第29話 嫁・宣言

13時半。


 事務所棟の前で俺たちは、待機していた。

サンビツ重工業渡辺工場長、H.S.Dの内藤部長、崎山塗装の崎山社長など、関係各社の重鎮の顔も見える。

それぞれの側近や補佐、を含めてその数は20人くらいになっている。

年に何回か、名古屋にいるソーイング社日本統括部長が、広島工場の視察に訪れる。

到着する時間になったので、彼らを出迎えるため、待っている。


 ロバート・ニコラス・アンダーソン日本統括部長。

俺は名古屋時代から知っているのだが、あの頃は、顔を知る程度だった。

なにせ、彼は10年前から名古屋にいて、すでに今の地位にいたのだ。

他地区からの応援社員と日本統括部長。普通なら接点はない。

全体朝礼で、たまに参加する彼の顔を見るくらいだろうか。

ただ、仲良くしていたマイクの直属の上司だったため、偶然、接する機会が生まれた。

岩さんと俺がいる現場に、アンダーソン部長とマイク他数人が現場視察に来たときである。


その時のことを思い出す。


 作業している俺の後方で、岩さんと統括部長が話しているようだ。

現場責任者の岩さんが対応するのは、普通のことである。

すでに顔合わせは終わっている様で、作業内容の説明をしている。

ふと、統括部長はこんなことを言い始めた。



「Mike.I heard that Chris's favorite was here. Are you here?」

(そういえば、マイク、クリスのお気に入りがこの部署にいると聞いたが?)


「Oh......Are you interested?」

(ああ……、気になるのか?)


「Proper!......Where is he?」

(当たり前だろう、……で、どいつなんだ?)


「HAHAHAHAHAHAHA.......」

(ハハハハハハハハ……)


「Hey.Mike.Don't laugh.」

(おい、マイク、笑うな)


「Mr.IWAMOTO.Please tell him YUU.」

(岩本さん、統括部長にユウを教えてやってくれ)


「The man working there is YUU.」

(あの作業をしている男です)


「Oh!What name is he?」

(ほほう、彼の名前は)


「His name is called YUU-SASAKI.」

(佐々木 優といいます)


「He's Chris's ......」

(彼がクリスの、……)


「Did he do somehow?」

(佐々木がどういたしましたか?)


「......there isn't everything.」

(……いや、何でもない)



