第36話 バカップル

 相変わらず静かな車内。私はソワソワしながら、隣で運転する鬼島を見つめた。正面から見る鬼島もかっこいいが、横顔となるとすっと通ったきれいな鼻のラインがよく分かる。それに、鬼島は当然ながら前を見ている訳で、目が合ってどぎまぎすることもない。運転中は、私が存分に鬼島に見惚れられる時間なのだ。

じーっと見つめて、かっこいいなぁと思う度に「はうぅ幸せーっ!」なんて思っていたら、鬼島が急に吹き出した。

「ふっ、見過ぎだろ」

「え、気になります??」

「当たり前だ。視界に入ってくるんだよ、茉里が一人で百面相してるのが」

「ひゃ、百面相なんてしてません!!!」

「いや、してた。ぼーっとしたり、ハッとしたり、口元むにゅむにゅして……可愛過ぎだ」

 鬼島が腕を伸ばしてきて、私の頬に触れた。大きな鬼島の手のひらに、私の頬はすっぽりと収まってしまう。そして、私は完全に照れて言葉を失っていた。すぐに離れるのかと思いきや、飼い猫をあやすようにずっと私に触れてくる。さすがにこれは心臓がもたない!と私は声を出す。

「……ちゃ、ちゃんと運転しなきゃ危ない、ですよ」

 そう。なんといっても鬼島は運転中なのだ。片手運転を続けるのは危ない。私の言葉は正論だ。

「そうだな。まぁ、今日一日中ずっと茉里には触り放題だろうし、今は我慢するか」

 触り放題、という言葉に顔を赤くする私にくすりと笑って、鬼島の手は離れていった。自分から言ったはずなのに、私は離れていく手を思わず追いかけていた。

「あ。ごめんなさい」

 自分の行動が恥ずかしくて、慌てて手を離そうとしたが、鬼島の手に捕まえられてしまった。ぎゅっと手を包み込まれて、私はもう逃げる気をなくした。大人しく、手を握られる。時々、私からもぎゅっと力を入れてみたりする。二人で手を握り合って、じゃれ合うのがどうしようもなく幸せだ。


 結局、いちゃいちゃしながら車に乗っていると、あっという間にドライブは終わってしまった。

 たどり着いたのは、最近できた大型ショッピングモール。有名なファッションブランドの店や飲食店など30店舗以上あり、広い映画館もある。鬼島がデートでこんな人の多い、どちらかというとごちゃごちゃしている場所に来るとは驚きだった。

「正義さん、けっこう買い物好きなんですか?」

「いや、そうでもない。今日は買い物に来た訳ではないしな」

「え? ショッピングモールなのに?」

 私は思わず心のままに突っ込んでいた。

「あぁ」

 じゃあ何をしに来たんだろう、と疑問に思う私の手を引いて、鬼島はすらりと長い脚で歩いていく。もちろん、私の歩くスピードに合わせて。

「お腹空いてるか?」

 時間はもう12時前。言われてみれば、お腹は空いている。空腹を意識した途端、お腹がぎゅるる、となんとも恥ずかしい音を奏でた。

「はは、茉里は腹の虫まで可愛いなぁ」

 鬼島に笑われ、私はますます恥ずかしくなる。でも、私を見つめるその瞳も、その声もあまりに優しくて、本当に自分は鬼島に愛されてるんだなぁと感じられた。

(うぅ、どうしてこんなに甘いの!!)

 ドSモードとの差が激しすぎて、私の頭も心もついていけない。でも、こっちが恥ずかしくなるぐらい甘い台詞を言われるのは、嫌ではない。むしろ嬉しい。けれど、素直に私もデレデレできるかといえばもちろんそうではない。何も考えずにただただ思うままに鬼島に甘えられたらいいのに。

 私が鬼島の彼女として素直に甘えてもいいのか、心のどこかで不安になってしまうのだ。私のようなやっかいな女を彼女にしなくても、鬼島にはもっと相応しい素敵な女性がいるはずなのに。でも、鬼島が別の女性といるところを想像しただけで嫌になる。

(私って、本当に自分勝手だなぁ……)

 他に誰かいたとしても、やっぱり鬼島のことは譲れない、と再認識してしまった。ずっと一緒にいたい人なのだ。だって、私の全部を受け入れてくれるのはきっと、この人しかいないって思うから。

 私が鬼島をじっと見上げていると、鬼島は優しく微笑んだ。

「茉里、何が食べたい?」

「……あ、えっと、なんでもいいです!!」

「じゃあ、適当に歩いて良さそうな店があったら入ろう」

「うん」

 手を繋いで、二人でレストラン街を歩く。和食に中華にイタリアン、フレンチにインド料理、お洒落なカフェもある。どれにしようか迷いに迷って、結局は和食に落ち着いた。やはり日本人。迷った時には白米が魅力的に感じてしまうのだ。



