「姫様。ご公務お疲れ様でした」


 廊下に、いくつもの足音とアイリーンさんの声が響く。


「この後は、執務室へではなく衣装室へと向かいます。完成したドレスの試着がございますので」


 アイリーンさんがそう言うと、シムさんとメイドさん達を引き連れていたご主人は、ちょっと顔を顰めた。


「試着など、別にしなくても良いだろう。きちんと採寸をしたのだ。妾の体に合わぬわけがない」

「例え合っていても、姫様に似合わぬ可能性がございます。そのようなドレスを着て公の場に出ては、恥を掻くのは姫様ですよ? モファット国の王女として、他国に侮られるような事があってはなりません。聞いておりますか、姫様」

「聞いている。分かった、着ればいいのだろう。着る着る。はいはい」


 俺の隣を歩くご主人は、うんざりしたように手を振った。


『大丈夫っすよご主人。ドレスを着たご主人は、きっと凄ぇ綺麗っす。だってドーンでキュゥっでバーンですもん』

「ん、なんだメータ。妾を元気付けてくれるのか?」

『そうっす。俺、超楽しみっす』

「そうかそうか。お前は優しい子だな」


 ご主人は体を屈め、俺の頭を指先でくすぐる。機嫌良く笑うご主人に、俺も嬉しくなって思わずスキップした。


「……ゴホン、メータ様」


 はっと振り向けば、アイリーンさんが俺を見下ろしていた。何かを責めるような眼差しに、俺は咄嗟にスキップを止める。大人しく足を動かしていれば、「結構です」と頷かれた。


「アイリーン、少し厳し過ぎるのではないか? いいじゃないか。ピョンピョンと跳ねるメータはとても愛らしいぞ?」

「確かに愛らしいですが、この飛び跳ね癖のお蔭で、以前恐ろしい事故が起きたではありませんか」

「今は妾達以外誰もいない。別に構わないだろう」

「いいえ。こういった事は、普段から矯正していかなければならないのです。でなければ、いざという時にボロが出てしまいます。それはメータ様の為にもなりません」

「ふむぅ……愛らしいのになぁ」


 ご主人は口を曲げて、普通に歩く俺を眺めた。

 安心して下さいっすご主人。俺、こう見えて結構学習能力低いんで、すぐにまたスキップするっす。「あんたってどうしてそうなの?」って母ちゃんもよく言ってたし、直るなんて多分しないっす。

 胸を張って宣言すれば、ご主人は小さく笑い掛けてくれた。もう一回俺の頭を指で掻いて、廊下を右に曲がる。


「シム。あなたは姫様が試着をしている間、執務室でメータ様のお相手をしていて下さい」

「あ、はいー、分かりましたー」

『え、何でっすか。嫌っす。俺もご主人の試着にくっ付いていくっす』


 アイリーンさんに抗議すれば、ご主人も口添えしてくれた。


「おいアイリーン。何故メータを遠ざけるんだ? 妾は別に、メータも一緒で構わないが」

「いいえ。折角のドレスにメータ様の毛がついては困ります。ほんの僅かな埃でさえ、他国に見下される原因となるのです。避けられる要因は、出来る限り避けて頂かないと」

『俺良い子にするっすっ。ご主人に飛び付いたりしないっすっ。ご主人のダイナマイトボディに興奮するかもしれないっすけどっ、でも絶対毛なんて撒き散らさないっすっ。約束するっすっ』


 だから部屋の中に入れて下さいっすぅっ、という気持ちを込めて、アイリーンさんにうるっうるのキラッキラな視線を送る。

 アイリーンさんは胸を押さえて呻き始める。でも、許してはくれない。


「ならばアイリーン。衣装室の中へは入れずに、部屋の前で待機させればいいんじゃないか? こんなにも妾と離れるのを嫌がっておるのだ。無理に遠ざけるのも可哀そうだろう」

