おおむらさき

ツヨシ

本編

たかしは物心ついたころから夏休みになると、遠く田舎のおじさんの家へ、一人で一週間ほど泊りがけで遊びに行っていた。


市街地の中心地にあり、アスファルトやコンクリートといった都会が作り出す無機質なるものに囲まれたたかしの家と比べると、おじさんの家の周りはまるで別世界だった。


緑一色の田んぼや、小さく色とりどりでモザイクのような畑群、細く真っ直ぐなあぜ道に、土と草だけの土手の用水路、少し離れて小川や透き通るような水をなみなみと蓄えたいくつかの小さな池、そしてその先にはたくさんの木々が生い茂る山が雄大にそびえたっている。


そこでは、木や草や土の生き生きとした匂いがすんだ空気にほのかに溶けあい、たかしの鼻まで優しく届いてくる。


生き物、特に昆虫が好きなたかしにとって、そこはまさに生きた宝の山であった。


草むらや林には、キリギリス、カマキリ、トノサマバッタ、カタツムリ、アゲハチョウ、ミンミンゼミ、カミキリムシなどなど。


そして用水路や小川や池には、メダカ、タガメ、ミズスマシ、ゲンゴロウ、マメリカザリガニ、フナ、ドジョウ、などなど。


いつも寝つきのいいたかしが、おじさんの家に行く前の日には毎回興奮して寝付けないほどに、楽しみにしていた。


もちろんその昼間のほとんどを、昆虫を中心とした生物採集に費やしていた。


そのため、おじさんやおばさん、そしていとこのさとる、その上近所の人にまで


「今年も虫取りたーちゃんが来たぞ」


とからかわれていたくらいである。


いとこのさとるからは、「昆虫博士」と呼ばれていた。


背が低くきゃしゃで色白、その上にめがねまでかけているたかしは、日に焼けて田舎の子供らしくがっちりとした体格のさとるから見ると、まさにいつもうす暗い研究室にいる博士そのものに見えていた。




そんなたかしが、小学校三年生の夏休みのことである。


その日の朝からおじさんの家に遊びに来ていたたかしは、去年なぜか一匹も捕ろうとしなかったキリギリスを最初に捕ることに決め、一日中キリギリスを探して歩いた。


しかし去年の夏には簡単に見つかっていたキリギリスが、今年はなぜか一匹も見当たらない。


方々駆けずり回り、普段なら入り込まないような深い草むらにまでわけ入って探しまわったが、やはり一匹も見つからなかった。


たかしは少々むきになり、次の日もキリギリスを探すことにした。


キリギリスを捕るまでは、他の昆虫や生き物たちには一切目もくれないことに決めたのだ。


そして暗くなりかけた田舎のあぜ道を、いつも以上に早足で帰って行った。




次の日たかしは、朝まだうす暗いうちから起きて朝ごはんも食べずに、キリギリスを捕りに出かけて行った。


昨日捕まらなかったキリギリスを、何が何でも捕まえてやろうとやっきになっていて、行動範囲をいつもと変えてまだ一度も行ったことのない山へ、そしてその山の奥深い森の中へと向かった。


たかしは狭くて舗装もされていない森の小道を、周りに目を見張らせながらも休むことなく進み続け、しだいに森の奥へと分け入った。


そこは天に向かって真っ直ぐに伸びた木々で埋め尽くされ、四方八方に広げた枝には青々とした葉をめいいっぱいつけている。


しかしたかしが森の奥に進めば進むほど、東の空にその全身をあらわにしたばかりの太陽を無視するかのようにあたりは薄暗くなり、見ると空はいつのまにか厚い雲におおわれ、肌に当たる風さえも、夏とは思えないほどに肌寒くなってきた。


たかしは次第に心細くなっていき、とりあえず一旦引き返そうかと思いはじめた。


その時である。


それまで空を覆っていた厚い雲が急に左右に別れ、森に朝日が差し込んできた。


そして、これまでたかしが一度も見たことのない、いくつもの美しい光の帯が、木々の間から次々と現れた。


無数の光の帯たちは、森にたちこめる朝露を反射して、きらきらと輝きながら地面に届いていた。


生まれて初めて見るその幻想的な風景を、たかしはただただ圧倒されながら見つめていた。


その時、たかしの視界の端に、何か動くものが見えた。


――ちょうちょ?


