第32話 私を覚えてますか

「会長、桜が綺麗に咲きました」

「そうね、今年も新入生を無事迎える準備が整ったようですね」


 凛ちゃんが窓を開けながら、声をかけてきました。

入学式の準備や確認作業が最後の詰めに入っているため、生徒会の皆は、忙しくしています。

学校は春休みに入っていますが、我々生徒会の面子は通常通り登校しています。

会長の私、書記の垣根かきね りんちゃん、会計の坂本さかもと あおいちゃん。

さらにこの部屋にいない3人を加えて、生徒会の所属は6人となっています。

3人のうちの1人目は、今日も各所との取次ぎに動いてくれています、宮本みやもと 明日香あすかさん。

2人目は、松本まつもと美咲みさきさん。

そして、最後の1人は、副会長のじょうがさき 未来みらい……みくちゃん……。


2人は、今頃東京にいることでしょう。


 美咲さんは、1年前に編入してきたひとで、今回、武蔵野女子に戻っていきました。

みくちゃんは、武蔵野女子に編入するために、向かっていきました。

生徒会としては、優秀な編入組の美咲さんが抜けるのは、正直、痛いです。

しかし、彼女が入ってきたときからわかっていたこと。仕方がないことです。

私としては、長年付き合いのある、みくちゃんが離れた方が、不安にです。


プルルルルルル……

ガチャ


「ハイ、生徒会高等部です……あ、編入予定者の名前確認ですね、少々お待ちください」


 電話が鳴り、凛ちゃんが受けます。

編入予定者という名前を聞いて、思考を切り替えます。


 みくちゃんが抜けたけれど、その代わりに、武蔵野からも、こちらに来るひとがいます。

今回は鈴峯からは5人、武蔵野からは3人。

武蔵野女子は東京にあるため、立地上、就職活動、大学受験に有利になります。

そんなこともあって、毎年、編入試験の競争が激しくなります。

最大枠は5人。その枠に50人近くが挑むため、非常に狭き門となっています。


 武蔵野からウチに来る枠も、5人なのですが、希望者のみなので、どうしても少なくなります。

どうしても、東京に比べると広島市といえども小都市なので、都落ち感があります。

そのため、こちらに来るひとは、変わった事情を持った人が多いです。

さらに1年経つと、戻っていくひとも多い。

今回は、武蔵野からは1人、鈴峯からは4人全員が戻っていきます。

今、こちらに来て定着してくれている「変わり者」は、中高合わせて2人しかいません。

そのうちの1人が、ここで静かに作業している葵ちゃんだったりするわけですが。


「お待たせしました、ハイ、……相田 希と山崎 小夜……ですね……」


えっ……?相田 希……。

その名前を聞いて、思わず作業を止めてしまいました。

今回の編入予定者の名簿を見せてもらいましたが、そんな名前はなかったはずです。


「……あのう、『相田 希』さんの名前が、確認できませんが……」


凛ちゃんが申し訳なさそうに答えている。

……そうですよ、記憶違いでなければ、あの大企業のお嬢様が、広島にまで来るはずがない……。


「……ああ、『佐々木 希』ですか、……その名前ならあります」


佐々木 希……。


「別紙資料に書いてありますね、ハイ、向かわせます、ご連絡、ありがとうございました」


守衛室からの電話を終えた凛ちゃんの隣に移動して、その別紙資料を手に取ります。



武蔵野女子学園 生徒No.158247 佐々木 希

配偶者:佐々木 優と婚約するため、生徒手帳に記載している「相田 希」から変更


3月9日 名前変更申請   3月15日 学園長承認

3月9日 妊娠優遇措置申請 3月15日 学園長承認


備考:

