「メ、メータが、オヴィスだとっ。ははっ、そんな、馬鹿なっ。こんな、あははははっ」


 さっきからご主人は、腹を抱えて笑っている。目に涙を浮かべ、時々俺を見てはまた笑った。

 そんな可笑しいっすか? という気持ちを込めて首を傾げれば、ご主人は俺の頭を撫でながらドーンな胸ごと体を揺らす。


「シム。もう一度確認しますが、おばば様は、本当にそうおっしゃったのですか?」

「そうですー。私も確認したのですがー、おばば様はオヴィスの亜種だとー」


 シムさんが答えると、アイリーンさんは眉を顰めて小さく唸った。唇を窄め、ご主人の足元に伏せる俺を見下ろす。


「はぁーっ、そうか。お前、オ、オヴィスの仲間だったのか……っ」


 ご主人は涙を拭いて、俺を膝の上に乗せた。


「ではあれだな。きっと強いのだろうな」

『そんな事ないっすよ。ヤンキーとは無縁の生活してたもんで』

「そうかそうか。ほれ、食べろ」

『あざっす』


 差し出されたパウンドケーキ的な菓子を、遠慮なく頂く。

 モリモリかっ食らっていれば、向かいの席から溜め息が聞こえた。


「なにを暢気に餌付けしているのですか、姫様」

「ん? 問題あるか?」

「その生き物は、オヴィスの亜種なのですよ? いつ獰猛な本性を剥き出してくるか分からないではありませんか」

「大丈夫だ。メータは獰猛とは無縁な生き物さ。妾には分かる。なぁ、メータ?」

『うっす。俺、喧嘩も暴走もした事ないっす』

「な?」


 得意げに笑うご主人。アイリーンさんは再度溜め息を吐き、隣に座るシムさんを振り返った。


「その他に、おばば様は何か言っていらっしゃいましたか?」

「後は、んーそうですねー、特には」


 と、言ったところで、シムさんは「あ」と口を丸くする。


「でも、あのー、メータ様とは関係のない事なのですがー」


 シムさんは少し言い淀み、ティーカップを両手で抱えた。


「ミルギレッド様のご婚姻は、いつ頃になるのかとー」


 途端、ご主人は、明らかに動揺した。腹に当たる太腿が強張り、背中を撫でていた手は動きを止める。


「……だ、そうですよ、姫様」


 アイリーンさんが、これ見よがしにご主人を見た。


「おばば様にもご心配をお掛けしている事ですし、これはいよいよ本腰を入れなければいけませんねぇ?」

「う、うむ、まぁ、そうだな」

「では、これからは本日のような態度は、もう二度となさいませんね?」

「む、ま、まぁ、気を付けるつもりではあるが、しかしだな、アイリーン。あれは、仕方なかったのだ。あのリッチモンドとかいう男が、息子共々妾を厭らしい目で見てきたのだから」

「そういう目的もあっての面会なのですから、当たり前でしょう」


 ご主人の言葉を遮って、アイリーンさんは鼻を鳴らす。


「いいですか姫様。姫様のご婚姻を願っているのは、おばば様だけではありません。モファット国に住む全ての民が、姫様の晴れ姿を心待ちにしているのです。未来の王として、その期待に答えて頂かなければ困ります」

「……分かっておる」

「勿論、国王陛下や王配陛下も」

「分かっておる分かっておるっ。そう何度も言われなくとも、妾とて分かっておるわっ」


 ご主人は俺を持ち上げ、胸に凭れさせるように抱えた。ご主人の顎が、俺の頭の上に乗る。


「分かっておるが、仕方なかろう。妾の気に入る男が現れぬのだから」

「では、どういった者であれば気に入るというのですか」

「妾を一人の女として愛してくれる男だ。それ以外は全て気に入らぬ」

「それでは気に入る者が見つかるまで、より一層ご公務に励んで頂かないといけませんね。国王陛下も、そうして良きお相手を見つけ出したのですから」

「その為に、妾はどれだけ外れクジを引かねばならぬのだ。はーぁ。いっそこの菓子のように召喚出来れば良いものを。妾の心労は増えるばかりだ」


 ご主人はそう言って、俺の頭に顎をねじ込んだ。俺の体を両腕で包み込み、モッサモッサと揺らしてくる。


「大体なんだ。妾にばかり結婚結婚と言いおって。お前だって結婚しておらぬではないか。なのに偉そうにせっつきおって。そう言うのは、自分が結婚してからにしろ」

「……私の事は、今は関係ないではありませんか」

「いやある。あるぞアイリーン。妾はお前こそ早く結婚すべきだと思っておる。何故なら妾が国王となった暁には、今以上に働いて貰う事となるからだ。子を産むならば、今の内ではないのか?」

