第5話 希の実家

 ノゾミと一緒に住むための、本や衣類の移動や整理。

ついでに簡単な拭き掃除などもやっていたため、思った以上に時間が経過したらしい。

ベランダから覗く外の風景は、すっかり夜の帳が下りていた。




「ノゾミ」

彼女の声をかける。その問いかけに、顔をこちらに向けてくれている。


「夕飯、どうする?外にでも、食べに行くか?」

作業をしていた疲れで、これから支度をしようという気になれない。

外食を提案する。


「ごはんなら、作りますわ」

笑顔でそう答えてくる。彼女の手元には、いつの間にかエプロンがある。


「冷蔵庫を確認してもいいでしょうか?」

作る気満々らしい。


 俺が頷くと、キッチンに移動し、冷蔵庫を開ける音がした。


 俺も一応、自炊はしている。ただ、1人暮らしであるため、使うアイテムは少ない。

調味料は最低限、揃えている。卵や豚肉は残っていた気がする。

キャベツやニンジンなどの野菜は、余ってないかもしれない。


 そう思いながら、俺もキッチンに移動する。

冷蔵庫を開けて、中身を確認している彼女が目に映る。


「あと、こんなものもあるが、どう?」


 俺はそう言いながら、冷蔵庫近くの棚にある、パスタや袋ラーメン、缶詰などを指さす。

その方向には、炊飯器や電子レンジもあった。

彼女はチラッと指をさした方向を見てから、冷凍庫を開ける。

中には、豚肉や鶏肉、ミンチなどが入っている。


「……ない、ですわ……」

そう呟いている。彼女は何を作るつもりでいるのだろうか。


「……冷凍食品が……ない、ですわ……」

ん?冷凍食品?確かにないな。買ったことすらない。


「冷凍食品。電子レンジで温めるだけで、鍋に入れて茹でるだけの便利なものが……」

後ろから、見ていてもわかるくらいの落ち込み具合だ。


「冷凍食品がないなんて、私のできることがないですわ」


 何を言ってるんだ、このは。

冷凍食品がないと料理ができない。意味がわからない。

いくつか確認のために質問を投げてみる。


「料理の経験はあるよな?」

「はい、ありますわ」

先程の哀愁を持った表情を変えて、自信もって答えてくる。


「どんなものを作ろうと思ったんだ?」

「コロッケや春巻き、唐揚げ、シュウマイ、グリンピースとかミックスベジタブル、ですわ」


 ああ、ダメかもしれない。

グリンピースやミックスベジタブルとか、料理ではない。

他のものは、作れると素晴らしいのだが、間違いなく温めるだけのものを言っているのだろう。

狼狽しそうになる。料理は期待できそうにない。

そう思いながらも、質問を続ける。


「家では、料理を作ったことはある?」

「はい、大谷さんの隣で手伝いしましたわ」


「大谷さん?」

「お父様とお母様が仕事で家にいないので、代わりに家事をやってくれていた方、ですわ」


「手伝いって何をしていたんだ?」

「グリンピースを取り出したり、いんげんを出したり、鍋に入れてましたわ」


うーん、頭が痛くなってきた。もう少し聞いてみるか。


「ちなみに、学校で家庭科とかあるよな?」

「ありますわ。小夜さよの料理は完璧ですわ」


小夜さよ?誰なんだ、それは」

「私の同級生ですわ。彼女が料理を作って、私が盛り付けをしますわ」


 盛り付けですか。それは料理じゃないよ、大切だけど。


「小夜や皆さまから『希様の盛り付けは、ホレボレします』と、褒めていただいてますわ」

「希様」と来ましたか。普通に考えても、同級生からの呼称としておかしい。


 もしかしてと思い、俺は、キッチンの下部分にある、収納のドアを開ける。

一般的に万能包丁と呼ばれているものを取り出す。


「これを使ったことはある?」

「それくらいありますわ、バカにしないで欲しいですわ」


「そうか」

そう言って俺は、冷蔵庫近くにあった袋から、玉ねぎを取り出す。


「ノゾミ。これをみじん切りにしてもらえるか」

「みじん切り?」


「ああ、よろしく頼む」

そう言って俺は、洋室に戻る。




 キッチンの反対方向を向いて座り込んで、ため息をつく。

今までの受け答えを聞いた限りでは、ノゾミの料理は期待できそうにない。

ただ、包丁は使ったことがあると言うので、やらせてはみたが、期待薄だろうな。


 俺はスマホを取り出した。実家に電話する。


「はい、佐々木ですが」

「優だけど」


「優。元気しとる?」

程なくして、電話はつながった。母親が出た。


「うん。……親父、いるか?」

しばらくして、親父が出て来る。


「おお、優。電話遅かったのう」

