「し、失礼しまーす」


 不意に、扉が開く。

 料理人さんに連れられて、ちょっと内股で歩くシムさんが部屋の中へ入ってきた。


 思わず情けない声を出してしまったのも、仕方ないだろう。


『シ、シムさんっ。ここっすっ、助けて下さいっすぅっ』

「あぁ、いたー。もう、お一人でどこかへ行かないで下さいよー。すいません料理長ー。メータ様がお邪魔してしまいましてー」

「シム様よぉ。あんたも忙しいのは分かるが、もうちょいしっかり見てて貰えねぇか? 腹減らしてるようなら菓子でも何でも用意してやるから、二度とこんな事がねぇようにしてくれや」

「うぅ、すいませーん」


 おっちゃんに叱られて、シムさんはペコペコ頭を下げていく。何だか申し訳なくて、俺も一緒に謝った。と言ってもメェメェ言ってるだけだから、通じたのかは分かんないけど。


「まぁ、兎に角早く連れて行ってくれ。こっちも晩餐会の準備で忙しいんだ」

「あ、はい、分かりましたー。本当にすいませんでしたー」


 シムさんはもう一度おっちゃんに頭を下げると、包丁に囲まれた俺を抱き上げた。俺の背中を軽く叩いて、おっちゃんに向き直る。


「では、これで失礼しますー。メータ様を保護して下さり、ありがとうございましたー」


 シムさんはおっちゃんに礼を言ってから、素早く扉に向かった。廊下へ出て、大きな溜め息を吐く。


「もうー、心配させないで下さいよー、メータ様ー」


 俺の体を抱き締めて、シムさんはクルクルな黒い毛に頬を寄せた。


「調理中の厨房に入るなんて、自殺行為もいいところですよー?」

『うぅ、さーせん。もう二度と入らないっす。誓うっす』

「料理長は厳しいお方なんですからねー? ミルギレッド様の飼っていらっしゃるオヴィスだったから良かったものを、下手したら捌かれてたかもしれないんですからねー?」


 俺の顔を覗き込みながら、めっちゃ怖い事を言ってくる。


「さぁ、お部屋に戻りましょうー。晩餐会も始まった事ですし、メータ様もお食事にしましょうねー」


 シムさんは俺を抱え直すと、どこかへ向かって歩き出す。多分、さっきいた部屋だ。

 それじゃ駄目っす。このままじゃご主人が毒を食わされちゃうっす。そう訴えるも、シムさんは分かってくれない。ポンポンと俺の背中を叩いて、「お腹すきましたねー」とか言ってくる。


