二章
一話 ガサ入れ
兄貴は華子の母親と付き合うふりをして、詐欺にかけようとしているらしい。華子はそう考えている。
その詐欺の証拠を掴まねばならない。
華子に童貞を捧げるため、俺は頑張る!
さて、それでは兄貴の部屋へ侵入しましょう。
俺の兄たる浜口行道は夕食を終えるとリビングでテレビを見る。衛星放送のドキュメンタリーが好きなのだ。
ここに隙がある。
二階の南向きの八畳間が兄貴の部屋。
俺は北向きの六畳間。俺は人間が小さいので、こういうところに微妙な差別を感じてしまう。
まぁいい。
何年かぶりに兄貴の部屋に入る。
アコースティックギターがあった。女を口説くのに役立ちそう。そんな理由で高校の頃に始めたと聞いている。
机の引き出しを開けてみるとコンドームが入っていた。近々俺も使う予定なのでひとつ頂く。
いや、ひとつで足りるか? 三つ頂く。
机の中にも面白そうなものはないな。
詐欺の参考書的なものはないかと本棚を見てみる。「結婚詐欺! これであなたも億万長者!」みたいな。
どうもそれっぽいものはない。
俺は持っている会話術の本なんかもなかった。
兄貴は生まれながらコミュ力が高い。いちいち本で勉強しなくてもいいのだろう。
……くやしくなんてない。
「なんか面白いのあったか、快人?」
「なにもないんだよねぇ。いつからそこにいた、兄貴?」
扉の方へ振り返ったら兄貴がニヤニヤして立っていた。こんなふうに兄貴を出し抜くなんてできないのが俺なのだ。
「そのコンドームは古いから使うなよ?」
「そこからかよ」
ポケットに入れておいたのをごみ箱に放り捨てる。
兄貴が自分のベッドを指差す。
「そこ座れよ」
「ここでいいです」
不法侵入の罪人らしく床に座る。正座はキツいのであぐらだけど。
兄貴はベッドに腰かけた。
にやりと笑いながら俺に向かって言う。
「なに、探してたんだ?」
「セックスのハウツー本?」
事前に考えていた精一杯の言い訳をしてみる。
「そんなの持ってないっての。ひたすら実地ですよ」
「……だよねぇ」
童貞に向かってキツいことを言う兄貴。
続けて指差してくる。
「今日、学校近くのカフェにいたろ? おまえが女の子といるとこなんて初めて見たぞ」
ああ、気付かれてたのか。
あまりにも
「……あの子と、今日から付き合い始めたんだよ」
ウソは言っていない。
「どんな子? 写真、見せてみろよ」
「え、写真? 写真……か……」
そうか、確かに付き合ってるなら写真くらいありそうなもんだ。今日はそういう話にならなかったな。
あの華子は中身にやや問題を抱えいるが、見た目は極上の女なのだ。写真ほしい……写真……。
「なんだよ、ないのかよ?」
兄貴ががっかりした声で言う。どんだけ女好きなんだよ。
「初々しいお付き合いなんですよ」
「とか言いながら、コンドームにセックスのハウツー本? 下手にがっついて嫌われるなよ?」
よけいなお世話である。
あの極上の女を前にしたらがっつかずにはいられない。俺は筋金入りの童貞なのだし仕方なかった。
おっとそれより今は兄貴の調査である。
「兄貴も女の人といたよね?」
ざっと調べたところ物的証拠は出てこなかった。だけど探りを入れたら収穫があるかもしれない。
失敗しました、とだけ華子に報告するのはマズかった。あいつの機嫌を損なえば、童貞を捧げ損なってしまう。
「おまえの方でも見てたのか。あの人は俺の彼女。付き合い始めて一年半になるかな?」
あ、ちゃんと言うんだ?
下手に隠したりしたら怪しいと思ったんだけどな。
「あの人……ずいぶん年上だよね?」
「もっと率直に言うと?」
「ババァじゃん」
俺は率直に言う。兄貴はうれしそうにニヤニヤした。
「そう思うよなぁ、普通。口に出して言うのはおまえくらいなもんだけど」
「なんであんな年上の人なの?」
「年はあんまり関係ないって。気が合うんだよ。かわいいとこもいっぱいあるしな」
「かわいい? 高校生の娘がいるような人なのに?」
兄貴の言うことが理解できない。
「ん? なんで実加子さんに娘さんがいるって知ってるんだ?」
「えっ! えー……」
実はその娘さんとお付き合いしております。
それを言ってもいいのか?
