2
ご主人は城の外へ出ると、右方向へ真っ直ぐ歩いていく。初めての景色に、俺はきょろきょろしながら付いていった。
外なんて裏庭と中庭しか行かないから、こうした花とか木とかない原っぱみたいな場所って、ちょっと変な感じ。しかも兵士的なマッチョメンがちらほらといらっしゃる。向こうには馬小屋的なものもあるし、牧場的な囲いも見える。俺が食べてるのと同じ干し草も積んであるから、多分あそこでなんか飼ってんだろうな。
とか思ってたら、いきなり何かにぶつかった。
無様にひっくり返る俺。足をバタつかせて起き上がろうと転がり回る。
そんな俺に覆い被さる、影。
「ベェ」
山羊顔の馬みたいな感じの奴が、俺を見下ろしてる。
しかも、凄ぇデカい。
まぁ、固まりますよね。
「おぉ、オフィーリアではないか。なんだお前、また脱走したのか?」
山羊顔の馬の脇から、ご主人が顔を出した。笑いながら山羊顔の馬の体を撫でれば、山羊顔は嫌そうに体を振り、ご主人に向かって長い角を振りかざす。
「おっと。危ないではないかオフィーリア。さてはまだ怒っておるな? 悪かった悪かった。もう二度とお前の子を攫わないさ。だからそろそろ許してくれ」
下手に出るご主人に対し、山羊顔はふんと荒く鼻息を吐き、無視する形で俺に向き直った。横長の黒目に、腹を出してビビる羊が映る。
俺は早く退いて欲しくて、ささやかに「メェ」と鳴いてみた。ついでにご主人に視線を送り、助けて下さい、という気持ちを一生懸命込めてみる。
そうしたら、不意に山羊顔の耳が揺れた。「ベェ」と地響きみたいな声で鳴き、俺に顔を近づけてくる。
目の前で、デカい口がカパっと開いた。
食われる。
俺は咄嗟に体を捩り、ご主人の元へ逃げるべく地面の上でもがき回った。
と、急に首の後ろを引っ張られる。一瞬だけ体が宙に浮いて、すぐにまた土の感触が蹄を覆った。
あれ? と思っていると、首の後ろに生温い風を感じる。
地響きみたいな声も、聞こえた。
「流石は母だな。起こす仕草も中々様になっているぞ」
ご主人の声に、俺は恐る恐る振り返る。
超至近距離に、山羊顔があった。
俺の首の毛を噛んで、モフモフボディを支えてくれている。
『…………あ、あざっす』
「ベェ」
『あの、も、もう、大丈夫っす。あざっす』
「ベェ」
山羊顔は口を離し、屈めていた首を伸ばした。
遠くなった顔に内心ホっとしつつ、俺はご主人の元へ急いだ。迎え入れてくれた手に体を擦り付け、そそくさと後ろに隠れる。
「良かったなメータ。仲間と仲良くなれて」
『な、仲間すっか?』
「オフィーリアはオヴィスだ。軍用に飼っている奴だからあまり会う事はないだろうが、それでもお前の仲間に変わりはない。しかもこいつは群れのリーダーだからな。何か困った事があれば、遠慮なく頼るといい」
いや、そう言われても、どうやって頼ればいいんすか。
俺はご主人のバーンとした尻の影から顔を出し、高い位置にある山羊顔を見上げた。
『あ、あの、俺、日辻芽太っす。よろしくお願いします、リーダーさん』
「ベェ」
……何言ってんのか分かんないんすけど。
困りながらリーダーさんと見つめ合う俺を、ご主人は満足げに見下ろした。
「おいオフィーリア。そろそろ戻った方がいいのではないか? お前がいないと、子供が寂しがるだろう。腹を減らしているかもしれない。早く行って安心させてやれ」
ご主人がそう言うと、リーダーさんは耳を揺らして「ベェ」と鳴いた。筋肉ムキムキな足を動かし、馬小屋的な建物へ勝手に歩いていく。左右に振られる尻尾と尻が、どんどん遠ざかっていく。
なんか、エイリアンと遭遇したみたいな、そんな感じ。
「では、妾達も行こうか」
茫然とする俺の背中を叩き、ご主人はまた歩き出す。慌てて俺も付いていく。今度は未知との遭遇をしないよう、ご主人のバーンとした尻にぶつからないギリギリの距離を保ちつつ進んだ。
