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廊下に足音を響かせながら、俺は鼻を動かしていく。
ご主人達がどこで飯を食ってるのかは、正直知らないし分かんない。けど、きっと晩餐会っていう位だから、凄ぇ美味い料理が一杯出てる筈だ。
だから、一番美味そうな匂いのする所に行けば、ご主人はいるに違いない。
俺なりに一生懸命考えつつ、足を必死に動かしていく。
「え、メ、メータ様っ?」
前の方から、メイドさん達が現れた。廊下を走る俺に目を丸くしている。
「本当だわ。でも、何故このような所に?」
「しかも、お一人ですね」
どうやら俺が一人でいる事に驚いてるらしい。でもさーせん。今は説明してる暇はないっす。急いでご主人を探さないといけないんす。だからそこを退いて下さいっす。
「……もしや、迷子になられたのでは?」
不意に、メイドさんの一人が呟いた。
「ありえますね。妙に慌てていらっしゃいますし」
「では、早急に保護して差し上げなければいけませんね」
うんうんと頷き合うと、メイドさん達は両手を広げて、俺の進行方向を遮ってくる。
『ちょ、退いて下さいっすっ!』
「メータ様、大丈夫ですよ。落ち着いて下さい」
「私共がシム様の待つお部屋までお送り致しますわ」
それじゃあ困るっすっ! 連れてくなら、ご主人の所にお願いするっすっ!
俺は軽く床を蹴って、伸びてきた手を避ける。サッカーのドリブルみたいに右に左に逃げては飛んで、メイドさん達のディフェンスを潜り抜けた。
「あっ、メータ様お待ち下さいっ」
後ろから呼び止められたけど、無視。鼻を動かして、蹄を鳴らして、美味そうな匂い目掛けひた走る。
廊下を進むにつれて、すれ違う人が増えてきた。誰もが驚いた顔で俺の名前を呼ぶ。その後、後ろから追い掛けてくるメイドさん達に更に驚いた。
「メータ様っ、メータ様お願いですっ。どうか止まって下さいっ」
「み、皆さん。一体どうされたのですかっ?」
「それが、迷子になられたメータ様が、寂しさから混乱されているようで」
「メータ様ーっ。お菓子ですよーっ。美味しいですよーっ」
「うわっ、な、何だっ?」
「すみませんっ。どなたかメータ様を捕まえて下さいっ」
後ろが凄ぇ騒ぎになっている。メイドさんから執事さんから、はたまた兵士さんまで出てきては、暴走する俺を捕まえようと手を伸ばした。
でも、捕まるわけには行かないんす。
俺は心の中で一杯謝りながら、飛んでは避け、頭突いては退かした。時々水の縄とか柵が現れたけど、アイリーンさんが操るのに比べたら屁でもない。チョチョイのチョイで回避成功。
「ど、どうしましょうっ。このままでは城の外へ行ってしまわれるかも……っ」
「おいっ。誰かシム様を呼んでこいっ」
「あっ、そっち行ったぞっ」
兵士さんの足の間を抜けて、メイドさんのスカートの中を潜って、俺はどんどん進んでいく。その分、美味そうな匂いもどんどん近くなっていた。俺は何度も鼻を動かし、そっちへ向けて走っていく。
何度目かの角を曲がると、目の前に、大きな扉が現れた。その奥から、今までで一番強く匂いが漂っている。
あそこだっ!
