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どうしよう。俺は衣装室の前で蹲りながら考えた。
扉に耳を付けて盗み聞きした限りでは、ご主人は今、あの王子様と夕飯を食べる為にたっぷりとめかし込んでいるらしい。
本当は試着だけだったんだけど、「どうせですからこのまま着飾ってしまいましょう」というアイリーンさんの一言で、ご主人はメイドさん達に取り囲まれてあれやこれやと着せかえさせられている。
「こちらはいかがでしょう? このスリットとデザインが、ミルギレッド様のスタイルの良さを十二分に引き出していると思うのですが」
「それならば、こちらのドレスも良いのではありませんか? 胸にあしらわれた花が、まるで姫様を妖精の女王のように輝かせてくれますわ」
「ですが、晩餐会には少し色が地味では? ミルギレッド様の美しさを際立たせるには、ミルギレッド様同様、やはり華やかな色を選んだ方が良いかと思いますよ」
楽しそうなメイドさんの声が聞こえてくる。まだドレスで悩んでるみたいだから、今の内に対策を練らなければ。
一番良いのはご主人を晩餐会に出席させない事だけど、でもそれは多分無理だ。アイリーンさんも晩餐会は絶対に出てって言ってたし、ご主人も出るって言ってた。だからこれは、いくら俺がごねてもどうにもならない事なんだろう。
なら、どうする。
俺も一緒にくっ付いて行ければいいんだけど、でも駄目って言われそうだよなぁ。普段はご主人と一緒にご飯食べても誰も怒らないけど、お客さんがきてる時は別々にされるもんなぁ。今日もそうなるかもしんないよなぁ。
……いや、でも今日は、ご主人もアイリーンさんもちょっと俺に甘い感じだし、全力でねだればもしかしたら連れていって貰えるかもしれない。王子様だって、ご主人の前では俺を邪魔者扱いしないから、良い人ぶってオッケーを出すかもしれない。「ミルギレッド様は、本当にメータ殿に愛されているのですね」とか言って。うわぁ、恥ずかしい。
「どうしたんですかー、メータ様ー? 寒いですかー?」
一緒に廊下で待っててくれるシムさんが、いきなり身震いした俺を不思議そうに見る。
気にしないで下さいっす。ただ恥ずかしさに悶えただけっすから。という気持ちを込めて「メェ」と擦り寄れば、シムさんはニコニコ笑って俺の背中を撫でた。
「もうすぐミルギレッド様もいらっしゃいますからねー。それまでもう少し待ってましょうねー」
『うっす』
シムさんに返事をしてから、俺は大人しく前足に顎を乗せた。
兎に角、ご主人が出てきたら思いっきり甘えてみよう。そんでアイリーンさんには、必殺孫の上目首傾げと息子のダダ転がりのコンボ技でアピールしよう。今の内に目をうるんうるんにさせておいて、扉が開いた瞬間先制攻撃を仕掛ければ、二人の心にクリティカルヒットを極められる確率はかなり高くなる筈だ。
よし。そうと決まれば。
俺はこれでもかと瞬きをして、いつ扉が開いてもいいよう突撃の準備を整えた。時々シムさん相手に攻撃の予行練習をして、成功率を徐々に増していく。
デレデレになったシムさんに撫でられつつ、俺はその時を待った。
そして、窓から差し込む夕日が消えてしまった瞬間。
「アイリーン……妾はもう、疲れたぞ……」
「そうですか。頑張って下さい」
遂に、ターゲットが現れた。
俺は素早く立ち上がり、振り返った。そして、まずはご主人にこのクルクルでモフモフなボディを駆使して甘え転がってやろうと、尻尾を振って走り出した。
が、その足は、すぐに止まる。
「うぅ、頭が重い」
ご主人は、自分の頭に乗る高そうな髪飾りを、指でちょんちょんと突っついた。髪は綺麗に纏められていて、目元と唇には普段やらない化粧が施されている。
「ん、どうしたメータ? そんな所で立ち止まって」
ご主人は俺の元までくると、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
その拍子に、肩に掛けてた布が、少しズレる。
バックリと開いた胸元から、ドーンと深い谷間がお目見えした。
「なんだ? 目を真ん丸くして。もしや、妾が分からぬのか?」
布を肩に掛け直すと、ご主人は茫然とする俺の顎をくすぐった。香水でも付けたのか、ご主人の手首からは蜜柑みたいないい匂いがする。
『ご、ご主人……』
「ほれ、どうしたメータ。妾だぞ? お前の愛する飼い主だ。ほれ、よく見ろ」
と言いながら、ご主人は前屈みになって俺を覗き込んだ。
目の前で、ドーンとはみ出た胸が、プリンみたいに揺れ動く。
なんというか、
もう本当ありがとうございます。
「おぉ、ようやく分かったかメータ。そうだ、妾だ」