 俺の後ろで、そんな会話をしていたように、うっすらと記憶している。

やたらと、「SASAKI」とか「YUU」とか言われていたので、気になった。

しかし、作業に集中する必要があったため、それ以降の会話は、聞き取れていない。


 そんな出会いと言えるかどうかわからないくらいの接触だった。

そのため、俺についての面識は、ほぼないに等しいだろう、そう思っていたのだが……。


 しかし、昇進して彼と対面する立場になったとき。

「おう、Mr.ササキ、名古屋ぶりだな」と、笑顔で握手してきた。

さらに「クリスは元気だぞ、俺はいつでも会えるからな、うらやましいか」と、自慢された。

彼に覚えられていることに絶句したことを覚えている。

名古屋出張から帰り、いきなりの昇進打診、さらに短期間の引継ぎの上、部長になってこの対談。

余裕のなかった俺は、そんな世間話も返せなかった。

当然、彼は、俺のそんな境遇を知っていた。

彼としては、硬くなっている俺を和ませるためにそんな話題を振ったようだ。

交渉デビューを果たしたばかりの若者に親近感を持たせて、有利に進める……。

交渉の常套手段だ。


 この対談は基本的に英語で交わされる。

作業内容や設計指示書などが、全て英語表記のため、この方が都合がいいからだ。

さらに、この会議の内容は、遠くソーイング本社にも流れている。

普段慣れない英語でのやり取りになるため、この会議の間だけは、アメリカにいる感覚となる。


 彼の老獪な戦術と話術、完全英語使用のアウエイ感。

俺にとっては、衝撃的なことが多すぎて、対応しきれなかった。

……そういうところもあり、彼の成すがままの交渉内容になってしまった。

最低限、こちらの意見は多少組み入れられているものの、ソーイング側の要求を押し付けられた形だ。

そのことについて、名古屋にいる上司に呆れられ、苦い経験となった。


 そんな衝撃的な出来事から、今回で6回目の対談。

初回の対談がトラウマになっているのだろう、話が始まるまでは、今でも緊張する。

それでも、始まってしまうと落ち着きを取り戻せるようになっていた。


 話が始まると平常心を取り戻せるのは、佐伯がいるというところが大きいだろう。

1回目、2回目の対談は、俺1人で臨んでいた。

同行を許されなかったというよりも、周りにそんな人材がいなかったというのが理由である。

結構、現場の人間が聞くと、憤慨しそうな話も出るため、人選が難しいのだ。

3回目以降は彼女が同行するようになった。それにより、交渉はよりスムーズとなった。


 相手は統括部長と補佐以下多数。こちらは佐伯と2人。

「味方がいる」という安心感だけでなく、彼女の才能にも助けられている。

元々事務作業の経験があり、英語も話せる彼女は、空気を読みながら俺を補佐してくれる。

俺の表情マニアでもある彼女は、メンタルまで読み取れるので、適切なフォローができるようだ。


 そんなアンダーソン部長との対談だが、他社にとっても苦々しいことのようだ。

彼らから見ると、統括部長に顔を覚えてもらっていること自体が、羨ましいらしい。


 そうは言うが、そこまで長く世間話をしているわけではない。

主にジョディとクリスを中心とした、マイクの家族関係の話が多い。

自慢したいのか、情報として話してくれているのか、彼の意図が読めない。

しかし、お世話になった家族の近況は知りたいところなので、話には乗っている。

補佐に止められているところを見ると、元来は話好きなのだろう。

遠く広島で堅苦しい対談の中で、プライベートの話が通じる俺の存在。

一瞬の清涼剤として、休憩として、世間話をしているのかもしれない。


うーん、話は楽しいのだが、彼は統括部長。

仕事の話では結構シビアなので、全く面識がない方が交渉しやすいのだが……。



 俺の気持ちはどうであれ、周りから見ると、統括部長と仲がいいことになっていた。

そのこともあり、何か不味いことがあった場合、フォローができるように、工場長の隣で待機している。

その役割も、本当は断りたい。

が、実際は顔を合わせると、お互い笑顔になり、普通以上に話が弾むので、複雑な心境だ。


 黒い車2台、遠くに見える。

どうやら、あの車にアンダーソン統括部長一行が乗っているようだ。

周囲の会話が途絶える。

ピンと空気が張りつめているようだ。

俺も心なしか、硬い表情をしていたようだ。


「部長、希さんが見てますよ」


 そんな俺に柔らかい声がかかる。

3回目以降、俺を助けてくれている、優秀な側近の声だ。

そんな彼女は、俺の斜め後ろで待機中だ。

その冗談のおかげで、頬が緩む。


「ありがとう」


 彼女にだけわかるくらいの声で、感謝を述べる。、

視線を感じたので、そちらに目を向けると、ニヤッとした褐色の顔。

工場長、アンタも余裕でてきたなぁ……。

しかし。

ノゾミの場合、本当に見ている可能性があるんだよな、と苦笑する。

「……私の前で、格好悪いユウ兄は、許されない」そんな言葉がリフレインする。

はあ、ノゾミのために、頑張るかー。



車が到着した。


運転手が後ろのトビラを開ける。

まず、女性が出て来た。

おでこの上で分けられた、肩に触れるか触れないかくらいのダークブラウンの髪が印象的だ。

明るいグレーのジャケットと膝丈スカートで決めている。

ジャケットの下には白のインナー。首元にはチェーンネックレスが主張していた。

アンナ・カタリナ・ジェームス日本統括部長補佐、彼女と目が合う。

彼女が、表情を崩した気がした。口元が笑っている。

理由はわからないが、しかめっ面されるよりは、幾分かマシなので、気にしないこととする。


そんな彼女に続いて、背が高く、恰幅のいい男性が車から降りてくる。

スーツに赤いネクタイ。角刈りで若干白髪が混じり始めている金髪をしている。

目が細く、無口のように見えるため、威圧感がある。


後続の車からもグレーのスーツの男性3人と女性1人が降りた。

アンダーソン日本統括部長率いる広島工場視察団は6人。



「Welcome, Anderson integration chief director.」

(ようこそ、アンダーソン統括部長)


「It's met, thank you.」

(出迎え、ご苦労)



アンダーソン部長と渡辺工場長が、がっちりと握手を交わす。

お互いニコニコしている。腹の内は考えたくもないが。

そして、アンダーソン部長は、俺の前に来た。

握手をする。


……痛い……


思い切り握られた。これは意図的、なのか?

