第27話 未成年者略取

 広島市の南にあるサンビツ重工業。

その工場棟の近くに事務所棟がある。

そこには、サンビツ重工業に関係する会社の事務室が入っているのだ。



 事務所棟の3階にある事務室では、キーボードを叩く音が響く。

俺の斜め前の机に座った佐伯が、モニターに向かっている。

彼女は、次の社内会議で使用する書類の作成をしている。

先程、頼んだのだ。


 俺は、デスクに座り、決済書の束に目を通していた。

様々な書類に目を通し、印を押す。


 広島において、社員を束ねる立場になっているので、工場での作業は、ほとんどしない。

部長になった今は、身体を使うよりも、デスク仕事が多くなったように思う。

今やっているような提出書類のチェックと、時間や作業を調整をするための、他社との話し合い。

社内会議で使用する資料の内容や構成を考えたり、行事をつつがなく進行するための下準備。

部下への叱咤激励と、起こってしまった事案の後始末など、頭を使い、精神をすり減らす仕事が主だ。


 理不尽なことも、部下のため、会社のため、他社に謝って歩くのも、大事な仕事である。

その相手が、いつも定例会議で会う各社の代表の方々なら、精神的に楽なのだが……。

お互い様ということもあるし、立場をわかってくれているので、形式的なもので終わるからだ。

だが、製品を購入している顧客を相手にする場合になると、事情が変わってくる。



……本日午後に会う、ソーイング社のお偉いさんは、またネチネチ言ってくるだろうな……。


わかってはいるものの、毎回、会うまでが憂鬱だ。



株式会社ソーイング


アメリカの大手企業である。

この工場の製作している製品は、ソーイング社の商品の1部品にすぎない。

日本はおろか、世界中で、たくさんの部品が作られている。

その部品が、航空機や船で、アメリカの工場に集められ、プラモデルのように組み立てられる。

そのように組み立てられた製品が、個として売り出されるのだ。

そんなこともあり、部品には、様々な基準や規格があり、その範囲に収まるように義務付けられている。

基準や規格通りに作られているため、同じように組み立てられ、同じような製品ができていくのだ。

これを決めておかないと、組み立てるときに齟齬が生じ、製品とならない。、


 そんなソーイング社が定めている基準に、「部品に付くキズの数」なども定められている。

全体的に手作業が多いため、作業の工程でキズが生まれてしまうのだ。

ある程度作業に慣れていくと、そんなキズは減っていくのだが、経験するしかない。


キズの多さ。そこをいつも責められるんだよな……。


 他社が同じような作業をして、キズが少なかったという事実があるので、反論できない。

いかにキズが付かないか、皆で作業方法を工夫して、改善していくしかないのだ。

仕方がないので、嵐が通り過ぎることを待つと同時に、部下たち、頼むよ……と期待するしかない。



……大下、また機械壊したのかよ……

……山田、始末書何枚目だろうか……

……中根班……ああ、まだ作業を再開できないなぁ……



 様々な部下の、様々な失態……。

彼らの始末書を見て、印を押していくのも仕事。

状況を思い浮かべるだけで、憂鬱になってくる。



ふう



一息つくか……。


「佐伯、休憩しよう」


作業中の佐伯に声をかける。

彼女も頷く。そして立ち上がり、喫茶室に向かう。


「部長はコーヒーでいいですか」

「ああ」


休憩のときくらいは、仕事以外のことを考えよう……。



……仕事以外のこと……


今朝の様子……



★★★




トトトトトト……



 鼻にくすぐってくる匂いで、意識が回復する。

耳に、軽やかな音が入ってきている。

これは、何かを刻んでいるのだろうか。


そういえば、隣にあるはずの温もりがない。


……寝坊したのか?


まだ、目覚ましは鳴っていないはずだ。

しかし、隣りで寝ているはずのノゾミがいない……。


ヤバい!


