これでもかと嫌だと訴えているのに、シムさんは離してくれない。俺の体をがっちり押さえ込みながら、口を思いっきりこじ開けてくる。

 メイドさん達も、オモチャや食べ物を使って頻りに俺をあやした。


「大丈夫ですよメータ様。ただの触診ですからね」

「メータ様のお体を知る大事な儀式ですから、少しだけ我慢しましょうね」

「安心して下さい。おばば様は、大臣も務め上げられた大変ご高名な方でございます。怖くはありませんよ」


 いや、めっちゃ怖いっすよ。心の中で反論しつつ、俺は目の前の人物達を見た。


 梅干しみたいな顔のおばばと、メモ帳的なものを持ったエマさんが、俺の口の中を覗き込んでいる。特におばばの方は、コントみたいにプルプル震えながら杖を付いて、チュー出来そうな距離まで迫ってきた。必死で顔を背けようとするけど、シムさんの力が強くて全然動かない。


 そうこうしている間にも、おばばは俺を甚振るように見つめてくる。もにゅもにゅ口を動かして、唸るような囁くような声で、


「……ん前歯ぁ~、尖っとるの下六ぅ~」


 と言った。息が俺の顔に当たる。ちょっと臭い。


「はい。切歯、下に六本のみ」

「ん後ろぉ~、あ~……平たいの上十ぅ~、下もぉ~」

「臼歯、上下共に十本」


 エマさんが助手らしく、メモ帳的なものに何やら書き込んでる。その間、おばばは俺の歯を触ったり揺らしたりした。おばばの指の味が舌に広がる。苦しょっぱい。オエェ。


 俺が吐き気と戦っていると、ようやく口が解放された。急いでメイドさんが用意してくれた飲み水で口を濯ぎ、おばばの味を追い出していく。うぅ、マズい。どうせなら、エマさんの味が良かった。そうしたら俺、どさくさに紛れてしゃぶってやったのに。


 とか邪な事を考えていたら、今度は瞼をグイっと押し開かれた。

 それだけじゃなく、蝋燭の火まで近付けられた。


『熱っ、危なっ、熱っ!』


 反射的に身を捩るも、またしてもシムさんに遮られる。いや、でもこれはないっすよ。俺の目潰れちゃいますからっ。本当マジ勘弁して下さいってぇっ! という気持ちを込めて、力の限り「メエエェェェェ~ッ!」と叫んだ。


「ん~……ん横なのねぇ~」


 おばばは羊の悲鳴も何のそのという感じで、蝋燭持ったまま俺の目を眺めている。おばば、頼むから蝋燭を離して下さい。めっちゃプルプル震えてんじゃん。先に点いた火が前後左右に揺れてんじゃん。心なしか毛の焦げる臭いもするしさ、本当勘弁してよ。怖い。熱い。


「瞳孔の形は横。という事は、やはりメータ様は草食動物なのでしょうか?」

「んん~……」


 エマさんの質問に、おばばは口をもにゅもにゅ動かすだけで答えない。震えさせながら指を持ち上げ、俺を指した。


「んおいカマァ~。んこいつぅ~、何食ったぁ~?」

「シム殿。『この五日の間に、メータ様は何を召し上がられたのか』、とおばば様は聞いておられます」


 通訳したエマさんに、シムさんは考えるような唸り声を上げてから、色々な種類の食べ物を言っていく。

 というかおばば。今シムさんに向かってカマって言ったよな。カマってあれか? シムさんが姉ちゃんだか兄ちゃんだかよく分かんない顔してるからって事か?


「――それとー、乾燥アプー入りのビスコゥですかねー?」

「それらを食べ、体調が悪くなった事や、お腹を下した事はありましたか?」

「いーえ、ありませんよー」

「……んエマァ~」


 不意に、おばばがエマさんを見た。するとエマさんは心得たとばかりに頷き、俺用の飲み水を使って床に模様を描き始める。一瞬輝き、模様の中から何冊もの本が出てきた。一番上のものから順に捲って、何かを調べるように目を動かしていく。

 その間、おばばは俺の体を遠慮なく弄った。足や尻尾、耳、毛を、皺だらけな手でソフトタッチしていくんだ。しかも延々「ん黒いねぇ~」と言ってくるのがまた怖い。小刻みに震えるおばばの手にビビりつつ、俺は少しでも逃れようとシムさんに体を押し付けた。