俺は足に力を入れて、全力で駆けていった。そしてそのままの勢いで、扉に頭突きをかましてやった。
バンッ、という音と共に、扉が左右に開かれる。
中にいた人達が、一斉に振り返った。
「うわっ、なん、えっ、メータ様っ!?」
一番近くにいた兄ちゃんが、野菜片手に叫ぶ。
鍋を持った兄ちゃんも、包丁を握ったおっちゃんも、皆同じ白い作業着を着て、皆同じ顔で俺を見ている。
ヤベぇ、間違えた。
ここ、台所だわ。
そりゃあそうか。美味そうな匂いの一番強い所って言ったら、そりゃあ台所に決まってるよな。匂いを目指してきたら、そりゃあここに辿り着くよな。
内心大きく頷きつつ、目の前で慌てる料理人さん達を眺めた。
お仕事中、邪魔しちゃってさーせんっす。俺、すぐどっか行くんで、気にせずご飯作ってて下さいっす。
羊語でメェメェ謝ってから、俺は再びご主人を探す旅に出ようと、台所に背を向けた。
「食材持ってる奴は奥に行けっ! 絶対に毛を入れるなよっ!」
「調理中の奴も避難しろっ! 晩餐会の料理を台なしにするんじゃねぇぞっ!」
聞こえてきた単語に、俺は足を止める。
「誰か手の空いてる奴はいねぇかっ! メータ様を外に連れ出せっ!」
「おい誰だぁっ! 鍋に蓋してねぇ野郎はぁっ!」
「す、すみません料理長っ!」
「この馬鹿っ! 一本でも毛が入ったら晩餐会に出せるわけねぇだろうっ! そんな事も分かんねぇのかっ!」
一番偉い感じのおっちゃんが、下っ端っぽい兄ちゃんの頭を叩いた。兄ちゃんは謝りながら、急いでどっかから持ってきた蓋を鍋の上に被せている。
俺はその動きをじーっと眺め、それから、ゆっくりと体勢を低くした。
足の関節を深く曲げ、そして、
「メ、メータ様? ちょ、嘘だろぉ……っ!」
下っ端の兄ちゃん目掛け、走り出す。
料理人さん達が、一斉に俺に背を向ける。ぎゃーぎゃー野太い叫び声が部屋に広がった。
「え、ちょ、俺っ、なんか狙われてるんですけど、う、うわぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
下っ端の兄ちゃんは、鍋を持ったまま逃げていく。俺はその後ろを、ピッタリと付いていった。どんなに動こうが、絶対に離れない。その鍋の中身を、ひっくり返すまではな。
『とりゃぁぁぁぁぁーっ!』
俺は思いっきりジャンプして、兄ちゃんの足に体当たりを食らわせた。丁度膝の裏に攻撃が入ったらしく、兄ちゃんはバランスを崩した。
通路の真ん中で倒れていく兄ちゃん。その手から、鍋だけが離れていく。
宙を舞う鍋を、俺も料理人さん達も見つめた。誰かが手を伸ばして、受け止めようとしている。
そうはいくか。
俺は傾いた兄ちゃんの体に乗り上げて、背中の上を走っていく。頭の天辺で大きく踏み切り、鍋へ向かって飛び込んだ。
『おりゃあぁぁぁぁぁーっ!』
空中で、鍋に頭突きを食らわせた。
俺の攻撃に、鍋は受け止めようとした料理人さんの腕の中から、その奥にいた料理人さんの抱える鍋へと落下地点を変更する。
鐘みたいな音が、ガショーンと鳴った。
男の雄叫びも、そこら中から上がる。
「うわぁぁぁぁーっ! ば、晩餐会用のスープがぁぁぁぁーっ!」
「おいっ、大丈夫かっ! 火傷してねぇかっ!」
「お、俺は大丈夫ですけど、でも、これ……」
「あーぁ、折角の姿煮が崩れちまってら。これじゃあ出せねぇよぉ。あー、マジかぁー」
料理人さん達が凄ぇ困った顔してる。さーせんっす。食べ物を粗末にして、本当にさーせん。でも、今は緊急事態っす。ご主人が危ないんす。後で一杯怒られるんで、今は見逃して下さいっす。
心の中で何度も謝ってから、俺は更に料理をめちゃくちゃにしてやろうと、次のターゲットへ向けて走り出した。
同時に、俺の前足ギリギリの所に、何かが振ってきた。
耳や肩の辺りにも、連続して何かが掠る。
「……メータ様よぉ」
俺の体を取り囲むように、何本もの包丁が突き刺さっている。
「ちっとオイタが過ぎるんじゃねぇか?」
更に飛んできた包丁が、俺の頭の毛ごと調理台に刺さった。
「いくら姫様に飼われてるからって、許されない事ってのはあるんだぜぇ?」
物凄ぇ低い声が、上から落ちてきた。
恐る恐る、目線だけ上げていく。
「頼むから良い子にしててくれよ。なぁ?」