このまま不慮の事故でどうにか顔を突っ込めないか、とか考えている内に目的地へついたのか、ご主人は立ち止まる。
残念ながら、不慮の事故は起こらなかった。
「メータ。妾はここで鍛錬をするから、お前はあの柵の辺りで座っていろ。危ないから、絶対に近寄るんじゃないぞ?」
『うっす。了解っす』
俺はご主人が指差した柵の所まで行き、その場に伏せた。崩れた土下座の体勢でご主人を見れば、満足そうに笑ってから横を向く。
目を瞑って、ゆっくりと息を吸い込むご主人。ドーンな胸を膨らまし、徐々に萎ませていく。
不意に、風が吹いた。
日が出たばかりのぼんやりした景色の中で、雑草とご主人の髪が揺れる。細かい草が、時々俺にぶつかっていった。
ご主人の手が、腰に差した剣の鞘を掴む。
直後、目を開き、一気に抜いて振り切った。
ご主人目掛け飛んできた草が、真っ二つに分かれて流れていく。
すぐさま視線を横にずらし、一歩足を後ろに引いてまた剣を構える。今度は頭の上に持ち上げ、空気が切れる程早く下ろした。
草が、また二つに分かれてクルクル回る。
風が一旦止み、舞い上がっていた草も落ちていく。
その草が地面へ付く前に、ご主人は剣を振り上げ、二つにした奴をまた斬った。
空中で増えていく草のクズ。そのどれもが地面に辿り着く事なく、ご主人の手によって刻まれていく。
「はぁ……っ」
小さな気合いと共に、ご主人は剣を横に払った。一回転して、宙に浮く草達を一気に斬り付ける。これでもかと細かくなった草は、細く吹いた風に乗ってどっかへと行ってしまった。
ご主人は剣を構え直し、油断なく腰を落としては辺りを見回す。
そんな姿を、俺は口を開けて眺めていた。
体が凍り付いたかのように動かなくて、でも目玉はご主人の動きをずっと追っていて、蹄の先からゾワゾワした感覚が込み上げてきて、何かもうよく分かんない。
でも、兎に角凄ぇカッコイイ。
バトルマンガの主人公みたいだ。
「ふっ、たぁっ」
ご主人は体を左右に揺らしながら剣を振っていく。一枚だった草がどんどん分裂していって、見えなくなる寸前まで小さくなった。
そして、突然ご主人の右腕が後ろに引かれたと思ったら、
「はあぁっ!」
一段と大きな声で、思いっ切り前へ突き出される。
漂っていた草達が、ご主人の足元に落ちる。
その中で、剣の先に刺さった一枚だけが、空中に留まった。
「……ふぅ」
つと、ご主人の体から力が抜ける。剣を払って、刺さっていた草を抜き取った。
この場の空気が、緩む。
俺の体も緩み、ムズムズと口が持ち上がった。
俺のご主人、ハンパねぇ。
なんだか凄ぇ嬉しくて、俺はご主人の元に駆け寄ろうと伏せていた体を起き上がらせた。
その時。
急に俺の真後ろで、拍手の音が上がる。
「素晴らしい」
驚いて振り向けば、そこにはいつの間にか一人の兄ちゃんが立っていた。柵の向こう側で、ご主人を見ながら微笑んでいる。
「……誰だ」
ご主人の声が聞こえた。警戒してるみたいで、剣を握ったまま兄ちゃんを睨んでいる。
その視線が、一瞬俺の方を向いた。
指で軽く自分の太腿を叩く。
何となく呼ばれたような気がして、俺は後ろの兄ちゃんを気にしつつ、ご主人の元へ走った。途中でコケた。けど転がりながら進んでいれば、ご主人が俺を庇うように前へ出てくる。
「ここは、モファット国の兵士及び関係者しか立ち入りが許されていない筈だが」
「申し訳ございません。少々道に迷ってしまいまして、気が付けばこの場にいたのです。他意があっての事ではありませんので、どうかご容赦下さい」
兄ちゃんは胸に手を当てて、深く頭を下げた。
「しかし、お蔭で良いものを見る事が出来ました」
顔を上げると、朝の日差しに負けない爽やかさで笑う。
