第38話 出世払い


 涙ぐましいはぐっきーの勇姿を目に焼き付けて、私たちはショッピングモール内の物色を始めた。

 休日だけあって、店内はかなり混雑している。自然に繋がれた手に、私は内心どきどきしながらも、ぎゅっと握り返す。見上げると、少しだけ鬼島の表情が緩んだように見えた。


「茉里、何か見たいものはあるか?」

 見たいもの、と言われても、すぐには思いつかない。うぅん、と考えて、はっと思いついたものは。

「あ、本屋さん行きたい! 今持ってる民法に関する判例集すごく見やすかったから、同じシリーズで揃えたいなぁ……って、デートなのに参考書って駄目だよね」

 実務修習へ行く前に、再度持っている参考書を見直していて、新しく色々と本が欲しいと思っていた。それを今この時に思い出してしまうなんて、初デートのムードぶち壊しではないか。後半は尻つぼみになりつつ、私は鬼島の顔を伺った。にやけている。なんだかとても楽しそうに。

「いや、いいよ。茉里らしくて。茉里の行きたいところなら、どこへでもついて行くから、遠慮せずに言うんだぞ」

 可愛くない彼女だと思われていたらどうしよう、なんて不安になったが、鬼島が楽しそうで何よりだ。

 たどりついた本屋はかなり広かった。六階のフロアの四分の一くらいが本屋となっており、雑誌やコミック、文庫本コーナーから専門書のコーナーまで充実している。文房具や雑貨のコーナーもあり、本屋内も多くの人で賑わっていた。

 広い店内で法学コーナーを探しながら、棚に並べられた本を流し見る。その中で、恋愛や結婚を扱った自己啓発本が目に入り、内心どきっとした。

『男性が結婚したいと思う女性になるための十か条~永遠の愛を誓わせるには~』というタイトルから目が離せない。中身が非常に気になる。その十か条が自分に当てはまっているのか、ものすごく気になる。

 一瞬ぎこちなく動きを止めた私に気付き、鬼島も私の視線を追う。駄目だ。このままでは何を見ていたのかバレる。そう思い、私は慌てて鬼島の手を引いた。

「あ、法学コーナーあっちだよ!」

「? 何か気になる本があったんじゃないのか?」

「ぜんっぜん! 大丈夫だから、早く行こう!」

「怪しいな。何を慌ててるんだ?」

「ん~、もうっ! なんでもないから!」

 怪しむ鬼島を無理矢理引っ張り、私は法学コーナーへ脇目もふらずに進んで行った。

(だって……。付き合ってすぐなのに結婚を考えてるなんて知られたら、絶対重い女だって思われる!)

 このままずっと、鬼島と一緒にいたい。その想いは鬼島も同じだと信じている。しかし、この先何があるかわからない。別れる可能性だって十分にある。いや、その可能性の方が高いかもしれない。今はよくても、そのうち私のことが面倒になるかもしれない。それに、実務修習がはじまれば鬼島と顔を合わせる機会はぐっと減る。こんな風に触れ合ったり、冗談を言うこともたまにしかできなくなるのだ。

 会えなくても、鬼島の気持ちは変わらないだろうか。私の気持ちは変わらないだろうか。私はあの両親の娘だ。母のように、父のようにならないとも限らない。鬼島のことをちゃんと幸せにできるだろうか。鬼島と一緒に本当に幸せになれるだろうか。

 最近は、実務修習への不安もあって、こんなことばかり考えてしまう。


「茉里? 大丈夫か?」

 いつの間にか自分の思考に沈んでいた私の目の前に、鬼島の整った顔が現れる。何度見ても、見惚れてしまうほどに綺麗な顔だ。

「茉里?」

「……あっ、うん、大丈夫だよ」

 今はちゃんと鬼島が側にいて、手もつなげて、話もできて、一緒にいられるのに、また不安に引きずり込まれていた。せっかくの初デートなのに、不安ばかりで落ち込んでいたらもったいない。私は顔をあげて、精一杯の笑顔を見せる。

 しかし、鬼島は心配そうに私の顔を覗き込む。

「何かあるんじゃないのか?」

「……うん、あの、どれがいいかなって。いっぱいあるから、迷っちゃって。正義さんのおすすめの本とかある?」

 勘のいい鬼島のことだから、すぐに私の嘘なんてバレている。しかし、それ以上の追求はせずに真面目に本選びに付き合ってくれた。

 実際に実務家として働いている鬼島から教えてもらう本は興味深くて、私はすぐに参考書の方に夢中になっていた。



 一時間以上を本選びに費やし、結局買ったのは2冊。しかも、鬼島が買ってくれた。自分で払おうとしたのに、素敵な笑顔でまたもや止められてしまった。

「茉里の喜ぶ顔が見たいからな」

 普段はSっ気全快で私のことをからかったりするのに、こういうところで私のことを甘やかすのだ。

「ほら、財布しまえ」

「でも、私の本だし!」

「だったら、出世払いな。この本読んで、一発で合格して立派な裁判官になってくれ」

 鬼島はずるい。こんな言い方をされたら、頑張らない訳にはいかないではないか。

「分かった。絶対合格して、裁判官になる。それで、正義さんにこれでもかっていうぐらい色々とお返ししてあげる」

「ふっ、期待してるぞ」

 ぽん、と優しく頭に置かれた鬼島の手。あたたかくて私を包み込んでくれる大好きな手。そんな手に頭を撫でられたら、自然と頬が緩んでしまう。

「茉里」

「ん?」

「面白いくらいニヤけてる」

「だ、誰のせいだと思ってるの!」

「俺のせいか? そうか、そうだよな。茉里は俺のことが大好きだからなぁ」

 かあっと顔が真っ赤になった。そして、その反応を鬼島は完全に楽しんでいる。でも、こんな馬鹿みたいなじゃれ合いが、幸せでたまらない。


(バカップル万歳!)


 と、心の中で叫んでみる。

 本気で、鬼島が好きだ。周りの目なんて、もう気にしない。大好きな人と一緒にいるんだから、バカになって何が悪い。私は開き直って、全力で恋愛バカになることにした。

 だって、今ある幸せを今楽しまないなんてそれこそバカのすることだ。

 私はぎゅうっと鬼島の腕にしがみつく。

「正義さん、大好き」

 決意とは裏腹に小声になったその言葉に、鬼島は抱擁を返してくれた。通路の端とはいえ、人の目はある。そんな中で、鬼島が抱きしめてくれたのがうれしかった。しかしそれは一瞬のことで、私が恥ずかしさに耐えきれずに離れてしまった。

「積極的に攻めてくれるのかと思ったのになぁ?」

「や、やっぱりここでは無理だよ」

「ここじゃなければいいのか?」

「…………う、うん?」

「それは楽しみだな。俺のこともどろどろに甘やかしてくれるらしいしな」

 にやり、と口を歪ませて、有無を言わせない鬼島の視線に囚われる。

「それじゃあ、次は俺の行きたいところに行こうか」

 そう言って、鬼島はまるで王子様がお姫様をエスコートするように丁寧に、私の手を優しく引いた。

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