第三章 孤独を愛する深窓の令嬢
ずっと、憧れていた。
いつでもクラスの中心にいて、誰とでもすぐに打ち解けられる、彼女のことを。
誰とも言葉を交わせず、教室の片隅で小説を読んでいるだけの暗い女とは、ハナから人間としての出来が違う……なんて、以前は思ったりしたけど。
実は、けっこうドジな一面があったりして。
最初はあれだけ恐かった笑顔も、本当は全然怒ってないんだってわかった途端、急に魅力的に思えてきて。
つまり。
彼女のことを、知るたびに。
わたしは彼女――佐谷野知夏ちゃんに、前よりもっと、憧れている。
【第三章 孤独を愛する深窓の令嬢】
〈知夏ちゃんに誤解されていることリスト〉
・基本、クールな子だと思われている
→本当は全然クールじゃない。ただ人見知りかつコミュ障なだけ。
・基本、独りが好きだと思われている
→好きじゃない。独りは寂しいからやだ。もっと構ってほしい。
・深窓の令嬢問題
※ネットで調べてみると、箱入りのお嬢様に使われる表現らしい
→お嬢様でも箱入りでもないただの庶民。
※だけどたぶんそうじゃなくて、(いい意味で)近寄りがたいオーラがあるとか、そういうニュアンスで知夏ちゃんは言ってくれたんだと思う
→(悪い意味でなら)正解。
・モテる
→モテない。
「はぁぁぁ……」
要点をまとめてノートに書き出してみた結果、自然と深い溜息が漏れた。
わたしはなんて、なんてダメな子なんだろう。
知夏ちゃんがはじめて話しかけてくれたあの日から、数日。
誤解を解く機会なんて、きっといくらでもあったはずだ。
だけど、臆病すぎるわたしはほんの少しの勇気も出すことができない。
知夏ちゃんはわたしのことを、クールで孤高でカッコいい女の子だと思いこんでいる。
わたしは、裏切りたくない。
知夏ちゃんの中の瀧口沙奈像を、壊したくないのだ。
それは、知夏ちゃんのためにというよりも……わたし自身のために、だ。
だって。
……幻滅されるのが、怖いから。
わたしは鬱屈した気分を変えるために学習机から離れ、部屋の端にあるベッドに倒れこむ。
そして枕に顔を埋めながら考えるのは、また知夏ちゃんのことだ。ここ最近の夜の過ごし方は、だいたいこんな感じだった。
――瀧口さんってさ、なんかクールって感じで、カッコいいよね!
――うん、ほかの子とは明らかにまとうオーラが違うもん!
――わかってる。沙奈は本当は独りで静かに食べたいんだよね?
頭の中に、知夏ちゃんの言葉が次々に浮かんでは消えていく。
――ねぇ、沙奈。あたし、沙奈のことがもっと知りたい
本当のわたしを知ったら、知夏ちゃんはどう思うだろう。
ほかのみんなより秀でた部分なんて本当はなにもない、ただ友達を作るのが苦手なだけのヘタレ女だって、知ったら……。
案外、笑って受け入れてくれそうな気もする。
だけど、そうはならないかもしれない。
前者に賭けるだけの勇気が、わたしにはない。
そのくせ、このままじゃダメだという焦燥感だけは一丁前にあるのだ。
だって、せっかくここまで、仲良くなったんだから。
もう少し先まで、踏みこんでみたい。
けれど、自分を偽ったままでは、きっと今以上に深い関係は望めない。
だからわたしは、知夏ちゃんに打ち明けなければならない。
――わたしの、すべてを。
知夏ちゃんより早く登校したわたしは、知夏ちゃんの到着を今か今かと待っていた。堂々と廊下や校門で待っていればいいのに、臆病なわたしは目立つ行動を取れなくて、小説のページをめくりながらそれとなく聞き耳を立てている。視覚からの情報は一切頭に入っていない。
昨日の夜から、手順は決めていた。
知夏ちゃんが登校してきたら、覚悟が揺らがないうちに即、約束を取り付ける。まずはそれからだ。
わたしは今日こそ。わたしのすべてを知夏ちゃんに打ち明けるのだ。