『ご主人凄ぇ綺麗っすっ! 胸も超ヤバいっすっ! 最高っすっ!』
「ふふ、そんなにはしゃいでどうした? 寂しかったか?」
『うおぉっ、凄ぇスリットッ! ご主人足丸出しっすよっ! 下手すりゃ尻も出ちゃいますよっ! ヤバいっすっ! 眼福っすっ!』
「そうかそうか。妾も寂しかったぞ」
『あっ、ご主人駄目っすっ! それ以上屈んだら胸が零れるっすっ! でもそれはそれでアリっすっ! 超アリっすっ! もっと屈んで下さいっすぅっ!』
尻尾をぐりんぐりん振りながらご主人の周りを回った。
あまりのセクシーさに興奮する俺を、ご主人は楽しそうに眺めている。メイドさん達も、メェメェ鳴く俺を微笑ましげに見つめては、衣装室の服や髪飾りを片付けていった。
「いやー、凄いですねー。メータ様の喜びっぷりはー」
「そうですね。そこまで待たせたつもりはなかったのですが」
「まぁ、メータ様からしたら長かったんでしょうねー。私と外で待ってる間も、ずーっと扉を気にしてましたしー」
シムさんとアイリーンさんがこっちを見ている。俺はなんだか嬉しくなって、二人の所に走っていった。
『シムさん見ましたっ? ご主人めっちゃエロいっすよっ!』
「良かったですねー、メータ様ー」
『あれ選んだのアイリーンさんっすかっ? ナイスっすっ! あんな凄ぇドレス着こなせるのはご主人しかいないっすっ!』
「そうですね。嬉しいですね」
頷く二人に俺も頷き、またご主人の元へ戻る。クルクル回っては、色んな角度からご主人のエロさを堪能した。ムフーっと鼻の穴を広げて、思う存分にやけまくる。
と、突然、蹄が廊下から離れた。
「では、頼みましたよ。シム」
「はーい。任せて下さいよー」
あれ? と思っている間に、俺はシムさんに抱き抱えられる。
「メータ、良い子で待っているのだぞ?」
『え、あ、え?』
「はーい、了解でーす」
シムさんは困惑する俺の前足を掴み、元気良く上げてみせた。
『あ、ちょ、あの、ご、ご主人?』
「では、いってくる」
「はい、いってらっしゃいませー」
俺の前足ごと手を振るシムさん。ご主人も手を振り返し、アイリーンさん達を引き連れ歩き出した。
「さ、メータ様ー。私達はあちらの部屋へ行きましょうねー」
シムさんは、俺を抱えたまま反対方向に歩いていく。
離れていくご主人の背中に、ようやく状況を理解した。
俺、置いてかれてる。
『ちょ……ちょっと待って下さいっすぅぅぅーっ!』
俺は慌てて暴れ出す。でももう遅かった。ご主人は廊下の角を曲がっちゃうし、シムさんは近くの部屋に入っちゃった。
しっかり扉を閉めてから、俺を絨毯の上へ下ろす。急いで開けようと扉を頭で押してみたけど、ノブを回してないからか全然動く気配がない。
ヤバい。どうしよう。
「メータ様ー。ミルギレッド様が戻ってこられるまで、私とここで待ってましょうねー」
『だ、駄目っすよシムさん。このままじゃご主人、毒盛られちゃいますって。早く助けに行かないと』
「寂しいかもしれませんが、少しの辛抱ですよー。大丈夫です。すぐですよー、すぐ」
『いやいや、すぐじゃないっすよ。毒入りタルトなんか食べたら、ご主人しばらく帰ってこないですって。本当ヤバいですって』
でも羊の言葉なんか分かんないシムさんは、メェメェ鳴く俺を宥めるように撫でていくだけ。扉を前足で叩いても、「駄目ですよー」と止めるだけで開けてはくれない。
『シムさんシムさん。本当マジヤバいんすよ。緊急事態なんすよ。ご主人があの王子様にやられちゃうんす。だからここ開けて下さいっす』
「ほーら、メータ様ー。縄のオモチャですよー。これで私と遊びましょうねー」
『遊んでる暇なんてないんですってっ。ほら、早く開けるっすっ。ご主人が毒入りタルト食べちゃったらどうするんすかっ。王子様の思うツボっすよっ?』
「はーい、取ってきて下さーい」
そう言ってシムさんは縄の塊を部屋の隅に投げた。でも俺はそれを無視して、扉へと向き直る。後ろ足だけで立ち上がり、揃えた前足で一生懸命扉を押した。
『うりゃっ、おりゃっ』
「ねぇねぇメータ様ー、私と遊びましょうよー」
『ふぬぬぬぬ……っ、ふぬぅっ』
「メータ様ったらー」
『ちょ、抱っこしないで下さいっすっ。俺今忙しいんでっ、遊ぶならシムさん一人でやってて下さいっすぅっ』
俺は体を捩りに捩って、シムさんの腕から脱出する。そしてもう一度、今度は頭で扉を押して、どうにかこじ開けようと頑張った。
「うー、メータ様ー。そんなにミルギレッド様に会いたいんですかー?」
『そうっすっ。俺はご主人んとこに行くんすっ』
「んー、でもですねー? こればっかりは駄目なんですよー。ミルギレッド様もお仕事ですから、いくらメータ様が好きでも連れてはいけないんですよー。だから我慢して下さいってー」
