第30話 鈴峯女学園

3月30日、お昼過ぎ。

私は小夜と路面電車に乗っていた。

2人とも赤いリボンタイをつけて、学校の制服を着こんでいる。


「希様、タクシーとかハイヤーでもよかったのでは……」

「一度、どんなルートで通学するのか、体験しておきたかったから」

「……ルートも何も、1本道ですし……」


小夜は、不服そうだ。

本当は、無駄なお金を使いたくなかったから。

ユウ兄様から預けられたお金をこんなところで使うのもね……。

通勤通学の時間から外れていても、それなりにひとが乗っていた。

ひと混みが苦手な彼女は、なるべく避けたかったのかな。


「……さすが、路面電車が元気に走っている街、と言われるだけあります」


……と、思っていたけれど、この電車に乗ることができて、まんざらでもないみたい。

過去に他所で走っていた車両が、未だに現役で走っていることがどんなにすごいことなのか……。

そんな、よくわからないことを、力説された。


私たちは、新学期から通うことになる、鈴峯女学園に向かっていた。

事前に必要な手続きをするため、ということなんだけれど、詳しい話は聞かされていない。


 ユウ兄様と住んでいる場所は、交通の便が良い。

電車の駅まで、徒歩で数分、さらに学校最寄り駅を通る便も通っている。

さらに、JRの駅や、広島市の中心部に行くのにも、非常に便利な場所。

……偶然だけど、この立地の良さは、ユウ兄様に感謝しないとね。


 途中まで道路の中央を走っていた電車も、普通の電車と同じ風景となった。

小夜が「西広島から普通の鉄道になるのですよ」とか言っていたけど、聞き流す。

さらに

「JRとひろでんは、宮島口まで並走しているのです」

「あっ、JR西日本広島管区でしか見れない貴重な車両です」とか……。

そんなこと、私に言われても、全然わからないから。


そうこうしていると、学校の最寄り駅に着いた。

家から約30分かかった。



ピッピー


「……すみません、お客様、そのカードは使えないんですよ」


ICカードを使って降りようとすると、エラー音が鳴った。

出口に立っている車掌さんがすまなさそうにしている。


……あれ?JRでは使えたよね……?


