色の白い、年若い男だった。

 ブラックモア族の髪よりも黒いローブを纏い、手すりの上に両足を乗せて座っている。揃えた膝の上には真っ黒な表紙の本を置き、羽ペンで忙しなく何かを書き込んでいた。


「……何者だ」


 ヒューバートは目付きを変え、短剣の先を男へ向けた。

 だが相手は動じる素振りも見せず、手を動かし続けている。


「どうやってここへ入った」


 またしても、相手は何も答えない。それどころか、首からぶら下げたインク入れにペン先を浸す始末。

 舐めているとしか思えない行動に、ヒューバートは眉を顰める。


「答えろ。君は一体、何者だ」


 声に力を込め、得体の知れない男へ、再度短剣を突き付けた。

 すると一拍置いて、男はようやく手を止めた。顔を上げ、ヒューバートを振り返る。


 男は数拍固まり、ふと、瞬きをした。

 無表情のまま、首を傾げる。


「……自分に、言っているのですか?」

「君以外の誰に言っていると思うんだい?」


 苛立ちの混ざるヒューバートの答えに、男はまたしても固まった。表情に変化はないが、少し口を開け、心なしか驚いているようだった。

 睨み合いのような見つめ合いが、続く。

 だが、男は瞬きをすると顔を逸らし、おもむろに持っていた本を捲った。一番後ろのページに書かれている何かを、上から順に黙読し始める。


 答えるつもりも相手をするつもりもない男の態度は、ヒューバートの疑問を引き出した。

 彼の目的は何か。

 どうやってここまできたのか。

 警備の者はどうしたのか。

 自分を殺すつもりなのか。

 ならば何故、自分が気付いていない内に攻撃をしてこなかったのか。

 見つかった今、何故、無防備に座り込んでいるのか。

 考え出したらきりがない。


 それでも、侵入者の存在を許すわけにはいかないということは、はっきりと分かっていた。


 ヒューバートは相手の様子を窺いつつ、じりじりと近付いていった。足の裏をバルコニーに擦り付けて、静かに間合いを詰めていく。

 あと二歩、というところで、ヒューバートは止まった。男はこちらの動きに気付いていないのか、それとも気付いていて放置しているのか、一切顔を上げようとしない。熱心に眼球を動かしていくだけだった。


 ヒューバートは、細く、長く、息を吸う。それに合わせて重心を落とし、握った柄へ、指を押し付けた。


「はぁっ!」


 素早く足の甲を裏返す。床を蹴り、足を二回、交差した。右腕は最低限の所作で後ろへ引かれ、勢い良く、前へ押し出される。

 短剣は弧を描いて、ヒューバートの狙い通り、男の首へ突き刺さった。刃は根元まで深く押し込まれている。これを抜けば血が一気に噴き出し、黒いローブに包まれた体は、バルコニーから真っ逆さまに落ちていくだろう。


 しかし、いくら待てども、男はバルコニーの手すりの上に居座った。


 落ちないどころか、血も出てこない。


 全くの無傷で、相変わらず本を読み続けている。


 ヒューバートはすぐさま後ろへ下がった。短剣を構えたまま、走る心臓の音を感じた。

 困惑と恐怖が、自分の内で膨らんでいく。腹の底は熱く、全身に汗が滲み出るも、反対に背筋は冷たく、震えで短剣を落としてしまいそうだった。


「……あぁ」


 その声に、ヒューバートは無意識に後ずさった。だが男は見向きもせず、どこか納得した風に頷くと、何事もなかったかのようにまた羽ペンを動かし始める。


 静かな空間に、紙とペン先の擦れる音が、響いた。

 その合間を縫って、唾を飲み込む音が、小さく、小さく、鳴る。


「君は、一体何者なんだ……?」

「自分のことはお気になさらず。ただの記録係ですので」

「……記録係?」

「えぇ。あなたの」


 淡々と伝えられた内容に、ヒューバートは不審を通り越して不気味に思った。それでも気丈な面持ちを取り繕い、軍人らしく目の前の不審者を尋問する。


「私の記録など取って、どうするんだ」

「使うのですよ」

「何に」

「あなたの来世を決める際に」

「……来世?」

「えぇ。あなたがこの世に生まれ、死ぬまでの間をどのようにして過ごしてきたのか。自分が書き留めてきた記録を参考に、選定員が転生先を割り振るのです」


 記録係と名乗った男は顔も上げず、無感動に手と口を動かしていく。冗談を言っているようにも、騙そうとしているようにも見えぬ彼を、ヒューバートはまじまじと眺めた。


 この男は、一体何者なのだろう。ヒューバートの思考は、その一点に集中する。


 記録係やら来世やらを語るだけならば、ただの頭の可笑しい者として処理していただろう。だが相手は見張りの目を掻い潜り、自分にさえ悟らせず、この司令室までやってきた。それだけでもかなりの実力者と分かるのに、更には剣が通用しないのだ。そんな者、今まで見たことも聞いたこともないし、そのような人間がいるとは、とても信じられなかった。

