第11話 はじめてのくちずけ 

プルル プルル プルルルルルルル……



目覚ましの音で、次第に覚醒する。


朝か……。


 布団の中に自分以外の存在がいることに驚き、掛布団を捲り、中を覗く。

顎の下に存在する頭と、肌色の肩が見える。


裸の女性?


 そして思い返す。

昨日現れた許嫁のこと、そして一緒に暮らし始めたことを。


 彼女が一糸まとわぬ姿であることを思い出し、目線を布団の中から外す。

さあ、今日から平日だ。仕事が待っている。

この堕落しそうな空間から、逃れないと、遅刻する。



★★★



現在、5時50分過ぎ。


 この1時間後に、ここを出発しないと、間に合わない。

俺の働いている会社は、広島市の南側、広島湾の埋め立て地にある。

家からは、路面電車に乗って終点まで行き、さらにバスに乗り換えて向かう。


片道約30分。


 世界的に有名な重工業の下請け仕事で、工場にて物を造る仕事。

体力勝負で危険な作業も多いが、やりがいがある、俺はそう思っている。

朝8時から朝礼があるため、作業服に着替える時間などを含めると、意外とゆっくりする時間はない。

ましてや、今の俺は、約100人を束ねている。遅刻は許されない。



★★★



 俺の脚に絡んでいる、ノゾミの脚を外す。

そして、俺の肩を枕にしている、彼女の頭を持ち上げて、身体を抜く。

彼女を起こさないように。ゆっくりと。


「んーーー?」


 しかし、そんな気遣いもむなしく、彼女は目覚めてしまった。

目を擦りながら、こちらに顔を向けてくる。


「今、何時ー?」

「6時過ぎかな」

「……まだ早いー、まだ寝るー!」


 時間を聞いて、不服そうな顔をしてくる。

それと同時に、俺に抱き着いてくる。思いのほか、腕の力が強い。

布団の中でもがく。彼女はまた眠りについたらしい。

身体に彼女の全体重がかかってきて、少し重い。

布団の中で、若い裸の女性に抱き着かれている。

気分は悪くない。むしろ良い。


このまま流されて、仕事を休もうか……。

そんな悪い考えが広がってくる。


だが、俺は、知っている。


 仕事を休むと、その日にやるべきことが溜まって、次の日以降が大変になることを。

同じ会社の誰かが、ヘルプに入ってくれるから、こちらの仕事は何とかなる。

が、今度は手伝ってくれたひとの仕事が、止まってしまう。

様々なところで、歯車が狂い、少々面倒事になり、多大な迷惑をかける。

迷惑をかけることをわかっていて、どうでもいい理由で仕事をサボわけにはいかない。



 俺は、絡まっているノゾミの腕を、強引に外した。

完全に二度寝に入ってしまったようで、彼女の抵抗はなかった。


「……ふう……」


 ため息をつく。少し時間が経ったようだ。

俺は、シャワーを浴びるため、浴室に向かった。




 シャワーを浴びた後は、キッチンに立つ。

俺は、フライパンに卵を落とし、目玉焼きを作り始めた。。


ノゾミはまだ起きないだろうから、卵は1つで……。


 そう思った矢先、気配を感じたので、振り向く。

無言でこちらを見つめるノゾミの姿が目に入る。

俺がシャワーを浴びている間に、起きてきたらしい。

すでに薄い水色の寝間着を羽織っている。下着を履いているのかどうかまでは、確認できなかった。


「……ノゾミもいるかい?」


 彼女は軽く頷いた。

それを確認した俺は、自分の目玉焼きを完成させた後、彼女の分を作り始める。


「んー、ん!」


 彼女は、立ち上がり、両手を上にして、伸びをしているようだ。

寝間着の下からは、かわいいおへそが顔を出す。

その下に淡いピンクの下着を確認できたので、胸を撫で下ろす。


 フライパンから、彼女の分の目玉焼きを皿に移す。

その間に、布団を片付けてくれたようだ。

片付いた洋室にテーブルの用意もしてくれている。

俺は、棚からふりかけや漬物なども取り出す。

2つの茶碗にご飯をよそって、テーブルに並べる。

男の1人暮らしになぜ茶碗が2つあるかって?

割れたときの予備にと、買っていたもので間に合わせた。

白ご飯と目玉焼き。何か足りないか……?

