第八章 年代不明


 白に包まれし転生省には、一か所だけ、黒に満ち溢れた場所がある。




     ◆     ◆     ◆




「すまないね。仕事中に呼び出してしまって」

「……いえ」


 白い廊下に、二つの足音が響く。

 辺りには誰もおらず、キアランと来世選定局局長以外の気配もない。ひたすら、静寂のみが真っ直ぐ続いていた。

 二人の纏う黒いローブが、歩みに合わせてそれぞれ翻る。


「あれから、対象に何か変わりはあったかね?」

「いいえ。身体に異変がある様子はなく、内面も大きな変化は見られません」

「ということは、小さな変化はあったと?」


 局長は、ちらとキアランを見やる。


「はい。ですが、それも子供が成長をした程度です。許容範囲内かと」


 キアランが瞬きをしてそう答えれば、局長も一つ瞬きをし、前に向き直った。


「もう一人への悪影響は?」

「特には見受けられません」

「そうか。では引き続き注意してくれたまえ。もし気になることがあれば、問題があるなしに関わらず、速やかに報告すること。些細な変化も見逃してはならないよ。分かったかね?」

「はい」


 お互い無表情に、淡々と会話をこなしていく。廊下を行く足取りも、感情の見えぬ淡々としたものだった。

 枝分かれしていない廊下に、淡々と、二人の奏でる音が響く。


 それが、つと、止まった。


「ここだ」


 局長は、目の前の壁に嵌り込む扉を見やる。真っ白で、持ち手の部分だけが黒く塗られていた。

 黒いローブを揺らして、局長は振り返る。


「この扉の先にいるから、頼むよ」

「はい」

「だがもし、君が少しでも嫌と思ったのならば、遠慮せず戻ってきてくれて構わない。例え相手の望みだとしても、断っていいんだ。本来ならば、これは君の仕事ではないのだから」

「……はい」


 キアランは扉を見据え、小さく頷いた。局長も頷き、踵を返す。


「では、私は先に戻っている。君も帰る前には、もう一度局長室へ寄るように」

「分かりました」


 端に避け、キアランは頭を下げた。


「……無理はするなよ、キアラン」


 すれ違いざま、局長に頭を撫でられる。

 驚いたキアランは、その体勢のまま数拍固まり、ゆっくりと、顔を上げた。


 局長は背を向けて、一定の間隔で足を進めている。その顔と思惑は窺い知れなかったが、恐らく、昔自分を褒めてくれた時のように、穏やかな眼差しを浮かべているのだろう、とキアランは思った。

 一つ瞬きをしてから、キアランは己の頭を擦った。久しぶりの感覚に気恥かしさを覚えつつ、もう一度、自分を育ててくれた祖父のような存在に、深く、腰を折る。


 頭を上げ、キアランは扉の黒い持ち手に手を掛ける。右に軽く回せば、金属の擦れる音が響き、簡単に開いた。


 扉の先では、黒が、キアランを待ち構えていた。


 左。右。上。下。どこを向いても黒一色。

 飲み込まれてしまいそうな光景に、しばしその場で立ち尽くす。無意識に息を詰め、持ち手を握る指に力が入った。


 ゆっくりと息を吐き、キアランは、一歩足を踏み出す。扉を閉めれば、完全に黒に囲まれてしまった。


 黒い通路の左右には、格子の壁と扉が付いている。その先は部屋になっており、狭い空間に小さな椅子と机があるだけだった。

 レッドフォード城で以前見た牢屋を連想しながら、キアランは通路を進んでいく。一つ一つ部屋を覗き、目的の人物を探した。


 ふと、苦手な臭いが、鼻を掠める。

 見れば、一番奥の格子の隙間から、煙が白く立ち上っていた。


 キアランは瞬きをし、その場所へと足を向ける。


「……お疲れ様です」


 煙の少し手前で、立ち止まる。

 格子越しに声を掛ければ、中にいた彼女は、咥えたシガレットを口から離した。


「あ、キアランじゃーん。お疲れ様ー」


 手を上げて、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべる。恰好も変わらず黒いパンツスーツ。一つに縛った髪を揺らしつつ、椅子に座って煙を吹かす姿は、まるでここが喫煙所だとでも言わんばかりだった。


 キアランは会釈をし、机に肘を掛ける彼女――ベルを、静かに見つめ返す。


「いやー、ごめんねぇ。仕事中に呼び出しちゃって」

「……いえ」

「どう? あれからアルヴァとシャノンは。元気にしてる?」

「えぇ。特に問題なく、生活を送っています」

「結婚については? 何か言われてた?」


 一拍間を置いてから、キアランはおもむろに首を上下に動かす。


「……えぇ。自分達で勝手に祝言を上げてしまったことと、国の保護対象であるブラックモア族との婚姻に関しては、かなり問題となりました。ですが、最終的には『アルヴァが独り立ちをしてから』、という条件の元、両親と両一族の長、そして国王からの許可が下りました。今は七年後の生活に向け、アルヴァは武術に、シャノンは家事にそれぞれ励んでいます」