 恰好も、大層変わっている。こんなに長いローブなど、今時魔道士か聖職者しか羽織らない。それも黒となると、最早己を悪魔とうそぶくペテン師の類としか思えなかった。


 と、そこまで考えて、ヒューバートは、はたとある結論に行き着く。


 まさか、とは思いながらも、唇の動きは止まらなかった。


「……っ、君は、もしや……死神かい?」

「いいえ、違います」

「……では、私を迎えにきた、天使かい?」

「自分はただの記録係です」

「だが……人間では、ないんだろう?」

「えぇ」


 ならば、やはり。ヒューバートは内心そう呟いた。

 同時に、肩の力が、抜ける。息を吐き出すと共に上半身を下げ、しばし床を眺めると、おもむろに短剣を鞘へ戻した。


 そんな彼の元に、聞き慣れた音が、風に乗ってやってくる。

 ほんの僅かなさざめきだったが、ヒューバートは素早くバルコニーの外を振り返った。


 完全に月の消えた夜空を、ブラックモア族が飛んでいく。

 先頭を行くのは、先ほどまで隣にいたジラ。

 一族は幼い者から年老いた者まで全員、体中に爆薬を仕込み、目の前の山へ向かい突き進んでいく。


 闇夜に紛れる彼らの姿を、ヒューバートは手すりから身を乗り出して見つめた。


「……なぁ、記録係君」

「はい、何でしょう?」

「彼らにも、君のような記録係が付いているのかい?」

「えぇ」

「一人一人に?」

「そうです。例えば、先ほどこちらにいらしたジラさんには、ベルさんという自分の先輩が付いています」

「……どの辺りにいるんだい?」

「すぐ傍にいます。ですが生きている者には、本来ならば見ることなど出来ません」

「……そうか」


 ヒューバートは重心を後ろへ下げ、もう形もはっきりしない一族の羽を眺め続ける。


「……彼らの来世は、幸せなものであるのかい?」


 手すりを握り、小さく口を開く。


「それは分かりません。来世を決めるのは自分ではなく、選定員ですので」


 記録係は、本から一切視線をずらさない。


「幸せなものにしてくれるよう、口添えは出来ないのかい?」

「出来ません。自分にそのような権限はありませんので」

「では、君が書いているそこへ、私がそう願っていると書き込んではくれないかい?」

「この記録帳に、事実以外を載せることは出来ません」


 ヒューバートの口元が、ひくりと痙攣する。


「……私の願いは、嘘だと言いたいのかい」


 込み上げる気持ちを堪えるように、手すりを掴む指が力んだ。


 若干の圧力を匂わせる物言いに、普通の者ならば軍人の怒りを買わないよう大げさに否定し、言い訳をするだろう。

 しかし、記録係の男は、そんなもの関心はないとばかりに、羽ペンの先をインクに浸した。

 片手間に、「いいえ」、とあっさり言い放ちながら。


「……では、何故載せることが出来ないんだい?」

「ここには、自分の心証や不確かなものを一切排除した、目で見え、耳で聞こえたもののみを記さなければなりません。よって、あなたの胸の内という確認出来ないものを載せることは出来ません。載せることが出来るのは、『あなたが自分に頼みことをし、断られた』、という事実だけです」

「…………そうか」


 溜め息混じりにそう呟き、ヒューバートは指の力を緩めた。

 風が流れ、彼の金髪を慰めるように撫でていく。


 静寂の中、羽ペンと紙の擦れる音が忙しなく奏でられる。

 空を駆ける集団は、肉眼ではもう確認出来ない。


「……では、今から私が話すことは、君に記録されるかい?」


 不意に、ヒューバートは横を向いた。

 神妙な面持ちで、記録係を見据える。


「えぇ。要約はしますが、どういった内容だったのかは、きちんと書き留めます」


 記録係は次のページを捲りつつ、答えた。


「それは……選定員とやらの目に、入るかい?」

「えぇ。あなたの来世を選定する際に」

「……そうか」


 手を動かし続ける記録係を眺め、つと、視線を山へ戻す。


「……ブラックモア族は、その色と見た目から、多くの国より迫害を受けていた」


 凝らすように目を細め、点々と灯るブルーム軍の松明を、じっと見つめた。


「特にブルーム国での扱いは悲惨なもので、全ての災いは彼らのせいとされ、見つかり次第、問答無用で命を奪われていたらしい。

 彼らは、闇に潜みながら、どうにか生きてきた。しかしある時、盛大な狩りが行われ、一族は次々に捕まっていった。このままでは絶えるのも時間の問題。彼らは絶望の淵に立たされることとなる。