冷蔵庫から、インスタントの味噌汁を取り出し、お湯を入れて用意する。


「いただきます」

「いただきまーす」

2人でテーブルを囲み、朝食を食べ始めた。


「……いつも、こんなに早いの?」

目を擦りながら、聞いてきた。


「ああ。仕事は8時からだからな」

朝起きてから出かけるまでのことや、仕事について、簡単に説明する。


「うへー……」


感心された。眠そうだ。

それでも食事は取るようで、必死に箸を動かしている。


「いつもは、何時に起きているんだ?」

「んー?休日はずっと、寝てたかな……」

学生はまだ、春休み。そうなるか。


「……わざわざ起きて来なくても、よかったのに……」

彼女は首を横に振る。

「私は、ユウにいと、少しでも長い時間を過ごしたいから」

そう言うと、ニコリと微笑んだ。



 世の中には、夫が仕事行くために朝早く起きても、妻は布団の中……。

そんな夫婦はざらにいるらしい。

昔の男尊女卑の時代ではないので、それについては、何も思わない。

ただ、仕事から帰ってくるのが夜遅くなってしまったとき。

家に帰ったら、妻は就寝しているだろう。

その場合、朝に顔を合わせていないと、この日の夫婦の会話は無いことになる。

夫婦の会話のない生活が何日か続くと、すれ違いとなっていく。


既婚者の同僚から、そのような経緯を聞いていたので、その言葉は、嬉しかった。



「……そうか……ありがとうな」

俺は、彼女の頭を撫でる。

「えへへへへへ……」

照れている。嬉しそうだ。

今だけかもしれない。それでもいい。


「明日から、朝は、私が作っても、いーい?」

そんな提案をしてくる。

「弁当も作るよ?」

朝、弁当、そして夜。全て作りたいらしい。


 はて。どうしようか。

作ってくれるのは、正直ありがたい。だけどな……。

彼女への負担が多いように思う。

今は、春休みだからいい。

だけど、学校が再開すると、勉強に生徒会活動に、忙しくなるだろう。

さらに昼は、会社で安い仕出し弁当を頼んである。

安価なわりには、おかずも量もあり、特に不満はなかった。

お代も給料引きであり、負担も感じない。


「……弁当は、いいよ」

やんわりと断る。彼女の表情が少し暗くなる。


「……冷凍食品の活躍の場が……ない……」


 そういえば、冷凍食品好きだったな……。

料理は普通にできるみたいなのに、なぜそこまで冷凍食品にこだわるのだろうか。


「朝は……、わざわざ起きてもらうのは、悪いよ」

「頑張って起きるから!味噌汁作るし」


彼女は、朝早く起きれるのだろうか。休日はずっと寝ていると言っていたはずなのに。


「これから、一緒に寝てるから、ユウ兄が起きると、起きるよ。今日もそう」


 事実、今朝は起きて、一緒に食事を取っている。

彼女自身がそう言っているから、いいのかな。

無理だった場合のことも考えておけばいいか。


「うん、わかった。じゃあ、頼むわ」

彼女の表情が明るくなった。


「味噌汁の具で、嫌いなもの、ある?」

「……いや、特には……」

「よし、明日から、頑張って作るね」

やる気が満ち溢れているようだ。先程までの眠そうな表情は何処に行ったのか。


そうだ、いい機会だから……。

「ノゾミ、足らないものがあったら、買ってきてもいいから」


テーブルに置いてあった通帳を渡す。

彼女に生活費の管理を任せる、そう約束したからな。


「……こ、こんなにー?何を買おう?……あれも、これも買える……」


彼女は、通帳を開いて、目を見開き、何かを呟いている。

昨夜も見ていたはずなのだが……。改めて額を見て驚いているようだ。


「……ブランドものの洋服がー、カバンや指輪もいいな……」

「貯金用の口座も作れよ」


不穏なセリフが聞こえてくるので、釘を刺しておく。

若い女の子だ、少々ブランドものに手を出すのはいい。

だが、大量に無駄遣いされて、すってんてんになったら、目も当てられない。


「……うん、それは……当然……大丈夫……だよ?」

目をきょろきょろさせている。大丈夫じゃないのかよ。

念を押しておこう。


「頼むよ」

「……はい、大丈夫、デスヨ?」

視線を合わせてくれない。

彼女に生活費の管理を任せたのは、失敗だったかもしれない……。



そうだ、これも渡しておく必要がある。

鍵を取り出して、テーブルの上に置く。


「これがないと、不便だろうから」

「家の鍵?ユウ兄の分は?」


「ああ、これは合鍵だから。ノゾミが持っておいて欲しい」

「えっ?あ、ありがとうございます……」

鍵を拾い上げ、見つめる彼女。お礼の言葉も若干震えているようだ。


 俺の嫁になることが、小学生の頃からの夢ならば、感慨深いものがあるのかもしれない。

実際はまだ、婚姻届を提出したわけではないので、嫁ではないが、似たようなものだろう。

そう思ってしまうほど、俺もその気になっているらしい。

結婚している、していないにかかわらず、今日から始まる2人の共同生活。

その相方に、合鍵を渡す。スタートにふさわしい。



 ふと時計を確認すると、そろそろ出る時間だ。

2人で過ごしていると、時間が経つのが、早いように思う。


「そろそろ出る時間だな、片付けは頼める?」


彼女が首を縦に振るところを確認した。リュックに水筒と作業服を入れる。

リュックを担ぎ、玄関付近まで移動する。


「では、行ってくる。帰るのは、夜7時くらいかな」


ドアノブをつかんでひねろうとした。


「ちょっと、待ってー」


 後方から彼女の声と、足音が聞こえた。

振り向く。そんな俺の首に腕を回され、強引に下方向へ引き寄せられた。

唇に柔らかいものが、一瞬だけ触れる。


「いってらっしゃいの、キス」


 そんな声を聴き、我に返る。彼女の方を見る。

足早に背を向けて、洋室に戻っていったようだ。

照れくさかったのだろう、キッチンと洋室の間にある引き戸まで閉めている。


……そういえば、キスはしてなかったなぁ……。


 彼女の年齢と、俺への一途な気持ちを考えると、彼女にとっては、ファーストキスで間違いないだろう。

そんなことを考えると、次第に温かい気分になってくる。


「行ってくる」


そんな一言を残して外に出る。


 俺に、16歳の嫁、……いや、まだ同居人だが……家で待ってくれている存在がいる。

今までと違う、何とも言えない気分を胸に、仕事に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る