第39話 再会

 家の近くのビール専門店。

ボックス席にて、俺とノゾミは身体を密着させて座っている。


 話し合いの肝部分が終わったため、我慢していたビールを流し込む。

美味しい。

仕事終わりのすきっ腹にビールは、格別だ。


クリスは、ウチで預かることが決定してしまった。



「……すまないな、ノゾミ」

「……えっ?なんでユウ兄が謝るの?」


俺の言葉に、彼女は、一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかい笑顔に戻った。


「……仕方ないよ、放っておくわけにいかないし」


 彼女の言うことは間違っていない。

でも、俺の心の中では、善意と悪意が渦巻いている。


クリスを放っておくのはダメだろうという世間体を理由にする善意の心

ノゾミとの時間を奪うクリスなんて放っておけという、本能を元にした悪意の心


 それなのに、自分より年下の、彼女の方が落ち着いているように見える。

先程、睨んできたところから、思う所はあるみたいだが。


「ノゾミ、本当はクリスの同居について、どう思ってる?」

思い切って彼女の本心を探ってみることにした。


「……今、それを聞くー?」


少し顔が歪んでいる。

それを見ただけでも、彼女の心中は、複雑だということは見て取れた。


「……聞きたいの?」


マグクリームソーダを一口飲み、可愛く言葉を返された。

「聞きたいの?」と言われて、そこまで聞きたいかといえば、そうでもなかったりする。

「あの子と暮らしたくない」とか言って駄々を捏ねられるよりは、はるかにマシだ。


それなのに。


心を乱している自分に対して、すでに腑に落ちている感じのする彼女の様子。

そんな彼女の達観した感じが、自分の中で気に入らなかったのかもしれない。


「……そうね……今から1度だけ本音を言うから、受け止めて、ね」


そんな俺の気持ちを察したのか、そんなことを言ってきた。

「聞きたい?」と聞いてくるひとほど、話を聞いて欲しいというのは、通例のようだ。


「私だって、ユウ兄と2人だけの時間が少なくなるから、本当は嫌」

彼女は両手を俺の首に回してきた。


「……せっかく昨日、ユウ兄といい感じになったのに……ホント邪魔、あの子」

そこまで言うと、俺を下から睨んでくる。


「ユウ兄、あの子の胸の誘惑に負けたら、許さないから!」


 回していた手で、軽く俺の首を絞めてきた。

じゃれている様に、軽く。

彼女の親指が、のどぼとけ付近を通過する。


「……負けない、というか、クリスは小学生だから、大丈夫だって!」

「……成長したら、大丈夫じゃないってこと?」


「……よく考えろよ!親が親友だから、手を出したら面倒くさいことこの上ない」

「……面倒くさくなかったら、手を出すの?」


「……いや、そんなことはない。クリスに対して、そんな気分になったことは、ない」

「それは、昔のことだよね?今は違うんじゃないの?」


 ああ、この女性は、普段おくびにも出さないはずの嫉妬心を、披露していらっしゃる。

そして、この状態になった彼女は、非常に面倒くさいということを、今、知ってしまった。

普段がしっかりしている分、箍が外れると、愚痴が山のように出てくるようだ。


「……そういえば、クリスって、今、何処にいるんだ?」


彼女の愚痴が少なくなってから、気になっていたことを質問してみる。


今は20時を回っている。

何処かに預けているなら、迎えに行かなければいけないだろう。


ノゾミは、自分のスマホを取り出し、操作し始める。


「もしもし、舞ー、お待たせー」


 何処かに電話をしているようだ。マイという子が相手らしい。

……クリスが相手じゃないのか……。

もしかしたら、マイという子に預けていたのかもしれない。


「……うん……うん、そう。セブンの向かいにあるその店にいるから。よろしくね」


 耳からスマホを離し、軽く操作をした。

通話は終わったようだ。


「今すぐ来るって」

「そうか……って、ちょっと待てい!ココに来るのか?」

「そうよ」


 軽く頷かれた。

ここは、ビール専門店で大人の集う店なのだが……小学生1人で来るには、危険すぎる。

この土橋周辺は、飲み屋が多い。

暗いところはないが、子供1人で行動するには、看過できない事柄が多すぎる。

ましてや、クリスは広島に来たばかり。土地勘がないはず。

さらに、金髪で目立つ風貌、今回存分に発揮した危機管理能力のなさ……。


不安要素満載だ。

……そのわりに、隣の女性に慌てている様子が見受けられない。


「……迎えに行かないと」


そう言って立ち上がったとき



「……お客様、この時間に学生2名のご来店は、ちょっと……」

そんな女性店員の、戸惑った声が聞こえる。


「……中に連れがいるはすなので、問題ない」


そんな凛とした女性の声が聞こえる。


そちらの方へ目を向ける。

店員と話をしている女性は、緑のカーデガンにグレーのスカートを身に着けていた。


……ああ、鈴峯中学の制服、か……。


 その彼女も異質なのだが、その隣にはもっと目立つ存在が……。

この時期ではまだ見ない、少し派手目のキャミソールを着た、金髪少女……。

頭の後ろでは、可愛くテールがピャコピョコしていた。


……すぐわかった。あれがクリスか。


 背はノゾミと同じくらいで、胸の隆起は遠目にわかるほど。

2年前は、ただのガキんちょだったのになぁ……。

歳月を経て、少し女性らしくなったのだろう。


「……なあ、ノゾミ」

隣の女性に声をかける。


「……来るには、早すぎないか?どこに預けていたんだ?」


先程連絡して、もう店を訪れている。

もしかして、預けていたマイちゃんの家は、ここ近辺なのだろうか。


「舞とクリスは、部屋で待機してもらってましたから」

「部屋って?」

「はい、私とユウ兄の家の部屋で、待っていてもらいました」


 どうやら、クリスと連れてきているマイという子は、ウチで待機してくれていたらしい。

……だから、俺が帰って来たとき、頑なに外食に行こうと言っていたのか……。

当事者の前では、話しにくいこともいくつかあったからな……。



「……ああ、すまない、俺の関係者だ」

「あっ!ユウー」


 女性店員に事情を説明するために声をかける。

それに気づいたクリスが、横から抱き着いてきた。

クリスを連れて来てくれた女子中学生は、こちらに軽く会釈をしている。

こちらからも軽く返す。

女性店員に、一瞬怪訝そうな顔をされたが、それを気にしたら負けだ。


「お客様、来店時にも言いましたが、未成年の方には、ソフトドリンクしか提供できませんので」


いつの間にいたのか、男性店員に説明を受ける。

その間に、席にいたノゾミを見つけたのか、2人ともそちらに向かっていった。


「ああ、それは分かっている」

「……今のお2人にも、先程のようなことをされた場合は、遠慮なく声をかけさせていただきますので」


「……ん?」

「今のお2人は中学生でしょう。じゃれ合うくらいなら、よろしいのですが、さすがに年齢が低すぎます。店の雰囲気を考慮していただきたいかと」


「……はい、ご迷惑をおかけします」

思わずそう答えてしまった。


「先程のようなこと」って……確実に気づかれている……。

クリス、さらに、今日初めて会ったあの子に、何かしようなんて、考えてもない。


……しかし、周りからすれば、そう見えるのだろうか……。

親子に見えないのか?

