第28話 似たような経緯

昼になる少し前。


プルルルルルル……


ガチャ


「はい、エヌ・ツー・ダブリュ株式会社です」



 電話が鳴る。

即座に佐伯が受話器を取り、応対する。

今更ながら、ウチの会社は「NWW」と書いて「エヌ・ツー・ダブリュ」と読む。

ダブリュを2つで「ツーダブリュ」って、普通は読めないと思う。



岩本いわもと代表。お疲れ様です、……ハイ、……ハイ、いえーそんなことはないですよ、残念ながら」

佐伯が嬉しそうに対応している。これは苦笑しているのか。


「部長ですか、いますよー」


電話の相手は、我が社の代表のようだ。

机の上の電話を取るために、身構える。


「そういえば、代表。佐々木部長から、大きなニュースがあるんですよ」


……佐伯、そんなフリはいらないんだが……。


「えっ?何か知りたい?……それは、直接部長に聞いてくださいよー」


代表にせがまれたらしい。

佐伯は、嬉しそうに対応している。



★★★



 岩本いわもと さとし、ウチの会社の代表である。

40歳と、他社の社長に比べると若い。

が、奇抜な思い付きとやると決めた時の勢いに定評があるひとだ。


 彼との出会いは、入社して1年したときだった。

サンビツ重工業が、名古屋で新プロジェクトを立ち上げることになった。

プロジェクトを立ち上げるときは、普段よりもたくさんの人員が必要になる。

全てが初めて行う作業ということもあるが、予想外の事案に対応できるようにするためだ。

名古屋にいる人員だけでは足りないため、広島からも送り込むこととなった。

当時は新人だった俺も、名古屋に向かうことになった。


 彼は、そのプロジェクトで、ウチの会社におけるリーダーをしていた。

当時の社長の息子ということで、とっつきにくいかと思えば、そんなことはなかった。

彼の笑顔と統率力、そして人の良さにより、俺を含めた彼の部下は、かなり助けられることになる。

残業が山ほどあり、悩んだり、うんざりすることもあった。

が、彼が環境を整えてくれたおかげで、楽しく作業を進めることができた。


 名古屋に来て約1年半後、無事にプロジェクトが軌道に乗り、俺は広島に帰ることになった。

現在もそのときの部署メンバーが揃うと、当時の話で盛り上がる。

名古屋出張は、この仕事のやりがいを教えてくれた。

名古屋での過酷な経験が、新たな考えややり方の基礎になっているのは、間違いない。

広島に帰ってきてからの俺の働きぶりを、上が見て判断したのか、今の地位に引き上げられた。

直接聞いたわけではないが、彼の推薦が大きく動いたようだ。


 俺が帰った後の彼は、順調に昇進していき、昨年10月に親の後を継いで、代表になった。

いろいろあったようだが、持ち前の性格で乗り越えていったようだ。


 そんな彼は、普段、名古屋にいるが、何ヶ月かに1度、こちらに来る。

そのときは、決まって飲みに行くことにしている。

あれから3年経って、2人ともひとの上に立つ存在になった。

俺もよく相談に乗ってもらい、アドバイスを受ける。

逆に彼からも、一種の弱みを聞いたりと、そのときはほぼ無礼講となっている。

そのため、愚痴の言い合いに発展することもあるが、今でも気軽に言い合える仲だ。

そんな俺たちを、側近2人が温かい目で見守っているのだが、そのときは気にしない。


そんな感じで、今も変わらない付き合いをしているのであった。



★★★



「少々、お待ちください」


佐伯は、受話器の話口を手で塞ぎ、こちらを見ている。


「部長、1番です」

「わかった」


自分の机の電話の受話器を取り、1番のボタンを押す。


「ご無沙汰してます、岩本代表」

「おい、『代表』ってつけると、他人行儀だから、やめてくれ」


「では、お久しぶり、岩本」

「おい、呼び捨てかよ」


「では、『お岩さん』」

「おいおい」


 代表にこんな口の利き方はどうなのか、そう思う方もいるだろう。

俺といわさんの間では、最初に交わされる約束事みたいなものとして確立している。

そんな軽い言葉のやり取りはすぐ終わり、今回の件についての話に入る。


「ところで、ソーイングはどう言ってきている?」

「はい、この昼に会う予定ですが、かなり渋いことを言われそうですね……」


 佐伯とのやり取りで、本当は俺に関するニュースを真っ先に聞きたいということはわかっている。

けど、先に本題を話して終わらせた後に、ゆっくり雑談をしたい……そういうひとである。


「そうか……」

「はい」


 広島支社のこと、サンビツのこと、他社のこと、安全や薬品、部品についてなど。

広島と名古屋で情報交換を行っていく。


「とりあえず、現状は以上ですかね」

「そうか、新年度は、気を引き締めてがんばってくれ」


「はい」

「……そうだ!伝え忘れてた!」


岩さんが何かを思い出したようだ。


「お前、マイクのこと、覚えているか?」



 マイク。確か、名前はマイケル・スミスという。

彼は、ソーイング社の日本の担当部署所属で、名古屋出張のときに出会った。

岩さんと仕事のことで話し合いをすることが多く、俺もたまにお世話になった。

飲み会のときも、彼と面識のある俺が隣に配置されることも多く、様々な個人的な話をしている。


アメリカの方々は、家族ぐるみでの付き合いを望むひとが多い。


彼もその例にもれず、休日には、岩さんの奥さんや子供を呼ぶことが多かった。

俺は独り者なので、そんな岩さんの家族のついでによく呼ばれていた。



「ああ、懐かしいな」


彼との思い出は、楽しい時間が多い、

唯一、名古屋を去るときに残念と思うことが、彼と彼の家族と会えなくなることというくらいに。


「ところで、マイクに娘が居たのは、覚えているか?」


 すぐにクリスと呼ばれていた金髪の女の子を思い出す。

毎度、俺の膝に座ってご満悦のようだった。

「ユウハ、私ノナンダカラ。ココハ絶対ニ譲ラナイ」

そんな主張をして、彼女の兄や姉に揶揄われていたのを思い出す。

おっと、姉のジョディもいたな。


「クリスとジョディ、だね」



遠い日々を思い出す。

 


