第2話 8年前の約束

 俺は目の前の様子を見て、声を出せないでいた。


 自分の前に立っている、この小柄の女性が相田あいだ のぞみだと名乗っている。

先程、親父からの手紙を確認して、俺に許嫁がいることを知った。

それだけでも、驚きに値するのに、時間を置かずに本人の登場だ。

偶然にしては、上手く行き過ぎている。


「……ユウ兄様にいさま?」

目の前に存在している「許嫁」は、不思議そうに問いかけてきた。

そういえば、ドアを開けてから、言葉を発していなかったな。


「……ノン……、いや、希さん、いらっしゃい」

動揺を隠しながら、当たり障りのない挨拶をする。


 俺のことを「ユウ兄様」と、呼んでくるのは1人だけ。

知らないひとではない、ということが確認できたから安心だ、と自分自身に言い聞かせる。

ただ、「ノンちゃん」と呼ぶのは気が引けたので、「希さん」と呼ぶ。


「フフフ。私はノンちゃんですわ……」


 俺が動揺していることを察知しているのか、いないのか。

ニコッと笑って、彼女はそのように答えた。

下からのぞき込んでくる。こちらの慌てぶりを楽しんでいるのか。

この言動で彼女が、俺のことを「ユウ兄様」と呼ぶ、「ノンちゃん」だと確信した。

許嫁である「相田希」は、確かに過去に会ったことのある人物だということを理解する。


「まあ、あがって」

このまま玄関口で、話をしているのもどうかと思い、家の中へ促す。


「おじゃましますわ」

そう言って、彼女は家に入ってくる……はずだった。


「……重いですわ……」


 彼女の隣に鎮座していた、キャリーバックを持ち運ぼうとして、苦労している姿があった。

自分で持って来たはずだよな。なぜ、持てないのか。

しきりにこちらを見る。持って欲しいのかもしれない。


「希さん、自分で持ってきたはずだよね?」

俺は、純粋に疑問を持ったので、彼女に問いかける。


人様ひとさまの家に土足で入るなんて、信じられませんわ」

そんなことを言ってくる。これだけでは、意味がわからない。


「キャリーバッグのコロって、土足でありませんこと?」

どうやら、コロを使って部屋まで引いていくと、家の中が汚れると思ったらしい。


「気にしなくてもいいのに」

そうつぶやきながら、彼女のキャリーバッグを片手で持ち上げる。

そこそこ重いな。女性には提げるのは無理かもしれない。何が入っているのだろうか。


「ありがとうございます」

彼女はお礼を言ってくる。頭の動きに合わせて、長い髪も揺れている。

家に入ったことを確認し、ドアを閉めた。




★★★




 相田希との出会いは、8年前の夏。俺が22歳のとき。

祖父の葬式があったときに、彼女は両親と一緒に参列していた。

当時の彼女は8歳の小学生。子供にとっては、葬式という行事は、退屈だったらしい。

大人たちが忙しい中、俺自身だけが暇そうにしていたように見えたために、寄って来た。

こちらも特にやることがなかったので、彼女の相手をすることにした。


 親たちも忙しかったため、子守には丁度よかったらしく、なし崩し的に世話を頼まれた。

通夜と葬式が終わった後も、一族の会合、食事会などが開催されたため、帰ることは許されず。

葬式としては少し長い、1週間ほどを一緒に過ごすことになった。

その1週間の間、彼女はずっと俺と離れなかった。


 彼女の両親に聞いた話だが、普段は仕事が忙しくて、あまり構って上げられないらしい。

小学生を1人で留守番させるわけにはいかないので、お手伝いさんを雇ってはいるとのこと。

しかし、毎日来てくれるわけではないので、そこまで懐いてはいないんだそうだ。

そんな中、常に一緒にいてくれる存在の登場で、彼女はとても嬉しそうにしているらしい。

俺と離れているときも「ユウ兄様は?」と言ってくるんだと、笑顔で話ししてくれた。


 2人で過ごしているとき。

通っている小学校の話や友人の話、先生の話、授業の話などを聞いた。

彼女は話をする。俺はそれを聞いているだけ。それなりに楽しかった。

他には、ゲームをやった。トランプなどのカードゲームもだが、TVゲームもした。

ゲームをしているときは、2人だけではなかった気がする。


……というか、妹のうみがいたはずなんだが、なぜ記憶に残っていないんだろう。

ずっと2人で過ごしていた気がする。

あの頃の彼女は、自分のことを「ノンちゃん」と呼んでいたので、こちらもそう呼んでいた。