一番偉い感じのおっちゃんが、超怖ぇ笑顔で包丁を握り締めていた。
しかも、二本。
あまりの恐ろしさに、腰が抜けた。
生まれたての仔鹿のごとく震える俺を見下ろすおっちゃんは、ニコニコと、そりゃあもうニコニコと包丁を回す。華麗な包丁さばきに目が釘付けです。お願いだから、それをこっちに向けないで下さいっす。俺、良い子にしますんで。
「料理長」
「ん? 何だ?」
「料理の方ですが、前菜と肉は無事です。ですがスープとメインの魚は出せません」
「スープと魚か……なら、魚は姿煮を切り分けてスープ仕立てにしちまえ。少し水を加えて、塩と香味野菜を入れればどうにかなるだろう」
おっちゃんは俺から一切目を離さずに、ニコニコと笑っている。でも口調は凄ぇ冷静で、逆に怖い。
「後、スープの代わりに前菜をもう一品増やす」
「今からですか? 間に合いますかね?」
「なに。デザート用に作ったタルトを、前菜にしちまえばいいのさ」
「アプーのタルトを、ですか」
「そうだ。タルト部分を剥いで、酸味のあるソースと和えてディップ状にした奴をバケットに乗せる。で、他の料理出してる間にタルトを作り直しておけ。材料は残ってんだろ」
俺が腰を抜かしてる間に、どんどん話は進んでいく。
なんか、どうにかなっちゃうっぽいんだけど。
「では、そのように」
「あぁ」
『ま、待って下さいっす。毒タルト、出しちゃ――』
呼び止めようともがいた俺の脇腹を、包丁が掠っていく。
「良い子に、な?」
おっちゃんの笑顔が、二割増しになった。
俺が大人しくなったのを見届けると、料理人さんはおっちゃんに頭を下げて、他の料理人さん達の所へ行ってしまった。この場には、俺とおっちゃんだけが残される。
向こうの方で、料理人さん達が何やら動き始めた。どっかから食材を持ってきたり、あれやこれやと大声を出して鍋や包丁を操っている。
「前菜出来ましたーっ!」
「よしっ、すぐ持っていけっ!」
野菜の乗った皿をワゴンの上に乗せていく料理人さん。その上に蓋をすると、俺が入ってきた扉を開けて、待っていた執事さんにワゴンを渡した。
「前菜の『季節のサラダ』です。お願いします」
「はい」
「後、ちょっとした事故がありまして、一部料理の内容に変更が出ました。スープが取り止めとなり、前菜が二品になります。メインの魚は、姿煮からスープ仕立てに変わります」
「スープはなし。前菜が二。魚は姿煮からスープ仕立てに、ですね。了解です。用意する必要のあるカトラリーはありますか?」
「特にはありません。通常通りでお願いします」
「分かりました」
執事さんは頷くと、ワゴンを引いて台所を出ていった。閉まる扉を、俺はそわそわしながら見つめる。
一品目が運ばれたって事は、次はもうあの毒柿じゃん。ヤバいよ。すぐに止めないとご主人が危ないじゃん。
『あ、あのー、おっちゃん?』
控えめに口を開くと、おっちゃんは気持ち口元を持ち上げた。
『あの、おっちゃん達が折角作った料理を台なしにして、本当にさーせんっす。でも、俺、別に悪気があってやったわけじゃないんす。ただ、ご主人を助けたくって』
包丁の回転速度も、気持ち上がった気がする。
『え、えっと、柿みたいな果物が、実は毒なんす。王子様が、こっそり取り替えたんす。見た目も味も殆んど変わんないらしくって、だから、出しちゃ駄目っす』
おっちゃんは、ニコニコ包丁を回す。
でも、目は全然笑ってない。
『お、おっちゃん、あの、聞いてます? 毒柿は、駄目なんすよ。食べたら、ご主人が――』
不意に、包丁の動きが、止まった。
俺の口も、止まる。
おっちゃんは何も言わず、只管俺を見下ろしている。
その無言が、俺の体を震わせた。
料理人さん達の忙しそうな音が、遠くの方から漂ってくる。それが妙に恋しい。
お願いっす。誰かこっちきて下さいっす。おっちゃんと二人っきりは超気まずいっす。妙に静かだし、おっちゃんめっちゃ怖いし、本当助けて下さいっす。
震える蹄が、床をカチカチ叩いた。でもあんまり動くと包丁が刺さってしまいそうで、俺は体に力を入れて必死で小さくなる。尻尾も股の間に挟み、少しでも離れようと頑張った。
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