申請者 相田 徹 本人との関係:父

佐々木 優の自宅からの通学のため、申請者の希望により変更



……確かに、相田 希本人で間違いないですね。

備考欄の名前が、アイダコーポレイション社長の名前であることで、確信を持てました。


久しぶりですね、相田 希さん……いえ、ノン。




 昔のことを思い出します。私が小学生だった頃です。

東京のホテルで、親睦会がよく開催されていました。

主催が有名企業だったせいか、多くの有名企業の関係者が参加しました。

形の上では、「親睦を深める」ということが主でしたので、家族同伴の参加が推奨されたようです。


 私も電気量販店の会長であるおじい様に連れられて、お父様とお母様とお兄様と参加しました。

大人たちは、それぞれの家族を紹介し合い、話に花を咲かせています。

一流のシェフの料理が並べられ、一流の演奏家たちが、音楽を奏でる……。


……しかし、このような場所って、子供には退屈なものです。

同じように退屈している、他の子供たちと集まって、遊ぶようになっていきました。

そこで出会ったのが、相田 希ちゃん。

年が1つしか違わなかったのもありまして、2人は意気投合しました。

知り合ってからは、同じような親睦会では、お互いを探すようになります。

そして、お互い、自分の周辺の話をし合って、楽しみます。

いつしか、私のことを「はーちゃん」希ちゃんのことを「ノン」と呼ぶまでになりました。


ある時、


「私、ユウ兄様と結婚するために、いろいろ勉強することにしたの」


そんなことを言ってくるノンがいました。

当時小学生の私に、「結婚」については、綺麗な花嫁さんになって、苗字が変わることしか知りませんでした。


「ノン、花嫁さんになるのですか?」

「ううん、花嫁さんになるには、もっと勉強して、お手伝いしてからだよ」

「へー、、その『ユウ兄様』ってひと、どんな方なのですか?」

「えーっと、優しいし、何でも言うこと聞いてくれるし、楽しいの」


そう言い切った彼女は、とてもにやけていたことを覚えています。

「ユウ兄様」の名前が「ササキ ユウ」だということも教えてもらいました。


「でしたら、ゆくゆくは『ササキ ノゾミ」になるのですね」

「何でなの?」

「花嫁さんは、結婚しましたら、旦那さんの苗字に変わりますから」

「そうかー、『ササキ ノゾミ』になるのかー」


彼女は、「そうかー『ササキ ノゾミ』かー」とずっと繰り返しています。

余程嬉しかったのでしょうか。


「はーちゃん、結婚式には、とくとうせきで呼ぶね」


 そんな約束まで、してくれました。仲良しな2人。

どちらも大会社の関係者の娘で、何でも話してしまう間柄。

しかし、そんな雰囲気が一変してしまう質問を、私は、してしまったのです。


「ユウ兄様って、年上なのでしょうか?中学生ですか?」

「ううん、大人のお兄さん」


 大人の男のひとと聞いて、複雑な気持ちになりました。

私たちの親や家族が、日本有数の会社の関係者であるため、優しくしてくれる大人は少なくありません。

純粋に私たちに優しくしているのではなく、その後ろの影を見ていることも、知っています。

そんな透けた卑しい心が読み取れてしまうため、周辺の大人には、良い感情を持っていませんでした。


「ノン、騙されています。そのひとが優しいわけがないです」

「……えっ?ユウ兄様は違うよ!」

「いえ、その『ユウ兄様』も同じです。悪いことを考えて優しくしてくれていたのです」

「絶対違うからー!ユウ兄様は、良いひとなんだからー!」


 少女2人の言い合いは、激しくなっていきました。

そのときの私は、騙されているノンの気持ちを正すために必死でした。

でも、彼女は、泣きながら『ユウ兄様』のことを庇います。

私は、いつもは賛同してくれる彼女が、聞き入れてくれないため、意固地になってしまいました。


「もう、ノンなんて嫌い。絶交です」

そう言って、控室に向けて走っていきました。


「え、えーっ!はーちゃーん!いやーっっっ!!うわーん!」

そんな声が後ろでしていたように思いますが、振り返りませんでした。


……その後のことは、あまり覚えていません。

控室のソファーで伏せって、泣いていたのかもしれません。


ただ、一場面だけ、覚えています。

様子を見で、控室に戻って来てくれたのか、当時高校生のお兄様が言った言葉。


「もし、俺のことを『悪いひと』だと言われたら、遥はどう思う?」

「……えっ……スン、スン……いや……だど……思う……」

「多分、ノゾミちゃんもそんな気持ちだったんだと思うよ」

「……えっ?そうなの?」

「ああ」

「なら、私……ノンに謝らないといけません」

「そうだね」


 兄の返事を聞く前に、控室を飛び出し、会場へ向かいました。

