第31話 あなたに出会えたから
「もう! 私を玩具にするのはやめてください」
むっとして、鬼島を見上げると、意外そうな顔をされた。
「なんでだ? 茉里は俺の大切な下僕だろ」
「え、いや……でも、今は彼女じゃないですか……⁉」
「いちいち反応が可愛いんだよな、茉里は」
そう言って、鬼島は必死で訴えようとする私に軽いキスを落とした。こうやってまた、私の意識を奪っていく。
「それに、本気で嫌がってないだろ?」
「……っ」
「俺はな、茉里にずっと嫌われてると思ってたから、こうやってじゃれ合えることが嬉しいんだ」
ふいに真剣な表情で見つめられて、私は言葉を失った。
「あの時、俺が言ったこと、覚えてるか?」
私はこくりと頷いた。
あの時、とは私がはじめて鬼島に出会った、あの絶望の過去。
『君は、何を信じる?』
母を失い、何もかもを失った気でいた私に、問うた鬼島の言葉。
『この世界を変えることは難しい。でも、自分を変えることならできるかもしれない。俺は、これから変わる。だから、君も変われる。俺を信じろ』
この、残酷で、冷たい現実世界を生きていくために。信じるものを見つけて、変化を受け入れること。
「忘れたことはありません。正義さんのおかげで、今の私がありますから」
母を失って、もう自分の中には何もなくなった。それでも生きてこられたのは、鬼島の言葉があったから。
信じろ、と言われたから信じたのではない。鬼島の覚悟が本物なのだと感じられたから。だから、鬼島の背を追いかけてきた。
「俺も、茉里に出会ったからこそ、今の自分がいる」
と、鬼島は少し自嘲気味に笑う。
「茉里に出会うまで、俺は裁判官の仕事をただの義務だとしか思っていなかった。心を動かしたこともなければ、裁判に関わる人間の心なんて考えたこともなかった」
鬼島の告白に、私は一瞬耳を疑った。
あんなにも親身になって、国民すべてを大切に想っているような、立派な鬼島が、人の心を考えたことがないなんて。
「家族全員が国家公務員で、小さい時から英才教育だなんだと知識ばかり詰め込まれて、心なんてものを学ぶ余裕がなかったんだ。父はほとんど家にいなかったし、母も似たようなもんだ。家族の会話なんてろくにしたこともなく、聞かれるのは成績のことだけ。兄はそんな家族に嫌気がさして出て行ったが、俺は逆らうことも面倒で、父に言われるがままに法律家になった」
淡々と語られる鬼島の過去に、私はすぐには頭が追いつかなかった。とにかく、エリート一家だったのだということだけは分かった。それも、とても冷たくて、自分自身の感情さえも置いてけぼりになるような……。
「だから、裁判官になってからも、義務的にしかみていなかった。本当に困っている人間をみても、俺にとってはただの判断材料で、裁判の資料に過ぎなかったんだ。今思えば、本当に最低な人間だな」
「……そんなこと、言わないでください! どんな過去があっても、私は今の正義さんが好きです」
「ありがとう。……あの時、茉里の担当になっていなかったら、俺はそんな冷たい人間のままだった。自分の家族だって、俺にとっては血の繋がりがある他人でしかなかった」
鬼島は、あたたかく、優しい家族を知らずに育ったのだ。その点、私は一時でも優しい家庭というものを知っている。たとえすべてを失ったとしても、幸せだった記憶は残っている。悲しみと共に思い出す記憶であっても、私にとっては大切な宝物だ。
しかし、鬼島は無機質な機械のようにただ知識を詰め込まれ、家族の愛情も知らぬままに大人になった。
「茉里は、母親を必死で求めて、守ろうとしてたよな。茉里のそんな姿を見て初めて、俺の心は揺さぶられたんだ。俺にはない守るものを持つ茉里を、本気で守りたいと思った。裁判官としても、人間としても……」
その言葉通り、鬼島は私と母のために色々と考えてくれた。話し合いの場も、何度もつくろうとしてくれた。鬼島のことを母から引き離す敵だと思っていた私は、聞く耳を持たなかったけれど。
それでも、母を失ったあの日、鬼島は私を抱きしめて、前に進む言葉をくれた。
「えぇ。あの時も今も、十分、守ってもらってます。正義さんのおかげで、私、すごく幸せですよ」
あの時は見えなかった鬼島の心が、今なら見える。私に前を向く強さを与えてくれたあの言葉は、鬼島にとっても大きな変化だったのだ。私が、鬼島に出会って変わったように、鬼島も、私に出会って変わった。
そして、そんな二人が再び出会い、恋に落ちた。
(運命の出会い、だったのかな……)
そうだと嬉しい。鬼島が運命の相手で、一生自分を愛してくれたなら、どんなことでも乗り越えていけそうだ。
「俺も、茉里のおけげで幸せだ。きっと、俺たちが再会するのは運命だったんだな」
私と同じことを鬼島も思ってくれていた。そのことが嬉しいのと、鬼教官が運命だなんておかしくて、私はくすりと笑みを零した。
「茉里、何がおかしい?」
「いえ、えと、嬉しくて……?」
「なんで疑問形なんだ。素直に嬉しいと言えよ。恥ずかしいだろ」
鬼島の顔が赤い。照れている鬼島が、なんだか可愛い。
「え、何が恥ずかしいんですか? あ、もしかして『運命』って言ったことですか」
ふふふ、と私は珍しく鬼島をいじってみる。やり返されるかな、とも思っていたが、よっぽど運命発言が恥ずかしかったのか、鬼島は羞恥に言葉を失っている。
「……でも、私も運命感じてますよ。運命の神様に感謝ですね。今、正義さんと一緒にいられる幸せをありがとうございますって!」
普段がいじられる側なので、やはりいじるのは慣れない。早々にいじるのを止めて、素直に私も運命を感じたと暴露したのだが。その直後に、私の視界は真っ暗になった。ぎゅうっと鬼島に抱きしめられ、私はなす術もなく身を預ける。
「愛してる。この先もずっと、俺の運命の相手は茉里だけだ」
まるで、プロポーズのような言葉。それも、ついさっきまであんなに恥ずかしがっていたのに、女の子なら誰もが憧れるような甘い台詞で。
実は、けっこう鬼島はキザでロマンチストなのかもしれない、と私は密かに思う。そんな鬼島もやっぱり大好きなので、私は本当に幸せ者だ。
そして、私にとっての運命の相手も、鬼島以外には考えられない。
「私も。正義さんだけです」
そう言った私の唇に、鬼島の唇が重なった。
優しくて、甘いキス。離れがたくて、何度も何度も唇を合わせる。
(正義さんと二人で、この先もずっと幸せでいたい……)
願いがひとつに溶け合うように、二人は互いの熱を重ね合わせた。
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