遅かった、ということはどういうことなのだそうか。


「手紙と希ちゃんが来て、びっくりしたんじゃないのか」


 そう続けながら、電話の向こうで笑い声がする。

一発目で怒ろうかとは思っていたものの、笑い声を聞いたせいか、気を削がれる。


「いやー親父。笑いごとじゃないって。驚いたんだからよ」

「ハハハ。まあ、そこまでびっくりしてくれたんじゃあ、日付を合わせた買いがあったわ」


「手紙を読み終わってからすぐ、ノゾミが訪ねてきたんだぜ。びっくりもするわ」

「おおう、儂の予想をはるかに超える奇跡的な出来事だな」

親父にとっても、予想外の出来事だったらしい。




 許嫁の計画は、とおる叔父さんと、かなり昔から計画していたらしい。

ノゾミを含めた相田家が乗り気だったこと、親父も母さんも、特には反対意見がなかったこと、それに加えて、俺から女の姿が見えないこともあり、機会を伺っていたとのこと。


 そして、ノゾミが16歳になり、広島の学校へ編入することが決まったということで、実行に移された。

親父は、ノゾミが来広らいこうする日を、事前に聞いていたらしい。

それを受けて、宅配サービスで、手紙をその日付の朝一番に届くように画策したとのことである。

手紙を読んですぐ、諸々の事情を聞くために、俺から電話がかかってくるものだと思っていたみたいだ。

それが、夕方になっても、電話がかかってこない。

無事に手紙を読んでくれているのか、ノゾミと会うことができているのか、とても心配していたんだと、責めるような言葉が聞こえる。


 そんなこと言われても困る、本当に。俺自身には知らされていなかったのだから。


 俺が用事で、1日家を空けていた場合はどうするつもりだったのだ、と聞いてみると、宅配サービスの受取メールが来ない場合のみ、とおる叔父さんを通じて、ノゾミに連絡が行く手筈にしていたそうだ。


 家族みんなグルだったのか。


 そう聞いてみれば、予想した通り、妹のうみにだけは、知らせていなかったらしい。

うん、この計画においては、正解だったかもしれない。海は猛反対しただろうからな。




「で、どうだった、希ちゃんは」

「……どうって」

「結婚するんだろう。お前の給料だと、ひと1人、養えるだろうが」


 間違ってはいない。



 今の会社に勤続年数5年。

全国、いや世界有数企業の下請け企業において、それなりの地位には、いる。

俺の下には、100人近くの部下がいる。当分、物作りの作業には入っていない。

主にデスクワーク、トラブルの対策や他下請け企業や全体との緩衝役。

日々、そんな仕事をしている。

最近だって、海外から来たゲストを相手に、工場内を案内して回った。



「結婚はまだ、しない」

親父は無言だ。次の言葉を待っているようだ。


「とりあえず、一緒に暮らすことにはした」

「そうか」


 親父は一言だけ漏らすと、無音になった。こちらの言葉を待っているのか。


「親父、質問していいか?」

「ああ」


「ノゾミや徹叔父さんたち相田家って、何者なにもの?」

「何者と、なぜ、思う」

鈴峯女学園がみねに通うって、余程のお金持ちでないと難しくないか?」


 沈黙が続く。俺も相手の出方を見るために黙る。

親父が諭すような言葉で、沈黙を破る。


「優。アイダコーポレイションという会社は、知っているか?」

聞いたことが有るような、無いような。わからない。


「儂も何を扱っているかは知らないが、東証1部に上場している企業だ」


「相田」を冠している企業名。唾を飲み込む。


「その会社の社長が徹だ」


 東証1部に上場。有名企業の仲間入りをすでにしているということだよな。

徹叔父さんがそこの社長。ということは、ノゾミって社長令嬢!

頭が冷える。

そんな俺の様子に構わず、親父はさらに冷却する燃料をくべてくれた。


「希ちゃんは、その徹の1人娘。徹がこの婚姻を推すということは、……お前も、わかるじゃろう」




★★★




一言二言話をして、通話を終える。


「がっつくなよ」

そう言われたが、そんな気は削がれている。


 キッチンの方へ振り向く。

玉ねぎの皮むきに悪戦苦闘をしている、社長令嬢が見える。


 このを嫁に迎える……。

すなわち、アイダコーポレイションの次期社長になるということ。

俺自身だけでは抱えきれない、すさまじい将来。そして決断。


 心底、16歳の若妻の魅力に結婚を即決しなくてよかったと、胸を撫で下ろすのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る