勝手知ったる、とばかりに離宮の廊下を進んでいく、黒いパンツスーツの女。その後ろを、黒いローブを纏う男は、無表情な顔を俯かせて、静かについていく。

 時折すれ違う侍女や兵士が、彼らの体を、煙の中を突き進むかのように通り抜けていった。


「あ、ねぇキアラーン」


 前を行く女が、突然振り返る。その拍子に、一つに縛られた彼女の髪が鞭のようにしなった。


「あのさぁ、ちょっと付き合ってくれない?」

「……どちらに、でしょうか」

「ちょっとそこまで。ほら、あそこ。あの城壁の上」


 廊下の窓から、離宮と城を囲う砦を指差す。


「ここにきてからずーっと思ってたんだよねぇ。あの上で一服したら、物凄い気持ち良いだろうなーって」

「……そうですか」

「ね、一緒に行こうよ」

「折角ですが、結構です」

「まぁまぁ、そう言わずに」

「自分に構わず、ベルさんお一人でどうぞ」

「一人なんて寂しいじゃーん。話し相手がいた方が楽しいじゃーん。はい、これ先輩命令ね。はいはい、行くよキアランくーん」


 ベルは勝手に決定すると、窓に足を掛け、宙へ踏み出した。

 何もない空間に立ち、淀みない足取りで城壁へと向かっていく。


「ほーら、キアランおいでってー。ね。煙草一本だけ付き合ってくれればいいからさー」


 暢気に笑いながら、ベルは頻りに手招いた。

 仕方ない、と細く息を吐いて、キアランは窓から一歩足を出した。空中を歩き、ベルの背中を追い掛ける。


「とうちゃーくっとぉ。おー、絶景絶景。見てよキアラン、綺麗だよー」


 目の前では、太陽が丁度生まれ出るところだった。地上から四分の一ほど顔を出し、辺りを少しずつ照らしていく。


 仁王立ちするベルの近くに、キアランは腰を下ろした。無表情に足を揺らしつつ、金色に輝く光を眺める。


 ふと、金属がぶつかる音がした。

 次いで独特の苦い匂いが、キアランの元へ流れてくる。


 見れば、ベルの指には、火の点いたシガレットが挟まれていた。美味しそうに吸い込み、吐き出される煙が、風に乗って彼の顔面へぶつかっていく。


 キアランは無言で、場所を移動する。


「ん、あれ? どうしたのキアラン?」

「……いえ」


 どことなく不快そうな面持ちで、風上へと座った。

 ベルは不思議そうに眺めていたが、鼻を啜りながら目元を拭い始めたキアランを見て思い当たったか、顔を背けて煙ごと息を吐く。


「ごめんごめん。あんた、煙草嫌いだったよね。忘れてたわ」

「ずず、いえ、嫌いではありません。苦手なだけです」

「あぁ、そうそう。苦手なんだよね。なんだっけ? 煙が目に沁みて痛くなるんだっけ?」

「えぇ、そうです」

「あー、そうだったわぁ。私そのことすっかり忘れててさぁ、ずーっと昔に風上で盛大に煙吐き出したら、キアランに直撃しちゃったことあったよねぇ」

「……そうですね。お陰であの時も涙が止まらず、それはそれは大変でした」

「私も『君は一体何を考えているのかね?』って局長にお説教されて、それはそれは大変だったよぉ」


 口角を持ち上げ、フィルター部分を食んだ。


「……あれ? なんかさぁ、今みたいなやりとり、前にもやらなかったっけ? そんなに昔の話じゃなくて、割と最近に」

「百一年前に、転生省の喫煙所でお会いした際、交わしましたが」

「え、そんな前だったっけ? 四十年前とかじゃなくて?」

「えぇ。百一年前です」

「そっかぁ。いやー、そんなに前にした会話なら、そりゃあ忘れてるわなぁ」


 ベルは楽しそうに笑い、シガレットを指で叩く。


「もう最近さぁ、本当物忘れが激しいって言うか、老化? なんか老化が進んできてる気がするんだよねぇ。よく物に躓くしさぁ、聞き間違えとかしちゃうしさぁ。この前なんか、万年筆のインク補充し忘れて、書いてる途中で文字が掠れてきちゃってさぁ。いやぁ、あれは焦ったなー。近年稀にみる慌てっぷりだったよー」