そうか、この電車は広島電鉄という私鉄だった……。

今回初めて乗ったので、気がつかなかった。


「すみません、後ろの方を先に……」


車掌さんにそう言われて、先を譲る。

私の後ろにいた小夜は……、普通にピッと鳴らせて、降りて行った。


あれっ?彼女、いつの間に……。


「市内からですか?」

「しない?」

「……乗った駅の名前は……」

「ああ、確か、土橋どばしです」

「190円になります」


……100円玉2枚、90円なんて……。


 両替までお願いしてしまい、本当にすまない気持ちになった。

先に降りた小夜が、こちらを見てニヤニヤしている。

電車から降りて、彼女に向かってつかつか歩く。


「希様ー、広島の交通機関に乗るには、このカードが便利ですよー」

「……」

「広島に来た、その日のうちに、定期を作りました」


 そう言うと、緑色のカードを見せてくれる。

そのカードは私の持っているものと違い、ペンギンがいない。

その代わりに、電車やバス、船やロープウェイの絵が描いてあった。

そして印字で「山崎 小夜」と書かれていた。


「チョップ!」

「いたーい、酷いよ、希様……」


私の攻撃を受けた小夜は、頭を擦りながら、文句を言ってくる。


「……ムカついたから」


知っているなら、教えてくれれば、いいのに。


「……あっ、優様も使っているはずです、電車通勤ですから」

「そう?」


「はい、なので、優様と買いに行けば、いいと思います」

「ああ、それはいい考えかも」


「私はそう思って、あえて言わなかったのです」


本当なの?彼女は目を逸らしている。

今思いついたんだね……。深くは追及しないけど……。


 駅を出て、横断歩道を渡る。スマホのナビによると、校門までは距離があるみたいだ。

体育館が見えているけれど、柵越しに配置されている樹木で敷地内への視界は遮られている。

ダンダンダンという音がするので、バスケットボール部が活動しているらしい。

次第に校舎と思われる建物が見えてきた。

確か、敷地を半周した、駅から結構遠い場所に正門があったはず。

毎日の通学で、鈴峯女学園の生徒たちの健脚は、鍛えられているようだ。

とはいえ、武蔵野女子も最寄り駅から正門まで、同じくらい離れていたように思う。

代々、生徒は、これにより、日々鍛えられているのではないかな……。

歩いて通学する生徒は、たくましく。ハイヤー通学のひとは、お嬢様らしく儚く。


「でも、希様は、いつも歩いていますが、お嬢様らしく儚く見えると評判です」

「……」

「足は細くて白いし、身体つき華奢ですし、誰もが羨ましがってます」


……東京にいたときにハイヤー通学でなかった理由……。

車よりも電車の方が早く、遅くまで家のベッドで寝ていられるから。

そのうちユウ兄様のところに行くつもりだったので、ハイヤーに慣れたくなかった。

この2つかな……。小夜には、話していないけれど。


そんなことを小夜と話しながら歩き、ようやく校門の前に到着する。


「ここが、鈴峯女学園……」


 校門の側面には「鈴峯女学園」と大きく彫ってある。

幅100mくらいの道路が一直線に校舎入口までつながっている、およそ500mくらいありそう。

その両脇には、綺麗に刈られた芝生が存在している。

芝生には、桜が整列し、道路と平行して一定間隔で並んで植わっていた。

桜は校舎の前と、校門の両脇にもある。今の時期は、満開に近かった。

その風景は、きっと、この春入学してくる生徒たちの印象に残るだろう。


感慨深い。


ユウ兄様と結婚するため、この学校に編入することを目標に頑張ってきた。

彼と出会ってから8年。その年月が走馬灯のように思い出される。

中学受験、大谷さんによる家事・料理指導、お母様の説得、ユウ兄様との再会……。


「ああ、長かったな……」


思わずつぶやく。やりきった感で思わず涙が……。

ユウ兄様と結婚するための私の計画が、ここ鈴峯で最終章を迎える……。


「どーーーーん!」


小夜がぶつかってきた。その反動でよろめく。そして、吹っ飛ぶ。


「ひとが感傷に浸っているのに、何するのよ?」

中学からずっと一緒にいる彼女は、この気持ちはわかっているはず。


「まだ優様を完全に攻略していないのですから、感傷に浸るのは、まだ早いです」


 そうだった。鈴峯に通って、ユウ兄様と一緒に暮らすことがゴールではなかった。

これから、彼に認められて、結婚して、いい家庭を持つまでを考えないと。

夫婦の共同生活……ユウ兄様は、子供は何人欲しいかな……。


「希様、ぼーっとしていないで、早く行きましょう」

彼女の急かす声で我に返る。


 校門の脇にあった守衛室にて、受付をすることにした。

初めて来たことを告げると、守衛さんは親切に説明してくれた。

生徒手帳を見せることで入場可能になるということ。

車で来るときは、座席から見えるよう提示すれば、確認できるということらしい。

御付きの運転手と車があるなら、登録することにより、出入りが自由になるようだ。


……武蔵野女子と同じ……かな?


