第七章 774年
1
レッドフォードとブルームの国境付近には、沢山の一族が住みついている。
◆ ◆ ◆
ホワイトリー族のアルヴァは、この森で一番大きな木の元へ来ていた。根は太く、幹もアルヴァが友達四人と手を繋いでもまだ足りないほど立派だった。
アルヴァは辺りを見回してから、己の遥か頭上――大人の男性よりも高い位置にある洞を見上げる。
そして、おもむろに、幹を叩いた。
「『白き守護神の秘密を知ってるかい?』」
そう諳んじると、どこからともなく可愛らしい声が聞こえてくる。
「『知ってるわ。白き守護神は、本当は黒が好きなのよ』」
アルヴァは笑みを浮かべ、幹に足を掛けた。出っ張りを掴み、慣れた動きで登っていく。
「『その通り。白き守護神は黒が大好き。ところで君は、何色が好き?』」
「『私は白が一番好き。ところであなたは、何色が好き?』」
「『それは勿論』……」
洞の縁を握り、中を覗き込む。
「『黒が好き』っ!」
満面の笑顔で言い切れば、洞から笑い声が上がった。
そこには、黒い髪と蝙蝠の羽を持つ、アルヴァと同じ年頃の女の子がいた。
国で保護対象と認定されている、ブラックモア族の生き残りだ。
アルヴァは彼女に笑い掛け、洞の中へと入っていく。
「よっと。へへ、こんにちはシャノン。誰にも見つからなかったか?」
「こんにちはアルヴァ。うん、大丈夫。ママ達には、駐在所の近くにある川へ行くって言ってきたから」
「そっか」
アルヴァは洞の奥へ進み、膝を抱えるシャノンの隣へ腰を下ろした。少し窮屈だったが、互いの体が触れ合い、とても心地が良かった。自然と顔も近くなる。
「アルヴァは? 誰にも見つからなかった?」
「うん。でも、ちょっと危なかった。父さん達には気付かれなかったけど、途中で巡回中の隊長さんに声掛けられちゃってさ」
「えっ、隊長さんに? だ、大丈夫だったの?」
「大丈夫大丈夫。秘密の特訓をするんだって言って、逃げてきたから」
そう言って、アルヴァは腰に差した短剣を叩いてみせる。
あっけらかんと笑う彼を見て、シャノンは胸を撫で下ろした。
しかし、すぐに眉を下げる。
「ん? どうしたシャノン?」
「うん、あの……」
抱えた膝に顎を付け、もじもじと体を揺らした。
「……隊長さんにまで嘘吐いちゃって、大丈夫なのかなって、思って……」
「大丈夫だよ。別に悪いことしてるわけじゃないんだから」
「でも、この前、勝手に出歩いちゃ駄目って言われたの。人攫いに会うかもしれないからって」
「シャノンは心配性だなぁ」
アルヴァは苦笑いを浮かべると、シャノンの黒い髪を撫でた。
「大丈夫。もし何かあっても、俺がお前を守ってやるから。な? 隊長さん直伝の剣さばきで、人攫いなんかチョチョイのチョイだ」
シャノンを元気付けるように、アルヴァは明るい声で右腕を前へ突き出してみせる。
「それに、ここは俺達の隠れ家だぞ? 誰にも見つけられないし、誰にも教えちゃ駄目なんだ。二人だけの秘密。な?」
アルヴァは、シャノンの顔を覗き込む。
シャノンは、微笑むアルヴァを数拍見つめ、つと、頬を緩ませた。
「……うん、そうだね。二人だけの秘密」
互いに顔を見合わせ、笑い声を漏らす。
「あ、そうだ」
不意に、シャノンがポケットの中へ手を入れる。
「あのね、あのね……これ」
少し恥ずかしそうに、取り出したものをアルヴァに見せた。
彼女の掌に乗っていたのは、糸で編まれたブレスレットだった。手首に括り付けるタイプのもので、両端の余った糸は三つ編みにされている。青を基調としており、その中に一本だけ黒い糸が混ざっていた。
いや、黒い『糸』ではない。
よく見れば、それは黒い『髪の毛』だった。
「やっと出来たの。ちょっと失敗しちゃったけど……」
はにかみながら、ブラックモア族に伝わるお守りをつつく。
きっとアルヴァは喜んでくれるだろう。そう思い、シャノンは彼を窺い見た。
ところが、アルヴァはシャノンの予想に反し、白い尻尾と目を泳がせている。
「……アルヴァ……嬉しく、ない?」
「えっ!? い、いやっ、そんな事ないよっ! 凄い嬉しいっ! 凄い嬉しい、んだ、けどぉ……」
