第37話 マイクからの電話

サンビツ重工業の正門前のバス停で、バスを待つ。


 自分のスマホを取り出す。

ウチの会社では、個人のスマホや携帯電話の使用は、禁止されている。

それらに付与されている撮影機能で、工場内のものを撮影することを防ぐためだ。

部長という、社員を束ねる立場になってからは、工場の正門を出てからスマホを取り出すことが日課になっている。


日中に来たメールを確認する。

……ん?ノゾミからのメール……?





Sub:(怒)

From:ノゾミ


・クリスって子、ウチに住むの?








・何の事?今から帰ります




そう思わず、返信する。

本当に心当たりがないのだ。



……クリス……?


「クリス」と聞くと、まず思い浮かぶのは、名古屋のマイクの金髪娘……。

それ以外には思いつかないが、小学生の彼女が、ここ広島にいるわけがない。



 差出人を確認する。ノゾミで間違いない。

それよりもサブジェクトの欄が……怖いんだが。

少なくとも、ノゾミ「さん」が怒るほどの案件、ということか……。



「クリス」という人物が「ウチに住む」となると……。

ノゾミといちゃいちゃできなくなるではないか……。



そうか、ノゾミはその点に怒っているのかもしれない。

ああ、かわいいなぁ……。


 でも、本当にわからない。

仕方がないので、ノゾミからの返信を待つ。



……返信は来ない。



 昼くらいのメールだったので、今は気付いていないのだろう。

とりあえず、彼女と顔を合わせれば、何の事かわかるはず。


……もしかしたら、まだ怒っているのかもしれない。


俺に心当たりがないから、誤解が解ければ、怒りをおさめてくれるだろう。



バスが来た。

ICカードを取り出し、機械にかざす。

空いている座席に腰下ろした。



 乗り換えの電車も待つこともなく、ベストのタイミングで来た。

舟入通りを北上していく。

帰宅ラッシュなのか、周りの車線には、車がぎっしり並んでいる。


佐伯とアニーを中心とした女性たちは、30分前にここを通ったはず。

どこで歓迎会を開くのだろうか。


流川ながれかわかな?紙屋町かみやちょうかな?それとも八丁堀はっちょうぼり


今までだったら、混ざっていたかもしれない。

佐伯も誘ってくれただろう。


でも、今の俺は、愛する女性が家で待っている身。

彼女がいるから帰るのではなく、俺が彼女に会いたいから帰る。




 いつもの土橋駅に降り立つ。

乗り換え駅ということで、それなりにひとは多い。

宮島口行きの連結車が止まっていたからなのか、一緒に降りた何人かは、素早く横断歩道を渡った。


特に急ぐこともない俺は、ゆっくり渡る。

そんなとき、ポケットの中で振動……。


……表示されているのは、マイクル・スミスの文字。


マイクから電話?しかもこちらに?


……と、いうのは、俺は常に自分のスマホと、会社に渡されている携帯電話を持っている。

工場内では使用が禁止されているスマホや携帯電話だが、連絡手段としては、必要なのだ。

そこで、各部署リーダーより上の管理関係者は、工場から携帯電話を与えられている。



 マイクの立場は、ソーイング社の日本統括部 設計課 課長。

設計はより重要なポジションなので、アンダーソン統括部長の1つ下くらいの偉いひとという認識。

そんな彼が俺に用事があるときは、必ず会社の電話にかけてくる。

彼曰く、「仕事の話は、会社の電話にかけるのは当然」らしい。

そう言いながらも、仕事の話以外の話も、ついでにしているのだが、「それはそれ」なのだそうだ。



 そんな彼とは、名古屋で家族ぐるみの関係を持った。

そのため、プライベートのときは、当然個人の電話でやり取りすることになる。



……名古屋時代以来の、着信……。



「Hello, Mike.It is unusual to call here 」

(もしもし、マイク。こっちに電話してくるのは、珍しいね)

「Congratulations, congratulations.」

(おめでとう、おめでとう)


電話の向こうでは、マイクが興奮気味だ。

こちらの話が聞こえているのか、疑問である。


「I did not know that you got married. I am sorry I did not celebrate.」

(君が結婚したなんて、知らなかったよ。祝ってあげなくて申し訳ない)


ん……?結婚した?