説明を一通り聞いた後、「武蔵野女子からの編入です」と伝えると、生徒手帳の掲示を求められた。

確認すると、守衛さんは、受話器を取り、どこかに連絡し始めた。


「はい、相田 希と山崎 小夜です。はい、どちらも高2です……えっ?ああ聞いてみます」


守衛さんは、怪訝そうな顔をして、受話器から外す。


「相田さん」

「は、はい」


「アナタの名前が確認できないようなんですが……間違いないですよね?」

「ええ」


おかしいな、なぜ確認できないのだろう……。


「守衛さん、『佐々木 希』で聞いてもらえないでしょうか」


小夜がピンときたようで、口を出してきた。

そうか、学校側はすでに、準備をしてくれているのだった……。


「……佐々木 希だそうです、はい、ああ、そうなんですね。お伝えしておきます」

守衛さんも相手方も納得したようで、受話器を置く。

「問題ありませんでした。今から案内が迎えに来ますので、少々お待ちください」


学校関係者がここまで来るみたい。

何処に何があるのかわからないので、それは非常に助かる。


守衛室の前で待っていると、1台の黒いハイヤーが乗り付けた。

何だろう……。

後部のドアが開いて、1人の女性が現れた。

ポニーテールの金髪女子である。服装は少し派手で、この場所では違和感を感じる。


「こんにちは」

「「こんにちは」」


流暢な日本語で挨拶をされたので、思わず返してしまった。


「すいませーん、中学校はどこですか」


彼女は、守衛さんに質問をしている。

彼は、金髪外国女性の登場に、戸惑いを隠せていなかった。

しかし、日本語を話せるとわかって、安堵したようだ。


「中等部に何か御用ですか?」

「……ちゅうとうぶ?ごよう?えっ?」


この子、「中等部」「御用」の意味がわかってないのかな?

英語は、お父様の仕事の関係上、教え込まれていたので、何とか話すことができる。

そう思い、彼女の横に入り、話に加わる。


「You're asking him what business there is in a junior high school.」

(彼は、あなたが中学校に何の用事があるのか、聞いてるよ)


「Oh.....私、来月から、この中学校に通います」

「……お調べしますので、お名前を教えてもらえませんか」

「おなまえ……?」


名前に「お」がついて、丁寧になったことで、また混乱しているようだ。


「What is your name?」

(あなたの名前は?)