……ああ、そうか。親子で先程のようなことをしていると、そっちの方が問題だな……。



ボックス席に戻ると、彼女たちがソファーに座って待っていた。

ノゾミの向かいにクリス、その隣に女子中学生。


……なぜか、初対面の女子中学生と向かい合わせ。


彼女はそのまま帰るのだろう……そう思っていた。

でも、何食わぬ顔で、普通に座っている。


今は20時半前。

塾通いの子らが、ギリギリうろついていて許される時間だが……。


「……帰る時間は、大丈夫かい?」


 ソファーに座り、初対面の女子中学生に声をかけた。

両頬まで垂れ下がった髪に、真面目そうな表情に好感が持てる。

雰囲気から、しっかりしてそうな感じを受けた。


「……いえ、大丈夫です……」

「そうか、何時まで大丈夫なんだ?後で車で家まで送るから」


ノゾミとクリスに付き合って、この時間まで家に帰れずにいたのだろう。

親切心に提案してみる。


「あっ、いえ、私は、学校の寮住まいなので、気にしないでください」

「……それでも、学校まで遠いだろう……」


「それに……」


俺の隣にいるノゾミを見て、微笑む。


「……今夜は、希先輩の家に泊まるつもりですので」

「そうですよー、おとまりパーティーです!」


初めて聞いた事柄に、クリスが肯定するように乗せてくる。

隣を睨むと、ノゾミは必死に首を振っていた。

彼女は知らなかったらしい。

……と、いうことは、この女子中学生が勝手に決めたのか……。


安全の観点からも、彼女を今から1人で帰らすことは、難しい。

ノゾミの家に泊まる方が、安全だろう。

しかし、ノゾミの家はすなわち、俺の家でもある。

女子中学生が、30の男の家に外泊……良いはずがない。

さらに、寝室は1部屋なので、雑魚寝になる……。


「……大体、知らない女の子を、泊めるわけいかんだろう、しかも俺の家に」

「……だったら、知ってれば、問題ない」

「……知ってれば……って」

「つーか、完全に私を忘れちゃったのかよ、ユウ兄ちゃん」


いつの間にか、「です・ます」口調が無くなっている。

「完全に私を忘れちゃったのかよ」って……、えっ、どういうこと……?