唇を波打たせ、アルヴァは狼の耳を伏せた。
「……その、俺……俺も、その、一応、出来たんだけど……」
「え、本当?」
シャノンは目を見開いて、嬉しそうな声を上げる。
するとアルヴァの尻尾は、更に忙しなく揺れ動いた。
「で、でも、俺、上手く出来なくて、作り直したんだけど、それでも下手で……だから、そ、その……」
白い耳を一層伏せて、小さく、ごめん、と呟いた。
シャノンは、俯く彼をしばし見つめ、ふと、微笑む。
「アルヴァ」
「……ん?」
「アルヴァが作ったお守り、今持ってる?」
「……ん」
「見せて」
アルヴァは唸りながら首を振った。
「なんで?」
「だって、本当に下手で……きっと、シャノンは笑うから」
「笑わないよ。絶対笑わない」
「…………本当?」
「うん。本当。絶対。約束する」
真っ黒な瞳に見つめられ、アルヴァは迷うように尻尾を揺らす。
やがて、ゆっくりと手を、ズボンのポケットの中へ入れた。
「……これ……」
おずおずと開かれた掌の上には、赤いブレスレットが乗っていた。ところどころ緩んでしまい、太さも場所によって違っている。
なにより、一緒に編み込まれた白い髪の毛が、途中で何箇所も切れていた。
教わった通り作った筈なのに。
己の不器用さが情けなくて、アルヴァの顔は、益々下へと下がってしまう。
「アルヴァ」
シャノンに呼ばれ、返事代わりに耳を振る。
「付けて」
差し出された左腕に、アルヴァは思わずシャノンを見た。
彼女は、ほんの少しだけ、目元を緩めていた。
「で、でも……」
「駄目?」
「だって、これ、凄く下手だ。こんなの付けてたら、きっとシャノンが笑われちゃう」
「それがいいの。ね、お願い」
催促するように、シャノンは左腕を振る。
アルヴァは尻尾を二度ほど往復させてから、おもむろに、彼女の手首を掴んだ。骨が出っ張っている部分に赤いブレスレットを巻き付け、少し大きな蝶々結びを施す。
アルヴァの指が離れ、シャノンは己の手首を眺めた。
歪な赤と途切れがちな白を、そっとなぞる。
「ありがとう、アルヴァ」
蕩けるように、微笑んだ。
彼女の放つ幸せな空気が、洞の中に充満した。
アルヴァも、その空気に飲み込まれる。
耳と尻尾をピンと立ち上げ、落ち着きなく体を前後に揺すった。
「お、俺にも。俺にも、付けて」
そっぽを向いて、右腕だけをシャノンに突き付ける。
シャノンは嬉しそうに頷き、言われた通り青いブレスレットをアルヴァの手首へ巻き付けた。綺麗に蝶々結びをして、自分のものと並べてみる。
「……やっぱり、俺の、下手だな」
「下手でもいいの。一番大事なのは心を込めることだって、ママも言ってたもん」
「……そっか。うん。じゃあ、大丈夫だ」
「そう、大丈夫だよ」
手首を更に寄り添わせ、互いのブレスレットをぶつける。
「……これで俺達、夫婦だな」
「……うん」
腕を返し、手を握り合う。
顔を上げれば、相手の頬は赤く染まっていた。
自分の頬も、熱かった。
目が合い、気恥かしさが込み上げる。
嬉しさも、込み上げる。
二人は溢れる想いを笑顔に変え、一層肩を触れ合わせた。
日差しの入ってこない洞の中が、温かい雰囲気に包まれる。
「……なぁ、シャノン」
「何?」
「俺さ、実は、お前に黙ってたことがあるんだ」
「え、何を?」
「あのな……実は……」
声を顰め、シャノンの耳に左手を添える。
「……俺達が結婚するってこと、隊長さんにだけ、こっそり教えちゃったんだ」
「えっ、嘘っ。アルヴァずるいっ!」
シャノンは頬を膨らませ、右手でアルヴァを小突いた。
「だってあんまり嬉しかったから、つい。ごめんな」
「ずるいずるいっ。私だって誰かに自慢したかったのにっ」
「ごめんって。あ、じゃあさ、今度こっそり隊長さんのところへ行こうぜ。それで、このお守りを見せてやるんだ。隊長さん、きっと驚くぞ。『先を越されたーっ!』とか言ってなっ」
「あははっ。そうだね、そうしようっ」
蝙蝠の羽と足を軽く揺らして、シャノンは機嫌良く笑う。アルヴァも歯を出して笑い、洞の壁へ凭れ掛かった。
