第14話 思わぬ訪問者
バタン
ドアが閉まり、ユウ
朝7時前。
今までの私にとっては、そろそろ起きようか、でもまだ寝ていたい、そんな時間。
実家にいるときの朝の動き。
7時に起きて、半までに着替えを済ませて、朝食。
8時には西武新宿線で、田無駅まで行く。
そこから徒歩で学校に向かって、8時半前に到着。
今日のように、特に用事が無い日は、昼辺りまでベッドの中でゴロゴロしている。
そんな生活をしてきたので、6時前の起床となると、少々眠かった。
起きた当初は「無理だ……これ」と思った。
ユウ兄様の家に押しかけたのは、早まったかも。そう一瞬、考えてしまった。
それくらい、布団の中は天国……。
けれど、なぜかユウ兄様の笑顔を見ると起きれたんだよね……。不思議。
布団の中で、彼に絡んだ手を外されて、気配が離れていったとき、寂しく感じた。
キッチンで料理している彼の姿を見たとき、朝食は2人で食べたい、そう思えた。
これから先、2人で暮らしていく。なのに、朝は別々というのは寂しいじゃない?
実家では、親があまり家に帰ってこなかったから、尚更、家族の時間を大切にしたい。
……でも、彼は、出て行った。私を残して……。
仕方ないじゃない、仕事なんだもの。
自分自身に言い聞かせる。
今、家で独り。親がいないときに居てくれた、大谷さんもいない。
正真正銘独りきり。寂しい。
そうだ、ユウ兄様のことを考えよう。
昨日……そういえば、身体中を彼の手が巡っていったなぁ……。
とても安心したし、ユウ兄様に包まれている気がした。
何も身に着けず、彼の布団に入り込むのは、とても緊張した。
普段から裸で寝ることは多い。
でも、昨日は私だけじゃない、ユウ兄もいる。
結局、最低限の下着は着けて寝るということになった。
本当に、ドン引きされなくてよかった。
正直あの夜、ユウ兄様がどんな表情をしていたのかは、見ていない。
ずっと彼の胸元に顔を押し付けられていた。そんな気がする。
間違いない、彼も私を抱き寄せていた。
迷惑に思われていない、そう思う。今夜も何か考えようかしら。
おっと、このまま思いにふけるわけにはいかない。
テーブルの上にある、貯金通帳を目にする。生活費を託されたのだった。
お腹を減らして帰ってくるユウ兄様のために、夕ご飯を作らないと。
できれば明日の朝ごはんも、そのうち、お昼のための弁当も作りたい。
前に読んだ雑誌に「男のハートをつかむには、胃袋から」と書いてあった
「希が作ってくれる料理、これがないと俺は死んでしまう」
そう言わせたい。
今の私、色気や気遣いでは、周りのユウ兄様を狙っているであろう、大人の女性に対抗できない。
料理の腕しか、まともな勝負ができないから。
現在の私の立ち位置。全く安定していない。
昨日、ユウ兄様の元へ押しかけ、そして同居を始めた。
そこまでは、私自身が驚くほどに、順調に事が進んだ。
でも、現時点では、婚約したわけでも、身体が結ばれたわけでもない。
今日、ユウ兄様が帰ってきて、
「やっぱり、出て行ってくれないか?」
……と、言われて、追い出される可能性も十分あるわけで……。
追い出されなくても、身体を弄ばれるだけ弄ばれて、そのままポイっと捨てられることまである。
今思い返せば、若い女性が、1人暮らしの男性の住処に押しかける……。
ものすごく危険だった。今、冷静に考えると、本当にそう思う。
昨日の時点では「そのまま捨てられてもいい」という気持ちもあったけど、それは嫌だ。
だけど、内心では、ユウ兄様がそんなことをするわけがない、そう信じることができる。
昨日、私が迫っても、抱いてくれなかった。
あのときは、「なんで?私のこと、嫌いなのかな」そう思った。
でも、ユウ兄様と接する時間が長くなるほど、大事に扱ってくれていることが、わかってきた。
しかし、これはあくまでも、私から見た感想なので、正直どうなのか、確信が持てない。
そう思っていた中、彼は、昨日約束した通り、通帳を預けてくれた。
額を見たら7桁あった。
しかも左端が7。700万である。この額、いち高校生に任せる額ではないよ……。
それでも、彼は、私に託してくれた。
もしかしたら、ユウ兄様にとって、はした金なのかもしれない。
それでも、私は「生活を共にするひととして託された」と受け止めることができて、嬉しかった。
そして。「一緒に住んでもいいんだね」と、安心した。
ブブブブブブ……
スマホに着信。SNSにメールがきたようだ。
・昨日会ったばかりの学生に大金を託すなんて、世間知らずのいいひとすぎる。バカ?
・希様、顔が緩みすぎです
・9時頃、訪ねます
ユウ兄様のこと「バカ」って、アンタねー!
……確かに、ユウ兄様が家に帰ってきたときに、私が居なかったら持ち逃げしたと、思うかもしれない。
でも、私、そんなことしないから。ユウ兄様の奥さんなんだから!キャー!