「……そうですか」

「好みとか感覚とかも、大分変わってきてるんだよね。今までは見た目重視だったのが、最近は機能性を大切にし始めててさぁ。スーツなんか、着心地が良くて皺にならない洗える奴ばっか買っちゃうもん。パンプスだって可愛いのよりも歩きやすいのを選んでるし。この頃はジャケットとか堅苦しくて、もういっそ黒ローブに戻ってやろうかなーとか思っちゃってさぁ。あー、私おばさん化してるわー、ってしみじみ実感するんだよねぇ」


 憂いを帯びた顔を作り、わざとらしく首を振る。それをキアランは横目で見やり、呆れた風にまた前を見た。


「あ、黒ローブで思い出したんだけどさ。私、ずーっと昔に、キアランにローブプレゼントしなかったっけ?」

「……えぇ。頂きました」

「だよね。で、そのローブってさ、もしかして今キアランが着てる奴じゃない?」

「……そうです」

「おぉ、やっぱそうだ。で、私はなんでローブをプレゼントしたんだっけ?」

「……自分が、記録係として初の仕事を終えたから、そのお祝いに、とおっしゃっていました」


 そう答えたキアランに、ベルは合点がいったとばかりの声を上げた。


「あ、そっかそっか。いやぁ、ようやく解決したわ。思い出したのはちょっと前なんだけど、なにぶん何百年も前の話でしょ? 細かい部分はすっかり忘れちゃっててさぁ、なんでだっけなーってずっと考えてたんだよねぇ」

「…………そうですか」


 キアランはゆっくりと顔を俯かせ、自分の着ているローブをじっと見下ろした。若干目を細め、どことなく不満げな空気を醸し出している。


「……あれ? キアラン、もしかして拗ねてる?」

「……いいえ」

「嘘だぁ。絶対拗ねてるでしょ?」

「そんなことはありません」

「いや、拗ねてるね。だって凄い目付き悪くなってるもん」


 そうベルに指摘され、キアランは咄嗟に目を見開く。

 などということは、なかった。

 表情をピクリとも動かさず、淡々とベルの顔を眺めている。


「……あ、あれ? キアランどうしたの? お目目をぱっちり開けたりしないの? 目付きが悪くなってるんだよ?」

「そうして目を見開いた自分に、『うっそー♪』などと言うつもりでしょう」

「…………成長したねぇ」


 しみじみと呟き、シガレットの煙を深く吸い込んだ。


「はぁー……今までなら、絶対に引っ掛かってくれてたのに。ショックだなぁ。あのやり取りがあるからこそ、キアランと会ってるって感じがしてたのに。後輩の成長が嬉しい半面、先輩としてはちょっぴり寂しい。今までの素直なあんたが、何故かとても恋しいです」

「…………そうですか」

「あ、キアラン。もしかして、拗ねてる?」

「やりませんよ」

「駄目かー。あ、じゃあこっちは? はいキアラン、笑って笑ってー」

「やりませんから」

「駄目かー。残念だわー」


 喉を鳴らして、ベルは妙に嬉しそうに笑った。

 上半身を揺する彼女から目を逸らし、キアランは半分ほど体を出した太陽を眺める。

 その顔は、どことなく得意げであった。


「はぁー。いやぁでも、本当成長したよねぇ。一緒に仕事してても、なんて言うか、前と違ってそこまで心配しなくていいっていうか、こう、頼もしくなったよ。いやぁ、私もおばさんになる筈だよねぇ」

「……ベルさんと自分の年齢は、さほど離れてはいないと思いますが」

「その『さほど』が大きな差なのよぉ。あー、嫌だねぇ、歳をとるっていうのは。さっきもさ、ピートが泣き出した時、なんか私も泣きそうだったもん」


 ベルの言葉に、キアランは一つ瞬きをする。


「ずっとクラリッサの傍にいたから、ピートの成長もずっと見てるわけじゃない? だからこう、自分の弟っていうか、子供っていうか、そういう感覚になっちゃったんだよねぇ」

「……ベルさんにも、そういうことがあるのですか」

「そりゃあありますよぉ。私にだって感情ってもんがあるわけだし。まぁ、仕事中はある程度割り切ってはいるんだけどさぁ、それでも、なんてゆーか、完璧に割り切るのはやっぱ難しいわけですよぉ」