「あーぁ、早く独り立ちしたいなぁ。そうしたらシャノンと一緒に暮らせるのに」
「ホワイトリー族って、何歳になったら独り立ち出来るの?」
「十五歳」
「じゃあ、後七年かぁ……まだまだ先だね」
「でも十五歳になったら、俺、すぐに独り立ちするから。それですぐに大きな家を作って、お前を迎えに行くからな。それまでは、ここが俺達の家だ」
洞の壁をポンと叩き、シャノンの手を握り直す。
シャノンも握り返し、はにかみながら、うん、と頷いた。
「ねぇアルヴァ。私達のお家は、どんなお家にするの?」
「うーん、そうだなぁ……」
アルヴァは首を捻り、しばし宙を眺める。
「……すっごい、デッカい家」
「すっごいデッカいの?」
「あぁ。今の家よりもっと広くて、この森で一番大きな家。俺達の子供が百人入れるくらいの、すっごいデッカい家にするっ」
「百人も? 凄いっ。そんなに大きなお家を作るの?」
「おうっ。あ、でも、地面と木の上、どっちに作ろうか? シャノンの一族は、確か木の上に家を作るんだろ?」
「うん。でも私、地面のお家でも大丈夫だよ。木の上じゃあ、アルヴァが登るの大変でしょ?」
「うーん……いや、奥さんが住みやすい家を作ってやるのが夫の務めだからな。木の上に作ろうっ」
鼻息荒く拳を握るアルヴァ。
頼もしい夫の姿に、シャノンは微笑みを浮かべた。
「……あ」
かと思えば、唐突に、目を瞬かせる。
「ん? どうした?」
「うん。あのね、私、ちょっと思ったんだけどね」
アルヴァを見やり、小首を傾げる。
「私達の子供って、ホワイトリー族なの? それともブラックモア族なの?」
シャノンの質問に、アルヴァも首を捻った。
「……確かに、どっちの子供が生まれるんだろうな?」
「分かんないよね。ホワイトリー族とブラックモア族じゃ、どうなるか想像も付かないし」
二つの唸り声が、洞の中に響き渡る。
「……黒い、ホワイトリー族、とか?」
アルヴァの言葉に、シャノンは目を丸くする。
「黒いホワイトリー族? そんな人、見たことも聞いたこともないわ」
「うん、俺も。でも、俺とシャノンの子供なんだから、やっぱり両方に似た子が生まれると思うんだ」
「じゃあもしかしたら、白いブラックモア族かもしれないってこと?」
「そうそう。それか、白と黒が混ざって、灰色になるかもしれない」
「灰色だったら、モルダーグレイ族と間違われちゃうかもしれないね」
ふざけ半分にシャノンが言えば、アルヴァも想像したのか、可笑しそうに身を捩った。
「あっ、じゃあもしかしたら、髪は白で羽は黒になるかもしれないな」
「あははっ。そうしたら、私達の子供だってすぐに分かるねっ」
「いっそ、ホワイトリー族の耳が付いててもいいな」
「耳が付いてるなら、尻尾も絶対付いてるよ。手足だって、ブラックモア族よりずっと太くて逞しいの」
「ならきっと、ホワイトリー族の力強さとブラックモア族の飛行術を兼ね備えた、凄い強い子になるなっ」
「それで灰色だったら、モルダーグレイ族のすばしっこさも持った子になるよっ」
「シャノン頭いいなっ。そうしたら俺達の子供は最強だっ」
「本当だっ。最強だねっ」
両手を取り合い、二人は頬を赤らめてはしゃいだ。
「きっとこの森に住む全ての一族を守ってくれるぞっ。なんたって百人もいるんだからなっ。もしかしたら、俺達の子供だけで新しい警備部隊が作れるかもしれないっ」
「私達の子供だけで警備部隊を? 凄いっ! じゃあ隊長はアルヴァだねっ」
「副隊長はシャノンなっ。俺が地面で戦ってる間に、お前は空から司令を出すんだっ。そうしたら灰色の子供達が集まってきて、敵をバッタバッタと倒すんだぜっ」
シャノンの手を掴んだまま、アルヴァは体を大きく動かす。左右へ揺すぶられ、黒い髪が笑い声と共に踊った。
「名前は? 部隊の名前は何にする?」
「そうだなぁ……ブラック&ホワイト、は、長いし……グレイ? じゃあ、モルダーグレイ族みたいだし……」
「アルヴァ警備部隊は?」
「それじゃあ俺だけの部隊みたいじゃないか。俺と、シャノンと、子供達、全部纏めて最強なんだから、全部纏めた名前がいいよ」