『ち、違うっすご主人っ。これは中に入れてくれないと嫌っすっ。部屋に入れて欲しいっすっ。絶好のチャンスを、むざむざ逃したくないっすぅっ!』

「ほれ、メータもこう言っておる。どうだアイリーン。許してやってくれないか?」

「ですが」

「妾も毛が付かぬよう、細心の注意を払おう。約束する。お前達も、もしメータが妾に擦り寄ろうとしたら、やんわりと宥めてやってくれ」


 ご主人が後ろを振り返ってそう言うと、シムさんとメイドさん達はニコニコ笑って返事をした。

 凄ぇいい雰囲気ですけど、俺が求めてるのはそれじゃありません。


「し、仕方がありませんね。姫様がそこまでおっしゃるのならば、特別に許可をしましょう」


 アイリーンさんが咳払いをして目を泳がせる。

 するとご主人は、頬を緩ませながら俺を見下ろした。


「おぉ、やったなメータ。アイリーンの許しも無事得た事だし、これで存分に妾を待っていられるぞ。嬉しいか?」

『うぅ、あんまり嬉しくないっす。せめてご主人の生着替えが見える場所で待機したいっす』

「嬉しいか。そうかそうか」


 ご主人は勘違いしたまま、俺の背中を軽く叩く。シムさんもメイドさん達も、「良かったですねー」とか言って祝ってくれる。


 違うんだよなー、という思いを胸に、俺はご主人の動きに合わせて左に曲がった。


 と、前から誰かがやってきた。


「これはミルギレッド王女。ご機嫌よう。こんな所でお会いするとは、奇遇ですね」


 出たな、王子様とその仲間達。

 相変わらず爽やかな笑顔を浮かべやがって。俺知ってんだからな。それが嘘笑いだって。


「あぁ、ご機嫌ようクライヴ王子。これからどこかへ出掛けるのか?」

「えぇ、城下町の視察に。モファット国は治安が良いと聞いておりますので、是非我が国も参考にしたいと思いまして」

「そうか。それは嬉しいな。ワインバーガー国の手助けが出来るのならば、我が国も協力を惜しまない。存分に見て行ってくれ」

「はい。ありがとうございます」


 王子様が胸に手を当てて頭を下げれば、お付きのおっちゃん達も同じポーズで頭を下げた。


「それよりも、すまなかったな。突然茶会を取り止めにしてしまって」

「いえ。こちらこそ、私の従者が大変失礼を致しました。シェパード殿に宥められた後、きつく注意しておきましたので、どうかお許し下さい」

「頭を上げてくれ、クライヴ王子。元はと言えば、こちらの勝手が招いた事だ。貴殿が謝る事はない」

「ですが、私達はモファット国に世話となっている身です。それなのに、あのような事を」

「構わぬ。主人の為にと動いた部下の忠誠心を、妾は責めるつもりはない。寧ろワインバーガー国には素晴らしい従者がいるのだと、感心してしまった位だ」


 ご主人は妙に綺麗な笑顔を張り付けて、王子様を見据える。


「モファットは、優れた人材を持つ国と同盟を結べ、大変誇りに思う。だからクライヴ王子も、どうか気に病まないで欲しい」

「ミルギレッド様……なんと寛大な方なのでしょう。ワインバーガーも、あなたのような方のいらっしゃる国と同盟を結べ、大変誇りに思います」


 王子様はそう言うと、もう一度胸に手を当てて腰を折った。感激ですって雰囲気で、そりゃあもう深々とだ。


 でも、俺の位置からだと、見えちゃった。


 顔を伏せた王子様が、爽やかな笑みを消した瞬間が。


 代わりに「面倒臭ぇ」って表情がくっきりと浮かび上がる。


『ご主人っ、こいつ、猫被ってますよっ。騙されちゃ駄目っすっ』

「ん、どうしたメータ? 何か気になるのか?」

『こいつ超ヤバいっすよっ。毒食わせるつもりっすっ。早くあっち行きましょうっ』


 ご主人のズボンの端を咥えて、俺は必死で引っ張った。

 メェメェ鳴く俺を、ご主人は不思議そうに抱き上げる。


「珍しいな、妾の服を噛むだなんて。そんなに妾の気を引きたいのか? うん?」

『そういうわけじゃないっすけど、でももうそれでいいっすっ』

「おぉ、そうかそうか。よしよし」

『あざっすっ。でも撫でるのは後でいいっすから、本当早く行きましょうってっ。本当あいつ危ないっすよっ。俺にも毒柿食わせようとしたんすよっ? 最低っす最低っ!』


 王子様を前足で差しながらメェメェ訴える。

 すると、王子様が爽やかな中にもちょっと困ったテイストを盛り込んできた。


「こら、駄目だろうメータ。もう少し大人しくしないか。すまないなクライヴ王子。妾のオヴィスがはしゃいでしまって」

「いえ、お気になさらず。きっとメータ殿は、ミルギレッド王女の意識を奪う私に嫉妬していらっしゃるだけでしょうから」

「あぁ、成る程。そうかもしれないな。全く、とんだ甘えん坊だ」

「それだけあなたという飼い主に惚れ込んでいるのでしょう。人間だけでなく生き物まで惹き付けるとは、ミルギレッド王女の魅力は計りしれませんね」


 キザな台詞をサラっと言い切った王子様。俺が言われたわけでもないのに、なんか凄ぇ恥ずかしい。尻尾を振って、このむず痒さを誤魔化してみる。


「では、妾はこれで失礼する。充実した視察となるよう祈っているぞ」

「はい、ありがとうございます。晩餐会でまたお会いしましょう」

「あぁ」


 頭を下げる王子様達の横を、ご主人は通っていく。俺も王子様を警戒しつつ、後についていった。


「あぁ、そうだ」


 不意に、ご主人が立ち止まる。


「クライヴ王子。本日の晩餐会にて、何か食べたいものはあるだろうか? 茶会の件の謝罪と無事に帰国されるよう願いを込めて、ささやかながら妾より貴殿達へ贈りたいのだが」


 ご主人がそう言うと、王子様は下げていた頭をゆっくりと持ち上げた。


「……そうですねぇ」


 考えるように瞬きをしてから、それはそれは爽やかな顔で、笑った。


「では、デザートにアプーのタルトを所望してもよろしいでしょうか?」


 なぬ。


「実は私、アプーが大好物でして、こちらで頂いたアプーのタルトがどうしても忘れられないのです。もしよろしければ、それを今一度味わいたいと思います」

「分かった。では厨房にそう伝えておこう」

「ありがとうございます」


 王子様は満面の笑みを浮かべて、胸に手を当てて腰を折った。


 俺の位置からだと、口元が変に歪んでるのが見える。


『ご、ご主人、ヤバいっすよ。これ、超ヤバいっす』

「ん、あぁ、そうだな。行くか」


 ご主人はメェメェ騒ぐ俺の頭を撫で、王子様を見た。


「では、クライヴ王子。また」

「えぇ。また。晩餐会、楽しみにしております」


 ご主人は王子様に背を向けて歩き出す。アイリーンさん達もそれに合わせて動き出す。俺も、ご主人の隣でトコトコ廊下を進んでいく。


 歩きながら、さり気なく後ろを向いた。

 メイドさん達の足の間から、王子様とその仲間達が見える。


 凄ぇ悪い顔で、こっちを眺めていた。

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