「……そっか」


 ベルは口角を、緩やかに持ち上げる。


「いやー、良かった良かった。二人が幸せに暮らしていけそうで。助けた甲斐があったってもんよぉ」


 恰好を崩し、彼女はフィルター部分を食んだ。満足そうに吐き出された煙が、ベルの周りにふわりと漂う。


「……ベルさん」


 そんなベルの態度に、キアランの顔が、俄かに強張った。


「何故、あのようなことを、したのですか?」

「……んー……そうだなぁ……」


 視線を宙に彷徨わせ、ベルは頬杖をついた。答えを探すように、シガレットを断続的に揺らす。その先から灰が零れ落ち、煙は波打ちながら上った。


 黒一色の部屋に、薄っすらと白いもやが広がっていく。


「……もう、辛くなっちゃったからかなぁ」


 ベルの呟きが、もやをかき分ける。


「私達ってさぁ、自分の担当する魂を記録するのが仕事でしょ? つまり、その人の一生を最初から最後まで見守っていくわけだ。だから誰よりもその人のことを知ってるし、誰よりもその人の傍にいる。

 楽しい時はどうやって笑うのかも、辛い時はどうやって泣くのかも、愛した人に、どうやって気持ちを隠すのかも、全部分かっちゃうのよ。言葉にしなくたって、ずっと見てたら嫌でも気付いちゃうんだよねぇ。


 だから、なのかなぁ?


 結ばれない二つの魂を見続けるのが、もう辛くなっちゃったんだ。


 お互いの気持ちは繋がってるのに、国や時代や身分に引き裂かれてさ。まぁ、結婚した時もあったけど、あれだってすれ違ってたじゃない? 家族として転生した時だって、何か、上手くいかなかったし。


 そういうのをずぅっと見てたからかなぁ。今回の二人が身も心も結ばれた時、凄い嬉しかったんだぁ。

 ようやく二つの魂は幸せになれるって、凄く嬉しくて、なのに殺されそうになるじゃない? 止めてーっ、って思ったら、自然と動いてたんだよね。


 男の腕掴んで、消しちゃってた。


 あー、やっちゃったなぁって思ったんだけど、でも、不思議と悪くないよ。今の心境は」


 つとウィンクをしてみせて、ベルはまたシガレットを咥えた。彼女の呼吸に合わせて、先端の火が輝く。

 煙草の葉が焼ける音が、小さく部屋に響いた。


「……で、キアラン」

「……何でしょう?」

「引き受けてくれる?」


 おもむろに、ベルはもやを手で払う。


「出来れば、キアランにやって欲しいんだよねぇ。ま、無理にとは言わないけどさ」

「……何故」


 ぽつりと、キアランが呟く。


「何故、自分なのでしょうか?」


 格子越しに、真っ直ぐベルを捉えた。

 彼女は唸りながら宙を見上げ、首を捻る。


「んー、そうねぇ……強いていえばぁ……同士、だからかなぁ?」


 もう一度首を傾げ、それから、頷き直した。


「うん、同士だから。一番二人を近くで見てて、一番私と時間を共有した存在だから。何度転生しても傍にいる、家族みたいなものだから。だから、思わずキアランの顔が浮かんじゃってさ。局長に我儘言って、お願いしたんだ。『どうせなら、キアランがいいです』って」


 短くなったシガレットを、ベルは塵へと変えていく。


「ま、キアランが嫌なら、潔く諦めますけどね」


 空中で四散する塵を眺め、ふと、笑った。


「……そうですか」


 キアランはベルから目を反らし、静かに瞼を伏せる。黒い床をじっと見つめ、微動だにしない。

 ベルも、静かにシガレットケースを取り出す。中から新たな一本を取り、ジッポライターで火を点けた。


 白いもやが、一段と濃くなる。煙はキアランの元まで押し寄せ、彼の全身を撫でていった。

 キアランの眉へ、僅かに力が入る。しかし、いつぞやのように移動することはなく、ただ、瞬きするに止めた。


 鼻を啜る音が、一つ鳴る。


「…………分かりました」


 ぽつりと、キアランは呟いた。


「お受け、します」


 黒い床を見つめたまま、もう一つ、鼻を啜る。


「……そっか……ありがとう、キアラン」

「……でも、煙が目に沁みて、痛いので……少々、お待ち下さい……」


 語尾を震わせ、キアランは目元を拭った。


 ベルは、胸を撫で下ろすように微笑んだ。晴れやかな眼差しをキアランへ向け、ゆっくりと、煙を吸い込む。


 鼻を啜る音と、煙の吐き出す音が、重なった。

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