第31話 胸格差的劣等感 

私は、もう1度その書かれた名前を読み返した。


佐々木 優


「……ささき ゆう……」

「はい、ユウの家にお世話になるつもりです」


クリスは、嬉しそうにしている。


「私は、ユウと会うため、鈴峯に通うことにしました」


間違いない、クリスがお世話になるひとって、ユウ兄様……。

……しかし、ユウ兄様からこのことを一言も聞いていないのだけど……。


「どうしましたか?」


 叫び声を上げた私と、頭を抱えている小夜を見て、クリスは首を傾げている。

どう答えようか……。

とりあえず、ユウ兄様にメールを送ってみることにした。



・クリスって子、ウチに住むの?



 これでいいのかな?私自身、よくわかっていない。

ユウ兄様は、メールを読んでくれるだろうか。

そして、すぐに返事をくれるだろうか。


もし、ユウ兄様がこのことを知っていて、私に黙っていたとしたら……。


そんなことはないと信じたい。

信じたいけど、信じ切れない……。


 もし、彼女と一緒に住むことになったら……。

ユウ兄様と2人きりで居る時間がなくなる。

私と彼女は学生。

生活時間が重なるから、ユウ兄様と顔を合わせるときは、常に彼女が傍にいることになる。

彼女が遊びに行って、外泊でもしない限り、ずっと3人だ。

せっかく、昨日、ユウ兄と密接な関係になれたのに。

彼女がいると、そんな至福な時間を作れなくなる……。


そんなの、嫌。


 もしかして、ユウ兄様は、私より彼女の方を、好きになるかも……。

彼は、私の胸が小さいから、エッチはしないと言った。

私より、胸が大きいクリスとなら、エッチをしちゃうかもしれない。

そして、用ナシになった私は、家を追い出されちゃうことに……?


せっかく、ユウ兄様と一緒に住むことになったのに。


……ユウ兄様は私の物だ。彼女の物ではない。

彼女にユウ兄様を譲るなんて……そんなの、嫌。絶対、嫌。


「……そんなの、絶対、嫌!」


 気付けば、叫んでいた。

思わず、クリスに背を向けてしまう。

視界から消える寸前の彼女の顔は、少し困惑しているように見えた。



「希様」


 誰かが私の名前を呼んでいる。

そんなこと、どうでもいいよ。邪魔しないでよ……。

私は、胸が小さいから、ユウ兄様に嫌われる。

ユウ兄様は、胸の大きいクリスの方が良いんだ……。

良いに決まってる。


ああ、涙がこぼれてくる。この2日間は幸せだったよ……。


「希様」


後ろからガシッと抱き着かれ、胸を揉まれる。

……私の胸は、こんな小さな手のひらにも簡単に覆われるくらいしかない……。

……それに比べて、彼女の胸はー

……って、


「チョップ!」

「いてっ」


 私は振り向いて、小夜のおでこにチョップをお見舞いした。

彼女は悲鳴を上げて、頭を擦っている。


「こんなときに、何してくるのよー!」

「希様、まずは、この小娘に事情を聞くのが、先ではないですか」


 小夜、確かにそうだけど……。

そして、クリスが「小娘」と言われて、驚いているじゃない……。

確かに、そうね。この泥棒猫に聞いてから、そこからだね。


「小夜、ごめん。私、考えすぎていた」


小夜はため息をついた。腕組みをしている。


「そもそも、この件は、優様が一番悪いのです」

「……えっ、そうとは、決まってないような……」

「いいえ、小娘をたぶらかせました。すでに1つ目の罪を犯しています」

「……」

「そして、希様を泣かしました、私の希様を……」


アナタの物になった覚えはないし、むしろユウ兄様の物なんだけど……。


「よって、佐々木 優、死罪、決定!」


ズバーンッ……と、人さし指をクリスに向けて、ポーズを決める。

……死罪って……。

小夜のあらゆる伝手を使えば、可能になりそうで、普通に怖い。


「ユウ、死罪、決定!」

小夜の格好をクリスが真似している。


「いや、小娘、ここの角度はもう少しつけて」

「こうですか」

「そうそう、アナタは、見込みが有ります」


ああ、何か気分を削がれた……。


 おかげで少し気分が治まってくる。

身体の成長が早くても、この子はなんだかんだいっても小学生。

そんな子が、エッチとか身体の関係とか、考えるわけがない。

深呼吸を2回する。……ふう、落ち着いた。


「クリス」


小夜との話が終わったようなので、声をかける。

振り向いた勢いで金色の馬のしっぽが跳ねる。


「事情が変わったので、改めて、自己紹介をするね」


 うん、先程までの憤りはない。

ここは、落ち着いて、ゆっくりと、堂々と。

この子相手に、そこまでする必要はないのかもしれない。

それでも、いつか、ユウ兄を好きだという女性ひとと対峙するときのために……。

ここでも、少し早いけど「妻」という言葉を使おう。


「My name is Nozomi SASAKI. A wife of Yuu SASAKI.」

(私は佐々木 希といいます。佐々木 優の妻です)


手っ取り早いので、英語で話す。


「Are you serious?」

(ウソでしょう?)