「私、佐々木 舞。芳香よしか姉さんの一番下の妹だよ」




佐々木ささき 芳香よしか


その名前を聞いて、ガツンと頭を殴られた気がした。

この5年間、必死に忘れようとして、ようやく気にならなくなったはずなのに……。








★★★









 佐々木 芳香は、同じ高校に通う1つ上の先輩だった。

髪がキレイで、大人の雰囲気を漂わせている憧れの存在。

学校内でも彼女のファンは、多かった。

俺もその中の1人だったが、学年が違い、接点がないこともあり、遠くから眺めていればそれでよかった。


 だが、そんな彼女が他校の男たちに絡まれている現場に出くわす。

モテる女には、トラブルはつきもの。

彼女なりに対処するはずだと、傍観していたのだが、どうも様子がおかしい。


彼女が断っても、男たちはまとわり続ける。

ついには手を引かれて、どこかに連れて行かれそうになっていた。


そうなると、いくら接点が無くても、助けずにはいられない。

遠い存在とはいえ、同じ高校の憧れの先輩である。

放っておくのは、外聞も悪いが、後味も悪い。

1対6だったが、何とか彼女の手を引いて逃げ切り、事なきを得た。

最初は、俺を不審に思っていたようだが、同じ高校の後輩とわかって安心したようだ。


「助けてくれなくても、どうにかしたのに」

「いやいや、連れて行かれそうになってただろ」


「連れて行かれても、アイツらの言うことなんか、聞いてあげるつもりなかった」

「いやいや、あの手の輩は、アンタに伺いなんか、立てるわけないじゃん」


「そうなの?」

「そうだよ、アンタを羽交い絞めにして、あとは頂くのみだろ」


「……頂く?」

「愛し合う男女が行うことを、半強制的にさせられるってこと」


「……それくらい、知ってる……」

「そうか、おモテになる佐々木先輩は、すでに処女を散らしてらしたか」


「……そんなこと……」

「もしかして、大勢の男に、ハメられたかったのか。これはお邪魔しちゃったかな」


ここまで言った瞬間、右頬に痛みを生じた。


「……んなわけ、ないじゃない!」


 彼女は大声で叫ぶと、俺に気にせず、走ってどこかに行ってしまった。

当時は、なぜ頬を叩かれたのか、わからず呆然としていた。

今思えば、相当傷つくような暴言を吐いている。

「大勢の男にハメられたかったのか」は失言だろう。

俺は、この日、憧れの先輩に嫌われる存在になってしまった。


……なってしまったはずなんだけど……


 出会いが強烈だったからなのか、向こうから声をかけてくるようになる。

最初は意味もわからなかったし、何か裏があるのかとも疑っていた。

ただ、そんなこともなく、憧れの先輩に話しかけられているという嬉しさから気にしなくなっていく。

次第に接点も増えて、休みの日には一緒に遊びに行くようになっていった。

俺としては、また不貞な輩に絡まれたら大変だろうから……と、用心棒気取りで。


しかし、それが長く続くと、男女の仲って変わるもの。


 俺から見れば、絶対裏切ってはいけない存在、彼女から見ると、絶対裏切らない存在と、なっていく。

お互い「好きだ」と告白することはなかったものの、身体の関係を持つようになっていった。


……そう、初めての女性経験の相手は、芳香なのだ。


 そんな付き合っているようで、付き合っていないけど、お互い近くにいる状況は、結構長く続いた。

彼女の家にも、よく行くようになり、家族とも打ち解けていった。

周りからは


「結婚秒読みだな」

「芳香をよろしく」

「ユウ兄ちゃんが私のお兄ちゃんになるんだね」


そんな声が飛ぶようになってきた。

だが、彼女との関係は、男女交際の域に、入ることは無かった……。


今から5年前、25の時。


「優をそろそろ自由にしてあげないとね」

そんな宣言とともに、別れを切り出された。


「私、アメリカに行きたいの。でも優は仕事決まったばかりだから、ついてこれないね」


