっという音と共に、残りの蔦が解け落ちる。


 自由になった両手を床に付いて、俺は体を起こした。

 咥えた蔦を吐き捨てて、前を見る。

 唸りながら前傾姿勢になると、王子様が変な顔をした。


「う……うわぁぁぁぁぁーっ!」

『逃がすかぁぁぁぁぁーっ!』


 また走り出した王子様達を追い掛けていく。

 王子様は俺の勢いに押されたのか、それとも運動不足なのか、荒く息を吐きながら腕を振り回している。お付きのおっちゃん達に引っ張られるも、足の動きがどんどん鈍くなってきた。


 俺との差が、徐々に縮まる。


「クライヴ様っ、どうかお急ぎ下さいっ! 追い付かれてしまいますっ!」

「そ、そんな事言われたって」

『待ぁぁぁぁてぇぇぇぇぇーっ!』

「ひいぃっ!」


 王子様は情けない声を出すと、更に足をバタつかせた。


 おっちゃん達は王子様を守りながら、どうにか俺を引き離そうとする。急に曲がったり、ジグザグに走ったり、時には上着とか草の塊とか投げてきた。

 でも、そんなもん俺には通用しないんだよ。遊んでる時のアイリーンさんの方が、もっとえげつねぇ攻め方してきたんだからな。

 あぁ、温い温い。温過ぎて笑いが込み上げてくるわ。


『ふははははーっ!』


 俺は羊なりの高笑いをしながら、ゆっくりと左へ寄った。すると俺の予想通り、おっちゃん達は王子様を連れて左へ曲がろうとする。

 その瞬間を狙って、俺は飛び掛かった。手前にいたおっちゃんの膝に頭突きを食らわして、コケたところを踏んでやった。


「マ、マズいぞロッドッ! このままじゃっ、全員やられてしまうっ!」


 王子様は隣を走るおっちゃんの腕を掴んで、そりゃあもう情けない面を晒している。おっちゃんもおっちゃんで、お付きが自分一人だけになって超焦ってるっぽい。


 内心どころか満面でニヤリと笑い、俺は更に駆けていく。王子様達も逃げていく。

 足音と悲鳴と羊の鳴き声が、廊下中に響き渡った。


「……あっ、ちょ、メータ様ーっ! なんて恰好をしてるんですかーっ!」


 王子様達の前から、突然シムさんが顔を出した。急いで上着を脱ぐと、内股気味で俺の所に走ってくる。よく見ると、鼻と目がちょっと赤くなっていた。


「っ、おい君っ! この者を捕まえてくれっ!」

「えっ、あ、クライヴ王子っ? な、何をなさっているんですかー?」

「見て分からないのかっ! 襲われているんだっ! いいから早く助けてくれっ!」


 王子様はそう叫ぶと、シムさんは何がなんだか分かんないって顔をした。でも、取り合えず上着を広げて、駆けてくる俺を待ち構える。


「メ、メータ様ー? 駄目ですよー。その姿の時はー、何かを羽織って頂かないと――」

『ふんっ!』


 王子様がシムさんの脇を通った瞬間、俺は顎を引いて、シムさんに全力でぶつかっていった。


 シムさんは、後ろへ勢い良く吹っ飛んでいく。

 王子様の横を走るおっちゃんを巻き込みながら、仰向けに倒れた。


 廊下に仲良く転がる俺達。呻き声が漏れる中、俺はいち早く起き上がる。


 そしてその場でジャンプして、シムさんごとおっちゃんにダイビングアタックをかましてやった。


「ぐえぇっ!」


 痛そうな音と声が、二つ聞こえた。かと思えば、俺の下にいる二人は、ピクリとも動かなくなる。


 俺は、ゆっくりと立ち上がる。床に手と足をついて、体勢を低くした。

 顔を上げれば、そこにいるのは、王子様ただ一人。


 自然と、顔もにやけちゃいますよ。


「ひぃ……っ」


 王子様は後ずさると、大げさに体を跳ねさせた。


『ようやく二人っきりになったなぁ、王子様よぉ?』

「く、くるな……っ」

『ほほーん、俺にきて欲しくないのかー。そっかー、ふーん』

「あっちに行けっ」

『どうしよっかなー。そっち行っちゃおうかなー。やっぱあっちかなー』


 右へ左へ揺れる俺に、王子様は超ビビってる。おばばみたいにプルプル震える姿に、ニヤニヤが止まらない。


『うーん、悩むなー。でもぉー、やっぱりぃー……』


 俺は王子様を見つめたまま、右手を握り込む。


『……こっちに行っちゃいましょうかぁぁぁぁぁーっ!』


 足に力を入れて、床を蹴って走り出す。王子様は、すぐさま俺に背を向けた。暴れるように逃げる王子様を、俺はメェメェ追い立てる。


『おらおらぁぁぁぁーっ! 待てぇぇぇぇぇーっ!』

「あぁぁぁぁぁーっ!」

『このエセ爽やか王子めぇぇぇぇぇーっ! 悪だくみなんかしてんじゃねぇぇぇぇぇーっ!』

「うわぁぁぁぁぁーっ!」

『ご主人に毒なんか食わせようとしやがってぇぇぇぇぇーっ! ふざけんじゃねぇぞこらぁぁぁぁぁーっ!』

「ひゃぁぁぁぁぁぁーっ!」

『天誅じゃ天誅ぅぅぅぅぅーっ!』


 後ろから王子様の尻を小突いては、メェメェ怒鳴り散らす俺。王子様はもう半泣きだ。汗と鼻水を垂らして必死で手足を動かしている。もうあの頃の爽やかさなどない。

 いい気味だとニヤニヤしつつ、俺は思いっきり飛び掛かった。


『おりゃぁっ!』


 俺の頭突きが、王子様の尻にヒットする。王子様はぶつかられた勢いで、前に倒れて転がっていった。渡り廊下から、中庭に落ちる。


 芝生の上で悶える王子様を、月明かりが照らし出した。尻を押さえて、でも顔を上げて俺を警戒している。

 膝を使って後ずされる王子様に鼻を鳴らし、俺も中庭に下りた。芝が素肌にチクチク当たる。ちょっとくすぐったいけど、俺はズンズン手足を進めた。


 王子様は、ひぃひぃ言いながら逃げていく。でも俺を気にし過ぎたせいで、後ろの噴水に気付かなかったようだ。背中をぶつけて、めっちゃビビってた。


『もう逃げられねぇぞ、王子様ぁ』

「ひ、う、うぅ」

『大人しく……俺に倒されろこらぁぁぁぁぁーっ!』


 芝生を手で二回掻いて、体勢を低くする。

 そして顎を引いて、力を入れた足で、思いっ切り地面を蹴った。


 直後、俺の足を、誰かが掴んだ。


 足だけじゃない。

 手も、胴も、腰も、雁字搦めに押さえられる。


 誰だ? と思い、目玉を動かす。


 草だ。


 芝生の草が伸びて、俺の体に巻き付いている。


「……ふ……ふふ、ふふふふははははは……っ」


 不意に、笑い声が聞こえた。


 王子様が、噴水に寄り掛かりながら、俺を見てる。

 その掌は、芝生を触っていた。

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