第27話 配属先の希望
先日、実務修習に向けて、司法試験のおさらいもかねた模擬試験が行われた。
私も、鬼島からの愛のムチを受けつつ、勉強を頑張ったため、結果はまあ合格ラインだ。
「実習の希望、決まりました?」
ふわりと甘い香りがしたかと思うと、志野が目の前で笑っていた。机の上の真っ白な紙から顔を上げ、私は志野に笑みを返す。
「実は、まだ……。志野ちゃんは決まった?」
あの女子会後、他人行儀な呼び方は嫌だと志野がごねたため、私は彼女を『志野ちゃん』と呼ぶことにした。
「私はさっき、もう出してきました」
「そっか、早いね」
今日は、実務修習を行う実習先の希望を出すことになっていた。この希望を元に、教官たちが配属先を決める。実務修習の舞台は、全国の裁判所、検察庁、弁護士会だ。
この実務修習の希望について、何度か鬼島に相談しようかとも思ったが、これは自分自身の問題だ。自分の頭で考えて、答えを出さなければならないと思う。
全国各地に散らばる裁判所の中で、今の自分に必要なことを教えてもらえる場所。
私は自身の境遇からも、児童虐待分野で活躍していきたいと思っている。しかし、公平な立場であらねばならない裁判官が、偏った認識ではいけないだろう。だから、自分の興味がない分野や苦手な分野について学ぶべきかもしれないとも思うのだ。
私がグルグル悩んでいる間に、志野はもう希望を出してきたらしい。志野は、目の前の道をはっきり見据えているのだろう。
すごい、と思う。
しかし、次に志野に感心していた私の耳に聞こえてきたのは、とんでもない理由だった。
「私は、この修習所では巡り会えなかったイケメン実務家と、実習先で出会うつもりなんです!」
「え、もしかして……専門分野で決めたっていうより?」
「はいっ! 独身男性が多くて、生活もしやすそうな場所を希望しました!」
はっきりきっぱり言い切ったその答えに、ガクっと肩が落ちる。だが、相も変わらず結婚相手を探す姿勢は、いっそ清々しい。
「茉里さん、あんまり難しく考える必要はないと思いますよ! 郷に入っては郷に従えと言いますし? どこに行っても、それぞれのやり方があるんですから、はじめからがちがちに固定概念を持たない方がいいですよ~」
それにしても、志野の理由は軽すぎないか。と思う私だが、それはそれでいいのかもしれない。どこに配属になっても、学ぶことはあるのだ。そう思えば、少しは私の気も楽になった。深く、無駄に悩み過ぎていたのかもしれない。
「ありがとう、志野ちゃん!」
私は志野の手をぎゅっと握った。
「いえいえ~! でも実務修習はじまったら一年間も会えなくなるんですね」
しゅん、と項垂れた志野の言葉に、私もまたはっとした。配属先について悩み過ぎて、実務修習の間ここから離れるということを忘れていた。
「……そっか、そうだった。寂しくなるね」
実務修習は一年間。その間、ここにいる修習生の皆とは離ればなれだ。
同じ配属先になることもあるが、志野と高岡と私は目指すものが違う。絶対に一緒にはなれない。
それに、教官である鬼島とも、一年間会えないことになる。
(せっかく恋人になれたのに、もう遠距離なんてっ!)
鬼島との交際期間はまだ一週間しか経っていない。
しかも、修習所以外で二人きりで会えたのは一日だけだ。私は課題があって、鬼島は採点やら抱えている案件やらで忙しく、ゆっくりできる暇などなかった。
側にいながらもすれ違いが生じるのに、遠距離なんて絶対に続かない。
そもそも、鬼島は私に対して甘い言葉を囁く割に、自分からは滅多に連絡をしてこない。少しは鬼島のものになったという証しが欲しかったりするのに、束縛もなければ恋人として夜の営みもない。私の身体に魅力がないのだろうか、と考えもしたが、自分を磨く前にやることが多すぎて何もできていない。それに、鬼島とゆっくり過ごす夜などあの告白の夜しかなかった。
(あの時だって、キスだけだったし……!)
私の身体がどれだけ熱くなっていたか、分かっていたはずなのに、鬼島は手を出さずに私の意識を勉強に向けた。まだ、鬼島にとっては私はやはり子どものままなのだろうか。
「茉里さん? 話聞いてます?」
ついさっきまでは配属先について悩んでいたはずなのに、いつの間にか鬼島のことばかりを考えていた。志野の声に顔を上げ、私は苦笑する。
「ごめん、何だっけ?」
「だから、実務修習の前にまた女子会しましょうねっていう話です!」
少しぷいっと頬を膨らませて、志野が言う。
その内容に、私の顔はぱあっと明るくなる。
「女子会、やりたいっ!」
「決まりですね。高岡さんには先に聞いて了承済みです!」
そう言って、志野はグッと親指を立てた。
(そういえば、二人にまだ鬼島さんとのこと話してなかったなあ……)
女子会で、二人に鬼島のことを話したらどんな反応をするだろうか。
自分が恋バナをする日がくるなんて、想像もしていなかった。それを言えば、憧れの鬼島が恋人だなんて、未だに信じられない。修習所で鬼教官だと言われる彼を見る度、私の夢ではないかと思う。私ばかりが、鬼島を意識している気がする。
それでも、鬼島がくれたキスの感触は、夢だというには激し過ぎて、幻だと思うには熱すぎた。あの時の鬼島の口づけが、夢幻ではなく現実なのだと信じさせてくれる。
それでも、また触れて欲しい。鬼島のぬくもりを感じたい。ずっと、鬼島の側にいて、激しくも穏やかな愛に包まれたい。
(私、いつの間にこんなに欲張りになっちゃったんだろ)
鬼島への想いが膨らんでいくのを感じながら、私は熱くなる頬を抑えた。
「あ~! 茉里さん、今何考えてたんですか~? 口元緩んでますよ」
「えっ、そ、そうかな」
「ま、そんな可愛い顔してたら、誰の事考えてるかすぐ分かっちゃいますけどねぇ。また、じっくり女子会で話聞かせてくださいよ」
志野にはすべて丸わかりのようだった。
私は気恥ずかしさを感じながらも、こくりと頷いた。
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