第3話 裁かれたい系男子

 一通り教官からの挨拶を終え、無駄な時間を過ごすことなく早速授業に入った。

 初日だからか、ほとんどが司法試験の復習のようなものから入り、事例を元に授業は進んでいった。しかし初日だからといって甘くはなく、科目ごとに大量の課題が出された。



 昼休み、一人黙々と弁当を食べていた私の側に、二人の女性が近づいてきた。


「あの、私たちも一緒に食べてもいいですか?」


 声をかけて来た女性はきれいなロングヘアーで、化粧も派手ではなく好感が持てた。ぱっちりとした二重まぶたからのぞくきらきらとした瞳は、何故か私に向けられている。歳は私より若い。現役合格者だろうか。

 もう一人、彼女の後ろでにっこりと笑みを浮かべている女性は対照的なショートヘアで、意志の強そうな瞳をしていた。スーツごしにも分かるほどの細身で、私のような中肉中背の身体で体当たりをすれば簡単に折れてしまいそうだ。この女性も、私よりも若い。


 なんだって若い子たちに囲まれて食事をしなければならないのか。

 そんなひねくれた感情が真っ先に出てきたが、話しかけられたことに対する嬉しさや気恥ずかしさがそう思わせていた。いくら接客のアルバイトをしていたとて、お客さんへの対応はマニュアルがあるし、自分の気持ちを伝えなくてもいい。店員になりきればそれでいいのだ。しかし、私自身が他人と関わろうと思うとどうにもうまくいかないのだ。

 コミュ障という言葉を聞いたことがあるが、まさに自分はそれではないかと最近つくづく思う。勉強だけに逃げていたのはそういうことも関係していた。


 話しかけられたこの瞬間から人間関係が始まるのだと思うと、緊張し過ぎて頭が真っ白になる。

 何か、何か心を落ち着けるものはないか……と思った私の目に入ったのは、あろうことか家の鍵につけていたはぐっきーのストラップだった。


「……も、もちろんぐっきー!」


 二人の顔が一瞬固まる。

 私の顔もかちこちに固まる。

 何故、よりにもよってマイナーなゆるキャラの口調で答えてしまったのか。

 私の頭のなかではぐっきーがはぐっきーダンスを踊っている。普段なら大口を開けて笑うところだが、笑えない。笑えるはずがない。呑気に歯茎を見せて歌うはぐっきーが腹立たしい。


「ぷふっ……!」


 そんな笑い声がしたのは、私が醜態をさらした数秒後だった。


「面白い方ですね。私、もっと近寄りがたい人かと思ってました。あ、私は志野しの かおるといいます」


 笑いすぎて目に涙を浮かべて志野かおると名乗ったのは、ロングヘアーの方だった。

 大失敗の返事だと思ったが、なんとか受け入れられたようだ。もう一人のショートヘアの女性はまだ笑いのツボから抜け出せずにいた。


「……あ、野々宮 茉里です。さっきのは、このゆるキャラの口癖で……」


 そう言って、私は鍵にぶら下がるはぐっきーを見せる。


「あ! 私知ってますよ。はぐっきーですよね。歯茎がリアルで気持ち悪いのに、何故か可愛く見えちゃうんですよね~」


 私は、志野の反応に驚いた。

 この認知度の低いゆるキャラはぐっきーを知っているとは……!

 私は勝手に志野とは仲良くなれそうな気がした。大学で同期だった人達はみな、はぐっきーのストラップを付けている私にドン引きしていたのだ。まぁそれも分からなくはないが、まさか笑顔で受け入れてくれる人がいようとは。やはり若い人は柔軟性が違う。

 