部長と目が合う。睨まれた……。


「......It isn't permitted, Mr.SASAKI.」

(ササキ、覚悟しろ)


 一言呟いて、彼は隣に移っていった。

ん?俺、何か悪いことをしたのか……?

時間にして5秒も経っていないが、他社と比べて、一番長く握手していたように思えた。


引き続き、ジェームス補佐以下5人とも握手をしていく。

女性2人には、軽く睨まれた気がしたのは、なぜなのだろうか。


 全関係会社の代表が視察団全員と挨拶を終えた後、工場視察に入る。

彼らも合わせて30人ともなると、本当に大きな集団だ。

視察ルートはあらかじめ決まっている。

社員たちにもその情報が入っており、視察時間帯は、心して作業するように言ってある。

と、いうのは、顧客の視察である。変なミスを見せるわけにはいかない。


 アンダーソン部長や、ジェームス補佐は、様々な質問を投げてくる。

主に渡辺工場長が相手をしているのだが、各社の代表も自分たちの区分に入ると、説明をすることになっている。

視察ルートが決まっているので、皆、心の準備ができていた。

そんなとき、アンダーソン統括部長が、工場長に提案をしてきた。



「I'd like to inspect the project which has started from 1 year before.」

(1年前から始まったプロジェクトを視察したい)


「……Can I hear a reason?」

(……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか)


「Various things have occurred in Nagoya.I'd like to consult.」

(名古屋でいろいろあってね、参考にしたいんだ)


「Such reason is all right.」

(……そういうことでしたら)