決まった仕事を放ってでもついて行きたい、とも、お前のことが好きだ、とも、言った。

それでも、その言葉は、響かなかったようだ。


「私、ユウを男として愛したこと、ないし」


その言葉に、衝撃を受けた。

家族からも高校の同級生、芳香の同級生からも


「結婚秒読みでしょう、絶対大丈夫」

「まだ付き合ってないって有り得ない」

「もう芳香先輩、優の言葉を待ってるって」

「芳香も『優と一緒にいると楽しい』って言ってたよ」


……そんな言葉をもらっていたので、結婚するとしたら、彼女しかいないと思っていた。

「男として愛したことがない」

今までの関係を、全否定されたようで、目の前が真っ暗になる。


「もう、連絡してこないで。またね、優」


 そして、一方的な遮断。

そう言い放つと、俺のことを振り返ることなく去っていった。


 事実、次の日から、全く連絡が取れなくなった。

彼女との関係は、完全に終わった……。


 しかし、現状は思った以上に深刻なことになっていた。

それは、芳香の妹、彩香あやかからの電話で知る事となる。

姉の行方がわからず、連絡が取れない……。


 俺に別れを告げたその日に、「ちょっと東京まで行ってくる」と言って出かけたそうだ。

彼女は、たまに旅行に行っていたので、誰も異変にきづくことはなかった。

3日が経って、たまたま姉に用事があった彩香が電話をかけた。


……携帯電話の契約が解除されていた。


 最初は何かの間違いじゃないか、と、電話をかけ続けたらしい。

しかし、無常に流れる、契約解除の旨を伝えるアナウンス……。

メールを送っても、アドレス不明で返送されてきたようだ。


 彩香は、1番に俺に電話してきたみたいだった。

当時高校2年の彼女にとって、親しい姉の突然の失踪……。

その姉と一番近しい存在としての俺が、何か知っているのでは、と思ったようだ。


 しかし、彼女の期待に応えることは、無理だった。

こちらも、意味も解らず別れを切り出された身だ。

そのことを告げると、電話の向こうですすり泣く声が聞こえた。

……俺は、ただただ、その時間を、静かに付き合うことしかできなかった。


結局、彼女の行方を知るひとは、いなかった。


芳香と付き合うことがなくなった俺は、彼女の家族とも次第に疎遠になっていった。

衝撃の結末を、早く忘れたかったところもあったのかもしれない。


 それでも、彩香とは、連絡を取っていた。

俺が突然大切なひとを失くしたのと同じで、彼女も最愛の姉を失くしたのだ。

たまに無性に寂しくなることがあるらしく、夜中にかかってくる。


 それも時が経つにつれ、頻度が減ってきた。

たまに話をする兄妹みたいな関係になっている。


 最近は、彩香と電話をしていても、芳香の話は出てこない。

お互い無意識のうちに避けているのかもしれない。


そんな彼女は、大学で勉強するため、神戸で頑張っている。





★★★







芳香の妹の舞……

……彩香の妹と言われれば、そこまでショックを受けなかったかもしれない。


この子が……全然気づかなかった。


佐々木家は、三姉妹だった。

5年前では、芳香26歳、彩香16歳、舞9歳。


そもそも、俺が芳香と出会った頃に、舞は生まれたはず。

彼女の遊び相手をすることも、それなりにあった気もする。



この子の認識だと、俺は「本当の兄」にあたるのかもしれない……。



「見ないうちに、大きくなったなぁ、舞」

思わず、目の前の女性の頭を撫でてしまう。


「ユウ兄様」

そんな俺の行為を嗜める声が、隣から聞こえる。


「舞とどんな関係なのか、ヨシカさんって誰なのか、教えてもらえないでしょうか?」


隣に目を向けると、口元は笑みを浮かべているが、眼が笑っていない、ノゾミの姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る