「子、な……っ、ひっ、姫様っ!」

「おいシム。おばばは妾の結婚についてしか言っておらぬか? アイリーンの事はどうだったのだっ?」

「だからっ、私は関係ないと言っているでしょうっ!」

「どうなのだシムッ! 言っておったのではないのかっ!?」

「おばば様はそんな事一言もおっしゃっていないわっ! そうよねっ、シムッ!?」


 二人に詰め寄られ、大人しく茶を啜っていたシムさんは、後ろにのめってうろたえている。


「え、えーっとー、お二人とも、少し落ち着かれては」

「なにを言う。妾達は落ち着いているさ。なぁイリーナ?」

「えぇ。私もレッディも、十分落ち着いているわ」


 いやいや、そんな事ないでしょうよ。という俺達の感想など察してくれる事もなく、ご主人とアイリーンさんはシムさんを凝視している。

 物凄い力強さに、シムさんの頬はどんどん引き攣っていく。


「そ、そうですねー。まぁ、アイリーン様のご婚姻については、特におっしゃってなかったですかねー」

「そっ、そんな筈はないっ。おばばが、実の孫の結婚に口出ししないなどっ」

「そうでしょう。そうだと思ったわ。ほらごらんなさい。おばば様は、あなたのご結婚をそれはもう憂いていらっしゃるのよ。そう、私は分かっているの。なんせおばば様の孫ですもの」


 アイリーンさんが勝ち誇った笑みを浮かべて、優雅にティーカップを傾けた。

 ご主人は俺の頭に更に顎をねじ込み、唸りを上げている。痛いっす、とメェメェ訴えても、その声は届いてないようだ。


「では……そうだ。ではシム、お前はどうなのだ? おばばに何か言われなかったのか?」

「え、わ、私、ですかー?」

「姫様。いい加減になさって下さい。ご自分の都合が悪いからと言って、私共を巻き込むのは止めて頂けますか?」

「どうなのだシム。正直に言ってみろ。おばばに何か言われたんじゃないのか?」


 ご主人に見つめられ、シムさんは困った顔で頬を掻いた。


「えー、まぁ、大した事ではないんですけどー」


 その頬が、ちょっと赤くなってくる。


「そのー、私が婚姻する際はー、おばば様が儀式を執り行って下さる、と。はいー」


 あの時みたいに照れ臭そうに笑うシムさん。

 そんな彼に、ご主人は楽しそうな声を上げる。


「ほーう、そうか。そう言われたのか」

「まぁ、はいー。準備は出来ているから、いつでも声を掛けるようにとー」

「ほほーう、そうかそうか。それは良かったなシム」


 ご主人は俺を巻き込んで頷き、足を組んだ。

 妙な雰囲気を醸し出すご主人に、シムさんはちょっと居心地悪そう。逃げるように視線を反らし、両手で抱えたカップに口を付ける。


「では、今すぐにでも挙げてこい」


 直後。シムさんの口から、霧吹きみたいに茶が噴き出した。


「げほ、そ、そんな、ミルギレッド様よりも先に結婚するなど」

「気にするな気にするな。妾はそのような事、全く、これっぽっちも、気にしてはおらぬ。部下の幸せを願うのも、妾の幸せと思っているからな」

「い、いやぁー、しかし、彼女も気にしますからー」

「良い良い。妾が許しておるのだ。妾が言えば白も黒に、水も茶に、菓子もパンに早変わりだ。なんなら、妾も協力してやっても良いぞ? ん?」

「何をおっしゃっているのですか、姫様。そんな事を言って、また執務を疎かにするおつもりでしょう。そうはいきませんよ」


 噴射された茶を片付けていたアイリーンさんが、ご主人を睨む。凄ぇ怖い顔をしてるけど、ご主人はふふんと鼻を鳴らして無視をした。自分の膝の上に、俺を仰向けに寝かせる。


「あー怖い怖い。そんなに睨まずとも良いではないか。妾はただ、部下の幸せを願っておるだけなのに。悲しいなぁ。そうは思わないか、メータ?」

『いやー、でもお仕事は投げちゃマズいっすよ。ほら、見て下さい。アイリーンさん超睨んでますよ』

「そうかそうか、お前もそう思うか。よしよし。ほれ、食べろ」

『あ、あざーっす』


 豚の丸焼きスタイルのまま、差し出されたクッキーみたいな菓子を齧った。『美味いっす』と

鳴けば、ご主人は機嫌良さげに俺を撫でる。この位置からだと、ご主人の胸のドーン具合がとても良く分かります。はい。


「兎に角」


 咳払いが聞こえた。

 見れば、アイリーンが拳を唇に当てていた。


「姫様は、もっと婿選びに本気を出して下さい。あなたがご婚姻すれば、自動的にシムも幸せとなりますので」


 しかしご主人は、ツーンとそっぽを向いて俺の黒い毛を撫で続ける。それをアイリーンさんは呆れた顔で、シムさんは苦笑して眺めていた。

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