第三章 年代不明


 生を全うした者の魂は、総じて転生省へとやってくる。




     ◆     ◆     ◆




 真っ白な壁に囲まれたオフィスの一角で、来世選定局生涯記録課の課長は、提出された記録帳をチェックしていた。

 とは言っても、目を皿にして隅々まで確認するのではなく、親指で弾きながら流し見する程度であるが。


「はい、いいよ。お疲れさん」


 記録帳を閉じ、黒い表紙に受理の判子を押す。


「じゃ、次が決まるまでしばらく待機してて」

「分かりました。お先に失礼します。お疲れ様でした」

「はいはい、お疲れ。はい、次ー」


 課長は傍にあるストッカーへ記録帳を入れると、すぐにキアランの後ろにいた者へ手を差し出した。

 キアランは横へずれると一礼し、列をなす同僚達の脇を通ってオフィスの白い扉へと向かう。


 記録課を後にしたキアランは、休憩室目指し廊下を歩いていった。途中すれ違う同じ課の者や顔見知りと挨拶を交わしつつ、延々続く白の中で、黒いローブをはためかせていく。


「……キアラン?」


 喫煙所の前を通り掛かったところで、ふと声を掛けられた。

 振り向けば、そこには髪を一つに結んだ細身の女が立っていた。黒いパンツスーツを纏い、吸い殻入れの前でシガレットを指に挟んでいる。


「……お疲れ様です、ベルさん」


 会釈するキアランに、ベルと呼ばれた女は目元を緩めた。


「お疲れ様ー、久しぶりだねぇ。何年ぶり? 三十年ぶりくらい?」

「いいえ。四十九年ぶりです」

「え、そんなに会ってなかったっけ? そっかぁ、そりゃあ久しぶりだと思うわぁ」


 ベルは喉を鳴らして笑い、シガレットを咥える。煙が深く吸い込まれる様を、キアランは喫煙所の外から眺めた。

 一向に近付いてこない後輩に、ベルは内心首を傾げる。


「……あ、そっか、ごめん。そういやあんた、煙草嫌いだったっけ」

「いいえ。嫌いではありません。苦手なだけです」

「あぁ、そうだったそうだった。なんだっけ? 煙が目に沁みて痛くなるんだっけ?」

「えぇ、そうです」

「あー、そうだったわぁ。私知らなくて、前に盛大に吐き掛けちゃったことあったよねぇ」

「……そうですね。お蔭であの時は、涙が止まらず大変でした」

「私も『なに後輩泣かせてんだっ!』って課長に怒られて、それはもう大変だったよぉ」


 ベルは懐かしげに己の頭をかくと、キアランとは反対方向に煙を吐いた。


「いやー、五十年近く会ってないと色々忘れちゃってるねぇ。さっきもさぁ、『あれ? なんだあれ? 今時、黒ローブ着てる奴がいるっ!?』とか思ってガン見してたら、うちの可愛い後輩じゃない? いやー驚いたわ。そういやキアラン、黒ローブ着てたわーってさっきスルッと思い出したわ」

「そうですか」

「あ、思い出したで思い出したけどさ。キアラン、あれもまだ使ってんの? ほらあれ、羽ペン」

「えぇ、使っています」

「おぉ、マジかぁ」


 目と口を丸くして、ベルはキアランをまじまじと見る。


「……何ですか」

「いや、なんてゆーか……そこは、いい加減変えてもいいんじゃない? ほら、今は万年筆とかあるんだしさ。あれ便利だよぉ? いちいちインク付け直さなくていいし、インク零して書き溜めた記録を全部パァにする心配もないし」

「問題はありません。自分は一度も零したことなどないので」

「でもさ、やっぱインク付け直すのは面倒でしょ?」

「面倒と思ったこともありません」

「本当ぉ? 絶対万年筆の方がいいって。マジ便利だから。本当おすすめ。なんならプレゼントしてあげようか?」

「折角ですが、結構です」


 キアランは、珍しく語尾を強めた。


「自分は、羽ペンの書き味が好きなのです。ローブに関しても、確かに時代遅れかもしれませんが、自分はこの恰好が一番落ち着くのです。ですから、お気遣いは、無用です」


 きっぱりと言い切ると、キアランは一つ瞬きをして、視線を下に落とした。

 ベルは、シガレットを指に挟んだまま、ポカンと固まる。


「……あれ? キアラン、もしかして怒ってる?」

「……いいえ」

「嘘だぁ。絶対怒ってるでしょ?」

「そんなことはありません」

「いや、怒ってるね。だって眉間に超皺寄ってるもん」


 そうベルに指摘され、キアランは咄嗟に眉間を手で触った。


「うっそー♪」


 高らかな暴露に合わせ、喫煙所には妙に楽しそうな笑い声と、その拍子に煙が変なところに入って苦しむ声が交互に響き渡る。

 一人で忙しなく身を捩るベルを、キアランはどことなく不服な面持ちで見守った。


「あはっ、ごほっ、ご、ごめんごめん。まさか、まだこの手に引っ掛かってくれるとはっ、思ってなくって……っ。あ、あはっ、あははっ、ごっほごっほっ」

「……楽しんで頂けて、なによりです」

「ご、ごめんって。拗ねないでよキアラーン」

「拗ねていません」

「そうだよねぇ、拗ねてない拗ねてない。その証拠に、はいキアラン、笑って笑ってー」

 自分の頬に指を当て、ベルは目と口に弧を描く。首を傾げ、一つに縛った髪を垂らしてキアランを見上げた。


 キアランはしばし無言でベルを眺めると、おもむろに唇を固く結んだ。

 そして、頬の筋肉を、痙攣させ始める。

 眉や口角も珍妙につり上げ、怒りのような、蔑みのような、何とも言えぬ表情を生み出していく。


「ぶはぁっ!」


 突如、ベルが吹き出した。指に挟んだシガレットを盛大に揺らしながら、腹を抱えて身悶える。


「あはっ、あははっ。キ、キアラン、最高……っ、ちょ、やば……っ! ごほっ、ごっほっ」


 一つに縛った髪を振り乱し、背中を丸めて震えるベル。高々と掲げられたシガレットからは、波打つ煙が立ち上っている。


 しばらくすると、ベルは目元を拭い、唇にフィルター部分を寄せた。自分を落ち着かせるように深く吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。