 そんなブラックモア族を救ったのが、ゴールドスミス国、第十二代国王、アドルフ・ゴールドスミス様だ。

 アドルフ王は、迫りくるブルーム軍を追い払い、彼らを手厚く保護した。怪我を治療し、住む場所を与え、大切な国民と同じように扱った。


 初めは、一族も疑心暗鬼となったらしい。今まで迫害され続けてきたからか、無償の優しさを受け取れず、裏があるのではと疑い続けた。だが王はそんな態度を怒りもせず、ただ微笑み、見守った。

 次第に一族の頑なな心も解け、数年後、ブラックモア族の長は、初めて王へ感謝の言葉を述べた。その時も王はただ微笑み、彼らの体と心の傷を心配するのみだった。


 王の優しさと器の大きさに感激した一族の長は、自分達を受け入れてくれたゴールドスミス国を守るためにこの力を使いたいと申し出た。王は断ったが、長の熱意に押され、ブラックモア族を自警団として認めた。それが後にブラックモア飛翔部隊となり、今ではこの国になくてはならない存在へと成長したのだ。


 彼らのお蔭で、ゴールドスミス国は無敵を誇り、私達はこうして生きながらえている。一族がいなければ、この国は諸外国に侵略され、私達は息絶えていただろう。

 彼らこそ、我らの太陽を支える影なのだ」


 まるで物語を聞かせるが如く、ヒューバートは淀みなく諳んじていった。

 それに合わせ、記録係の奏でる音も、強弱を付けて響き鳴る。


「……これで話が終われば、とても感動的なエピソードだろう?」


 嘲るように、ヒューバートの口元が、片方持ち上がった。


「……ここからは、上層部の一握りしか知らない真実だ……。


 国王は、本心から微笑んでいたわけではなかった。

 いや、ある種笑ってはいたのだろうが、それは慈愛からではない。


 国王は、初めからブラックモア族を利用するつもりだった。

 もし何かあった時、彼らを犠牲にするつもりだった。


 だが、そんな思惑を知られては、国民の心は離れてしまう。そこで表向きは、心優しい王として彼らを保護し、平穏を与え、苦しんだ心に忠誠心を植え付けた。例え有事があってもすぐには一族を使わず、大切な国民のように扱い、そして、自ら身を差し出すよう仕向ける。

 そうしてこの国は無敵を誇り、生きながらえてきたんだ」


 吐き捨てるような物言いで、ヒューバートは眉を顰める。


「彼らは、何も知らない。いいように使われていることも、心を操られていることも、何も知らず、この国を心の底から想い、愛し、今、滅びようとしている」


 山の麓にある松明の明かりを、睨み付けた。


「自分は幸せなのだと勘違いした、無知で、純粋な一族だ」


 悲しみを帯びた声が、空中で音もなく四散する。

 辺りには、また沈黙が漂った。羽ペンだけが喋り続ける。


 空は、相変わらず厚い雲で覆われていた。隠れた月は、残骸さえも見えなくなっている。

 ブラックモア族のような黒が、ヒューバートの眼前に溢れ返っていた。






 そこへ生まれた、新たな色。






 画面に叩き付けたような赤が、山の麓を彩っていく。


 少し遅れて、残響のようなものも、バルコニーまで届いた。


 ヒューバートの顔付きが、変わる。

 軍人らしい、壮絶な形相となった。


「……今、私が言ったこと、書いてくれたかい?」

「えぇ」

「そうか……ありがとう」


 ふと口元を片方つり上げ、視線を己の左手へ移す。

 手すりを掴む薬指を――そこに巻き付く黒い髪を、一心に眺めた。


「……来世の選定は、どういう順番で行われるんだい?」

「基本的には、死亡が確認された順です」

「……そうか」


 ヒューバートはもう一度顔を上げ、黒に咲き誇る赤を、見据える。


「……来世は、どうか幸せに」


 おもむろに左腕を持ち上げ、薬指を唇に押し付けた。

『願わくは、その姿を一目、見られますように』

 そう心の中で呟きながら、ヒューバートは迷いなく、短剣を抜いた。






 ブラックモア族のような黒に、赤が、散りばめられる。

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