ゆかりちゃん

ツヨシ

本編


ほんとうに、やってられない。


いったい何なのよ。


私が何をしたって言うの?


勤めていた会社を経費削減による人員整理、つまりリストラにあったかと思うと、結婚まで考えていて私をどんな時も支えてくれるはずだったはずの彼氏は、リストラの三日後に別れ話を切り出してきた。


――新しい女でも出来たの?


そうとしか考えられない。


そのへんを突いてみても、「いや」だの「出来てない」だの、及び腰で否定はするが、かえって怪しい。


会って何度話し合って見ても事態は好転せず、むしろ悪化してゆくばかり。


「もういいわよ! あんたなんか、別れてあげるわよ!」


怒りが頂点に達し、思わずそう言った私を見た彼の顔を、おそらく一生忘れることはないだろう。


悪魔と疫病神と貧乏神を、みんなまとめてようやく厄介払いすることが出来た、みたいな顔を。



しばらくは何もする気が起きず、正真正銘の引きこもりと化していたが、ある日を境に突然アクティブになった。


とは言っても、全財産はたいて世界一周旅行に出かけたなどと言う、スケールのでかいものではない。


暇にまかせてあちこちに電話をするようになっただけだ。


彼氏とつきあうようになってから、男友達は全滅で、女友達も交流がめっきりと減っていたので、いい機会かもしれないとも思った。


最初は携帯の電話帳に記入されている人に連絡を取っていたが、しばらく連絡しないうちに子供が生まれたばかりの人、ちょっと前の私と同じで彼氏に夢中な人、なんとなく話が盛り上がらなくなった人もいて、最終的に数日おきに電話する人が三人ほど残った。


それでは物足りなさを感じた私は、家捜しして古い電話帳を引っ張り出した。


中学生の時のもので、軽く十年以上前のものだ。


その中には自分で書いたにもかかわらず、この私が名前を見ても誰だか思い出せない人が、数名いた。


それと、この人とはいまさら連絡をとらないほうがいいと感じた人をのぞいて残りの人に、あいうえお順で電話をかけていった。


久しぶりなのに話がけっこうはずむ人、いまいちな人、電話しないほうがよかったと思った人。


ある程度は予想された結果となった。


もちろん「この電話番号は現在使われておりません」も。


ほとんどの人に連絡して終わり、最後の一人が残った。


ゆかりちゃん。


中学時代の同級生だ。


あの陰気な顔は、ある意味印象深い。


が、声は全く記憶になかった。


その理由は、ゆかりちゃんがおとなしくて無口だったこと。


そして私が、ゆかりちゃんと交流がまるでなかったことだ。


それなのに何故この子の電話番号がここに載っているのか。


これまでに一度でも電話をしたという覚えも、皆目なかった。


おまけに他の人は黒いボールペンで記入されているのに、ゆかりちゃんだけが何故か赤い字で書かれてあった。


字も他と比べてなんとなく大きい。


数日前に久しぶりにこの電話帳を開いた時から、そのことを気にはしていた。


――どうしよう?