……けれど、ノンの姿はおろか、ノンのお父様やお母様の姿も消えていました。

今思えば、泣き叫ぶノンを連れて、控室に戻っていたのかもしれません。


……次に会ったときに、ノンに謝ろう……。


 しかし、これから先、彼女に出会うことはありませんでした。

私まで参加が可能な親睦会が、年で数えるほどしかないこと。

さらに広島の私の親族、東京のノンの家族が一緒に参加する機会が少ないこと。

私は、小学6年生くらいから、習い事と部活が忙しくなり、参加できなくなってしまいました。


……そのうち、その気持ちも薄れ、探すことも忘れていきました。





そんな忘れかけていた、苦い思い出。


……「佐々木」に名前を変更、さらに「妊娠優遇措置」……。

間違いない、相田 希、いいえ、ノンは夢を果たしたのですね……。


「会長、佐々木さんと山崎さんを迎えにいくひと、誰にします?」


電話対応をしていた凛ちゃんが聞いてきました。


ノンに会いたい。会いたい以上に謝りたいという気持ちがあります。

そして一番最初におめでとうと声をかけたい……。


……視線を感じます。


 先程まで作業していた葵ちゃんは、私の方を向いて、見つめています。

普段は自己主張して来ない彼女からの、無言の主張……。

彼女は、武蔵野からの編入組です。

もしかしたら、ノンか山崎さんを知っているのかもしれません。


「葵ーっ!アンタまだ残っているでしょー!」


 凛ちゃんが、そんな葵ちゃんに文句を言っています。

彼女たちは、葵ちゃんが編入してきた2年前からの付き合いで、気心知れた仲なのでしょう。

凛ちゃんを見つめて、そして不服そうな顔をしています。


「……生徒会に入ってもらうんだから、会長に行ってもらおうって、言ったじゃない」

「……お菓子」

「はいはい、分かったから。お菓子、奢るからー」


 その声を聞いて、納得したようです。葵ちゃんは、作業に戻りました。

もしかしたら、お菓子を奢ってもらうために、わざと駄々をこねたのかもしれません。


「……ということで、会長。お願いしてもいいですか?」

「わかりました。いってきます」


 生徒会室のトビラを閉めます。

心が逸ります。久しぶりにノンに会える。

そして、謝ることができる。


 しかし……ノンは許してくれるでしょうか。

遠くで、ブラスバンド部の演奏が聞こえてきます。

勇ましい曲……。心が奮い立ちます。


 校舎の出口から、様子を見ます。

守衛室付近に1人の女性と、1人の少女、黒い乗用車が見えます。

……よく見ると、もう1人……、金髪の少女も入れて3人います。


少女が2人、話をしているみたいです。

邪魔にならないように、少し離れた場所で2人を見守っている女性に、声をかけました。


「生徒会からのお迎えに上がりました」

「わざわざすみません」


その女性は、頭を下げてきました。

知っている顔の面影がないので、多分、山崎さんでしょう。


「鈴峯女学園 高等部 生徒会長の久保 遥です」

「私は、山崎 小夜といいます。お迎えありがとうございます」

「こちらこそ、遠いところから、ありがとうございます」


ここでこの挨拶は変な気はしますけど、仕方がありません。

武蔵野女子からの編入希望者は、年々減少の傾向がありますので。


「あそこにいるのが、佐々木 希とクリスティーナ・スミスです」

「スミスさんの名前は、お伺いしておりませんが……」

「ああ、彼女は中等部に入学するようです」

「武蔵野女子からの編入ですか?」

「いいえ、彼女は名古屋から来たと言ってましたので、おそらく純粋入学です」


……中等部入学者ですか……。名前から外国のひとのようです。

守衛さんに確認すると、山崎さんのおっしゃる通りでした。

彼女は、容姿から目立ちます。これはぜひ、生徒会に欲しい人材です。


スマホを取り出します。

……脇坂わきさか……脇坂……と。


「はい、遥さん、いきなりの電話、何の用事でしょうか?」


電話が、脇坂わきさか心春こはるに繋がりました。

彼女は、中等部の生徒会長です。


「今すぐ、高等部生徒会室に来れますか?」

「行けますが、どうしたんですか?」

「まあ、来てのお楽しみということで」

「……わかりました、行きます」


疑問符をたくさんつけた、少し戸惑っている彼女の様子が思い浮かびます。

それでも了承してくれたので、電話を切りました。


「2人とも……、話はまだ続きそうですか?」


山崎さんの声に、2人がこちらを向いた。


「待たせてすみません」


 金髪ではない方の少女が頭を下げて来たので、こちらも軽く会釈をします。

こちらが、ノンですね。幼い頃の面影が少しあります。

……背が伸びていないことには驚きました。

容姿から、少女と思ってごめんなさい。