「その細腕から繰り出される連撃。的を正確に切り裂く手腕。ラピエールを操る姿はまるで舞踏会で優雅に踊っているが如く。何より、それらを全てやってのける剣士が、このような美しい女性だなんて。私の少ない語彙では、素晴らしいとしか言いようがありません。モファットまできた甲斐があるというものです」
何言ってんのかよく分かんないけど、ご主人を褒めてるって事は分かった。
兄ちゃんよく分かってんじゃん。見る目あるな。ちょっとキザっぽいけど。
「……そうか。それは良かった」
ご主人はまだ固い声で、そう言った。相変わらず剣は持ったまま。鞘に戻す仕草も見せず、柵の向こうにいる兄ちゃんを見つめている。
「それで、貴殿は一体何者だ。見たところ、兵士ではなさそうだが」
「あぁ、これは失礼しました。私、隣のワインバーガー国より参りました。第十八代国王ヘクター・ワインバーガーが子息、クライヴ・ワインバーガーと申します。本日は我が国からの使者として、こちらに参上した次第でございます」
兄ちゃんは自己紹介すると、爽やかな笑顔を浮かべてご主人を見た。ご主人は小さく頷き、ようやく剣をしまう。
「妾は、モファット国第三十三代国王ディアナ・モファットが娘、ミルギレッド・モファットだ。我が国へようこそ、クライヴ王子」
ご主人は喋りながら柵に向かって歩き出す。俺もその後についていった。
しかしあの兄ちゃん、ワインバーガーだって。ワインのバーガー。美味いんだかマズいんだから良く分かんない名前だな。新商品、ワインバーガー! 好評発売中! うーん、微妙。でも未成年的には、ウイスキーボンボン並に食べてみたい代物ですね。
「長旅でさぞ疲れているだろう。今人を寄こすから、しばし待っているが良い」
「いえ、ミルギレッド王女のお手を煩わせるには。それよりも、先程の剣さばきについてお伺いしたいのですが」
ワインバーガーの王子様は、目を輝かせて前のめりになった。
「先程行われていた草を斬る技は、一体何と言うものなのでしょう?」
「名などない。あれは妾が好き勝手に斬っていただけだ」
「そうなのですか? それにしては、どこか熟練されたものを感じましたが」
「幼い頃からやっている遊びだからな。そういう意味では、熟練もされているだろう」
「成る程。遊びの中であれだけの事を、いや、遊びだからこそ、あれだけ自由に舞っていたのですね。素晴らしい。流石はモファットだ。父からこちらの兵力は高いと聞いておりましたが、まさかこれ程とは」
王子様は顎に手をやり、何度も頷いた。そうだろそうだろ。俺のご主人凄ぇだろ。
「ところで、ミルギレッド王女。こちらの生き物は、一体?」
「妾の飼っておるオヴィスだ」
「オヴィス、ですか? それにしては、随分と体毛が多いような気もしますが」
「亜種らしい」
「亜種、そうですか。それは珍しい」
王子様は俺をじっと眺めると、爽やかな笑みを浮かべた。
「はじめまして。私はクライヴと申します。あなたのお名前は?」
『日辻芽太っす。はじめまして』
「こ奴はメータという」
「メータ殿というのですか。どうぞよろしくお願いします。しばらくこちらに滞在しますので、仲良くして下さいね」
『うっす。こちらこそっす』
メェメェ鳴いて挨拶すれば、王子様は口元を緩ませて俺を見下ろす。
「あぁ、そうだ」
ふと王子様は声を上げて、ポケットの中に手を入れた。
「ミルギレッド様。メータ殿は、アプーの実は召し上がりますか?」
「あぁ。食べるが」
「そうですか」
王子様はポケットから手を抜くと、拳を握った。
すると、親指と人差し指の間から、唐突に芽が生えた。
え? と思っている間に芽はどんどん成長し、小さな木になり、枝に蕾が付き、花が咲いたかと思えばそこに柿みたいな実が生った。
「お近づきの印に、どうぞ」
驚いている俺に向かって、王子様はむしった実を差し出してくる。艶々して、凄ぇ美味そう。
一応食ってもいいかご主人を窺ってみれば、小さく笑われたから多分オッケーなんだろう。