 ある時、クリスが、日本語を教えてくれと、せがんできたこともあった。

親の方針もあり、彼女は普通の小学校に通っていたのだが、わかり合いたい女の子ができたらしい。

当時の彼女は、言葉に不安があったせいか、クラスでもあまりしゃべらなかったようだ。

発音に何か変なところがないかと、俺に何度も聞いてきた。

どうやら、その子に発音が悪いことによる誤解を受けたくない、そう思っていたようだ。

そのことを聞いて、とりあえず簡単な挨拶と、「それは何?」という言葉を覚えてもらった。

その子と話がしたいなら、自分から向かっていく方がいいとも、アドバイスもしてみた。

間違えても、相手も一生懸命聞いてくれるだろうから、心配するな、とも慰めた。


そんな俺の言うことを、不安な表情をして頷いていたが、ここは小学生というところだろうか。

素直に実行したようだ。


結局は、その子が彼女の努力に気づき、歩み寄ってくれて、仲良くなったみたいだ。

そのことを俺に伝えるときに、興奮を隠せず、勢い余って、俺の胸に飛び込み、抱き着いてくるという形になった。

少女は少女で、その行為が恥ずかしかったようだ。顔を赤くして気まずそうにしていた。

しかし、それはそれで、微笑ましく思ったことを覚えている。

その後は、その子が彼女に日本語を教えてくれることになり、発音も次第に上手くなっていった。


「ああ、お前に懐いていたクリスティーナだがな、広島に行くらしいぞ」

「えっ?」


「ああ、マイクから直接聞いたからな、本当の話だ」

「……なんでそんな話に……」


「ユウと遊びたいってよ、本当になんでこんな奴がこんなにモテるんだよ」


 クリスと最後に会ったのは、2年半前。名古屋駅のホームだった。

マイクの家族総出で見送りに来てくれて、涙が出そうなところを懸命に堪えていたことを思い出す。

俺を明るく見送ってくれる親兄姉おやきょうだいと違い、彼女は1人、俯いていた。

そして「イツカ、会イニ行クカラ、待ッテテネ」と、静かに呟く声を耳にした。

俺は確か「ああ、いつでも待ってるよ」と返した気がする。


それが、今回、俺に会いに来る……と。


……あれ?身近に似たような経緯で会いに来た女の子がいたような……


「マイクも『ユウがいるなら安心だな』と言っていたから、よく見ておいてやれよ」

「……えっ?こちらに会いに来るだけ、だよな?」


「……それは、直接本人から聞けよ」


岩さんが笑っているのが、電話口からでもわかる。


「しかし、お前は、本当に女たらし、だよなー」

「そんなつもりは、ないんだけどな」


「いや、そんなことはないだろう?」


本当にそんなつもりは無いはずなのだが、無いと信じたいのだが……。


「佐伯だろー、H.S.Dのテルもそうだろう、そしてクリスティーナもそうだな」

「狭山やクリスは違うと思うのだが」


思いもよらない名前が出て来たので、慌てて否定する。

佐伯に関しては、好かれていることをひしひしと感じるので、触れないことにする。


「いや、俺の見た感じだと、テルも相当だぞ」

ちなみに、狭山も俺と一緒に名古屋に行ったメンバーだ。なので、岩さんとも面識がある。


「まあ、それはいいとして」

先程まで、笑っていた岩さんの雰囲気が変わったような気がした。


「佐々木よー、まだ佐伯ちゃんを手籠めにしないのかよ」


手籠めって。

とはいえ、これはいつもの「さわり」の部分だ。

今回は、クリスの話があったから、大きく遠回りをした形になった。


「ダメだよー、あんなにお前のことを好いてくれる女性、そんなにいないんだからさー」

「……そうなんですが、ね」


先程の話で出て来た狭山やクリスは「あんなに好いてくれている」に入っていないらしい。


「まあ、いいや。そのうち面白くなることを期待してるわ」

「……」

「さて、佐伯ちゃんが言ってた『ニュース』」ってなんだ?」


 とうとう質問されてしまった。

直前が「佐伯と結ばれろ」という話だ。

この「ニュース」を言ったら、どんな感じになるのだろうか。

自分のことながら、少し楽しみである。


「……聞きたいか?」

電話の向こうで「聞きたいオーラ」がしているようで、焦らしてみる。


「おい、そんなもったいぶるようなことなのか?」

予想通りの反応が返ってきた。


「私、佐々木ですが、結婚することになりました」


 本当は同棲なのだが、ノゾミと過ごして3日目。

判断は早いが、彼女とは、やっていけるという確信を持っている。

婚約、その先の結婚までを見据えてもいいだろう。

そんな決意とともに、直属の上司にあたる岩さんには、「結婚する」ことを告げることにした。


「おお、そうか……おめでとう」


……思ったよりも普通に祝福された。


