第38話 はじめての外食

 家のドアの前。

俺は、ノゾミに抱きつかれていた。


 なぜ、ドアを開けた瞬間に、身体ごとふっ飛ばされる事態になったのか。

原因はわからないが、目の前にある愛しき女性の頭を、撫でてみることにする。


「ただいま、ノゾミ」


 家に帰り、待っている家族に出会うと、必ず声を掛ける言葉。

反射的に彼女の背中に腕を回しているという誤魔化せない事実に気づき、照れくさくなる。


「……おかえり……」


俺の胸に顔を埋めているからなのか、少しくぐもった声がした。


「……待ってたよ、ユウ兄……」


 そんな彼女の顔を、上から覗き込んでいると、少し角度を上げた彼女の目線とぶつかる。

見つめ合う。見つめ合う。

照れて瞬時に目を逸らすかな、そう思ったのだが、宛てが外れた。



「で、ユウ兄」


 しばし、見つめ合った後、ノゾミは俺から少し離れる。

ただ、右手で俺の左腕を掴んでいた。


「……どこか、ファミレスでも行きたいな」


ニコリと笑顔。


「なので、鍵、頂戴」


 そう言われて、抵抗なく家の鍵を渡してしまった。

空いている左手で鍵を閉めている。

あまりにも自然な成り行きに、言葉を失くす。


「……今日は、2人でゆっくり、お話、したいことが、ありますし」

「……えっ?2人で話すなら、家の中でも……」


「2人でゆっくり、お話、したいこと、ありますし」

「うん?だから、家の中の方が、落ち着いて話ができるような……」


 2人で暮らしているのだから、ゆっくり話をするなら、家の中の方が良いのでは……?