 シガレットを咥えたまま、ベルは自分の頭をかく。


「あーぁ、前はそんなことなかったのになぁ。対象の恋を応援したり、対象の想い人にやきもきしたりなんかさぁ。感情移入し過ぎって言うか、やっぱこれも歳をとったせいだと思うのよ。ほら、おばさんって動物と子供に弱いじゃない? 自分のことなのに、自分の気付かない内に色々変わってきちゃってさぁ。はぁー、怖いねぇ。本当嫌だよぉ」


 怒涛の勢いで喋るベルを、キアランは静かに見つめた。

 それからゆっくりと瞬きをして、無表情を僅かに引き締める。


「……気を付けて下さいね、ベルさん」


 太陽に向き直り、キアランは口を開く。


「変に情を持ったせいで消えていった記録係は、今まで何人もいます。もしもベルさんが、まかり間違って対象に絆されてしまい、規則を破り、罰せられてしまったとしたら、自分は泣いてしまいますからね?」


 至って真剣に語る彼に、ベルは目を丸くした。


「……なぁにぃ? キアランったら、泣いてくれるのぉ?」

「……泣くかどうかはさておき、これは、以前ベルさんが自分に言った言葉ですよ」

「え? じゃあ泣くのは私ってこと?」

「えぇ」

「そっかぁ。ま、大丈夫大丈夫。これでも仕事はちゃーんとこなすタイプだからさ。私情は挟まないって」

「今はそうかもしれませんが、この先はどうなるか分かりません。自分達も人と同じく進化していくのですから、何かの拍子に絆されてしまう可能性もあります。ですから、気を付けて下さい、という、後輩からのありがたいアドバイスです」


 落ち着きなく足を揺らして、キアランは前だけを凝視している。


「……因みに、これもベルさんの言葉です。自分で言ったのですから、自分で破る真似はしないで下さい。そんなことでは、後輩に示しが付きませんよ」


 体も前後に揺すり出したキアランを、ベルは物珍しげに眺める。


「……何ですか」

「いや、なんて言うか……大きくなったなぁ、って思って」

「…………そうですか」

「あ、キアラン今、ババ臭いって思ったでしょ?」

「……いいえ」

「嘘だ。絶対思った。ていうか今も思ってる。こいつ、想像以上に老け込んでるぞって」

「煙草、もう吸い終わりましたね」


 キアランは前を向いたまま立ち上がり、空中へ足を踏み出した。


「あ、ちょ、待ってキアラン。ごめんごめん。もうからかわないから、もうちょい待ってよ。ね、ほら。煙草ももうちょい残ってるから。ね?」


 指に挟んだシガレットを掲げ、ベルは猫撫で声を出す。

 ご機嫌を取ろうとしている笑顔に、キアランは眉を顰めた。しかし足を止めている辺り、待ってくれる気はあるらしい。

 なんだかんだで素直な後輩に礼を言い、ベルはフィルターに唇を寄せる。


 彼女の呼吸に合わせ、シガレットの先が赤く光る。徐々に近付いてくるそれから顔を背け、煙を深く、長く、吐き出す。

 金色に輝く空へ、一筋のもやを放ち、四散させた。


「……ねぇキアラーン」


 視線だけ振り向き、宙に立つキアランを見据える。


「心配してくれてありがとうね。結構嬉しかったよ」


 口角を片方持ち上げ、ウィンクを一つ贈った。


 キアランは一拍固まり、かと思えば、素早くベルから目を逸らした。妙に瞬きを繰り返しつつ、いえ、と一言だけ答える。


「……あれ? キアラン、もしかして照れてる?」

「……いいえ」

「嘘だ。絶対照れてる。いやーん可愛いー。お礼言われたくらいで恥ずかしくなっちゃったのぉ?」

「そんなことはありません」

「いやいや、どう考えたって照れてるでしょ。耳めっちゃ赤いよ?」

「もうその手には引っ掛かりませんから」

「いや。本当に赤いよ?」


 そうベルに指差され、キアランは思わず己の耳を触った。


「うっそー♪」


 朗らかな笑い声を上げたと同時に、持っていたシガレットの火が根元まで到達した。指に走った熱さに叫びながら、それでもベルは笑うのを止めない。


 蹲って震える彼女を一瞥し、キアランはどことなく悔しげな態度で踵を返す。

 後ろから笑い混じりに呼び止められるも、無言で足を動かし、ひたすら前だけを見つめ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る