 さすがに、驚いたようだ。そして、表情が暗くなる。

やはり、彼女もユウ兄様のことを好きだったようだ。

……ユウ兄様、モテるのね……。


「When was a wedding ceremony held?」

(結婚式は、いつ挙げたのでしょうか?)


そんなことを聞いてくる。

……悔しいけど、結婚はまだだから……ああ、ウソがバレる……。

「フィアンセ」と言えばよかったかもしれない。


「……a wedding ceremony isn't held.I'm still engaged.」

(結婚式は挙げてません。まだ、婚約中です)


 本当の意味で「妻」と言えないことが、こんなにも悔しいなんて。

どんなに頑張っても、言い張っても「婚約者」でしかない、この現実。

結婚という、確定的なものになってない以上、他のライバルに隙を見せてしまう……。


「Yes, it was good.」

(ああ、よかった)


彼女は、私の予想通り、笑顔になった。

だよね、ユウ兄様が、結婚して私の物ではないことがわかったからだよね……。


「I thought it wasn't invited to a wedding of YUU.」

(ユウの結婚式に呼ばれなかったのかと、思いました)


そう言うと、胸を撫で下ろしている。

あれ?この子は、ユウ兄様と結婚したかったわけでは、ないのかな……。


「......Did you want to attend a wedding?」

(……結婚式に出席したかったの?)


「Yes」

(はい)


いまいち、心が晴れない私に、彼女は曇りのない笑顔を向けてくる。


「He had been kind.So I'd like to celebrate his rejoicings together.」

(だって、お世話になったユウのお祝い事は、一緒にお祝いしたいじゃないですか)


そう言うと、微笑む。

その笑顔が、私の心を貫いた。

懐疑心を持っていた自分自身が、醜く思えるくらいに。


……ため息が出る。


 少なくとも、ユウ兄様のことを純粋に好きだということがわかった。

その「好き」という気持ちが、少なくとも今の時点では、「良く思っている」程度だということも。

……ただ、その気持ちが成長して「愛してる」「結婚したい」になるかどうかは、わからない。

ましてや、ユウ兄様自身が、彼女のことをそのような存在に思うことなんて……有り得ない。

私ですら、彼にそう思われる存在になっているのかどうか、とても不安なのに。

「状況で周りを固めていっているだけ」と言われたら、反論できないし。


……実際、そうだから。


まあ、彼女の場合は、私よりも年下なので、さらに難しいかもしれない。


「……2人とも、話はまだ続きそうですか?」


声に振り向くと、少し離れたところで、小夜と知らない女性がこちらを向いていた。

守衛の方が言っていた、迎えのひとが、来たらしい。


「待たせてすみません」


そう答えると、女性は軽く会釈してくれた。

……あれ?あの女のひと、見たことあるように見えるけど……。

気のせいかな。


「希お姉様」


クリスに別れを告げようと対面すると、声をかけられる。

先程と違い、少し浮かない表情をしているように見えるのは、気のせいだろうか。


「ん?どうしたの、クリス」


この少女を不安にさせてはいけない……。

そう思った私は、出来得る限りの笑顔を作って対応した。


「希お姉様は、ユウと一緒に住んでいるのでしょうか?」

「まあ……、住んでいるけど……」

「……私が押しかけると、迷惑になるのでは……」


そこまで言葉を運ぶと、彼女の表情が、より一層、曇っている。


正直に言うと、迷惑だ。

ユウ兄様と2人だけの時間が失われる。

クリスも一緒に暮らすようになれば、昨夜のようなことは、出来なくなる。

……もじかしたら、イチャイチャするのも、難しくなるかもしれない。

そして、クリスの気持ちが変わったら、私の敵になる。

すでに、私にない強力な武器を備えているのだ。

それで攻められると、ユウ兄様はひとたまりもない。


「……私は……」


 口から漏れそうになった、断りの言葉を止める。

普通に考えると、いきなり名古屋から飛び込んできた彼女の存在は、疎ましい。

排除したい。断りたい。来るなと言いたい。

ユウ兄様に言って名古屋に帰ってもらいたい。


しかし……。


 私も、彼女と同じように、ユウ兄様の家に押しかけてきた。

「断られたらどうしよう」

「ユウ兄様が思っていたようなひとじゃなかったらどうしよう」

受け入れられるまでは、そんな不安と対峙してきた。

その思いに駆られる度に、「そんなことはない」「大丈夫」と気持ちを奮い立たせてきた。

きっと、彼女もそうなのではないだろうか。

……そんな、私と同じ気持ちを体験しているこの子に、そんな言葉なんて……。


「そんなことはないけど……とりあえず、ユウ兄に聞いてみないと」


 そんな曖昧な言葉を吐く。

自分の判断ではなく、ユウ兄様に丸投げしている答え。

ユウ兄が良いと言えば、暮らしてもいい、ダメと言えば、暮らせない。

……私が思っていることを、悟られない方法。


良い考えだ……。ああ、なんて卑怯なんだろう……。


 しかし、欠陥に気づいてしまう。

ユウ兄様が、一緒に住むことをすでに了承、もしくは望んでいることを、彼女に言いきかされている、または伝わっている場合、そんな足掻きが意味をなさなくなることに。


「…………ユウ、一緒に住んでもいいって、言ってくれますかね……?」

「……えっ?ユウ兄様に知らせているんじゃないの?」

「いいえ、ユウの連絡先、知りません」


 どういうこと?