ブブブブブブブ……
・はしゃぎすぎです。アホですか
・そんな希様のお姿、ご褒美です
さあ、何をしようか。
とりあえず、寝間着から長袖のカットソーとワイドパンツに着替える。
家の中は、動きやすいのが一番だよね。
ベランダを見る。全自動洗濯機がある。
Tシャツや洋服を干すためのハンガーや、洗濯ばさみの付いたピンチハンガーなども吊り下がっている。
窓際には、プラスチック製のかごがあり、ユウ兄様の下着やTシャツ、作業服が入っていた。
作業服……。上下とも汚れがひどい。
上下とも持って、浴室へ向かう。バケツに作業服を押し込み、洗剤とお湯を入れる。
汚れを擦りたかったけど、ブラシは無いようだ。今度買ってこようかな。
予め、つけ洗いしておくだけでも、汚れ落ちは違うはず。
これは、1、2時間経ってから、洗濯機でまとめて洗おう。
浴室とトイレ。
男性の独り暮らしってこんなものなんだろうか。
カビは生えていないものの、少々汚れが溜まっている。
お風呂用洗剤もトイレ用洗剤もあるので、掃除しておこうか。
しばらくの間、浴室とトイレの掃除に没頭した。
掃除って、何も考えず、無になれるから、大好き。
今度、いつも使っていた洗剤を、ネットで取り寄せよう。
綺麗になってたら、ユウ兄様、驚くかな。驚いた顔が目に浮かぶ。
掃除が一段落した頃、スマホの時計を見ると、8時前。
8時から仕事だとか言っていたなぁ……。
そういえば、どんな仕事内容か、ほとんど聞いていない。
何処にあるかとか、聞いてみよう……スマホを手に取って、重要なことに気づく。
……ユウ兄様と、アドレスの交換してない……。
何ということなのだろう。そんな初歩的なことを今まで忘れていたなんて。
友達同士、仲良くなったら、間違いなくアドレス教え合うはずなのに。
そんなに仲良くしたくない相手とでも、忘れていなかったはず。
なのに、なのに、ユウ兄様相手に、交換していないなんて……。
……昨日の私が、どれだけ舞い上がっていたのか、今、実感したよ……。
そんなときだった。
ガチャガチャガチャ……
玄関から音がした。鍵を回している?
確か、ユウ兄様が出て行った後、鍵を閉め忘れてたなぁ……。
強盗?泥棒?混乱しそうになる。
でも、泥棒だったら、空いているドアに、わざわざ鍵を開けようとしないだろう。
そう、思い返す。意外と冷静だな、私。
いざとなったら、小夜が駆けつけてくる、はず。
彼女は、今この時でも、私を、この部屋を監視しているだろうし。
……ということは、この鍵を開けようとしているひとは、誰なんだろうか。
「えっ?何で?鍵開いてたの?」
そんな、相手の驚いている声が聞こえてくる。女性のようだ。
あれ?この声の感じ、聞いたことあるような……。
バタン
勢いよくドアが開く。
「兄さん、風邪なん?大丈夫?」
そう叫んだ女性が勢いよく走り込んできた。
浴室の出口付近にいた私には、気づいていないらしい。
「……あれ?」
洋室まで押しかけて来たその女性は、辺りを見渡して、首を傾げている。
腰辺りまでの長い黒髪がとても綺麗。手間をかけて、大事にしているのがよくわかる。
同じように長い黒髪を持っている身として、すでにこの女性に親近感を持っていた。
「兄さんは?」
こちらに振り向いて聞いてくる。
「……仕事、です……」
「そう……」
彼女は軽く答えると、座り込んだ。胡坐をかいている。
見た目では、そんなことをしないように見えるのにな……。
そして、こちらに顔を向けてくる。
「で、アンタ、兄貴の新しい彼女?」
顔が整っている彼女に、睨まれる。
さっきまで「兄さん」て言っていたのに、「兄貴」に代わっている。
これは、間違いない。私の知っているひとだ……。
「兄貴が仕事に出て行ってるのに、家にのうのうと居るってことは」
彼女の目がさらに鋭くなったように感じる。
「同棲でも始めたのか?それはようござんした!まずは、おめでとさん」
ここで、言葉を区切り、私の様子を観察しているようだ。
「でもな、兄貴は簡単に人を信用しねーんだ……えっ?」
テーブルに視線を移した彼女は、突然黙り込む。
「どうされたのですか?」
不審に思ったので、聞き返してみる。
「いや、この通帳、兄貴のだよな?」
「はい」
「どうやって、手に入れたんだ?」
「普通に託されました」
「マジで?あの兄貴が?信じられん」
……私には、その言葉遣いが信じられない。
普通にしていれば、おしとやかな美人なのに……。
「そうか……、あの兄貴がね……」
「そんなに驚くことなのですか?」
「ああ、びっくりした」
そう言うと、彼女は話し始めた。
ユウ兄は、今までにも何人か、女性と同棲していたことがあったらしい。
しかし、財布の紐だけは、相手任せにせず、自分で管理していたのだそうだ。
通帳にいたって言えば、彼女……ユウ兄様の妹である
普段は、といえば、会社にも持っていくほどの用心深さ。
海姉様からすれば、異常だと、笑いながら話してくれた。