俺はまだ結婚はしていないが……。

岩さんから聞いたのか?

でも、彼には「結婚式はまだ」と言っているから、外部組織のマイクには、話が行っていないはずなんだけど。


「Mike, calm down. I have not married yet.」

(マイク、落ち着け。俺はまだ、結婚していない)

「really? Then, it may be my misunderstanding.」

(本当か?ならば、私の勘違いなのかもしれない)


少し落ち着きを取り戻したようだ。


「……But with an email from Chris, there is a message that your wife wants to talk to me……」

(……だが、クリスからのメールで、君の妻が俺と話がしたいっていうことを聞いてな……)


ん?クリスからのメール?


俺の妻……?


「俺の妻」に該当する人物は、1人しかいない。

厳密に言えば、妻ではないが、言われても問題がない関係。

そして、その該当者から「クリスって子、ウチに住むの?」というメールがあったことは確認済……。


「Where is Chris right now?」

(クリスは、今、何処にいるんだ?)

「Chris is now in Hiroshima.」

(今は広島にいる)


クリスは広島に来ている。面白いようにパーツが繋がっていく。


「She is going to go to Suzumine girls' school in Hiroshima next month.」

(広島の鈴峯女学園に、来月から通うことになったからな)


クリスが鈴峯に通うことになるのか……。

そして、今日、ノゾミは鈴峯に行っているはずだ。


「I see……. I understood everything.」

(そういうことか……。納得がいった)

「YUU, explain to me if you know.」

(ユウ、わかっているなら、説明してくれないか)


 彼がそわそわしている様子が、電話口から伝わってくる。

娘のクリスに関わる事だからだろうか。

それとも、俺の妻に関することだからだろうか。


「……It's a simple story.」

(……簡単な話だ)


なるべく簡単に、誤解を与えないようにシンプルに、を心掛ける。


「fiancé living with me met with Suzumine girls' school. It's just that.」

(同居している婚約者とクリスが、鈴峯女学園で出会った。ただ、それだけのことだ)

「That's right, your fiance is a teacher.」

(そうか、君の婚約者は教師なんだな)


一瞬の間があった後、嬉しそうな声が聞こえる。

彼なりに、少ない情報を上手く結びつけたようだ。


「Will you tell her that my daughter will take care of her?」

(婚約者に、娘がお世話になりますと、言っておいてくれないか)


彼は、少し勘違いしている。俺の婚約者は、教師ではない。

これを訂正しておくべきかどうか……。


「……Sorry, she is not a teacher.」

(すまない。彼女は先生ではないんだ)


それを聞いて、電話の向こうが静かになった。


「That's right, your fiancee is not what you decide.」

(そうか、婚約者は、君が決めることではないからな)


……ん?確かに親が勝手に決めていて、俺は知らなかったが……。


「For example, if I become a 13 year old child and marry her and have a sexual relationship,……」

(例え、13歳の子供を娶ることになり、彼女と結婚して性的な関係を持とうとも……)


……13歳の子供……?


「……I am relieved not to despise you as my best friend.」

(私は親友として、君を軽蔑しないから安心してくれ)


さらに彼は続けた。


「But, she seems to be sexed when she is young, it seems that the pelvis is distorted, so it may be better to wait until growing a bit more.」

(でも、幼いうちにセックスすると、骨盤が歪むらしいから、もう少し成長するまで、待った方がいいかもしれない)


こら、マイク。勘違いもほどほどにせーよ!

そんな鬼畜じゃあ、ないわい!


「……Mike, what kind of person is my fiancee thinking?」

(……マイク、俺の婚約者をどんな感じに想像してる?)

「Is she a classmate like Chris? Otherwise, Chris will never see her……」

(クリスと同級生だろう?そうじゃないと、出会うことがないと……)


 彼の言いたいことは、わかる。

学校の教師以外で、13歳のクリスが出会う可能性を考えれば、「クリスの同級生」という結論になる。

「先生ではない」と、中途半端な答えをした俺が悪いのだろうか。


「My fiance is a 16 year old high school student.」

(俺の婚約者は、16歳の高校生だ)

「I see, she is a high school student.」

(そうかー、高校生だったのか……)


電話の向こうで、安堵のため息が聞こえる。


「My best friend was not devil but relieved. marriage with a high school student may well be demonic…… 」

(親友が鬼畜ではなくて、ホッとした……あっ、高校生と結婚も十分に鬼畜かもしれないな……)

「……Hmm, I'm a bad man marrying a child.」

(……ふん、ふんっ、俺は子供と結婚する悪い男だよ……」


「Even so, why does elementary school student meet high school student?」

(そうだとしても、なぜ小学生が高校生と出会うことになったのだ?)