慌てて目を開けて、時計を確認する。

5時45分を表示していた。


ああ、まだそんな時間か……。


だよなー、時間に起きれなくても、ノゾミがいるから、起こしてくれるはず。

なぜ、ここまで慌てたのだろう……ひとり苦笑いをする。


さあ、起きようか。


 これは、味噌汁の匂いだな。

そうか、ノゾミは早起きして、朝ご飯を作ってくれているのか……。

昨日の朝、「早いー」と眠そうにしていた彼女が、頑張ってくれていることに心が熱くなる。

他の誰でもない、俺のために。

なぜ起きることができているかも疑問だが……。

朝弱そうなイメージなのに。


洋室とキッチンの間の戸は閉められている。

眠っている俺に気を使っているのだろう。


少し戸を開けて、キッチンの様子を覗き見る。

寝間着にエプロンをして、料理をしている彼女がいた。

あれから、寝間着に着替えてくれたのだろう。


……下着姿でキッチンに立たれると困るが、それも見てみたいと思ったのは秘密だ。


足元から見ているため、気づかれていない。

この角度から見ると、彼女の身体にも、メリハリがあることが分かる。


……普段、残念そうに見える胸も、山に見えるんだなぁ……神秘だ……


若干、失礼で邪なことを考えていると、彼女と目が合った。


「……おはよう」


先手必勝と、先に挨拶の言葉を発する。

なぜ「先手必勝」と思ったのか。

心にやましいことを、考えていたからかもしれない。


「おはよう、ユウ兄」


そんな俺の動揺を知ってか知らずか、笑顔で返してくる。

すぐ視線を鍋に戻し、かき混ぜているようだ。


「……起きているから、びっくりした」

「フフフ、凄いでしょう」

「ああ、凄いよ」


率直な感想を述べると、鼻で笑われた。

誉めると、嬉しそうにしている。


「昨日の『まだ早いーまだ寝るー』って言っていた誰かさんは何処にいったのかな?」

「……そんなノゾミさんは、知らないデスヨ……」


少し物マネをして茶化すと、とぼけられた。

語尾がカタコトだ。

口をとがらせている、その顔も可愛い。


「ユウ兄、そろそろできるから、布団を片付けて」


言われて布団を片付ける。

テーブルを出し、キッチンから料理を運び入れる。


同棲生活3日目の朝。

そのわりに、ずいぶんと夫婦感出ている気がするのは、気のせいだろうか。


 ご飯と味噌汁、それに目玉焼き。

昨日と変わらないラインナップだが、味噌汁は昨日と違ってインスタントではない。

先程、刻んでいたネギと油揚げ、ワカメや豆腐の入った、本格的なものである。

そういえば、東京って、赤味噌だろうか、白味噌だろうか。

目の前の味噌汁の色からして、赤味噌ではなさそうだが。


「味噌なんだけど、知っているメーカーがなかったので、ます○みそ?それを買ったよ」

「ああ、それは、地元のメーカーだ」


ます○みそ。

プロ野球チーム・広島東洋カープのOBがCMにでていたこともある老舗みそ。

「母さんの味、ます○みそ」というフレーズで、県民に広く親しまれている。


 手作り味噌汁。

自分のために作ってくれたものというだけで、気分が違う。

妻が家事をして、旦那が外に仕事に行く。

古い考えだというひともいるだろうが、単純に嬉しい。

……まだ、夫婦ではないが。


「……何時に起きたんだ?」

「5時くらいかなー、だから少し眠い」


「目覚まし?」

「念じたら、起きれたよ」


それは凄いなぁ。俺にはできないだろう。

しかし、毎日は期待しない方がいいかもしれない。


「そういえば、ケーキを昨日、買って来たことを忘れていたのだが」

「……うん。冷蔵庫を見た時に、見つけたー」


昨日出し忘れた、ケーキの話題をする。

知っているようだが、今、食卓に上がってないのはなぜなのだろう……。


「朝は少し重いから、夜食べようかなって思って」


……冷蔵庫に入っているから、大丈夫だろうか。

一応、生ものだ。ケーキ屋のケーキだから、保存料入っていないだろうし。


「夜までは持たないだろうから、友達と食べてもいいよ」

「わかった、ありがとう、ユウ兄」


そんな感じで和やかに食事の時間が過ぎた。




 食事の後、俺は浴室に向かった。

朝起きて、シャワーを浴びることを日課にしている。

眠い目を覚ますためには、最適だからだ。

今朝は、起床後すぐ朝飯ができていたので、後回しにしていた。



シャーーーーーー



 若干温めのお湯が気持ちいい。

ベタベタになっている寝汗を洗い流し、すっきりする。

今日は、ノゾミが朝食を作ってくれたため、時間に余裕がある。


確か、まだ6時半になってないはずだ。