それはやはり蝶だった。


その蝶は木々の上のほうからひらひらと舞い降りながら、木々の間を走る光の帯を一本一本横切って、たかしのほうに向かってゆっくり飛んでくる。


たかしはこんなにも大きな蝶は、今までに一度も見たことがなかった。


しかし昆虫に詳しいたかしは、それがおおむらさきと言う蝶であることに気がついた。


昆虫図鑑では見たことはあるが、実物を見るのはこれが初めてだ。


日本最大級の蝶であり、日本中の山間部に生息し、日本の国虫に指定されている。


図鑑に載っていたことが、頭の中に浮かぶ。


しかし実際に今目の前にいるおおむらさきを見ていると、そんなことはどうでもよくなってきた。


他の蝶を寄せ付けないほどの体の大きさ、その大きな羽でゆっくりと飛ぶ王者のような優雅な動き、そしてなにより羽の大半をしめるしっとりとした紫色の、あまりにも美しいこと。


我を忘れてただ見ているだけのたかしの目の前をおおむらさきは通り過ぎ、そして今歩いてきた山道の方へ、ふわりふわりと飛んでいった。


そしてたかしの視界から消えた。


たかしはおおむらさきの消えた後、いつもの風景に戻った森をしばらくぽかんと見ていたが、やがて手に持った虫捕り網に気がついて、おもわず大きな声をだした。


「あーっ、捕まえるん、忘れとったわ」




その晩、同い年のいとこのさとるに、今日のことをかなり興奮しながら話した。しかしさとるは


「そんなちょうちょうなんか、今までになんべんも見とるわ。あほらし」


と、ばかにしたように笑っただけであった。



次の日、たかしは再び朝早くから、虫捕りにでかけて行った。


目的はもちろん、キリギリスからおおむらさきに変わっている。


そして、森へと続く小道の近くまで来た時に、偶然さとるに出会った。


「おおっ、たーちゃんや。今日も虫捕り、やりよんか。ほんまにご苦労なこっちゃな」


そう言うさとるの横には、見慣れない子供が立っている。


たかしが黙って見ていると、さとるが気がついた。


「ああ、こいつか。こいつは俺と同じクラスの、まっちゃんや」


さとると同じクラスなら、たかしと同い年のはずだ。


しかし、まっちゃんと呼ばれるそいつは、二、三年学年が上ではないかと思われるほどに、体が大きかった。


おまけに少し太っている上に、小学三年生とは思えないほどいかつい体をしている。


その上に体のわりに頭が妙に大きい。


そのために一見幼児体型のようでありながらも、見ようによってはかっぷくのいい中年男性を思わせ、余計に年上に見えた。


そしてそいつは初対面のたかしを、明らかに見下していた。


まっちゃんはゆっくりとたかしに近づいてきた。やけににやけた笑いを、その顔に浮かべている。


「おまえが、たーか」


そう言うと、いきなりたかしの持ってた虫かごを鷲づかみにしてひったくった。


「なんや、まだなんにも捕まえとらんやないか、この、あほ!」


そう言ってその虫かごを、たかしの頭越しに放り投げた。


虫かごは木の幹に当たり、そのまま下に落ちた。当たった衝撃でふたがはずれ、それだけ少しはなれた場所に落ち、くるくる転がって止まった。


さとるが怒鳴った。


「こら! なにしよんや、まっちゃん!」


さとるに怒られたまっちゃんの顔に、一瞬動揺の色が浮かんだ。そしてさとるにあごで指示されると、ちょっとふてくされた表情をしながらも素直に虫かごを拾い、たかしの元へ持って来ようとした。すると、さとるが言った。