なぜ俺のことを「ユウ兄様」と呼び始めたのかは、わからない。

いつの間にか、そう呼ばれていた。ちなみに海からは「兄さん」と呼ばれている。




 1週間経って、帰途に着くとき、お別れがやってきた。

彼女には大泣きされた。「ユウ兄様、行っちゃヤダ」とも言われた。

周りの大人たちは薄情で、その様子を笑顔で見守るだけ。

そんな中、彼女は聞いてきた。


「ユウ兄様と一緒にいたければ、どうすればいいの?」


すると、周りの無責任な大人が言った。


「結婚すれば、ずっと一緒にいることができるよ」


 本当に無責任だ。

声をした方向に目を向けると、とおる叔父さん、なんと彼女の父親だ。


「お父様、それは本当なの?」

「ああ、本当だ。結婚したから、父さんは母さんと一緒にいる」


 あのう、親父さん、いいんですか、その答えは。

父親のその言葉を聞いて、彼女は、泣き止んで、目をこする。

2つの目を俺に向けて、真剣な表情でこう言い放った。


「ユウ兄様、ノンちゃんと結婚してください!」


 俺は戸惑う。

確かに彼女はかわいい。身長130cm、チョロチョロしている。

いなくなると寂しいという気持ちはある。


 世の中には、「ロリ」とか「ペド」とかいう人種がいることも知っている。

今までは、そんな人種を「ありえない」という目で見ていた。

しかし、この小学生と1週間過ごしていて、どうやら毒されてしまったらしい。

彼女の父親に目で訴える。いいんですか、これは、と。


「今を過ぎたら忘れるだろう。すまんが、ここは頼む」

耳元でそう囁かれた。まあ、そうだろうな、彼女の中で忘れていくだろう。


「ユウ兄様、どうか、どうか、お願いします!」

目の前で少女が、俺に向けて懇願している。


 仕方ない。俺はため息をつく。

今だけだ。期待するなよ、どうせ忘れてしまうのだ。

そう、自分自身に言い聞かせる。


「おう、わかった」

そう、軽く答えた。少し照れくさかった。

それを聞いて、彼女の表情が一気に明るくなった。


「一緒に帰れるの?」


 そんな質問を飛ばしてくる。それはどうだろう。

俺が答えに詰まっていると、彼女の父親が彼女の前にしゃがみ込み、代わりに答えてくれる。


「希、結婚するにはな、花嫁修業がいるんだ。だから一緒には帰れないんだよ」

「一緒に帰れないの?」

「ああ、だが、立派なお嫁さんになったら、一緒にいることができるぞ」

「立派なお嫁さん?」

お嫁さんという言葉を聞いて、彼女は首を傾げる。


「一緒にいることができたら、ずっと遊ぶことも、話をすることもできるぞ」

「ホント?」

「ああ、お嫁さんはいいぞー」


叔父さんはそう言うと、しゃがんだまま、俺の方に目線を上げて、同意を求めてくる。


「優君、お嫁さんはいいよな?」

いやあ、無茶ぶりでしょう、大丈夫か?


 叔父さんの顔が真剣だ。ここは、話を合わせるしかないのか。

俺はその場にしゃがみこんで、彼女の目線と合わす。

右手の平を彼女の頭に乗せて、言い聞かす。


「はい、そうですね。ノンちゃんが立派なお嫁さんになるのを待ってるから」

「うん、待っててね、ユウ兄様」

彼女はそう言うと、俺に抱き着いてきた。




 そんな顛末があった8年前の夏。

徹叔父さんの策略が上手くいったのか、お互い帰途に着くことができた。

帰り着くまでは、頭がぼーっとしていた気がする。

相手は子供とはいえ、逆プロポーズをされたのだ。人生初の体験。


「兄さん、どうするの、あれは。私は認めない!」

帰りの道すがら、両親が茶化してくる中、妹がただ1人、憤慨していたことを思い出す。




★★★




 現在。小学生だった女の子と対峙している。

彼女は8年前のことを覚えていたのだろうか。

もしくは、うまい具合に縁談に持っていった叔父の策略なのだろうか。

思い返すと、俺の方もいろいろ責任がありそうだな。

確かにあのとき、戸惑いがあったとはいえ、嬉しかったのも事実なのだ。


 とりあえず、彼女の話を聞くか。

8年前のプロポーズを覚えているのかどうか。

許嫁のことについて知っているのかどうか。


 俺は、思いを巡らせながら、彼女を部屋に通し、適当なところに座らせた。

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