本当に兄貴が詐欺をやらかす気なら、華子が兄貴を疑っているとバレてはマズいはず。かといって華子のことを丸ごとすっとぼけるなんてできるのか?
ヤベ、俺はウソをつきなれてないんだよ。こういう時、どうすればいいんだ?
と、兄貴が自分のひざを叩いた。
「ああ、おまえ、俺たちの話聞いてたな?」
「え、……まぁ、そんなところ……」
そうか、そう言えばよかったのか。
「おまえなぁ、女といるのに他に気を取られるなよ。せっかくできた彼女さんが愛想つかすぞ?」
自分たちの話を盗み聞きされたことより、女を放っておいた方を問題にする。さすが兄貴、モテる男は心構えが違う。
とにかく危機を乗り切れたようだ。俺はすでに疲れ果てたが、このまま成果なしはマズかった。なんとかして探りを入れないと……。
「いや、あんな年上連れてたら興味出るでしょ? なんか、年増を騙くらかそうとしてる若い詐欺師みたいだったよ?」
直球すぎた?
童貞は変化球なんて投げられない。
「へぇ、そう見えたのか?」
「ま、まぁね……」
俺は全神経を集中して兄貴の様子をうかがう。不自然な動きを見逃さないように。
「ははは、詐欺師ときたか!」
兄貴が楽しそうに自分の膝を何度も叩く。
「……そんなに笑える?」
兄貴が喜べば喜ぶほど、俺の気分は沈んでいった。うまく兄貴に騙されてるのか、華子の思い込みに振り回されてるだけなのか、どっちにしても憂鬱になる。
「まぁ、笑ってしまうわな。実加子さんの方が俺なんかよりよっぽど
「あまたの女を手玉に取ってきた兄貴が?」
「おまえ、俺をどういう目で見てるんだ? 俺なんてまだまだひよっこですよ。実加子さんと付き合ってるとそう思うね」
「……へぇ」
年の功なのだろうか、実加子さんは兄貴を翻弄しているらしい。
でも、兄貴の言うことを素直に信じていいものか? もっとこう、なにかを確信できるような証拠がほしいなぁ……。
兄貴がぼんやり上を見ながら言う。
「結婚詐欺か……。あの人が仕掛けてきたらどうしよ? 絶対に勝てないぞ」
「兄貴は結婚する気あるの?」
「ん? うーん」
兄貴にしては珍しい、あいまいな答え方。
思い出した。兄貴は恋愛が長続きしない人だ。
早苗さんとも、なんとなく冷めてしまったとかで別れていた、そういえば。
「結局、早苗さんの時みたいになるんじゃないの?」
「う……それを言うなよ。あの子もなぁ、まだなぁ」
「未練あるの、兄貴?」
というか、実は今も付き合ってるというのが華子の見立てだが?
「俺はないよ。向こうがな、まだちょーっと引きずってるっぽいんだよなぁ……」
兄貴がうなだれてしまう。
これは演技? 純粋な童貞たる俺には判断がつかない。
「なんか、兄貴って女関係だらしなくない?」
前から思っていたこと言ってみた。八割以上ひがみだ。
「そんなことないっての。二股とかも数えるほどしかしてないしな」
「数えられるくらいはしてるんじゃん」
「でも今回は、マジだから」
兄貴が真面目な顔をして言ってきた。
「そうなの?」
「ああ、結婚するなら実加子さんだな」
「……へぇ」
今の兄貴の言葉に嘘偽りはないように聞こえた。
純朴な童貞たる俺は簡単に騙されたりする。だけど多分、今のは兄貴の本心だ。
「祝福してくれるか? ババァだけど」
「うん、まぁ……ね」
「実加子さんの娘さんは美人だからな。美少女の親戚ができるのは悪くないぞ?」
「あ、それはちょっと心が動くね」
その子と俺、付き合ってるんだけどね。
それからどうでもいい話をしばらくして、俺は部屋を出た。
おい、どうも違うっぽいぞ、華子?
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