第24話 病院の付添

 ――前にもお伝えした通り、好きなんです。この気持ちを簡単に消すことはできません。


 吉本に向かってそう言った野々宮の声が、耳から離れない。

 教官室に向かいながら、話し声が聞こえてくると思ったら、吉本と野々宮だった。


「鬼島さん、怒ってます?」


 後から入って来た吉本が、へらりと笑いながら声をかけてきた。野々宮に告白されて上機嫌なのか、吉本は楽しそうに笑っている。


「別に」


 鞄の中には、昨日買ったはぐっきーのぬいぐるみがある。

 野々宮に謝ろうと思って買ったものだ。少しずつ、慎重に野々宮の心に近づいていこうと思っていた。それなのに、彼女の心はもう吉本に向いていたらしい。

 あの日、泣かせたのは鬼島だ。そして、慰めたのは吉本。吉本から聞いた話をすべて信じる訳にはいかないが、野々宮と接触したのは間違いない。女性にモテる吉本に慰められ、弱っていた野々宮が吉本に惚れるのも無理はないだろう。そう頭では分かっているのだが、鬼島の拳には無意識に力が入っていた。


「絶対怒ってますよね? あ、もしかして野々宮さんのことですか?」


 溜息を吐いて、鬼島は吉本を睨む。


「……野々宮と付き合うんですか」


 低い声で問うと、吉本は笑った。


「まさか! 言ったでしょう? 僕は彼女には振られているんですよ」


「それなら何故、彼女はあなたに告白を……?」


 真剣な顔で鬼島が言うと、ますます吉本に笑われた。


「やっぱり。見事に勘違いしてますね。鬼島さんに対して野々宮さんが後ろ向きだったので、その後押しをしてあげようかと思ってたんですけど。鬼島さん、ちゃんと聞いてませんでしたね?」


 吉本の言葉の意味が分からない。


「何が言いたいんですか?」


 苛立って、鬼島は吉本に詰め寄った。吉本は、野々宮のことで何か隠している。


「それは、本人に聞いた方がいいと思いますよ。あなたたちには、二人でじっくり話し合う時間が必要です。今度こそ、逃げ出さずにね」


 笑みを消した真剣な表情で、吉元が言った。


「言われなくても、そのつもりです! 余計なことをしないでください」


 吉本と野々宮が本当は何の話をしていたのか。野々宮は自分のことをどう思っているのか。

 まだ修習まで時間はある。鬼島は野々宮と話をするために、教官室を出た。その背中を、吉元は笑顔で見送った。


 教官室を出ると、数人の人だかりができていた。その輪の中には、誰かが倒れている。

 その姿を目にした途端、鬼島は走り出していた。


「どけっ!」


 人だかりをかき分け、鬼島は倒れている人間に近寄った。


「野々宮っ! しっかりしろ! おい、誰か救急車! 早く!」


 意識を失って倒れているのは、野々宮だった。鬼島は優しく野々宮の身体を抱き、その息を確かめる。生きている。呼吸は乱れているが、生きている。


「野々宮……お前を愛してるんだ」


 ずっと心に押し込めていた想いを、鬼島は野々宮の耳元で囁いた。

 野々宮の細い身体を抱き締めていると、救急車のサイレンの音が聴こえてきた。


「こいつには俺が付き添う。俺の授業は休講だ。そう平石教官に伝えておいてくれ」


 軽々と野々宮を抱き上げて、鬼島は集まっていた修習生に言った。


  *

 

「過度なストレスによるものでしょう。できるだけ話を聞くなどして、精神的な負担を軽くしてあげてください」


 という医者の言葉を思い出し、鬼島は野々宮の苦しそうな寝顔を見つめる。


「俺のせいなのか?」


 野々宮の手を握り、鬼島は眉間にしわを寄せた。

 自分の気持ちは伝えずに、野々宮の幸せを決めつけていた。

 信じろと言いながら、自分は本心を野々宮に見せたことがあっただろうか。


「野々宮、早く目を開けてくれ。俺の気持ちを全部伝えてやるから」


 祈るようにそう言えば、握った手がピクリと動いた。目覚める気配を感じ、鬼島はこの手をどうすべきか迷ったが、そのまま細い手を強く握っていた。


「……き、鬼島教官?」


 かすれる声が届いた瞬間、鬼島は野々宮を抱きしめていた。


「野々宮、どこも痛くないか? 苦しくないか?」


「あの、く、苦しいです! 鬼島教官の腕が……」


「あ、あぁ……悪い」


 目覚めた安堵と、自分の名を呼んでくれたことへの喜びで、思わず強く抱きしめてしまったのだ。腕を緩め、野々宮の顔を見つめる。その顔は、どこか脅えていた。無理もない。


「あの、ここは? 私はどうして……」


「ここは病院だ。医者の話によれば、倒れたのは精神的なストレスのせいだろう、と」


「でもあの、何故、鬼島教官がここに?」


 野々宮は鬼島と目を合わせようとしない。野々宮が不安そうにしているのは、病院にいるからではなく、自分といるからだ。


「俺が付き添いじゃ不満か?」


 そう言えば、野々宮は慌てて首を横に振った。


「い、いえっ、そういう訳じゃ」


「それに、野々宮には話がある」


「私に話? えっと、課題の話ですか? それとも授業のことですか?」


 修習のこと以外にも、野々宮と自分の間には話すことがあるだろうに、と鬼島は内心ショックを受けた。しかし、これからする話の返事次第では、もっと落ち込むことになるだろう。


「修習のことは一旦忘れて、野々宮は休め、俺も今日はサボりだ」


「え、鬼島教官戻らないんですか!」


「あぁ。下僕の面倒みるのはご主人様の務めだろう?」


 やけくそ気味ににやりと笑えば、野々宮は絶句していた。


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