「あ、サヤおはよー」
来た。
クラスメイトの声に、わたしは振り返る。
腰を浮かしかけて、けれどすぐに座り直す。
知夏ちゃんが自分の席にたどり着くのとほぼ同時、知夏ちゃんを取り囲むようにクラスメイトの壁が造られた。
とても近づけそうにない。無理やり割りこむ勇気もない。そんな芸当ができたなら、今ごろあの壁の一員として溶けこんでいる。
ホームルーム開始のチャイムが鳴るまで、壁が崩れることはなかった。
……計画は、こうだった。
まず、落ち着いて話ができる場を設けるために、また屋上でお昼を食べようと誘う。
そして食後、まったりとした空気の中、できるだけなんでもないことのように、軽い調子で本題を切り出す。
わたしね、本当は、知夏が思ってるような子じゃないの。
……うん、これしかない。
できる。できなくてもやらないと。
……無理。
休み時間になるたび出現する壁を見て、わたしは結局、怖気づいて背中を向ける。
知夏ちゃんの席は、彼女のクラスでの立ち位置を表すかのように、ちょうど中心のあたり。つまりちょっとだけ遠い。そのちょっとが、致命的。……隣同士なら、よかったのに。
朝の挨拶すら交わせないまま、お昼休みになってしまった。
意気地のない自分に嫌気がさして、泣きそうになる。
このままじゃ、お昼ごはんにも誘えない。
知夏ちゃんと一緒にごはんを食べたのは、日焼け止めを塗りあったあの日が、最初で最後だ。
「独りで静かに食べたい」わたしを気遣ってのことなのか、それとも単に一緒に食べたくないだけかはわからないけど、知夏ちゃんから声をかけてくることはない。
かといって、自分から誘う勇気もない。それは知夏ちゃんの思う瀧口沙奈に反する行動かもしれないから。
いっそ知夏ちゃんが、最初に抱いていたイメージどおりの遠慮のなさで、強引にわたしを連れ出してくれればいいのに……なんて、身勝手で弱気な考えが脳裏をよぎって――
「沙奈」
幻聴、ではなかった。
顔をあげると、そこには。
くりっとした大きな目に、長い睫毛。艶のある桜色の唇。わたしより少し長い、軽くウェーブのかかった栗色の髪は、染めているのではなく地毛らしい。化粧っ気が薄いのに、恐ろしく整った顔立ちをしている。
見間違えようもない。佐谷野知夏ちゃんがそこにいた。
「あのね、沙奈。ちょっといいかな……」
ただし、彼女の最大のチャームポイントは鳴りを潜めていた。
「……どうかしたの、知夏?」
知夏。
多少は慣れてきたものの、根が小心者のわたしに呼び捨ては少しハードルが高い。なにせ心の中ではちゃん付けで呼んでいる。ただ、勢いとはいえ一度は自主的に呼んでしまった以上、今さら変更もしづらいので……頑張って慣れようと思う。
「え、えっと、あのね……その」
知夏ちゃんにしては珍しく、歯切れが悪い。
どこか思い詰めたような、複雑な表情で知夏ちゃんは言う。
「また、一緒にお昼でもどうかなって……」
……祈りが天に届いた。
「うん、喜んで」
興奮はおくびにも出さず、わたしはまたわたしを偽り、努めて柔らかく微笑んだ。
知夏ちゃんは安堵したような表情を浮かべて、
「よかった……そうだ、ごめん沙奈、混んでるかもしれないし、あたし先に行って場所の確保だけしてくるから。……あ、また屋上でいいよね?」
「うん、それは」
「よかった、それじゃね!」
「…………」
去り際の笑顔は、いつになく不自然で……魅力が半減していると思った。
「瀧口さ、またなんかやらかしたわけ?」
「え……?」
知夏ちゃんが教室を出てすぐ、後ろの席の子に話しかけられた。
「いやほら、この前もサヤに呼び出されてたし」
「呼び出し……?」
「屋上。なに言われたのかは、恐くて訊けないけど……」
「そんな、ただお昼を一緒に食べただけですから……」
