第39話 非現実の空間

「うわぁぁ……っ!」

 目の前には、白亜の宮殿が広がっていた。美しい白壁は夕陽に照らされ、ゆらゆらと揺れる波を見下ろしている。丸いドーム型の屋根は澄んだ青色で、白と青のコントラストが美しい。

 そして何より、山の頂上付近のこの場所から見える景色は絶景だ。山の深い緑、きらめく青い海、夕暮れに染まる茜色の空。白亜の壁が淡く茜色に色づいている様も、目を楽しませてくれる。

「お気に召しましたか、お姫様」

 隣では、愛しい人が微笑んでいる。こんな場所で、こんな風に声をかけられたら、自分が本当にお姫様のような気になってしまうではないか。

「うん。こんな素敵な場所に正義さんと来られて、本当に嬉しい……どうしよう、私、幸せ過ぎる……うぅ」

「おいおい、泣くなよ。まだ来たばかりだぞ」

 鬼島と美しい景色を一緒に見られた。それだけで、私の心は満たされて、思わず涙が溢れてしまった。せっかくの景色も、大好きな人の顔も、涙で滲んでよく見えない。

 泣き虫だなぁ、そう笑いながら、鬼島が優しく涙を拭ってくれる。



「鬼島様、ようこそお越しくださいました」

 と、笑顔で迎え入れてくれたのは、黒のスーツを着た従業員。

『茉里と一緒に来たかったんだ』

 そう言って、鬼島は私を連れてきてくれた。

 ここは、ギリシャの宮殿をモチーフにした、リゾートホテル。現実を忘れられる非現実の癒しの空間が売りだ。オーナーのこだわりが強く、各部屋すべて造りが違っている。そのため、10部屋しかないのでなかなか予約が取れないとテレビで見たことがある。それなのに、鬼島はしっかり予約していたらしい。

 一体いつから計画していたのだろう。

 さらりとチェックインを済ませる鬼島の隣で、私は不思議に思う。

 木彫りのイルカ付きの鍵をもらい、鬼島と部屋へ向かう。部屋への道にも、ギリシャ風の置物や絵画、花瓶などの調度品が置かれていて、視線がくるくると踊る。

「ふっ、夕食の後でゆっくりホテルの探検しような」

 ポン、と頭に手を置かれ、視線は鬼島に落ち着いた。そして、頬が熱くなる。非日常的な空間にいるからだろうか。切れ長の目や、すっと通った鼻筋、最近見慣れ始めたはずの鬼島の美しい顔に見惚れてしまう。いつも以上に、鬼島の言動にドキドキしてしまって、なんだか恥ずかしい。鬼島はいつも通り、余裕綽々なのに。


 ドーム型の屋根と同じ、青いドアを開けると真っ白い壁に包まれた落ち着いた空間が広がっていた。奥にはダブルベッド、その手前にソファとテーブル、大型のテレビがある。そして蛇口付きのカウンターテーブルにはポットとウェルカムドリンクがあった。

 ギリシャ風の絵画や小さな彫刻も飾ってあり、お洒落で、綺麗な部屋だ。こんな素敵な部屋で、愛しい人とゆっくり過ごせるなんて夢のようだ。

 私は感動で、言葉を失う。

「茉里?」

「……うう、今でもどうしようもなく好きなのに……もっと好きになっちゃうじゃないですか!」

 もう、と鬼島を見上げると満面の笑みが返ってきた。こんなに鬼島が笑ってくれるのは珍しい。私だけじゃなくて、鬼島も浮かれてくれているんだろうか。

「あぁ。俺が茉里を想うぐらい、どんどん好きになって欲しいな」

 ちゅ、と軽くキスが落ちてくる。いつもは受け入れるだけのそれが、なんだか物足りなく感じて、私は自分から再び唇を近づけた。優しく受け止めてくれた愛しいぬくもりは、次第に熱くなっていく。

 もっと、といつもはねだらないキスを知らないうちにねだってしまい、いつのまにかキスに夢中になっていた。離れたのは、鬼島が先だった。

「……これ以上してたら、止まらなくなりそうだ。でも、ディナーの前に茉里を堪能するのも悪くないか」

「せ、せっかくなので、ディナーを楽しみましょう!!」

 真面目な顔で鬼島が見つめてくるので、私は羞恥を振り払うように言った。

「そうだな。可愛い恋人は後でじっくり味わいたいしな」

「うう」

 そんなことを間近で、しかも良い声で言わないで欲しい。心臓がもたない。

「こら、そんな可愛い顔してたら、今すぐ襲いたくなるだろ」

「か、可愛くないよ……」

「そうだな、めちゃくちゃ可愛い、の間違いだった」

 その上、とんでもなく甘い。いつも大事にしてくれてるなぁとは思うが、甘すぎやしないか。下僕だった時みたいに、少しぐらい罵倒してくれてもいいのに。なんて思うが、今思えばあの時だって鬼島は私のことを気遣ってくれていた。

「正義さん、本当にありがとう。大好き」

「だから、そんな可愛い顔して可愛いこと言うな。我慢できなくなるだろ」

 お仕置きだ、なんて言って鬼島は私の両頬をゆるくつまむ。

「ふっ、本当に茉里は可愛いな」

 むにゅーっと頬を伸ばされた状態で可愛いなんて言われても、ちっとも説得力がない。絶対面白がってる。

 反抗的な目で鬼島を睨むと、笑いながら手を離す。そして、その手は私の手を取って、優しく繋がれる。


 周囲にピンク色の空気を漂わせつつ、バカップルはいちゃいちゃしながらディナーを予約しているホテルのレストランへと向かった。

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