 シムさんの肩越しに、台所の扉が見えた。そこから、ワゴンを押す料理人さんが出てくる。


「次の前菜です。『アプーと卵のディップ』、お願いします」


 そう言って、廊下で待っていた執事さんにワゴンを渡した。執事さんは、ワゴンを受け取ると右の角に消えていく。


『シ、シムさんっ、ヤバいっすっ。毒柿がご主人のところに行っちゃうっすっ!』

「はいはい、そうですねー。早く食べたいですねー」

『違うっすっ! 俺の飯なんてどうだっていいんすっ! そうじゃなくてっ、アレをどうにかしないとマズいっすよっ!』

「すぐに用意しますからねー。だからちょっとだけ我慢して下さいねー」


 シムさんの足は止まらない。台所の扉はどんどん小さくなるし、執事さんが消えていった角は、もうここからじゃよく見えない。


 このままじゃ、マズい。


『……シムさん……』


 俺は唇を噛んで、シムさんを仰ぎ見た。シムさんはいつものようにニコニコ笑って、俺の名前を呼んでくれる。


 ……さーせんっす。

 心の中で謝ってから、俺は、大きく息を吸った。


 そして、前足を、思いっ切り前に突き出した。


 蹄が、シムさんの目と鼻に刺さる。


 痛みに声を上げたシムさんは、俺を抱く腕の力を弱めた。

 俺はシムさんの胸を蹴って、急いで床の上に下りる。ベチョっとかっこ悪く着地して、廊下をコロコロ転がった。


 俺は素早く起き上がり、顔を覆うシムさんの横を通り過ぎていく。台所の扉の前まで逆走して、それから右に曲がって執事さんの後を追った。


 廊下には、蹄の音がパカランパカランと響き渡る。辺りには、それらしき姿はない。でも、何かを押す音と少し甘い匂いが、こっちの方から流れてくる。

 俺は鼻と耳を研ぎ澄まして、兎に角走った。途中またメイドさんや執事さんを見掛けたけど、気にせず脇を駆け抜ける。


『……っ、いたっ!』


 目の前に、ワゴンを引いた執事さんを見つけた。

 俺は「メェェェェェーッ!」と叫びながら、更に勢い良く足を動かす。


「ん? ……え、な、え?」


 執事さんは振り返ると、目と口を丸くした。

 その目と俺の目ががっつり合ったと思えば、執事さんの顔は徐々に青くなっていく。


「う、うわあぁ……っ!」


 ワゴンを持ったまま、逃げ出した。


『待てぇぇぇぇぇーっ!』

「わぁぁぁぁぁーっ! 助けてぇぇぇぇぇーっ!」


 廊下に、蹄の音と、執事さんの悲鳴と、ワゴンの走る音が轟く。


「し、鎮まり下さいメータ様っ!」

「メータ様ーっ! そちらは食べられませんよーっ!」

「誰かっ! 何でもいいから食べ物を持ってきて下さいっ!」

「そっちへ行ったぞっ! 捕まえろっ!」

「いやっ、それよりも道を塞げっ!」


 周りのメイドさんや執事さんは、どうにか俺を捕まえようと駆け回っている。でも、そのどれをも掻い潜り、凄ぇ勢いでワゴンを追い掛ける俺。執事さんも、凄ぇ勢いでワゴンを押していく。中々縮まらない距離。でも、負けるかこの野郎。