湯船を見る。

今は水が入っていない。


そういえば、昨夜は、ノゾミと2人でいろいろなことをしたなぁ……。

こんな狭い湯船でも、なんとかは入れるものなのか。


そして、彼女の心境の変化を考えてしまう。

同棲初日は、裸を見られて浴室に逃げ帰った彼女。

それが、昨日は俺が入っている浴室に裸で乱入するという、大胆な行動を取った。

何があったのだろう。俺には、わからない。

初日の夜と2日目の夜の間に起こったことを思い浮かべる。



……裸で、俺の布団に乱入してくる

……いってらっしゃいのキス

……結婚発表会で自己紹介

……手作り餃子を一緒に食べる



……うーん、わからない。

女性とは、こういうものなのだろうか。

それとも、最近の学生は、思い切りがいいということなのだろうか。

ただ単に、ノゾミ自身に踏ん切りがついた、そういうことなのだろうか。



キュッキュ



シャワーの蛇口を閉めた。

バスタオルで身体に付いた水滴を拭き取る。


とりあえず、それについては、考えないようにしよう。

彼女が嫌がっているなら、考える必要があるが、そんな様子はない。

むしろ「早く種付けしてくれ」は言い過ぎだが、「事実関係が欲しい」感がある。

やることなすこと可愛いが、迫られている格好だ。

彼女からすると、相手は俺、と決まっているから、あとはまな板の鯉。

……違うな、調理してくれることを待っているから、少し意味が違うな。


……もう、既成事実を作ってもいいのでは……。


そんな考えが、頭をもたげてくる。

本人もその親も、学校すらも許可している。


残っているのは、法律と俺の理性や覚悟……だけ。



法律の壁・未成年者略取


【略取】

暴行、脅迫その他強制的手段を用いて、相手方をその意思に反して、従前の生活環境から離脱させ、自己又は、第三者の支配下に置くことを言う。


未成年だと、「その意思」は保護者のものとされる。

幼い知識や認識だと、正確な判断ができないだろうということだ。




 今のところ、ノゾミの保護者である、徹叔父さんが認めてくれているから、略取にはならないだろう。

ただ、何らかの理由で、それが覆された場合、未成年略取となり、俺は逮捕される。

本人の希望で連れて行ったものの、親の許可がなかったために、逮捕されるということもあるらしい。

まあ、俺の場合、「略取ではない」と、証明することが、すでに難しい状態なのだが。


・彼女は、従前の生活環境(東京)から離れている


犯罪一歩手前だな。

徹叔父さんの胸三寸である。


そう考えると、手を出しても、出さなくても一緒かもしれないな。


ノゾミは、自分の意思でここに来た。

しかし、徹叔父さんが否を唱えると、世間的には、俺が呼んだことになる……。

すでに「略取」しているのか……。


しかし、婚姻届を提出してしまえば、その懸念も消え去る。

日本の法律では、結婚すると、二十歳未満でも、成人として認められるからだ。

成人になると、「その意思」は本人の意思となる。


ノゾミの意思は……、考えるまでもないが……。


これは、俺自身のためにも、早く婚姻届を提出した方がいいのでは……。






★★★




「部長、険しい表情してますね」


佐伯に指摘される。


「……未成年略取」


彼女は、ぼそっと呟いた。


「朝、会ったときと同じ顔していますから、何を考えているのか、すぐわかります」


そんなことを言いながら、コーヒーの入ったカップを俺の前に置く。


「早く行動を起せばいいんですよ、希さんも待ってるみたいですし」


彼女と通勤の電車で顔を合わせたとき、思い切り心配された。

仕事で悩んでいるときよりも、険しい表情になっていたみたいだ。

……犯罪と仕事の悩みでは、比べるまでもないか……。


仕方なく、話してみたのだが、

「早くプロポーズして、婚約届を提出したら、簡単に解決します」

そう言ってのけた。


確かにそうなのだが、まだ踏ん切りがつかない。

自ら気持ちを切り替えるため、コーヒーを半分まで、一気に飲みほした。


「……まあ、幸せそうで、何よりです」


彼女も自分のカップに口をつけている。

こちらは、紅茶のようだ。


ため息をつく。



今日は今のところ、平和に過ごせている。

会社内では、特に大きな出来事は起こっていないようだ。


……あとは、午後のソーイング社の苦情を聞いて、謝るだけか……。


そこだけが、憂鬱なんだよな……。

今度は、別の悩みに頭を悩ませるのであった。

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