「クリスティーナ・スミスと言います」

「スミスさんですね」


私が手助けをすることで、守衛さんも彼女の名前がわかったようだ。

入場受付用紙に必要事項を記入するよう、促す。

彼は、再度受話器を取って、何処かへ連絡をし始めた。


「とても助かりました。ありがとうございます」


記入が終わったスミスさんは、私に向けて、丁寧にお辞儀をする。

それに合わせて、長いポニーテールが跳ねていた。


「どうも、初めての経験で、テンパってしまいまして」


彼女は、苦笑した。

外国の方が「テンパる」という言葉を知っていることに驚く。


「日本語が上手ですが、日本は長いのですか?」

小夜も不思議に思ったようで、私が疑問に思ったことを聞いてくれた。


「……日本に来て、6年になります」

「今は何歳ですか?」


「12歳です」

「なるほどー、小学1年から日本にいれば、それは上手くなりますね」


小夜が感心している。


 そうかー12歳かー。

……ということは、来月中学生になるってことか。

なのに、小夜と背の高さは同じくらい。私より若干高い。

そして、身体つきは華奢なのに、胸は……私より大きい。


……まだ小学生の、この子に背も胸の大きさも負けてる……

外国のひとだからなの?そうだよね、あちらの子供たちの成長が早いだけだよね……。

……ねえ、小夜さん……肩を叩いてこないでよー。

そんな「ハイハイ、そうですね、いつも通りですね」なんて、表情しないでよ……落ち込むから。


「来月から通うってことは、スミスさんも、編入組なのでしょうか?」

「はい、そうです」

「入学式より早くここに来たということは、寮に入るの?」


私と小夜は、彼女に興味が出て来たので、質問を重ねた。


 ここ鈴峯女学園は、高等部、中等部、初等部がある。

それぞれ、高校、中学校、小学校にあたる。

次の部に移るには、簡単な試験があるものの、基本エスカレーター式となる。

編入枠は少なく、編入試験でいい成績を修め合格するか、家柄試験、いわゆるコネで入るか……。

私たちの場合は、一種の例外で、交換留学生となっているけど、編入として扱われる。


同じようにこの学校に編入して通い始めると聞いて、さらに身近に感じてくる。

ここ鈴峯女学園には、家から通学できない生徒のために敷地内に寮がある。

中等部の生徒から入ることができたはずだ。


「いえ、寮には入らないです」

「……えっ?では、元々近所に住んでいるってこと?」

「家は名古屋です。知り合いの家に住まわせてもらおうかと、思ってます」


 そうか、この子もこの街で住み始めることになるんだね……。

今の私の境遇に似ている。

私は、ユウ兄様がいるこの街に来て、この学校に通い出す。

この子も、知り合いの住むこの街に来て、この学校に通い出す。

出会ったのは、運命かもしれない。仲良くなりたいな……。


「私のことは、『クリス』と呼んでください、お姉様」


 あー、「お姉様」って呼ばれたよー、それだけで、可愛く感じてしまう。

私に向けてなのか、小夜に向けてなのか、この際どちらでもいい。

……彼女は中学生だから、可愛く感じるのは当たり前なのだけれど、このあどけない表情が、たまらない。

そういえば、自己紹介をしないと。向こうの名前を聞いているのに、忘れていた。


「私の名前は、佐々木 希といいます。私もこの学校に来月から通い始める高校2年だよ」

「私は山崎 小夜といいます。高校2年ですね」


 ここでも「佐々木」と言っちゃった。

学校でも「佐々木 希」で登録されているみたいだから、いいよね。

隣りで小夜の視線が痛い。まだでしょう、と。

……早くユウ兄様に頼んで、名実ともに「佐々木 希」にしてもらわないと……。


「……えっ!ササキ?」


目の前のクリスが、驚いている。


「……どうしたの?」

「私のお世話になる予定のひとも『ササキ』です」


……驚くことではない。ササキの姓は多いだろうから。


それにしても、凄い偶然。

……まあ、私はまだ、佐々木になっていないのだけれど。

何か見えない縁があるのかもしれない。

そう感じた私は、軽い気持ちで聞いてみた。

彼女のお世話になる予定の家の場所を。


「クリス、そのササキさん、どこにお住まいなのかな?」

「……希様、広島の土地勘ないですよね。なのに、なぜそんな質問を……」

「もー、小夜、そんなこと言わないでよ……恥ずかしいじゃない……」


 まだ広島に来て3日しか経っていないから当然、地名を知っているわけがない。

それこそ、広島駅と家の最寄りの土橋どばし駅、そしてここ鈴峯くらいしか……。

小夜の苦言に、顔が熱くなっていくことを感じる。


「……ひろしまし、なかく、つちはしまち……って読むですかね……」


クリスは自信なさそうに読み上げて、小夜に書かれているであろう紙を見せている。

そうか、「つちはしまち」。

「ひろしましなかく」は、「広島市中区」だろうから、私の家に近いはず。


「……」

「何かありますか、小夜お姉様……」


その紙を見て、小夜が固まっている。

そんな様子を心配そうに眺めるクリス。


「……バカ、ホントにおバカな優様……」


……えっ??なんでそこでユウ兄様の名前が出るの?


「……希様」


小夜の声が低い。雰囲気が怖いんだけど……。


「私たちが住んでいるところの住所は?」


えっ?えっ?それは覚えているけどー


「広島県」

「……続けて」


「広島市」

「……それから?」


「中区」

「……それで?」


「どばしちょう」

「うん。で、クリスの行きたい町は?」

「つちはしまち……だよね?」


……で、それが何?


小夜が、あきれた顔をしている。

クリスは、何が起こったのかわからないと言う顔をしている。


「……そして、クリスがお世話になる予定のササキさんの名前が……これよ!」


先程の紙を渡される。




「えーーーーーーーーっ!!」


……数秒後、私の叫び声が、周囲に響き渡ることになった……。

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