「おばば様」


 股間だけは触らせるものかと全力で蹲っていると、エマさんがおばばに近寄り、ぶ厚い本の一ページを見せた。

 おばばは老眼なのか、顔を近付けたり遠ざけたり、顰めたり広げたりしながら読んでいく。


「……んほほぉ~ん」


 鼻の下を掻き、指を軽く振った。エマさんは次のページを捲る。


「あのー、おばば様? 何か分かりましたかー?」


 シムさんが俺を足の間に挟んだまま問い掛ける。だがおばばは何も答えず、本のある箇所を指差した。


「シム殿。メータ様は、反芻はなさいますか?」

「反芻、と言いますのは」

「一度飲み込んだものをまた口の中へ戻し、噛み直す行動の事です」


 あ、俺やりますよ。初めは『ゲロをまた食って飲み込むなんて……』とか思ってたんですけど、気が付くと口動かしてるんで、もう羊の本能って事で諦めてます。


「成る程、そうですか」


 エマさんは頷き、おばばを見る。シムさんもメイドさん達もおばばに注目した。


 おばばは俺が反芻してる時みたいに口を動かして、ふと、止まる。


「……んオヴィスゥ~、もぉ~どきぃ~」


 一言、それだけ呟いた。

 エマさんは、了解とばかりに頷く。


「シム殿。おばば様は、『メータ様はオヴィスの亜種ではないか』、とおっしゃっております」

「オ、オヴィス、ですかー。ですが、えーと、それは」

「えぇ。シム殿の疑問はもっともだと思います。私も、正直驚いております」


 エマさんはもう一度頷き、俺を見下ろす。


「通常オヴィスは、筋肉質で逞しく、戦場を駆けるに相応しい体格をしております。加えて気性も荒く、矜持の高い生き物です。例え人に慣れていようと、軽々しく触れられれば強烈な蹴りをお見舞いされるでしょう。そう言った面を考えれば、メータ様とはとても似ているとは言えません。ですが、身体的な特徴を総合すると、現時点で一番近いと考えられる生き物は、オヴィスしかいないのです」


 エマさんの説明に、シムさんは呆けたような声を上げた。蹲る俺を見て、確かめるように毛を触る。


「では、そのー、メータ様がオヴィスの仲間だとして、ですよー? それでもモファット国の近隣では、このように毛深い生き物が目撃されたという話は聞いた事がないのですがー?」

「私もございません。おばば様は?」

「んないよぉ~ん」

「おばば様もないようです」

「という事はー、少なくともメータ様は、この辺りのお生まれではないという事になりますよねー? なのに何故城壁の中に、しかも裏庭になど迷い込んでしまわれたのでしょうかー?」


 シムさんの質問に、エマさんはおばばを振り返る。

 おばばは無言でプルプル震えたかと思ったら、いきなりカクンと首を傾けた。


「ん知るかぁ~い」

「『それは分からない』、とおっしゃっております」

「ん密輸かぁ~、召喚じゃぁ~ん?」

「『だが、もし可能性があるとすれば、誰かが秘密裏に運び込んだか、もしくは召喚術を使ったのではないか』、とおばば様はおっしゃっております」

「召喚、ですかー」


 シムさんは独り言のように呟き、小さく唸り声を上げる。


「……では、私共はそろそろ失礼致します」


 そう言うと、エマさんは本を水で描いた紋章の中に戻した。


「また後日窺いますので、何かあればその時におっしゃって下さい」

「あ、はい、分かりましたー。ありがとうございますー。それでは帰りの車をご用意致しますので、客室でお待ち下さーい」


 シムさんは立ち上がり、傍にいたメイドさん達へ視線を向け、手を挙げてみせる。

 しかしメイドさんが動き出す前に、おばばが首を小刻みに震わせた。


「んいらねぇ~」

「『車は結構だ』、とおばば様はおっしゃっております」

「え、いやー、ですが、おばば様は足がお悪いとの事ですしー」

「んおばばぁ~、舐めんなよぉ~」

「『本日は調子が良く、また他にも行く場所があるので、折角だが遠慮する』、とおっしゃっております」


 いや、おっしゃってねぇだろう。と、思ったのは俺だけのようだ。周りの人達は何の疑いもなくエマさんの言葉を信じている。


「それと、『ミルギレッド様のご婚姻はいつ頃になられるのか』、とおばば様は気にされております」

「あー、それは、うーん、どうでしょうー。先は長いように思えますがー」


 シムさんは、苦笑いを浮かべておばばを見る。おばばは口をもにゅもにゅ動かして、「……んあんのじゃじゃ馬ぁ~」と唸った。


「おばば様は、ミルギレッド様の花嫁姿をとても楽しみにしていらっしゃいます。自分が生きている内にその姿を拝見し、出来るならば、自分がその儀式を執り行いたいと、切に願っております」

「んやるよぉ~」


 おばばはプルプル震えながらブイサインをしてみせる。それにシムさんは答えず、苦笑して蹲る俺を撫でるだけ。


「では、私共はこれで。参りましょうかおばば様」

「んあいよぉ~ん」


 おばばを支えながら、エマさんが歩き出す。


 やっと終わった。

 ホっと息を吐いて、俺は掛け声を掛けつつ立ち上がった。


「あぁ、そうですわ」


 つと、エマさんが立ち止まる。


「おばば様は、あなたがご婚姻する際も、ご自分が執り行いたいと願っております」


 シムさんを見ながら、そう言った。


「こちら側の準備は常に整っておりますので、いつでもお声掛け下さい」

「んやったるよぉ~」

「え、あ、あの」

「では、失礼致します」


 シムさんが何か言う前に頭を下げ、エマさんはおばばと共に部屋を出ていった。メイドさん達も後を追うように出ていく。


 静かになった部屋に、俺とシムさんだけが取り残された。

 見上げれば、シムさんはちょっと赤くなった頬を掻いている。俺と目が合うと、照れ臭そうに三つ編みを揺らして笑った。

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