この子、ユウ兄様に連絡せずに、連絡先を知らずにここに来たってこと?

ああ、よく考えたら私も、同じかな。連絡先は知らなかった。


「ご両親は、一緒に住むことを、知っているの?」

「いいえ、知りません。親には、寮に入るって言ってます」

「えーーーーーっ!」

「……私、ユウと暮らしたかったから、入寮申し込みしてません」


 言い切った彼女は、胸を張った。

ああ、ユウ兄様が前以て知っている線が消えた……。

そして、行動力がある……というより、後先考えないアホの子がここに居た……。


 一見、私と同じように見える。

けれど、私の場合、ユウ兄様に受け入れられなかった場合のことも考えていた。

小夜の部屋に住むとか、学校近隣で新たに部屋を借りるとか。

……しかし、これは、親や友達の協力があるからこそできること、私は、そう思っている。


「そういえば、クリス」

気になることが1つ。


「アナタ、車に乗せて来てもらっているけれど、どこかのお嬢様とかなの?」


 彼女は、ハイヤーに乗って来たのだ。

しかも、今こうして待ってもらっている。

外国ではどうなのか、よくわからないけど、主賓扱いではないと、こうはいかない。


「ん?お嬢様では、ないと思います」

「では、なんでこのハイヤーに乗ることに?」

「ロバートとアニーのついでに、連れて来てもらいました」

「そのロバートとアニーは、今どこに居るの?」

「今は、サンビツってところに行ってます。ショウダンをするとか言ってました」


サンビツ……聞いたことがあるような……。


「希様、サンビツとは、優様が勤めている工場のことですよ」


 なかなか話が終わらない私に業を煮やして、小夜が寄って来たようだ。

学校関係者と思われる、女性も一緒に居る。


「お取込み中のようで」

女性は申し訳なさそうに、軽く頭を下げる。


「いいえ、私の方こそ。佐々木 希です。はじめまして」


……私の方こそ、お待たせして、すみません。

そんな気持ちで、こちらも軽く会釈した。


「私は、久保くぼ はるかです」


 肩まで伸びた髪先が、内側へカールしている。

前髪はパッツンとまではいかないが、綺麗に切りそろえてある。

制服に黄色のリボンタイを着けているということは、3年生。

私や小夜より、一学年上になる。


「鈴峯女学園 高等部 生徒会長を、やってます」


 ああ、鈴峯の生徒会長……。

まさか今日、お会いできるとは、思っていなかった。

さらに、生徒会長直々に迎えに来てくれるとは。


「……実は、『はじめまして』では、ありませんよ、希……いえ、ノン」


 そう言うと、彼女は、意味ありげに微笑み、軽く私を抱擁する。

……えっ?私のことを「ノン」と呼ぶ……えっ?

私は少々混乱する。誰だったかな……。思い出せない。

そんな私の思考とは関係なく、彼女と接している箇所から情報が入ってくる。

温かくて、柔らかい。時間がゆったりと流れているようだ。

……この感じ、どこかで覚えがある気がするのだけど、思い出せない……。


……しばらくして、抱擁が解かれ、2つに分かれる。


「思い出せないようですね。とっても昔だから、無理もありません」


風が吹く。

とても心地いい。桜の花びらが数枚、風に舞い、彼女の雰囲気を演出する。


「そこの金髪の方」

クリスの方に視線を向ける。


「この春からウチの中学に通い始めるみたいですね、中等部の生徒会長も呼んでおきますね」

「は、はい……ありがとうございます」


雰囲気に気押されたのか、クリスの返事がたどたどしい。


「ノン、いえ、相田さん……違うわね……フフフ」


久保生徒会長は、私の呼び名を言い直している。

そんなところもなんか楽しそうに見える。


「今は、佐々木さん……ですか……」

彼女にマジマジと見つめられている。


「……ふーん、ノンは夢を叶えたんですね……よかったよかった」


 やっぱり、過去にこの生徒会長と面識があるみたいだ。

私がユウ兄様と結婚したがっていたことを知っている……!

もっと言えば、私が結婚したかった男性が「佐々木」の名を持つということを知っている。

でも……なぜ、知っているのだろう……。


「手続きなどの書類は、生徒会室にありますので、今から向かいます」

彼女はそう言うと、背中を向けた。


「佐々木さん、山崎さん、スミスさん、ご同行、願います」

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