「ごちそうさまでした」

 から揚げ定食をぺろりとたいらげ、お腹いっぱいになった私は、幸せ気分で両手を合わせる。

「本当に幸せそうに食べるよなぁ、茉里は」

 そんな私を、鬼島がこれまた甘い顔で見つめる。そのせいで、いっきに私の顔は真っ赤になった。

「デザートはいいのか?」

「いえ、大丈夫です!」

「そうか。じゃあまた時間を置いてカフェにでも入ろうか」

 甘いものが好きなので、その提案は純粋にうれしかった。しかし、鬼島の口からカフェという単語が出てくるなんて、と私は知らずくすりと笑っていた。

「何がおかしい?」

「いえ、なんでもないです」

「…………なぁ、茉里」

 急に真面目な顔をして名を呼ばれ、私は本気で怒らせてしまったのだろうかと不安になる。


「そろそろ、敬語はやめないか? 茉里、俺には遠慮しないで、何でも言っていいんだ。全部、俺が受け止めるから」

 あぁ……と別荘にいた時に、敬語をやめてほしいと言われていたことを思い出す。

 たしかに、恋人同士なのに、敬語というのは距離を感じてしまうものだ。しかし、長年色々と複雑な想いを抱え、今現在は教官でもある鬼島に対して、恋人になったからとすぐに敬語をとれるほど私は変化に慣れていなかった。そんな私を知っているから、今までは名前の呼び方を変えるだけで許してくれていたのだ。恋人に敬語で話されて、どんな気持ちだっただろう。それでもなお、うまく愛情表現をすることもできない私を心配してくれる優しい人だ。


(私、正義さんに甘えてばかりだった)


 自分が彼女でいいのか、とか不安に思うばかりじゃなくて、自分が鬼島にふさわしくあれるように努力するべきだったのだ。それこそ、志野が言うように自分磨きとか女のモテテクとかそういうものを使って、私から鬼島に愛情表現するべきだったのだ。それをせずに、鬼島から与えられるまま、私は甘えてしまっていた。

 恋人同士なんて、所詮は他人だ。互いの努力がなければ簡単にその心は離れてしまうものなのだ。血のつながった家族でさえ、簡単に壊れるのだから、恋人なんて、もっと脆いに決まっている。だからこそ、みんな必死で愛を伝え合うのだろう。この心はあなたのものだと、言葉や触れ合いで伝えるのだ。


「ごめんなさい、私、ずっと正義さんに甘えてばかりだった。もっと、私もいっぱい頑張るから、ずっと……側にいてほしい」


 涙目になって頭を下げた私に、鬼島は少し困ったような笑みをこぼした。


「あぁ、俺はずっと茉里の側にいる。だから、あんまり頑張りすぎるなよ。俺のために無理をする必要はない。今の茉里を俺は愛してるんだから」


「ありがとう。私、本当に正義さんのこと、大好きだよ」


 こんな風に、素直に気持ちを伝えたのは初めてかもしれない。いつもは恥ずかしがって言えないのに、鬼島の想いがうれしくて、愛しいという想いが胸にあふれてきて、するりと口から出てきていた。


「茉里、なんでこんなに可愛いんだろうな。ここが人前じゃなかったら、押し倒してた」

「……か、かわいくないよっ」

「いや、可愛い。世界で一番、茉里が可愛いと俺は本気で思ってる」

「もう、そうやって私を甘やかさないで」

「それは無理な話だな。俺は、茉里をどろどろに甘やかしたくてたまらないんだ」

 鬼島が真顔でそんな台詞を吐くものだから、なんだか私はおかしくなってふき出した。

「ふふ、じゃあ私もどろっどろに正義さんを甘やかそうかな」

「何をしてくれるのか楽しみだな」

 鬼島が幸せそうに笑う。そして、ふと時計を見て、立ち上がった。

「さて、そろそろ出るか。茉里と行きたいところがあるんだ。今日はそのためにここに来たしな」

「は、はい!」

 行きたいところとは、どこだろう。そういえば、ここには買い物に来た訳ではないと言っていた。

 さっさとお会計を済ませてしまっている鬼島に、私はあわてて自分の分の代金を手渡そうとする。しかし、予想していた通り鬼島は受け取ってくれなかった。「茉里のおいしそうに食べる顔が見れたから、それだけで十分だ」なんて言って、私の手に持っていたお金を財布に戻す。

「でも……っ!」

「いいんだよ。俺が茉里にしたくてしてることなんだから。茉里はお金のことなんて気にするな」

「えぇ~、そんなの。やっぱり私ばっかり甘やかされてる」

「お金よりも、俺は茉里にしてほしいことが山ほどあるぞ」

「それは何っ!? 私、何でもするよ!」

 あんまりにも自分ばかりが幸せを味わっているので、鬼島のために何かできるのなら、と私は鬼島に食いついた。


「茉里は、俺の側でずっと笑っていてくれ。茉里の笑顔が見られたら、俺はそれだけで幸せだ」


 思っていた以上に、鬼島が私にデレデレだった。これはかなり重症だ。鬼教官しか知らないクラスの面々が今の鬼島の顔をみたら、きっと卒倒する。

 これは、私がしっかりしていなければ、本当にぐずぐずのどろどろに甘やかされてしまう。でも、やっぱりそれはすごく幸せで、嬉しい。思わずにやけてしまうのも仕方がないだろう。これぐらいは許してほしい。

(もう、こうなったらバカップル上等だーっ!)

 私は心の中で叫んで、鬼島の右腕に自分の腕を絡ませる。大好きという気持ちが伝わるように、ぎゅっと鬼島の腕にしがみつけば、なんとも愛おしそうに私を見つめる瞳と目が合った。

「茉里、愛してる」

 耳元で低く囁く声に、私は腰が抜けそうになった。良い声すぎて、もう堪らない。

 頬が緩みまくった私を連れて、鬼島は歩いていく。

 鬼島は、どこに私を連れて行ってくれるのだろうか。

 どこでも、鬼島と一緒なら幸せだ。 

  

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