シムさんは俺の頭と扉の間に手を突っ込んで、押し止めてくる。
止めて下さいっすっ、という気持ちを込めて唸れば、シムさんは更に困ったように眉を下げた。
「お願いですよメータ様ー。良い子にしてて下さいー。お月様が真上にくる頃には、晩餐会も終わりますからー」
『晩餐会が終わっちゃったら、ご主人はもう毒を食っちゃってるじゃないっすかっ。そんなタイミングで止めたって意味ないっすよっ。食べる前じゃなきゃっ』
しかし、俺がどれだけメェメェ騒いだって、シムさんには伝わらない。「甘えん坊さんですねー」とか言って、苦笑いで流される。
こうなったら、強硬手段に出るしかあるまい。
俺は一旦扉から離れて、大きく深呼吸した。前足で床を二回掻いて、体勢を低くする。
そして、扉目掛けて走り出した。顎を引いて、デコを前に向ける。
ガツン、という大きな音と共に、俺の体は後ろへ吹っ飛んだ。
「ちょ、な、何してるんですかーっ! 危ないですよーっ!」
すぐさまシムさんが抱き止めようとしたけど、俺はその手を避けて、また扉に向かって走っていく。気合いを込めた「メェッ!」に合わせて、シムさんや王子様を倒した頭突きをお見舞いした。
「メータ様駄目ですってーっ! 怪我しちゃいますから止めて下さーいっ!」
『止めないで下さいシムさんっ! 大丈夫っすっ! そんなに痛くないんでっ!』
「あぁっ、またゴツンっていってっ! ちょ、もーうっ! 駄目ですーっ!」
シムさんが掌をかざすと、どこからともなく水の縄がやってきた。俺の体に巻き付いて、強制的に動きを止める。
俺は絨毯の上に転がり、足で宙を掻いた。
『シ、シムさんっ、シムさんっ。止めて下さいっすっ! 離して下さいっすぅっ!』
「もーう、どうしたんですかー。そんなに寂しいですかー?」
『違うっすっ! そうじゃないんですってっ!』
「お願いですから良い子でいて下さいよー。メータ様に怪我でもさせてしまったらー、ミルギレッド様に申し訳ないじゃないですかー」
シムさんは困った顔で、俺の背中を撫でていく。
優しい手付きで擦られて気持ちがいいはいいんだけど、でも今はそんなのんびりしてる時間はない。
……仕方ない。この手だけは使いたくなかったけど。
俺は覚悟を決めて、シムさんを振り返った。
過去最高に可愛い顔を作り、これでもかと瞬きをしてやる。
『シムさんシムさん。俺、大人しくするっす。良い子にするっす』
「あ、やっと落ち着いてくれましたー?」
『落ち着いたっす。超落ち着いたっす』
「良かったー。もう、びっくりしたじゃないですかー」
『さーせん。あまりの寂しさに我を忘れたっす。ご主人の傍にいたい一心で、ついついシムさんの言う事を聞かなかったっす。でももう大丈夫っす。俺、ちゃんと待つっす。良い子で待つっす』
全身を使ってシムさんに擦り寄って、うるんうるんな目で下から見上げた。
『ね、ね。だから、この水の縄を解いて欲しいっす。俺、絶対暴れないっす。こう見えて結構聞き分けのいい羊っすから、駄目って言われたら事は基本やらないっす。本当っす』
「ふふー、今日のメータ様は甘えん坊さんですねー」
『そうっす。俺甘えん坊っす。シムさんと一緒に遊びたいっす。あの縄の塊を投げて取ってくる遊びがしたいっす。猛烈にしたいっす』
「んー、なんですかー? オモチャですかー?」
『そうっす、それっす。それで遊びたいっす。今すぐっす。ほらほら、早く投げて下さい。そしたら俺、全力で取りに行きますから。だからこれ、解いて下さい』
仰向けの状態で足を動かしてみせれば、シムさんは顔をニッコニコにして、俺の腹を撫でた。その手を前足で掴めば、更に頬を緩ませる。
『シムさんシムさん。ねぇねぇ、遊びましょう? 俺、とってもシムさんと遊びたい気分っす。お願いっす』
「これが気になりますかー?」
縄の塊をシムさんが振ってみせる。そうっすっ! という気持ちを込めて、元気良く鳴いた。
するとシムさんは、俺の腹を軽く叩いた後、手を払う仕草をした。その動きに合わせて、体に巻き付いた水の縄が解けていく。
今だ。
俺は素早く絨毯を転がり、立ち上がる。
そしてしゃがみ込んだままのシムさんの股間目掛け、全力で突撃した。
悲鳴を上げて倒れるシムさん。さーせんっす。でも、もうこれしか方法が思い付かなかったっす。
後で謝るんで、今は見逃して下さい。蹲るシムさんにそう言って、俺は部屋の扉へと向かった。思いっきり走り込んで、体当たりの要領で頭突きをかましていく。
何度目かの攻撃で、ようやく扉が開いた。俺は廊下に転がって、すぐに起き上がる。
辺りを見回して、ご主人が歩いて行った方へと駆け出した。
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