そう思い反論する。

そんな彼女は、顔を逸らし、エレベーター方面を見て呟く。


「……今日は、いろいろあって、そんな気分になったの」


右腕が強く引っ張られる。

「いろいろあって」の言葉に、クリスのことだろうかと、察してしまう。


「……ああ、クリスのことは……」

「……ね、それはいいから、行こ?」


 言葉を被せて、左側から腕を組んでくるノゾミ。

一瞬、目がきつくなったように見えたのは、気のせいだろうか。

今は、戻っている。

いや、目と口元が笑っていない。



 この土橋界隈、ファミレスに行くには、少し歩く必要がある。

一番近いところは、本通にある店になるんだけど……。

俺の左腕を身体の近くに引き寄せて、腕を組んでいるが、彼女は、何も話さない。

彼女と再会して3日目。

常に話をしてくるイメージがあったので、このように黙っていられるのは、居心地が悪い。

そんな彼女を伴った移動時間は、なるべく短縮したい。



……静かに話ができるところならば、何処でもいいのでは……。



 そう思った俺は、ケーキ屋を過ぎた角を曲がったところにある、店に入ることにした。

少しアメリカナイズされた感じの、ビール専門店である。

店頭は、ロッグハウス調に飾られており、外の席でも飲むことができる。

店内には、カウンター席とボックス席があり、緩い音楽が流れている。

メニュー案内も、英語で書かれてあり、雰囲気を醸し出している。

ここでは、本場であるドイツのメーカーやバドワイザーを始め、いろいろな場所のビールが飲める。


 その店に歩を進めると、ノゾミが目で訴えてくる。

「ここに行くの?」そんな感じだ。

軽く頷くと、驚きながらも反対はしてこなかった。


時間が早いせいか、平日だからなのか、店の中は閑散としていた。


「お客様、お連れの方は未成年、ですよね?」

「……?ああ、そうだが」


「未成年の方には、ソフトドリンクのみの提供となりますが、よろしいですか」

「ああ」


……なぜ、店員がいきなり寄って来て、注意を促してくるのだろう……。

そう思って、隣のノゾミを見る。


……ああ、そうか、これは……


 ノゾミは、鈴峯女学園の制服を着ていた。

県内有数の女子高の制服を着ていれば、そりゃあ声かけてくるよなぁ……。

もう少し遅い時間になれば、警察に通報まであるかもしれない。

通報対象は、俺だろうけど。


 隣のノゾミはといえば、このような雰囲気の店に入ったのは、初めてなのだろう。

先程同様に無口だが、表情が柔らかくなっている。

本当は俺にいろいろ尋ねたいようだが、本題を話するまでは、我慢しているようだ。

そんな態度を貫くことにより、抗議をしているつもりなのだろう。

何についての「抗議」なのか。

「クリスの同居」についてなんだろうと、想像はできる。

が、現状を把握しきれていないため、俺にとっては、降って湧いた厄災にしか思えない。


……しかし、そんな姿も、残念ながら、俺には可愛く映るため、楽しんでいるが。


 今のノゾミの表情を観察する。

もう、興味があることが多すぎて、という感じである。

無口であることしか、態度を貫けていない。


 ボックス席に案内されて、向かいで座る。

イスはソファータイプで、机も低めだ。

どこかのキャバクラのようで、ウイスキーが飲みたくなる。

しかし、この店はビールが売りだ。


「……ノゾミ、ビールを頼んでいいか?」


 これから、真面目な話をすることになるのは、わかっている。

けど、この店に来たら、やはり飲みたくなってしまった。

あきらかにチョイスミス。少し反省ものかもしれない。


「いいよ」


 店に入って、最初の会話がこれである。

彼女の表情は、普通に柔らかくなっていたので、少し安心する。

でも、クリスについての話を聞かないといけない……。


「……大人って、悩み事があるときには、お酒飲んで吹き飛ばすの?」

「……まあ、そうなるのか……」

「……あっ!ノンアルコールがある……私もそんな気分だから、飲んでいい?」


 今までの雰囲気は何処へやら。

完全に「新たな興味」に心が動いているようだ。

しかし、未成年はノンアルを飲んでいいのか……?