「まっちゃん、それもや」


まっちゃんは、さっきよりもさらにふてくされた感じで、ふたの落ちているところまで戻って行く。


そしてふたを拾い上げてわざとらしいほどにていねいに虫かごを直すと、たかしのところまで持って来た。


みるからにふてぶてしいまっちゃんも、人一倍気が強くて少々のことでは動じないさとるには、逆らうことができないでいるようだ。


しかしたかしに対しては違っていた。


たかしは最初にまっちゃんを見たときから、とても嫌な予感がしていた。


たかしはどちらかと言うと、いじめられっ子だった。


そのいじめられっ子の本能が、まっちゃんはいじめっ子であると、たかしに告げている。


それはまっちゃんも同様であった。


まっちゃんのいじめっ子の本性が、たかしをみるその目に宿っている。


その目は――おまえはいいカモだ。これからが楽しみだ――と言っていた。


「たーちゃん、ごめんな。こいつ、アホやから。かんべんしてな」


「うん」


「それじゃあ、僕らこのへんでな。たーちゃん、虫取りがんばれよ」


と言いながら、さとるはまっちゃんの腕をひっぱって歩き始めた。


まっちゃんは腕を引かれて素直にさとるについていったが、道を曲がって木々の陰でたかしの姿が見えなくなるまで、しつこく横目でたかしを追っていた。


その顔はずっとにやけていた。


「あんなやつ、二度と会いとうないわ」


たかしは、二人が完全に見えなくなってから口に出してそう言うと、二人とは反対の方向に歩き出した。




たかしはその日、一日中おおむらさきを探して、森の中をさんざん歩き回った。


途中、最初の目標であったキリギリスや、そのほかさまざまな種類の虫をたくさん見たが、たかしは全く興味を示さなかった。


しかし一度も虫取り網を振り下ろす機会がないままに、あたりはだんだん薄暗くなってきた。


それでもなおもしつこくおおむらさきを探したが、そのうち自分の足元もろくに見えなくなってきたのでさすがに不安を感じ、おじさんの家まで帰って行った。


家に帰ったときは夏だと言うのに、あたりはすっかり暗くなっていた。おばさんが家の前で、心配そうに待っていた。


「どうしたん、たーちゃん。もうちょっとでみんなで、あんたを探しにいこうとしてたところだったんよ」


いつもは優しいおじさんにも厳しく注意され、遅い晩御飯を独りで食べた後、たかしの為に用意されている田舎の広い日本間に部屋にぽつんと座っていると、さとるがやって来た。


「おおむらさき、探しよったんか」


「うん」


「まああれは、ここみたいな田舎でも、そう簡単には見つからんけんなあ。でもちょっと前なら簡単に見つかっとったんやけど、最近なんでか急に、あんまり見んようになったわ。なんでやろうな? でも明日もあさってもあるけん、そのうち見つかるわ」