考えたが、電話をかけるべき理由は見つからない。


だがかけない理由も、思いつかなかった。


私は番号を押した。


「……もしもし」


ゆかりちゃんなのだろうか。


声を聞いても判別はつかない。


私はそのまま聞いてみることにした。


「ゆかりちゃん?」


「そうだけど、あなたは、誰?」


「その子よ、その子。中学校の時、同じクラスだった」


「その子……ああ、そのちゃんね」


私をそのちゃんと呼ぶのは、親しい友人だけだ。


おそらく今回、初めてしゃべったであろう相手が言うのは違和感を覚えたが、そこはとりあえず無視した。


とにかくゆかりちゃんは、私のことを覚えてくれていたのだから。


「そう、その子よ。ゆかりちゃん久しぶり」


「ほんと、久しぶり。元気にしてた」


ゆかりちゃんの声は小さくて、そのテンションも低めだったが、聞き取りにくいわけではなかった。


そんな状態なのに、何故か妙にはっきりと、耳に響いてくるのだ。


「うん、元気よ」


「で、どうしたの。いきなり電話してきて。何かあったの?」


そう思うのは当然だろう。


それでもここまで直接的な表現で聞いてくるとは、正直思わなかったが。


「いえ、べつに。特に用というわけではないけど。ただ久しぶりに声が聞きたいなあ、なんて思って」


「ふーん、そうなの」


何か不信感を持っているような雰囲気は、その声からは感じ取れなかった。


それに、「声が聞きたかったから連絡した」と言うのは、あながち嘘ではない。


久しぶりに声が聞きたかったのではなく、どんな声なのか聞きたかっただけなのだが。



そういった展開で、私とゆかりちゃんの交流は始まった。


ゆかりちゃんとの会話は、特別楽しいというわけではない。


かと言って、面倒だとか苦痛だとかいったマイナスの要素もなかった。


気を使わなくてすむ、暇つぶしにはもってこいの相手。


それがゆかりちゃんだった。


その他交流を再開した友人知人たちは、何年も疎遠になっていたのはそれなりの理由があったからで、だんだんと連絡を取り合わなくなっていった。


残ったのは、電話帳の一番上に名前が載っているアキちゃんと、一番下の赤いゆかりちゃんの二人だけとなっていた。


アキちゃんと話すのは楽しかった。


それは向こうも同じだったようで、ゆかりちゃんは私から連絡をするのがほとんどだったが、アキちゃんの場合はアキちゃんのほうから電話してくることのほうが多かった。


「それじゃあ、おやすみ。そのちゃん」


アキちゃんはそう言って、電話を切った。


いつも最後の言葉はそのちゃんだ。


私はアキちゃんほど早起きをする必要がないので、そのままテレビでも見ようかと思っていると、携帯が鳴った。


表示された名前は、ゆかりちゃんだった。


「もしもし」


ゆかりちゃんの連絡は、いつも夜だ。


昼間はかかってこないし、こちらからかけても出たことは一度もなかった。


「……でね、ほんとまいったのよ」


たわいもない会話の途中で、私は思いつきで聞いてみた。


「で、ゆかりちゃんは、今何処に住んでるの?」


聞けば、私の住んでいるところよりも、かなり遠い場所に位置する市の名前を告げた。


日本列島はそれなりに長い。


ゆかりちゃんが言った。


「会いに来るの?」


私は現在無職だし、次の仕事も決まっていない。


蓄えも山ほどあるわけではないので、出来れば無駄な出費はひかえたい。


ゆかりちゃんの住んでいる市まで行って帰ってくるとしたら、今の私にとってはけっこうな金額になる。


おいそれとは行けない。


こういう時に言うべきことは決まっている。


「うん、いつか会えるといいね」


それを聞いたゆかりちゃんは、小さく「うん」と言った後、そのまま電話を切った。



その後、ゆかりちゃんとは何度か話をしたが、会う会わないの話は出なかった。


もちろん私からは言いださなかったが。


ところがある日、ゆかりちゃんが言った。


「そのちゃんに会いに行こうか」


「えっ」


正直驚いた。


普段の彼女の口調から、そんな行動的な言葉が出てくるとは思わなかったからだ。


思わずその気持ちのまま、答えた。


「来るの?」


「うん」


その「うん」は、今までのゆかりちゃんから考えれば、ありえないほどにはっきりとした大きな声だった。


私は考えたが、向こうがこちらに「来る」と言っているのを、断るのも悪いなあ、と思った。


「じゃあ、来てね」


「うん」


ゆかりちゃんが再び、やけに通る大声で言った。


その声はまるで、耳元で言われているような近さだった。



翌日、携帯が鳴った。見ればアキちゃんからだった。


「もしもし」


いつもの楽しい会話。


どうして彼女と十年以上もの長い間、連絡を取り合わなかったのか。


そんな話の最中に、ふと考えた。


――そう言えばアキちゃん、今何処に住んでるんだろう?


あれだけ話をしたのに、それをまだ聞いていなかった。


ゆかりちゃんにはもう聞いたというのに。


「それでアキちゃん、今何処に住んでるの?」


聞いて驚いた。


ゆかりちゃんと同じ市なのである。


中学校時代に書いた電話帳の中で、唯一残った二人が、あんなにも遠い同じ街に住んでいるなんて。


それも電話帳の一番上と一番下が。


ものすごい偶然だ。


「へえ、そうなんだ。ゆかりちゃんと同じだね」


「ゆかりちゃん?」


「そう。中学校の時、同じクラスだったゆかりちゃんよ。知っているでしょう」


「……ええ、知ってるけど。そのゆかりちゃんが、どうかしたの。なんで同じ街に住んでたこと、知ってるの。ニュース?」


住んでた? ニュース? 意味がわからない。


「ニュースって、なんのこと? 私ニュースなんて、あんまり見ないんだけど」


「……知らないみたいね。ニュースで知ったのかと思った」


「だからニュースって、なんのこと?」


「決まっているじゃない。ゆかりちゃんが殺されたニュースよ。一年前のことだけど。私もニュースになるまでは、ゆかりちゃんが同じ街にすんでいるなんて、ちっとも知らなかったんだけど」


――!


アキちゃんは、何を言っているんだろう。


「殺された。ゆかりちゃんが?」


「ええ、そうよ」


「そ、そんなことないわ。私、何度も話、してるのよ。昨日だって、ゆかりちゃんと携帯で話してたし」


「携帯……携帯……そういえばゆかりちゃんは全裸で見つかって、携帯とかの所持品は何も見つかってない、って言ってたけど……」


「えっ?」


「って、じゃあそのまだ見つかってない携帯から、ゆかりちゃんが電話してるって話なの。……まさかね」


アキちゃんの声が、心なしか硬くなっているような気がした。


「あ、今日はもうこの辺で。明日、早いから」


そう言ってアキちゃんは一方的に電話を切った。


――ゆかりちゃんが殺された? 携帯は見つかってない……。


その時、着信音が鳴った。


ゆかりちゃんからだ。


「そのちゃん、やっぱり会おうね」


もしもし、もなしで、第一声がそれだった。


「えっと、あの」


「今から行くね」


「えっ。今から?」


「そうよ」


「今、何処なの?」


「それじゃあ、行くわね」


電話が切られた。


そのまま携帯を眺めていると、再び着信音が鳴った。


ゆかりちゃんからだ。


どうしようかと迷ったが、結局出た。


「着いたわ」


「ええっ、あの街から、もう着いたの?」


「そうよ。会えるの楽しみ」


そう言って、ゆかりちゃんは電話を切った。


次の瞬間、玄関のチャイムが鳴った。


――!


動けなかった。


再びチャイムが鳴る。


が、やはり動けない。


しばらく、静寂の時が流れた。


半ば止めていた息を整えるために大息をついた時、チャイムが狂ったように連打された。


身を小さくして待ったが、チャイムは止まらない。


極めて短い間隔で鳴らされ続けるチャイムの音。


私はいつの間にか、頭をかかえてうずくまっていた。


チャイムはあいかわらず鳴り続けている。


いったいいつになったら止まるのか。


思わず叫びそうに鳴った時、突然チャイムが止んだ。


――か……帰ったのかしら?


その時、私は一人住まいのはずなのに、誰かに肩をたたかれた。



          終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゆかりちゃん ツヨシ @kunkunkonkon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