結論から言うと、ダメらしい。


 店員によれば、法律では禁止されていないのだが、メーカーが推奨していない。

20歳以上に向けて作ったもののため、未成年に悪い影響が出るかもしれないとのこと。

各販売店にも、「未成年に飲ませないように」とお達しが来ているようだ。

店としても、安心して出せないので、すみませんということだった。


その代わりとして店がオススメしてきたのが……


「……少しバニラの味がする……?」


 茶色い麦茶のように見える炭酸飲料だった。

「マグクリームソーダ」というらしい。

各国のビールだけではなく、ソフトドリンクも取り揃えているようだ。


 他には、ノゾミも軽く食べることができるものとして、レーズンチーズクラッカーを頼んだ。

クラッカーにチーズをつけて食べる、とてもシンプルなメニューだが、ここのチーズクリームが濃厚で、癖になるくらい美味しいのだ。


「……美味しい」

予想通り、彼女も満足してくれたようだ。


「これ、私にも作ることができるかも……どの種類のチーズクリームを使っているのかな……」

早くも、料理して再現することを考えているようだ。


 楽しそうなノゾミ。

俺は黙って見守っている。

本当は、1つ1つのノゾミの言葉に、反応していきたい。

楽しい会話がしたい。

けれど、話さないといけないことがあるので、黙って機会を伺う。


「ユウ兄、ビール、飲まないの?」

そんな俺の雰囲気に気づいたのか、ノゾミは笑顔で声をかけてきた。


「ああ、飲む前に、話を聞いておこうかと思って、な」

「……ああ、そうだったね……」


静かに答えると、彼女はようやく思い出したようで、気まずそうな顔をした。


……完全に忘れていたのか、忘れていたかったのか……


彼女は、マグクリームソーダを一口飲んで、淡々と話し始めた。


「今日、鈴峯に行く、ということは、言ってたよね」

「ああ」

「電車に乗って、小夜の説明聞きながら、最寄り駅まで行ったの」


……ん?そこから話始めるのか、長くなりそうだなぁ……。


 次郎から聞いていた「妻の話は要領悪くて長い」というのは、こういうことだったのか。

いきなりクリスのことを聞かれるのでは、そう思っていたので、拍子抜けした。

ただ、次郎はこうも言っていた。


「でもな、優。そんな長い、女性の話を切っちゃいけないんだわ」

「何でだよ?面倒だし、時間の無駄じゃないか」


「まあ、俺ら男から見るとそうなんじゃけど、女からすると、大切な時間なんじゃと」

「……そうなのか……」


「ああ。あとな、解決方法を提案するのも、アウトじゃで」

「……マジか」


「例えばな、『○○さんが、新しい靴買ったみたい。いいよね』と言って来たとする」

「……ああ」


「ここで『お前も靴買いたいんなら、買えばいいじゃん』は間違い」

「そうじゃないのか?」


「まあ、最終的にそうなるかもしれんが、まずは『そうか、そんなによかったんか』と答える」

「……へえー」


「とりあえず、女性の話には、共感すること。男は結論を急ぎ過ぎる生き物やから、難しいが」

「……それ、お前が考えたんじゃ、ないよな?」


「ああ、どこかの先生の受け売りじゃ、でもおかげで変な争いは減った」

「……そうか」


「……お前、今彼女いなかったな……由美ちゃんで試してみろよ」


 そんな会話を思い出していた。

ただ、佐伯に試してみたが、上手くいったのか、よくわからなかった。

彼女の場合、常に俺のことを中心に考えているから、こちらが聞きに徹していることに気づいてしまう。

さらに、仕事の関係上、結論から話してくれるので、その方法の必要性がなかったのだ。



「ハイヤーから降りてきた少女が、クリスという子でね、胸が私より大きいの」

「……そうなんだ」


「……オッパイが、私より大きいんだよ?」

「……そうなんだね」


 ノゾミの話にクリスが出てきたところで、予期せずに入って来た情報に、何とか冷静に保つ。

……そうかー、クリスって小学生なのに、育っているのか……。

ノゾミさん、「私より大きい」を繰り返さないでいただけませんか……?