「え、はぐっきーって……? そんなに有名なんですか?」


 ようやく笑いが落ち着いてきたらしいショートヘアの女性が、自分だけが知らないはぐっきーの存在に驚愕していた。


「あ、いや、知ってる人の方が少ない……と思います」


「そうなんですか……初めて見ました。なんか、すごく面白い顔してますね。特に歯茎が」


「そうでしょう? 誰がこんなゆるキャラ作ったのか本当に謎なんですよ」


 自分が初めてはぐっきーを見た時のことを思い出し、大きく頷いた。


「あ、私は高岡たかおか 柚希ゆずきと言います」


「よろしくお願いします」


 友人なんて作る必要がないと強がっていた私だが、はぐっきーのおかげで無事に会話が成立し、まだ友人とは言えないだろうがクラスの女性と知り合いにはなれた。



「野々宮さんは、何を目指してるんですか?」


 志野が大きな瞳をじっと私に向ける。その純粋な眼差しに気圧されながらも、私は答える。


「裁判官、です」


「へぇ~、すごいですね。ちなみに私は弁護士志望です!」


 志野が胸を張って笑った。その仕草が可愛らしく、こういう女の子が可愛がられるのだろうと思われた。志野とは違って落ち着いた雰囲気を持つ高岡も、愛嬌のある志野にあたたかい眼差しを向けていた。


「高岡さんは?」


 と志野が笑顔のまま尋ねる。


「何だと思いますか?」


 少し挑発的な瞳で高岡が私と志野を見た。

 うーん…と二人で首を傾げて、答えた。


「「検察官?」」


 その声は偶然にも揃い、その答えを聞いて高岡は面白くなさそうな顔をした。


「どうして分かったんですか」


「んー……雰囲気、かなぁ」


 と、志野がじーっと高岡を見ながら言った。その言葉に、私も頷く。


「じゃあ三人ともバラバラなんですね~」


「同じ実務家を目指す者同士、切磋琢磨して頑張りましょう……あ、堅かったかな」


 思わず真面目すぎることを言ってしまって、私は慌てて誤魔化すように笑う。


「いえいえ、頑張りましょ~!」


 志野が握りこぶしを上に突き上げて言った。


「あ、そういえばお二人はおいくつなんですか~? 私は22歳です」


 志野はよく笑い、よく話す。そして話題がコロコロ変わる。


「私は23歳」


 と高岡。


「あ、あんまり変わらないですね~」


 若い。二人ともやはり私よりも若い。

 若さが、若さが欲しい……! 願ったとしても若返ることもないのに、心の中でそう叫ばずにはいられなかった。


「……私は、25歳」


 知らず小さくなる声で、私は答えた。


「なぁんだ、みんな同年代じゃないですか」


 同年代と言っていいのだろうか。

 私だけ四捨五入すれば三十なのだが。


 そして話題はクラス担当の教官の話になった。


「鬼島さんと吉本さん、かっこよかったですよね~」


 志野がうっとりと目を細めた。私はどうしても鬼島の名前に反応してしまう。


「平石教官は怖そうでしたね」


 高岡は志野の言葉に頷きながらも、責任者の平石についての感想を述べた。


「やっぱり私たちみたいな法律関係者だと、裁かれたい系男子に惹かれますよね~」


 という志野の言葉を、私は理解できなかった。

 裁かれたい系男子? なんだそれは。

 草食系男子でも肉食系男子でもなく、裁かれたい系男子……?

 高岡は理解しているのか、うんうんと頷いている。置いていかれているのは私だけだ。


「私は鬼島さんに裁かれたいなぁ」


 鬼島は怖い印象ばかりを植え付けたかと思ったが、そうでもなかったらしい。確かに目付きの悪さを抜きにすれば、鬼島はきれいな顔立ちをしている。俗に言うイケメンとは鬼島のような人を言うのかもしれない。

 志野の言葉で、裁かれたい系男子の意味は何となく理解できたが、日本語がおかしくないだろうか。裁かれたい系男子だと裁かれたいのは男子ということにならないか。女子が裁かれたいなら裁く系男子ではないのか。

 ますます頭が混乱しながらも、最近の若い子たちの言葉に深い意味を求めても仕方がないのだと気にしないようにした。

 知らないということを知られたくなかったために、私は動揺を悟らせないように落ち着いて口を開く。


「私は……裁く側だから誰でもない、かな」


 本当は頭の中に鬼島の姿が浮かんでいたが、かき消す。


 ――あの人は、私の目標だから。

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