さとるはそう言うと、さっさと自分の部屋へと戻って行った。


たかしは毎週かかさず見ているテレビアニメも見ずに、そのまま黙ってそこに座っていた。




次の日たかしは、朝も早くから虫取り網と虫かごを持って、おじさんの家を出た。


すると庭の出口のところに、まっちゃんが仁王立ちで立っていた。


――なんや、こいつ


その姿はたかしが家から出てくるのを、まだ夜も明けきらぬうちからずっと待っていた、と言う印象を受けた。


そして右手を背中の後ろに回していて、にやにやしながらわかりやす過ぎるほど底意地の悪い目で、たかしを見ている。


後ろに回した右手には、何かを隠し持っているようだ。


たかしは少なからず動揺していたが、それを悟られまいとわざと平気な顔をして、まっちゃんを無視して歩き出した。


するとまっちゃんが、何も言わずにたかしの後をついてきた。




二人とも無言で歩き続けた。


たかしはその間ずっと、背中に異様な気持ち悪さを、感じ続けていた。


時間がいつもよりとてつもなく長く感じられる。


手持ちぶさたの為に時折見る腕時計が、壊れて止まってしまっているかのように思えた。




そうしているうちに、二人は森の入り口付近にさしかかった。その時である。


「おい、たーよ」


まっちゃんが後ろから声をかけてきた。


「なんや」


たかしはわざとゆっくり振り返ると、まっちゃんを真正面から見た。


まっちゃんは薄気味悪いほどにやにけながら、たかしの体にぴったりと自分の体を寄せてき、上からたかしを見下ろしながら、その距離にしては必要以上に大きな声を出した。


「おい、たーよ。おまえ、おおむらさきが好きなんやってなあ」


まっちゃんの口からつばが飛び出し、たかしの顔にふりかった。


たかしが負けまいと大きな声を返す。


「そうや」


まっちゃんが、さらに大きな声で答える。


「なんで好きなんや」


たかしも、もうひとつ大きな声で返事をした。


「きれいやから」


「ふーん、おおむらさきのどこがそんなに、きれいなんや」


「羽や」


たかしがそう言うと、まっちゃんは待ってましたとばかりに、たかしの肩を右手でばんばんと強く叩いた。


「そうかーーっ! 羽かーーっ! 実は俺、たーがおおむらさき好きやって聞いたけん、おまえのために苦労して、昨日一日かけて、一匹捕まえてきてやったんや」


「それ、ほんま」


たかしは思わず、まっちゃんの顔を覗き込んだ。


みるとまっちゃんは、さっきまでの意地悪い笑い顔とうって変わって、本当に楽しそうに笑っている。


たかしもそれにつられて、思わず笑顔になる。


「ほんまにおおむらさき、くれるんか」


「おおっ、おんまや。ほなやるからな、そら」


まっちゃんはそう言うと、背中に回してた右手を前に出し、持っていた何かをたかしの横の地面に無造作に放り投げた。


たかしは地面に落ちたそれを見て、最初は〝それ〟が何であるかがわからなかった。


――見たこともない細長いイモムシ――それがたかしの第一印象だった。


しかしそのまま見続けて、〝それ〟がおおむらさきであることに、気がついた。


ところがそのおおむらさきの羽は、根元からわずかのところで無残にも引きちぎられていた。


「ほら、たーよ。このとおりおおむらさき渡したけんな。ちゃんと可愛がってやるんやで。ほんじゃあな」


まっちゃんはそう言った後、けたけたとばか笑いしながら、その場を去っていった。




たかしは、まっちゃんを見てはいなかった。


ずっと地面を這いずり回るおおむらさきだけを、見ていた。


そのおおむらさきは、地面をせわしなく這い回りながらほんの少し残った羽を、激しく動かしていた。


しかし、根元からわずか数ミリしか残っていない羽では、その大きな体を飛び立たせることは、到底不可能だ。


しかしそれでもそのささくれだった短く小さな羽根を、必死になって、ただひたすらばたつかせていた。


たかしはその様子を、じっと見ていた。


眼が文字通り釘づけとなっていた。


そしてどのくらい〝それ〟を凝視し続けていただろうか。


突然たかしの体の中に、なにかとてつもなく激しいものが、突き上げてきた。


たかしが生まれてから一度も感じたことのない、とても強くて嫌な感覚だった。


胃がむかむかし、頭ががんがんと割れんばかりだ。


その体も、全身が小刻みに震えている。


たかしの顔から粘った汗が吹きだしてきた。


たかしはとても耐え切れなくなり、狂ったように周りを見わたした。


――なんとかしなければ、自分が今にもどうにかなりそうだ。はやくしなければ、はやくなんとかしなければ――。


たかしの眼の端に、半分近く地面に埋まった大きめの石が映った。


たかしは腰をおとしてその石を引きずるように地面から抜くと、両手で抱え上げ、頭の上まで差し上げた。


そして地面を這いずり回るおおむらさきめがけて、思いっきり叩きつけた。


おおむらさきの身体は石の下敷きになり、見えなくなった。


たかしはぜいぜいあえぎ、顔中大汗を流しながら、しばらくその石を見ていた。


そして、突然何かにはじかれたかのように、その場から走り出した。




いつしか涙が溢れ出し、走りながら大きな声で泣いた。


途中で転んでとがった石で足に深い切り傷をつくり、血まみれになった。


その先ではあぜ道を踏み外して田んぼの中に顔から突っ込み、泥だらけになった。


しかしすぐに起き上がり、止まることなく、全速力で走り続けた。


通りすがりの何人かの人が、心配して声をかけてきたが、全く耳に入っていなかった。


農作業をしていた初老の男性がなにか叫びながら驚きの形相で走ってきて、たかしの前に立って自らの体で止めようとしたが、それも強引に振り切って、そのまま泣き叫びながら走り続けた。