「……ユウ兄?」

「ん?なんだ?」

「……一緒に住むクリスの胸が大きいことは、気にならないの?」


 ああ、予想外に、話が一気に進んでしまった。

ノゾミが「一緒に住むクリス」と言ってしまっている。

胸のことが焦点になっているため、彼女自身は気付いていないようだが。


「ノゾミお嬢様」

「……何?ユウ兄様」

「ちょっとこっちへ座ろうか」


 俺の隣をバンバンとたたく。

座っているソファーは、2人座っても十分余裕がある。


「……えっ……でも……話は途中で……」


 彼女も、真面目な話の間は、俺の隣に座ることを躊躇していたようだ。

まあ、気持ちは分かる。俺もそんな状態から話ができるとは、思えないから。


「いいから、いいから……ね。話でも重要なことなんだよ」


 重要なことではある。それは間違っていない。

仕方なしにおずおずと……ではなく、嬉しそうな顔して、右隣に移動してきた。


「……キャッ!」


 そんな彼女の肩を強引に寄せる。

ブラウスの第2ボタンを外し、彼女の左胸に右手を滑り込ませた。

ブラジャー越しに、小ぶりな胸を鷲掴みする。

これはブラの当て布の柔らかさなのか、ノゾミのオッパイの柔らかさなのか……。


「……何、するの……?」

「ノゾミお嬢様は、まだわかってないようだから」


「何を?」

「俺は、『ノゾミのもの』しか興味はない。美乳なんだよ、綺麗なんだよ」


 肩を寄せているため、2人の距離は0cm。

ささやくような声で、話し合う。

傍から見ると、通報ものだが、店員は見て見ぬふりをしてくれているようだ。


「……まあ、お楽しみは後で……ということで」

「……本当かな……今夜から、お邪魔少女がいるけど……」


そんなつぶやきが聞こえているが、聞こえなかったフリをする。


 右手を撤退させる。が、ブラウスから外に出たところで、拘束される。

どうやら、肩を寄せた密着状態は、継続して欲しいようだ。

腕を肩に回してるのは、少々苦しいので、腰に回すことで許してもらう。


「ノゾミお嬢様、さっきから『クリスがウチに住むこと』前提で話してないか?」

「………えっ?」


「『一緒に住むクリス』とか『お邪魔少女』とか自然に言っている気がするのだが」

「……ああ……そうね……」


本人は気付いてなかったらしい。沈んだ表情でそれを理解した。


「ノゾミは、俺と2人で暮らすより、クリス含めた3人の方が……ごめん、良いわけないよな……」


 途中でキッと睨まれたので、彼女の本心はよくわかった。

それでも、その状況を飲まざるを得ない現状があることを理解して、我慢してくれていることも。

彼女の年齢なら、駄々こねたり、文句を言ってもいいはずなのだが。

それだけ、突然の出来事なのだから。


「俺、今のクリスの現状について、よくわかっていないんだ」


彼女はキョトンとしている。

ある程度の成り行きは、知っているものと思っていたらしい。


「クリスのメールを見たマイク、まあこいつはクリスの父親なんだが、彼からの電話でしか」

「……クリスのお父様は、何と言っていたの?」


聞き返すと、マグクリームソーダを一口飲む。


「広島の鈴峯女学園に通うことになったことと、彼女が困っていたら助けてやってね、くらいか」

「……一緒に住まわせてやってくれ、とかでは、ないの?」


「さすがにその場合は、もっと早くに連絡あるだろう」

「……だよね」


会話が途切れる。そして、ノゾミはソファーに背を預けた。

第2ボタンまで外れたブラウスの隙間から、薄水色のものが見える。


「……ああ、どう考えても、クリスが一緒に住むことになっちゃうね……」

「……そうなのか?」


こちらに顔を向けて、頷く。


「あの子、初めからユウ兄にお世話になるつもりで、鈴峯行きを決めてるの」

「……」


「今日だって、私に出会わなかったら、住所だけで訪ねて来てたみたい」


首をソファーに乗せているまま、上を向く。


「……3日前の私、みたいに……ね……」


 その言葉に、ノゾミが訪ねてきた場面を思い出す。

それが今夜また、再現されるかもしれなかったのか……。


「私の場合は、受け入れてもらえなかったときのことも、考えていたのだけど……」

彼女は、フフッて笑った。


「あの子、何も考えてないの。親には『寮に入る』って言っているみたいだから」

「……マジか」


「うん、本当におバカな子……」


 眼が優しい。

そうか、自分と同じことをしようとしたクリスに、情が移ってしまったんだな……。

クリスの同居に我を通して反対しない理由も、何となくわかってしまった。


……クリス……昔からお転婆だとは思っていたけど、それはダメだわ……。

俺に会いたくて来てくれたのは、嬉しいけど、このようにノゾミに迷惑をかけている。

ウチに住むことになれば、マイクが謝罪してくるだろうから、親にも迷惑をかけることになる。


……これは、よく言って聞かせないと……。



「……で、寮に入れるなら、よかったのだけど……満室らしくて」

寮についても、学校に聞いてくれていたようだ。


八方ふさがり。

同居を断るのは簡単だが、クリスの今夜の居場所が無い。


 小学生が1人でホテルに泊まるとか、ネットカフェで……は、ダメだろう。

長期的に考えれば、ホテルやネットカフェは論外、1人暮らしも危険すぎる。

名古屋に帰ってもらうか?

……この新学期ギリギリで、他校に編入は、難しいだろう。


「ああ、確かに現状は、他に手がないな……」


 「現状は」と付けたのは、今日付で赴任してきたアニーの存在を思い出したからだ。

マイクと同僚でもある彼女なら、クリスとも認識があるのではないか、と。

そんな彼女は、そのうち何処かを借りて住む、という話をしていた。

とはいえ、外国人で子供連れだと、住居を探すときに、めっぽうハードルが上がるだろう。

そもそも、アニーが子供を苦手にしている可能性もある。


明日にでも、聞いてみるか……。



「……仕方ない、とりあえずクリスは、ウチで預かろう」


隣でノゾミが頷く。



……今夜から、場所を選ばないといけないのか……。



ブラウスの隙間から覗く薄水色のものをチラチラ眺めながら、ため息をついた。

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