 工場長は一瞬ためらうが、理由を聞くと、断れない。

それ以上に驚いたのが、俺と佐伯だ。

そのプロジェクトの担当は、ウチの会社だ。

そして、その場所に行くには、ウチの会社の区域を全て通ることになる。

この管轄部長様に、ウチの会社の全てを晒すことになる。

普段から規則や規律など、気を付けているのだが、咄嗟に何が起こるかわからない。

今回の視察ルートに面しているのは、1部署だけ。

その部署は、いつも以上に気を付けているだろう。

だが、その他の部署は、ルートにかかっていないため、気は緩んでいる可能性がある。


「……佐々木クン、問題ないな」

「……はい」


渡辺工場長、断るな、ということですよね……。

そして、このときすでに佐伯の姿はなかった。

話の雰囲気から、他の部署に伝えにいったようだ。


……これで、何とかなるか……。


その後は、本当に地獄のようだった。

統括部長が様々なことを質問してくる。

さらに、目的の部署では、リーダーに質問攻め。

……問題になりそうなこともなく、無事に過ぎていった。

佐伯のファインプレーだな。





★★★





視察が終わった後、アンダーソン統括部長との個別対談が始まる。

ウチの会社は3番目だ。


「佐伯、助かったよ」


優秀な部下を褒めたたえる。

今回はいろいろヤバかった。


「いいえ、我が社の危機でしたから、当然の措置です」


そう答えつつ、頬を紅潮させつつ、ホッとしているようだ。


そうなのだ、危機だった。


ソーイング社との間には、「こんな形で作業するように」という決まり事がある。

ただ、人間は賢いもので、効率良く作業をするにはどうすればいいか、常に考える。

そして、結果に問題がなければ、考え付いた効率の良い作業をするようになっていく。

しかし、結果に問題がないかどうかなんて、実際にはわからない。

年数が経って、問題が発生することも多々あるからだ。

変更したい旨を報告し、何も問題ないことを確認して、正規の作業方法といして変更する必要があるのだ。

ただ、時間と手間がかかるので、余程の変更ではない限り、報告を上げることはない。

我々上の人間も、そこら辺りは黙認しているのが現状だ。

作業する側から見れば、結果が同じ物が製作できるならいいでしょう、そんな感覚である。


しかし、今回の視察団は顧客側なので、作業する側の事情なんて考慮しない。

ただ、決められた通り作業手順、方法で製作していることを是としている。

顧客側としては、それも契約の一部だので、当然だ。

詳しい作業手順は、作業手順書を見ないとわからないだろう。

ただ、少しでも怪しいと思われる事柄があると、虱潰しに監査することになる。

彼らは、それが仕事なのだ。見つけてしまったら、探すしかない。

それによって、約束事と逸脱していると判断されると、この会社には、仕事を任せられない、そんな結論に陥る。

この工場は、この仕事をするためにある。

さらにウチの会社を含め、協力会社は、この仕事をするだけのために存在している。

仕事を任せられなければ、仕事がなくなる。

仕事がなくなると、会社の運営ができなくなる。


そういうこともあり、ウチの会社にとって、危機だったのだ。


「部長、我々の番です、行きましょう」


 考え事をしていると、佐伯に促された。

先に個別対談していたであろう、他社の代表とすれ違う。

表情はあまり良くない。統括部長に何か、言われたのだろうか。

とはいえ、この対談、元々笑顔満面で帰ることができるものではない。

気にしないことにしよう。


 工場内にある会議室に2人で向かう。

心臓が高鳴る。

この雰囲気や緊張感には、未だに慣れない。

統括部長とは先程話をしただろうが、そう言い聞かせても、怖気づきそうになる。

個別対談。

曲がりなりにも顧客、いわゆる雇い主との話し合い。

広島支社100人の社員のこれからを背負う感じがしてくる。

彼らの将来がかかっている。

常にそう思っているはずなのだが、こういう対談の席ではより重く感じてしまう。

俺の一挙手一投足によっては、彼らの将来を潰しかねないのだ。



「部長」


不意に俺の左手を捕まれた。

そして、引っ張られるような形になり、俺は歩みを止める。


「……希ちゃん、ここは私の領分だから……」


そんな小さな呟きが聞こえた気がする。

彼女が俺の左手を両手で覆っているため、向かい合う形となった。

顔を上げると、穏やかな表情をしたの佐伯の姿があった。


「部長、大丈夫です。私がいます」


彼女は、俺の左手を両手で柔らかく包み込む。

穏やかな表情をしているが、目は真っ直ぐ俺を射貫いている。


「大丈夫です、アナタはどんな困難があっても、今まで通り対処できます」


俺は、彼女から目を離すことができなかった。

それだけ彼女の表情が真剣で、隙が無かった。

彼女が言い切ったことを思い返す。

だよな、今までの無理くりな事象でも対処してきた。

それを考えると、どんなことでも対処できるような気がしてくる。


「佐々木 優、アナタはもっと大きな舞台に立つかもしれない」


挟まれている左手がより圧迫された。

力を込められたようだ。


「統括部長なんて目じゃないくらいの交渉もあるはず」


彼女の目が閉じられる。


「……アイダコーポレイションの社長を目指すのですから、こんな対談くらい余裕ですよ」


 そう言い切ると、目を開けた。

ようやく、彼女の目による束縛から解放された気がした。

そうか、そうだよな。

ノゾミと結婚するということは、アイダコーポレイション次期社長になる可能性は高い。

そうなると、世界の海千山千を相手にすることとなる。

それを考えたら、こんなほぼ身内との対談なんて楽なものだ……。

思わず、笑ってしまった。


「おい、まだ決まってないから」

「私にとっては、人生の既定路線になったので、なってもらわないと困ります」


 彼女も微笑んでいる。

「人生の既定路線」って……、なんて仰々しい。

どこまで本気なのか、その表情ではわからないが、期待はされているようだ。

何であれ、気分が楽になったのは確かだ。


「ああ、気が楽になった。ありがとう、佐伯」

「いえいえ、補佐としては当然のことです」


しかし、そんなに不安そうな表情をしていたかな……。


「私は、仕事では1番ですから、希ちゃんには、負けられません」

「……えっ?」


「部長、『仕事では1番信頼してる』って言ってましたよね?」

「……言ったなぁ……」

「でしたら、職場においては、私は部長の『嫁』ということになります」


おい、ここでそんなことを言うか?

気持ちは嬉しいけど、ノゾミが聞いたらどう思うだろう。

今は学生だからいいが、社会に出ると……。


反論する言葉が見つからないまま、目的の場所にたどり着いた。


気持ちを切り替える。

ソーイング社との対談。

さあ、統括部長、何でも来いや!


そんな心持で、ドアをノックした。

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