「そうか……、佐伯ちゃんとかー、そうかー、佐伯ちゃんもひとが悪いね、自分で言えばいいのに」


ああ、佐伯と結婚すると勘違いしているのか……。


「いやー、とうとう……。付き合っている期間を通り過ぎて、結婚か」


岩さんの感慨深そうな呟きが続く。


「……急に結婚ってことは……、そうか、佐々木、避妊に失敗したのか、悪いヤツだな」


 おーい、佐伯、このひとに突っ込んでくれー……って、これは電話口だった。

彼女には、聞こえていない。

それに彼女なら、便乗してますます話が変な方向に行きそうだ。

そんな彼女は、こちらにたまに気を配りながら、キーボードを叩いている。


「……岩さん」

「なんだ、女の敵」


その呼称、やめてください。


「佐伯じゃないですから」

「そうなのか」


少し彼のトーンが落ちた。


「なら……テルか」

「狭山でもない」


岩さんの知らないひとだよ……。


「じゃあ、誰なんだよ。もったいぶらずに早く教えろよ」


しびれを切らしたようだ。


「岩さんの知らないひとですよ」

「ほほう、いつの間に」


「俺に、許嫁が居たようで、その娘と結婚します」


沈黙が流れる。

岩さんの頭の中では、いろいろ聞きたいことが、せめぎ合っているのだろう。


「……そうか」


しばらくして、岩さんはそう呟いた。


「とりあえず、よかったな」

「ハイ」

「いろいろ聞きたいところだが、今は時間がないようだ」



 とりあえず、質問は自重してくれるようだ。

少し安心する。岩さん相手に隠し通す自信がない。

詳しいことを知ったら、彼はどんな反応を示すのだろうか。


……彼の娘さんと同じくらいの嫁と聞いて。


ある意味、工場長みたいな反応になるのだろうか。

少しぞっとする。彼が来るときは、心の準備をしておくことにしよう。



「結婚式は?」

「まだです。婚約する段階なので」


「そうか。今度、そっちに行くわー、そのときに紹介してくれ」

「わかりました」


そこまで言うと、電話口の岩さんは、深くため息をついた。


「……クリスティーナに気をつけろよ……じゃあ、また」




ガチャ

プー プー プー プー



唐突に電話が終わった。

クリスに気をつけろって……、どういう意味だろうか?




★★★




広島駅南口周辺。


3人の男女が、ホテルのロビーから出て来た。

男は黒いスーツを着ている。がたいが良く、50歳くらいに見られる。

明るいグレー系の色の服装の女性は、小脇にバインダーを抱えていた。

そして明るい色彩の、少し露出の多い服装をした少女が、跳ねるようにはしゃいでる。

少女は、彼女が持つには少し大きいキャリーバックを引いている。


「とうとう、私は、ユウの住むヒロシマにやって来たのだー!」


 少女は、唐突に日本語で叫ぶ。

2年半前と違う、流暢な発音で、周りの日本人が驚いている。

彼らは、先程新幹線で広島に到着した。

迎えにくるはずの車をホテルのロビーで待っていたのだ。



「Hey, Annie! Deal with her somehow.」

(おい、アニー、アイツをなんとかしろ)


男は部下であろうアニーと呼ばれた女性に、注意を促す。

ここは、3人ともアメリカ人、英語である。


「Miss.Smith.The feeling that you frolic is understood, but please make it quiet now.」

(Miss.スミス、はしゃぐのはわかりますが、ここからはおとなしくしてください)


「Ok Annie. I'm sorry, Mr. Anderson」

(はい、アニー。ごめんなさい、Mr.アンダーソン)


注意されて、軽く舌を出して謝る少女。


「It isn't permitted to press such shrew's baby-sitting.」

(スミスめ。こんなじゃじゃ馬の子守を押し付けやがって)


「Slightly, the endurance until she's seen to Mr. SASAKI.」

(まあまあ、Mr.ササキに送り届けるまでの辛抱ですよ)


「Shit!」

(くそったれ!)



 アンダーソンは、ブツブツ文句を言っている。

ただ、彼は優しい。少女に聞こえないように最大限注意しているからだ。

優の知らないところで、恨まれているようだが、それは仕方がないのかもしれない。


そんな彼らの前に、1台の車が停まった。

3人は車に乗る。


車は、駅前大橋を通り、紙屋町方面に姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る