それはまるで、何かにとりつかれているかのようだった。


血だらけ泥だらけで泣きながらおじさんの家に帰ってきたたかしを、おばさんがびっくりして、何があったのか何度もしつこくしつこく問いただしてきた。


しかしいくら聞かれても、たかしはただ泣き叫ぶばかりで、何も答えることはなかった。




やがて夏休みが過ぎ、新学期が始まって一週間ぐらい経ったころのことである。


さとるは母親から、たかしが突然いなくなったことを聞いた。


ある朝起きると、たかしの姿が見えなくなっていたそうだ。


近所や学校はもちろん、友人や親類なども当たってみたが、どこにも見当たらないと言う。


さとるも母親から心当たりはないかと聞かれたが、さとるにはまるで思い当たるところがなかった。


そしてそのうちに、家の中から家中の缶詰や買い置きしていたパン、それにいくつかの衣類と下着、さらにはキャンプ用の寝袋がなくなっていることがわかった。


早々に家出と判断され、警察に捜索願いが出された。




一日が過ぎ、さらに一日が過ぎた。


たかしはまだ見つからず、彼の両親で特に母親のほうは、半狂乱になっていると言う。


さとるもさとるなりに心配はしていたが、かといってどうすることもできず、ただ普段どおりの毎日を繰り返すだけだった。




やがて、たかしがいなくなって半月も経ったある日曜日の朝のことである。


さとるはなぜか急に、いつもよりかなり早い時間に目が覚めた。


一旦寝ると、誰かに叩き起こされでもしない限り起きることのないさとるにしては、とても珍しいことだ。


とりあえずもう一度眠ろうとしたが、なんだか妙な胸騒ぎがして、全然眠れない。


さとるはしかたなく布団からはいずりでて、寝間着を着替えると家の外に出て、そのあたりをぶらぶら歩き始めた。




どこに行くと言ったわけでもなく、あてもなくうろうろしていると、やがて朝日が昇りはじめた。


しかし厚い雲があたりを覆ってたために、あたりは薄暗かった。




さとるがそのまま歩き続けていると、いつの間にか森の近くまで来ていた。


その時さとるは、誰かが自分を呼んでいるような気がした。


そして再び強い胸騒ぎがしていたたまれなくなり、自分でもよく訳がわからないままに、森へと走り出していた。




さとるは森と続く小道にたどり着くと、森を見わたした。


そしてしばらく森を眺めた後再び歩き出すと、そのままどんどん森の奥へと入って行った。


そしてかなり歩いたと思われるころ、ふと何かを、最初感じたのとは違う強い何かを感じて立ち止まり、そのままそこで待った。


何を待っているのかは、自分でもよくわからない。


しかし、何かがここに来ることを、はっきりと感じとっていた。


それは強い確信だった。


さとるはただひたすら待ち続けた。




いったいどれほど待っていただろうか。


ずいぶん時間が経ったと思われたころ、突然空を覆ってた厚い雲が左右に分かれ、森に太陽が差し込んできた。


何本もの光の帯が、森にたちこめる朝露を反射してきらきらと輝きながら、木々の間を通って地面にまでとどいている。


さとるがそのままその景色を見ていると、何かが森の奥からこっちに向かって飛んで来るのが、見えた。


――ちょうちょ?


やがてさとるは、それがおおむらさきであることに、気がついた。


そのおおむらさきは、森に差し込む光の帯を一本一本横切りながら、さとるのほうに向かって飛んできた。


そして、さとるのところまでやって来ると、さとるの体の周りをゆっくりと、ゆっくりと一周した。


そして再び光の帯を横切りながら、もといた森の奥へと帰っていき、やがてその姿を消した。




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