「で、アンタ、名前は?」
そんなユウ兄のあらましを話した後、ようやく彼女は、そんなことを言ってくる。
「佐々木
やっとすっきりした。
相手に自分の名前を認識させるのに、ここまで時間を要することになるとは。
「……えっ?あの希?東京の?」
彼女は、驚愕している。目を見開いている。
「ハイ」
「……えっ?なんで?先週はいなかったよな?」
「昨日、ここに来ました」
「急過ぎない?何でそんなことに……」
彼女が、半分混乱気味なので、ゆっくりと昨日からの顛末を話した。
「マジ、親父死ね!」
聞き終わった後、海姉様は叫んだ。苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「……で、海姉様は、なぜ、この時間にこの家にいらしたのですか?」
一番疑問に思っていたことを、ようやく聞ける。
「……えっ?いや?……なんでもないよ、希……」
「そんなことないですよね?」
「……マジ勘弁して、希……」
「……海姉様、不法侵入ですよ」
「そこまで言ってくる?参ったなぁ」
海姉様がなぜ、平日の朝方にユウ兄様の家に来るのか、その理由を知りたい欲望が勝ってしまった。
ごめんね、海姉様。
彼女は観念したのか、ボツボツと話し出す。
私は、彼女の隣に座り込んだ。
「私はな、兄さんが大好き、なんだよ」
「そうなんですか」
「兄妹なのに、変だろう?でも、仕方ないんだ」
彼女はため息をつく。そして、キッとこちらに視線を向ける。
「……兄さんの彼女に対してだって、嫉妬心一杯で、いつも嫌がらせしてた」
「……」
「今まで通りだったら、希に対してだって、嫌がらせしてたと思う」
こちらに向けていた視線を天井に向けた。
「でもさ、通帳を預けるほど、信頼しているところを見せられるとね……」
言葉を区切り、私を見つめてくる。
「私は、兄さんの幸せを壊す権利なんて、ない」
彼女は微笑んだ。
「で・も・さ!」
彼女の両手が私の両耳を持つ。
「佐々木を名乗るのは、早くね?」
両耳が引っ張られる。痛い。
「早いよね?昨日からだよね?彼女だよね?同棲だよね?結婚してないじゃんかー!」
引っ張る手に容赦がない。痛いので、止めて欲しい。
「たまに母さんが送ってくる写真で知ってたけどさー、こんなかわいくなるの、反則だろー」
え?褒めてるの?嫉妬なの?どっち?
「私もさー、希に負けないように、同じように黒髪ロングにしてきたけど、無理だー」
「えっ?海姉様の黒髪、とても手入れされていて、美しいと思うのですが」
「美しい?私は、美人と言われるより、かわいいと言われたい!」
海姉様の身長は私より高い。
小夜くらいだから、165くらいはあるのではないだろうか。
かわいいの範疇に納めるのは、少し難しいと思う。
「だってさ、兄さんの彼女って、皆、かわいいんだからさー」
そうか、ユウ兄の好みなのか……。
……となると、私も十分ユウ兄の好みの範疇。
伸びなかった身長にお礼を言わないといけない。
「あー、でもよかった。兄さんの相手が希で」
「なんでですか?」
「私、かわいい女の子、大好きなんだよねー!」
「……えっ?」
まさかまさか……。
「今まで、兄さんのかわいい彼女に意地悪してきたけど、本当は」
彼女は私の背中に回り込んでくる。
「こうやって、楽しみたかったんだよねー」
後ろから両胸をガシっと捕まれた。
海姉様、あなたもですか。
仕方がないので、私は行動に移る。
右胸に添えられた彼女の右腕を両手で掴む。
身体を反転させて、その勢いで、右腕を捻った。
最終的に彼女を身体全体で押さえつける形になった。
「……痛い!痛い!……勘弁してくれよ……、ごめん、希!もうしないから」
「全く……、勘弁してくださいね、私を辱めることができるのは、ユウ兄だけ、なのですから」
「ハイハイ、お熱いこって」
時計を見ると9時。
そろそろ小夜が来る時間だけど、突然の来客に予定を変更したらしい。
この光景でも、目に焼き付けているのだろうか。
小夜みたいな
海姉様もかー、勘弁してほしい。
そこからは、海姉様と懐かしい話で盛り上がった。
昼には、大学の講義があるって帰っていったけど、目的はいったい、何だったのだろうか。
結局、聞けずじまいだった。
★★★
まさか、優様の妹、海様がこんな感じだったとは驚きです。同業ですね。
彼女の周りに、かわいい女の子が溢れているのは、こんな理由だったのですか……。
その女の子たちを紹介してほしいです……、いやいや、私は希様一筋、うらぎったらダメです。
ぜひ、お近づきになりたい、そして、一緒に希様攻略へ……ゲヘヘ
おっと、下品な笑い声がでてしまいましたね。
さて、海様もお帰りになられましたし、希様のところに顔を出しに行きますか……。
影の夢もまた、一歩前進……したようだ。
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