あんまりよくないとは思うけど、知夏ちゃん以外のクラスメイトと接するときは、どうしても敬語になってしまう。
「本当はシメられたんでしょ?」
「そんなことされてません……」
「そう言え、って言われてる?」
「言われてません……」
「けど、さっきのサヤ、怒り心頭って感じだったよ?」
「あれは、一見怒ってるように見えるだけで……本当は“本当に笑ってる”んです」
けど、たしかにさっきの笑顔はいつもとは違った。もしかして、あれは本当に怒ってて……わたしは本当にシメられ…………いや、ないから。たぶん。
「まぁそれはともかく、もし本当に困った事態になったら、ちゃんと言いなよ。一応クラスメイトなんだから。力になってあげることは……たぶん無理だけど。隠れて相談に乗るくらいならできると思うからさ」
「はい、ありがとうございます……」
不覚にも、うれしくて涙が出そうになった。もし本当にいじめ的なものを受けている立場だったら、実際に泣いていたと思う。
本音をいえば、わたしはクラスのみんなのことが少し怖かった。前に知夏ちゃんに声をかけられたときも、わたしが知夏ちゃんに声をかけられたということをどう思われるのか不安で、つい人目を気にするような態度を取ってしまった。
だけど実際には、知夏ちゃんと話すようになって、いろんな子から話しかけられるようになった。そのどれもが友好的なもので、危惧していたようなことにはならなかった。
結局のところ、わたしは勝手に、みんなのことを誤解していた。
知夏ちゃんのことだって、最初は誤解していた。憧れてはいたけど、同時に女王のような人だと恐れてもいた。はじめて笑いかけられたときなんか、恐怖のあまり本気でチビるんじゃないかと思った。
そして、わたしは……今も、知夏ちゃんに誤解されている。
解かないと。
誤解されたままは嫌だ。
だってわたしは、今の知夏ちゃんのほうが断然、好きだ。
わたしのことも、今の沙奈のほうが好きだって、思ってほしい。
じゃなきゃ……不公平だ。
伝えた結果、どっちに転ぶかは、わからないけど。
それでも、今よりもっと、仲良くなりたいから――。
今度こそ。伝えよう。
屋上に続く階段を上っている途中、何組かの生徒とすれ違った。みんなお弁当箱やらレジャーシートやらを持っているので、屋上組だとは思うけど……お昼休みはまだ始まったばかりなのに、もう食べ終わったんだろうか?
少し不思議に思いながらも、わたしは屋上の扉を押し開けた。
広い空間に、先客は一人だった。
シートの上で横座りしながら、フェンスごしに外を眺めている。
わたしが近づくと、知夏ちゃんは振り返って手招きした。
「また二人きりだね、沙奈」
「うん」
「ラッキー?」
「……なんでわたしに訊くの?」
「なんとなく、かな」
知夏ちゃんはどこか儚げに笑った。あまり見たことのない表情だった。
さっきから感じていたことだけど、今日の彼女は明らかに、いつもと雰囲気が違う。
だけどわたしは、その理由をあえて訊ねたりはしない。
なぜかといえば、単純にそんな余裕はないからだ。
お弁当の包みを広げながら、切り出すタイミングを見計らう。
「あ、沙奈、その肉団子おいしそうだね」
「そう? ほしかったらあげるけど」
「ほんと? じゃあ、はい。代わりにあたしの卵焼きあげるね」
知夏ちゃんは自分のお弁当箱から玉子焼きを一つ箸でつまむと、わたしに向かって差し出した。反対の手では受け皿を作っている。
「沙奈。あーん」
「……え、あの、お弁当箱のフタにでも載せてくれれば」
「食べさせてあげる」
「……いいよ知夏、自分で」
「いいから口開けてよ」
「……………………あーん」
わたしは観念して口を開けた。
すかさず、玉子焼きを押しこまれる。
「おいしい?」