「はぁー……あは。いやぁ、変わってないねぇキアランも。いつまでも純粋なままで、先輩は嬉しいよぉ」

「……そうですか」

「そうですよぉ」


 ウィンクを一つ零し、シガレットを吸い殻入れへ押し付ける。そしてすぐにジャケットの内ポケットから、シガレットケースとジッポライターを取り出した。


「あ、そういやさ。あれ、一体どうしたの?」

「……あれ、とは?」

「ほら、あれよあれ。ちょっと前に突然連絡してきたじゃん。オルトン・ベリルについて。彼は今どうしてるのかーって」


 ベルの説明に思い当たったのか、キアランは小さく頷いた。


「あの時は、自分の記録対象であったフランシスカ・ゴールドスミスが、オルトン・ベリルの現状を知りたがっていたので、連絡をさせて頂きました」

「……話したの?」

「えぇ」

「……ふぅん」


 ベルはライターとケースを内ポケットにしまい、唇をすぼめる。


「……それってさぁ、大丈夫なの? 規則的に」

「問題はありません。確認したところ、対象に他者の転生状況を伝えることを禁則する内容は書かれていませんでした」

「ふぅん……ま、ならいいけど」


 キアランから顔を背け、肺の中の煙を吐く。


「――でも、あんまり深入りしない方がいいわよ?」


 指にシガレットを挟んだまま、ベルはキアランを振り返った。

 先ほどまでとは違い、ほんの少しだけ、目に力が籠もっている。


「変に情を持ったせいで消えていった記録係は、今まで何人もいる。もしもあんたが、まかり間違って対象に絆されて、規則破って、はぁいさよならーなぁんてなったら、私泣いちゃうからねぇ?」

「……大丈夫です。自分は、あくまで仕事として、彼らと向き合っていますから」

「今はそうかもしれないけどぉ、この先はどうなるか分からないじゃない? 私達だって人と同じで進化していくんだからさ、なんかの拍子にコロッといっちゃう可能性だってあるでしょ? だから、まぁ……ほら、あれよぉ。気を付けなさいねーっていう、先輩からのありがたぁいアドバイスよぉ」


 わざとふざけている風に笑い、シガレットを吸い殻入れの縁に軽く叩き付ける。さほど溜まっていない灰を落とし、落ち着きなくフィルターを食んでは上下に揺らした。


 キアランの頬が、つと痙攣する。


「……ご忠告、痛み入ります」

「いやいやいや、別にそんな大層なもんでもないから。軽ーく聞き流してくれればいいのよ。ね、ほら。私ってそんなちゃんとした先輩キャラでもないじゃん? だからそうきちんと対応されるとさ、困るんだよねー。堅苦しいの超苦手。嫌いと言っても過言ではないね、うん。なのでキアラン君よ。もっと力を抜いて話半分で聞きたまえ。そして生返事で答えるんだ。分かったかね? あ、因みにこれ、局長のマネね。結構似てると思わない? 私の自信作なんだー」


 妙に口数の多いベルの心情を、キアランは何となく悟った。

 もう一つ頬の筋肉を痙攣させ、無言で頷くだけに留める。


「……ん?」


 不意に、ベルは視線を上げた。

 シガレットを口から離し、虚空を見つめる。


「……あ、お疲れ様でーす。……えぇ、えぇ……あーそうですかー。分かりました……はい……はーい、失礼しまーす。はーい」


 彼女は素早くシガレットを吸い殻入れに押し付けると、喫煙所の出入り口へと歩き出した。


「ごめんキアラン。呼び出されちゃった」

「次が決まったのですか?」

「みたい。あーぁ、今回はあんまり休めなかったなー」


 首を二・三回し、キアランの横を通り過ぎる。


「じゃあねーキアラン。また五十年後ー」


 すれ違い様に、肩を軽く叩いていった。会釈をするキアランに手を振り、そのまま生涯記録課がある方向へ進んでいく。


「あ」


 足は止めずに、ベルは振り返った。


「でもー、もしどっかで見掛けたらさー、声掛けてねー。私も見つけたら絡みに行くからー」

「…………分かりました」

「キアラン今、面倒臭いとか思ったでしょ」

「……いいえ」

「嘘だぁ。絶対思った。いや、現在進行形で思ってる。こいつ、超面倒臭いって」

「そんなことはありません」

「いや、思ってるね。だって口元めっちゃ曲がってるもん」


 そうベルに指摘され、キアランは素早く口角を引き上げる。


「うっそー♪」


 ベルの目と口は、盛大に弧を描く。それに合わせ、どこまでも愉快な笑い声と、その拍子に唾が気管に入って咳き込む音が白い廊下に響き渡る。

 楽しそうに悶える細身の背中を、キアランはどことなく不満げな眼差しで見送った。

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