 メェメェと雄叫びを上げて、俺は床を蹴っていく。振り返って俺を確認した執事さんは、ちょっと涙目だった。

 さーせん。後でめっちゃ謝りますんで、その料理、ひっくり返させて下さいっす。


「こちらですっ!」


 前の方から、ドタバタと足音が聞こえてきた。

 メイドさんが、兵士さんを何人か連れてきたらしい。筋肉ムキムキのマッチョメンが、廊下の角から姿を現す。


「メータ様はこちらで足止めしますので、あなたは大広間へ料理を持っていて下さい」

「あ、ありがとうございますっ。お願いしますっ」


 執事さんを奥に通すと、兵士さん達は廊下に広がって俺を通せんぼしてくる。

 しかもムキムキの腕には、俺のオモチャや好きな菓子が一杯抱えられていた。


「ほら、メータ様。お菓子ですよー」

「オモチャも沢山ありますよー」

「抱っこもしますよー。それとも高い高いの方がいいですかー?」


 遊んでくれる気配をバンバンに漂わせながら、ちょっとずつ近付いてくる。

 退いて欲しくて「メェッ!」って鳴いたら、兵士さん達は互いに目を見合わせて、オモチャを持ってる人達が前に出てきた。


「メータ様。ほら、これを取ってくる遊びをしませんかー?」

「引っ張りっこも楽しいですよー」

『今は結構っすっ!』


 差し出される縄も玉も無視して、兵士さんの足の間をすり抜けていく。


「ほーら、ビスコゥですよー。メータ様、これ好きですよねー?」

「パムシンもありますよー。美味しいですよー」

『後で食べるっすっ!』


 右に左にフェイントを掛け、近寄ってくる兵士さんをかわしていく。マッチョなだけあって、執事さん達より手ごわい。

 でも、俺だって伊達にアイリーンさんと遊んでない。ちょっとした障害物なんて、軽ーく飛び越えてやる。


『ほりゃあぁぁぁぁーっ!』


 しゃがんだ兵士さんの背中を踏み台に、俺は宙に身を投げた。受け止めようと伸ばされた手を更に踏み台にして、ピョンピョーンと兵士さんの上を飛んでいく。


 が、


「よっとぉっ!」


 思いっきりジャンプした拍子に、下から現れた兵士さんに捕まってしまった。胴体をガッチリ掴まれて、いくら身を捩っても離れない。


『は、離すっすっ! ちょ、マジで離して下さいっすぅっ!』

「よしっ、いいぞっ。そのまま捕まえてろよっ」

「逃がすんじゃないぞっ」

「分かってるってっ」


 足をバタバタさせてムキムキの腕を蹴ってみるけど、全然効いてない感じ。流石はマッチョ。モリモリに鍛えてるだけあるぜ。


「さぁ、メータ様。私共とあちらで遊びましょうね」

『嫌っすっ! 俺はご主人の所に行きたいんっすっ!』

「あー、なんか、ご機嫌斜めですね。凄い暴れてますよ」

「メータ様。落ち着いて下さーい。ほーら、高い高いですよー」


 兵士さんは俺を高々と持ち上げると、軽く左右に揺らした。あやすような動きに、俺の苛立ちは募るばかり。


 ……こうなったら、手段を選んでる暇はない。


「あ、大人しくなりましたよ」

「本当だ。楽しかったのかな」

「もういっちょやっとくか。ほーら、高い高ーい」


 安心した顔で笑う兵士さんは、俺の体をもう一度持ち上げた。他のマッチョメンも、俺の下に集まってホっと息を吐いている。


 ふふふ、油断大敵っす。

 内心ニヤリと笑い、俺は口をモグモグ動かした。


 そして、反芻の要領で、おやつに食べた干し草を吐き出した。


 ゲロを被った兵士さん達の悲鳴が、廊下中に響き渡る。


 騒ぐ兵士さんの間を抜けて、俺は奥へ向かい走った。鼻と耳を研ぎ澄まして、ワゴンの走る音と少し甘い匂いを探る。

 後ろでは、まだ兵士さんの嘆きが聞こえてくる。本当にさーせん。ゲロなんか掛けて本当さーせんっす。これでまた謝る相手が増えたっす。でも、これもご主人の為っす。


 匂いと音を頼りに走っていると、周りの風景が変わってきた。壁には絵が飾ってあるし、彫刻とか置物とか、なんか綺麗な物が増えている。絨毯もフカフカだ。全体的に豪華な感じになっていて、俺の中に、もしや、という気持ちが過ぎる。


 不意に、二人の兵士さんが目に入ってきた。

 今度は俺を捕まえるわけでもなく、ただ大きな扉の前で立っているだけ。


 扉の中からは、何人かの声が聞こえてくる。

 少し甘い匂いも、した。


 あそこだ。


 俺は更に足を速めて、顎を引いた。


『おりゃあぁぁぁぁぁーっ!』


 振り向いた兵士さん目掛け、股間へ頭突きをお見舞いする。


『よいしょぉぉぉぉぉーっ!』


 崩れ落ちる兵士さんに驚いてる内に、もう一人の兵士さんにも頭突きを食らわせた。


 股を押さえて蹲る二人に『さーせん』と謝って、俺は目の前の扉を見据える。気合いの鼻息を吐き、床を二回掻いた。体勢を低くして、走り出す。


 ドン、という音と共に、俺の体は前へと転がった。


 二・三度前転してから、ペチョっと腹這いになる。そのまま顔を上げれば、長いテーブルを挟んで座ってる人達が、皆俺の事を見ていた。


「なっ、メ、メータッ!?」


 素っ頓狂な声を上げて、ご主人が立ち上がる。


 その手には、パンの上に乗った毒柿が握られていた。


『っ、ご主人っ、食べちゃ駄目っすっ!』


 俺は急いで前足を立て、駆け出した。メェメェ鳴いてやってくる俺に、座ってた人達は慌てて後ずさる。


 と、目の前に、高い水の柵が現れた。

 その奥で、アイリーンさんが目をつり上げて手をかざしている。


 絶対怒ってる。

 もしかしたら拳骨を食らうかもしれない。

 飯抜きになるかもしれない。


 けど、俺だって譲れないんす。


『でりゃあぁぁぁぁぁーっ!』


 俺は足を思いっきり曲げて、走るスピードに乗ったまま、大きくジャンプした。


 モフモフの黒い毛が靡く。水の柵が、どんどん近付いてくる。

 前足と後ろ足を伸ばして、より遠くを狙いながら、俺は体を前へ送った。


 水の柵が、腹を掠める。


 でも、引っ掛からなかった。


 蹄の裏に、テーブルの感触が当たる。それをすぐに蹴り飛ばして、俺は、並ぶ料理の上を走った。

 毒柿は手当たり次第ひっくり返し、床へバンバン落としていく。王子様側のお付きが何か言ってるけど、知るか。メェメェ怒鳴って、毒柿を蹴って叩き付けてやったわ。そしたらあのおっちゃん、めっちゃビビってやんの。ププー。


「こらっ、止めろメータッ! 良い子だから下りてこいっ!」


 ご主人が手を伸ばして、俺の進路を遮った。テーブルに片膝を乗せて、上半身を広げている。


 その手には、まだ毒柿が握られていた。


 俺はご主人目掛け突き進む。俺の勢いに、ご主人は受け止める体勢に入った。


 でも、そうじゃないっす。


 俺は手前で前足を突っ張って、いきなり速度を落とした。

 テーブルクロスを巻き込んで滑ってくる俺に、ご主人は口を開けて驚いている。


 その口に、俺はデコを押し付けた。

 頭突き一歩手前の威力に、ご主人は呻き声を上げて顔をのけ反らせる。


 さーせんご主人。

 心の中で謝りながら、俺は前足を上げた。体中が熱くなって、みるみる内に前足が腕へと変わっていく。


 俺は右腕を伸ばすと、ご主人の手から毒柿を奪い取った。

 それからすぐに、振り返る。


 この部屋にいる全員が、俺を見ていた。

 その中から、ターゲットを探し出す。


『……いたっ』


 俺はそいつを見つめたまま、テーブルから飛び降りた。着地して、胸に募る想いを雄叫びにして吐き出した。


『こんのエセ爽やか王子ぃぃぃぃぃーっ! ご主人に何すんだこらぁぁぁぁぁーっ!』


 おっちゃん達に守られてる王子様へ、四つん這いで突撃を掛ける。


 メイドさん達と王子様達の悲鳴が、部屋の中で混ざり合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る