 しかし、金髪の少女が、彼女に声をかけて来たため、再度2人だけの話が始まりました。

これは、長くなりそうですね。

でも、私にとっては、久しぶりに見るノンの姿を、眺めることができましたので、至福の時間です。


隣にいる山崎さんが、業を煮やしたのか、ノンの方へ歩き出しました。

1人残されるのもイヤなので、私も彼女の後をついていきます。


「希様、サンビツとは、優様が勤めている工場のことですよ」


 会話に上手く入ったようです。ノンとスミスさんがこちらを向きました。

「希様」と呼ぶ彼女は、ノンの身の回りの世話や護衛をする仕事でも、しているのでしょうか。

さすが、世界有数企業・アイダコーポレイションの社長令嬢。

お嬢様と学校に一緒に通ってガードする。どこかの少女漫画みたいです。


「お取込み中のようで」


心の中で「私のためにすみません」と付け加えて、頭を下げます。

よくよく考えると、私のためではないのですが、なぜかそう思ってしまいました。


「いいえ、私の方こそ。佐々木 希です。はじめまして」


 彼女が、私と向き合っています。

まずは自己紹介。そういえば、私の名前、彼女は知っているのでしょうか。

子供のときは、「はーちゃん」としか、教えてなかった気がします。


「私は、久保 遥です」

心臓がドキドキしています。ノン、私がわかりますか?


「鈴峯女学園 高等部 生徒会長を、やっています」


 そんな気持ちを誤魔化すように、今の立場を紹介します。

私、「はーちゃん」ですよ。

しかし、彼女の表情は、変わりません。

寂しいような、でもホッとしている自分もいます。

そもそも、「はーちゃん」との思い出すら覚えていないのかもしれません。


「……実は、『はじめまして』では、ありませんよ」


表情の変わらないノンに悔しかったのか、無意識に言葉が出てしまいました。


「希……いえ、ノン」


『ノン』……その言葉を出してしまうと、溢れる気持ちが抑えきれなくなった。

「あのときはごめんね」「佐々木になれたね」「おめでとう」

様々な言葉を贈りたいと思うと、彼女を抱きしめていました。

温かくて、柔らかい。時間がゆったりと流れているようです。


……昔は、寂しがっていたノンを、抱きしめてあやしていましたね……。


 当時、ノンの親は忙しく挨拶回りをしていたようで、連れて来たノンに構う時間がありませんでした。

普段も仕事で家に居なかったようなので、久しぶりに会えて甘えたいノンは、よく駄々をこねました。

そんなとき、私がノンと仲が良かったことを知っていたご両親は、私のところに連れて来ます。

「はーちゃんと遊んでもらえ」と。

駄々をこねて、泣いているノンをあやすのは、私の仕事。

私の方が1つ上のお姉さんですもの。当然です。

そして、私の顔を見ると、ノンは、先程の駄々っ子ぶりがウソのように、笑顔を浮かべました。


……妹成分・充電、完了!


 気が済んだ私は、彼女を解放する。

解き放たれた彼女は、呆然としていました。

それでも、私は思い出してもらえていないみたいです。


「思い出せないようですね」


勤めて冷静に言葉を紡ぎました。

「私、はーちゃんです、思い出して下さい」そんな心の声を封印して。


「とっても昔だから、無理もありません」

絞り出すように、自分自身を納得させるように、言葉を続けた。


「そこの金髪の方」


スミスさんがビクッとしています。

ごめんなさい、私にいつもの余裕がないみたいです。


「この春からウチの中学に通い始めるみたいですね、中等部の生徒会長も呼んでおきますね」

「は、はい……ありがとうございます」


彼女が完全に委縮してしまいました。

仕方がないですね……コハルにフォローを頼みましょう……。


気を取り直して、ノンの顔を見る。

本当にこんなかわいい子に育ってから……はーちゃん嬉しいよ……。


「ノン、いえ、相田さん」


私は、はーちゃんではありません。少なくとも今は、生徒会長です。

きちんと名前を呼ばなくては。


「……違いますね……フフフ、今は、佐々木さん……ですか……」

少し驚いている彼女をじーっと見つめる。


「……ふーん、ノンは夢を叶えたのですね……よかったよかった……」


 彼女の目が、見開いています。

何で私がそれを知っているのか、という顔をしていますね。

何ででしょうね……。


そんな彼女の様子に満足した私は、本来の用事を済ませることにしました。


「手続きなどの書類は、生徒会室にありますので、今から向かいます」

彼女らに背を向けて、ゆっくりと歩き出します。


「佐々木さん、山崎さん、スミスさん、ご同行願います」

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