俺の自虐的な言葉を拾うこともなく、言葉を繋げるマイク。


「I think that Suzumen Gakuen is because elementary school, junior high school, and high school are together.」

(鈴峯女学園は、小中高一貫校だから、だと思う)

「Is that so.Junior high school and high school are together.」

(そうだったのか。鈴峯女学園って、中学と高校が一緒なんだな)


「Did not you know?」

(知らなかったのかよ?)

「Oh, I did not know.I said that Chris wants to go.」

(ああ、知らなかった。クリスが通いたいと選んだ学校だからな)


 娘が通いたいと言って来たから、希望を叶える……。

良い親のように見える発言だが、学校のことを知らないのは、ダメだろう。

しかも、彼らが住んでいる名古屋から、相当離れている。

さらに、クリスはまだ、小学生だ。

いくら子供の自我や主張を尊重するお国柄とはいえ、家族から離れて暮らすのは、どうなんだろうか。


「Where there is a school, Hiroshima where YUU lives, so think that there is no problem.」

(学校があるところも、ユウが住んでいる広島だから、問題ないかと思ってね)


 俺と広島市を買いかぶりすぎだ。

今回、たまたま近くにある鈴峯女学園だったからいいものの……。

広島市もそれなりに広い。

クリスのことだから、出来る限り助けには行きたい。

けれど、いつも助けることができるわけがない。

不可能なものは、不可能だ。


「The only thing I was worried about was that Chris loved you too much, but it is safe to live with a fiancé.」

(唯一心配だったのが、クリスがユウを好き過ぎるところだったけど、婚約者と同棲していることですし、安心ですね)

「……What do you mean?」

(……どういうことだ?)


なぜ、ノゾミと同棲していることが、安心につながるのだろうか?


「I would like to ask you for my daughter.」

(娘のことを、どうか頼む)


いつにない、真面目な声。


「……and I'd like you to ask Chris' hope as much as possible.」

(そして、クリスの希望は、できるだけ聞いてあげて欲しい)


その後、沈黙が続く。

彼は、俺の答えを待っているようだ。


 そこで黙られると、困る。

クリスは、俺にとっても大事なのだから。

親友の娘というだけで、十分な理由だ。

彼女が家族と離れたここ広島で、苦難に出会ったときに、手を差し伸べないなんて、考えられない。


「all right. Leave it to me.」

(わかった。俺に任せろ)


俺の考えられる答えは、1つしかなかった。

それを聞いて安堵したのか、軽く「I beg to you.」と言葉と共に、話が終わった。



俺の耳に、街の喧噪が戻ってきた。


ノゾミからの返信は、未だにない。


・クリスって子、ウチに住むの?


メールの文章が、頭の中で繰り返される。

この文面から、クリスは俺と住みたがっているのだろうか。




ノゾミとの信頼関係

マイクとの信頼関係

クリスとの信頼関係




優先すべきは、ノゾミなんだけど……。

それにより、クリスを放浪させるのは、ちょっとなぁ……。


いろいろ考えながら、家のドアノブをひねる。

抵抗なくドアを引くことができた。


「ただいまー」


家の中に入ろうと歩を歩めようとしたが、家の中から勢いよくふっ飛ばされた。

その反動で、ドアノブを離すことになる。


バタンと音を立ててドアは閉まった。


何が起きたのか。


 俺の身体の前面に、かすかなぬくもりと柔らかさの存在を確認できている。

思い切り、締め付けられる俺の身体。

鼻先にくすぐる香り……。


……でも、俺は、この髪の毛の香りを知っている。

少し汗の匂いと混じっているが、昨日も出会っている香り。


「ただいま、ノゾミ」


俺は、軽く彼女の頭を撫でることにした。

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