じゃ、遠慮なくいただきまーす。
「美味しいですか? メータ殿」
『美味っ。美味いっすっ。超ジューシーっすっ』
尻尾振ってモリモリ齧っていれば、上から王子様の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
この人、凄ぇ良い人じゃん。
種をしゃぶりながら、そんな感想を抱く俺。「食べ物をくれたからって、すぐに信用しちゃ駄目よ」っていう母ちゃんの声が聞こえなくもないけど、でもこれ、本当美味い。じいちゃんが育ててる奴より美味い。だからこの王子様は、きっと良い人に違いない。うんうん。
「それと、ミルギレッド様には、こちらを」
王子様はまたポケットに手を入れた。抜いてから、指に摘んだ粒をご主人に見せる。それを握り締め、また芽を生やした。
今度は何が生るんだろうとワクワクして眺めていれば、そいつは掌位の長さになると、先端に蕾を付け、真っ赤な花を大きく咲かせた。
ご主人に似合いそうな、綺麗なバラの花だ。
「どうぞ」
笑顔で差し出す王子様。爽やか過ぎて目が潰れそうっす。
「……ありがたく頂戴しよう」
ご主人はゆっくりと手を伸ばし、バラの茎を優しく摘んだ。
「クライヴ王子っ」
不意に、誰かの声が入り込む。
見れば、アイリーンさんと数人のおっちゃん達がこっちにやってきた。ちょっと焦ってる感じで小走っている。
「こんな所にいらっしゃったのですか」
「あぁ、これはシェパード殿。先程ぶりです」
「勝手に歩き回られては困ります。王子の到着はまだ城の者全員に行き渡っていないのですから、万が一何か起こっても対処し切れません」
「シェパード殿の言う通りですよクライヴ様。せめて我々従者と共に行動して頂かないと」
アイリーンさんとおっちゃん達は、王子様に文句を言っている。
でも王子様は、気にする様子もなく笑った。
「大丈夫ですよ。このモファットはとても平和な国だと聞いています。現に私が一人で歩いていても、ご覧の通り何も起きませんでした」
「それでも、用心に越した事はございません。今後はこういった行動は控えて頂かなければ困ります」
きっぱりとアイリーンさんが言えば、王子様は罰が悪そうに微笑み、謝った。
でも俺には分かる。
この王子様、またやるぞ。
一見反省している風だけど、内心では全然気にしてないに決まってる。だって俺がそういう時にする謝り方と一緒だもん。
「では、ミルギレッド王女。迎えもきてしまいましたので、私はこれで失礼します。またお会いしましょう」
「……あぁ」
王子様は胸に手を当てて、ご主人に頭を下げてから歩き出した。他のおっちゃん達も同じように頭を下げて、王子様に付いていく。
「姫様。後ほど本日の予定を確認致しますので、一度お部屋の方にお戻り頂けますか?」
「……分かった」
アイリーンさんもそれだけ言って、王子様達と去っていった。
城の方に消えていった集団を見送り、この場には俺とご主人だけが残る。口の中で転がしていた種を吐き出し、俺はご主人を見上げた。
ご主人は、バラの花を眺めながら、何やら眉を顰めている。
『どうしたんすか、ご主人?』
俺が鳴けば、ご主人の視線がこっちへ向いた。じっと俺の顔を見つめ、バラの花を指で回す。
「……ふむ」
一つ唸ったかと思えば、ご主人は持っていた花を、プスっと俺の頭に刺した。
手を離しても立っている花の影が、地面に映る。
「うむ。中々似合うぞメータ。可愛い可愛い」
ご主人は皺の寄っていた眉間を解し、笑いながら俺の顎の下を撫でた。
機嫌良さそうなのはいいんだけど、でも、これ、本当に可愛いか?
心の中でご主人の美的センスを疑いつつも、俺は取り敢えず礼を言っておいた。
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