「そっか。うーん、全部かぁ。難しいね」
口を尖らせて、シャノンは宙を眺める。本気で悩んでいるようで、その小さな眉間にも皺が二本縦に入った。
そんな彼女の顔を、アルヴァはふと、見つめる。
「んー……ブラックモアとホワイトリーだから……モアリー? モアリーグレイ?」
シャノンが首を反対に倒せば、アルヴァの目線と尻尾も追い掛けた。
「頭文字を並べてみる? BWG警備部隊……うーん、悪くないけど、もっといいのがある気がするよね」
目を瞑り、シャノンは更に眉を顰めた。唇も固く結び、唸り声を上げている。
狼の耳が一つ揺れ、そっと、身を乗り出した。
「もう分かりやすく、ファミリー警備部隊にしちゃう? かっこ悪いかな? でもこれなら、私達を全部纏めた名前になるよ? どうかな、アル――」
シャノンの唇に、何かが触れる。
温かいそれに、黒い瞳はパチリと開かれた。
視界を、白が遮る。
洞の中に、突如静寂がやってきた。
シャノンは、微動だにしない。
出来なかった。
羽の先を突っ張らせながら、ただ目を見開くだけ。
頭の天辺が痺れるような感覚がして、心臓が、痛いくらいに縮こまった。
その内、白がゆっくりと離れていく。
目で追い掛けていけば、大好きな彼の顔が、徐々にはっきりと見えてきた。
いつもより大人びた目付きで、いつもより熱い吐息で、アルヴァは、シャノンを見据えている。
心臓が、一際痛くなった。
「ア、アルヴァ……」
思わず名前を呼ぶと、彼は眉をつり上げ、そっぽを向いてしまった。膝に顎を乗せ、狼の耳を伏せる。
もう一度、名前を呼んでみた。けれど、アルヴァは視線を下げたまま唇を突き出すだけ。返事をしてはくれない。
何か、悪いことをしてしまっただろうか。
シャノンの胸に不安が過ぎる。でも何が悪いのか分からず、何も言えずに彼の横顔を見つめた。
心臓が、違う痛みを放ち始める。
喉の奥から、情けない音が零れた。
込み上げた涙が、目の縁に溜まっていく。段々白がぼんやりしてきて、それがまた悲しくて、シャノンは小さく鼻を啜った。
と、不意に、手の甲を温もりが包み込む。
シャノンより少し大きな掌が、彼女の手を鷲掴んでいた。
その手首に巻かれた青いブレスレットに、シャノンは睫毛を二・三上下させる。
アルヴァは、相変わらず明後日の方向を睨み付けていた。
しかしよく見れば、その頬は普段よりもかなり血色が良くなっていた。尻尾も落ち着きなく動き回り、洞の壁を何度も叩いている。
そうか、と、シャノンは気が付いた。
アルヴァも、自分と同じ気持ちなんだ。
「……えへへ」
シャノンは目元を拭い、アルヴァの手を握り返す。すると答えるように相手の力も籠って、彼女の口からは、もう一つ、笑みが溢れた。
膝を抱え直し、彼の真似をして黒い瞳を外へ向ける。木漏れ日が上から降り注ぎ、風にそよぐ木の葉が頻りに囁き合っている。
まるで自分達を囃し立てているようだと、シャノンは肩を竦めた。
途端、先ほどの行為が甦り、彼女の頬は真っ赤に染まる。身悶えたい気持ちを、膝に額を押し付けることでどうにか堪えた。
木の葉の囁きは、未だ止まない。
「……なぁ、シャノン」
ふと、洞の中で声が生まれた。
アルヴァが、真剣な面持ちでシャノンを見つめている。
「あの、さ」
どこか迷うように口籠り、やがて、狼の耳を真っ直ぐに立てた。
「もう一回……いい?」
燃えるように熱いアルヴァの手が、強く、握り締めてくる。
その少し湿った掌に、シャノンの頬は一層熱くなった。
何も言わず、小さく頷く。
礼を言うように狼の尻尾が揺れ、アルヴァの体が、前に傾く。
シャノンも、ほんの少しだけ、前のめりになった。
互いに、目を瞑る。
白と黒の前髪が、また静かにぶつかった。
木の葉が一層、風にさざめく。
その中に突如響いた、無粋な、打音。
驚いた二人は咄嗟に離れ、洞の外へ目を向けた。
洞の縁に、大きな手が掛かっている。
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