咀嚼するわたしに、可愛らしく首を傾げながら訊ねる。
「……ん、おいしい」
玉子焼きはほんのり甘くておいしい。だがそれよりなにより……恥ずかしすぎた。いくら誰も見ていないとはいえ、これは……。
知夏ちゃんはわたしのお弁当箱の中から肉団子をつまむと、そのまま口に運んだ。
「うん、沙奈の肉団子もおいしいよ」
「あ、ありがと……」
……間接キスだ、とか考えちゃうのは、わたしの思考回路が幼すぎるのかな。
「じゃあ次は、そうだなぁ……ウインナーあげるね」
「え……これ、まだやるの?」
「……こういうのは、嫌?」
「別に、嫌とかではないんだけど……」
「じゃあ、はい。お口」
「…………」
「さーなー?」
「……………………あーん」
こうして、わたしは一方的に、口の中におかずを押しこめられ続けた。
自分のおかずはほとんど当たらなかった。
仕返ししてやろうとも思ったけど、結局わたしのほうが恥ずかしい思いをするような気がして、できなかった。
そして、もちろん――本題を切り出すことも、まだできていない。
でも、元々は食後に決行する予定だったわけだから……問題ない。
水筒のお茶を飲みながら、わたしは最後の脳内予行演習に移る。
第一声は、これも当初の予定どおりにいくなら、
――わたしね、本当は、知夏が思ってるような子じゃないの。
となるが、やっぱりちょっと急すぎる気がする。
ここはもっと遠回しに、
――わたしのイメージってどんな感じ?
と一度質問をぶつけてみて、返ってきた答えに逐一訂正を入れていく、というパターンもありかもしれない。
ううん、むしろ逆かな? ここはあえて大胆に――
「沙奈はさ……あたしのこと、好き?」
思考が一気に、現実に引き戻された。
「え、なに……?」
「あたしのこと。すき?」
質問の意図はわからないし、表情から読み取ることもできない……だけど、知夏ちゃんが真剣であることだけは、ハッキリと伝わってきた。
「……うん。好き、だよ。知夏のこと」
「……そっか」
「なんでそんなこと訊くの?」
「ねぇ、沙奈。ごはん粒ついてる」
質問には答えずに、知夏ちゃんはわたしの顔を指さした。
「え、うそ……」
「取ったげる」
反射的に口元に持っていこうとした手を、知夏ちゃんが押さえつける。
そして。
気づいたときには、知夏ちゃんの顔が、至近距離まで迫っていて。
「んっ……」
わたしの唇は、なにかとても柔らかいものに触れた。
呼吸が止まる。
なにが起きたのか、理解ができない。
遮られていた視界が、元に戻る。
目の前には知夏ちゃんがいる。
わたしは数秒間、知夏ちゃんと見つめあった。
「…………え」
無意識に、声が漏れる。
数秒見つめあってようやく、わたしは……知夏ちゃんにキスされたのだと、理解した。
知夏ちゃんの表情は、端的にいって、こわばっているように見えた。
怯えや、不安や、戸惑い……それらを混ぜあわせたような、ひどく複雑な表情だ。
……わたしは知夏ちゃんに言いたい。
その顔をする権利は、きっとわたしにある。
……とはいえ。
おそらくは、わたしも似たような顔をしていると思う。
「…………ごめん、なさい」
目線を逸らしながら。
無理やり絞り出したような掠れた声で、知夏ちゃんは言って。
立ちあがって、足音が遠ざかって。
扉が開く音。
……閉まる音。
わたしはわけもわからず、屋上に独りぽつんと取り残された。
予鈴が聞こえて、わたしは我に返った。
慌ててレジャーシートを畳み始める。
無意識のうちに口元に手を当てていた。
「……なんだったんだろう」
キスをした。
はじめてだった。
……柔らかかった。
「……あ」
誤解、また解けなかった……。
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