第四章 沙奈

 クラスメイトにいきなりキスされたらどう思う??

{えっ、されたの!? ちーの学校、女子校だよね!?

 テンション高いよ朱美。たとえばの話だからね??

{なんだ、たとえ話か

 そうそう。で、どう思う??

{じゃあ、舞台は共学って設定でいいよね?

{……ちー?

{おーい!

 ……女子校でお願いします。

{やっぱりされたんでしょ!?

{おーい……

{わかった、女子校が舞台ね

 うん。

{で、女の子にいきなりキスされる、と

 ……うん。

 やっぱり引くかな?? ドン引きかな??

{やっぱり、その子との元々の距離感にもよるんじゃない?

{見ず知らずの他人にされたら、そりゃ嫌だろうし

 じゃあ、友達だったら??

{友達かぁ……

 たとえば朱美があたしにキスされたら、どう思う??

{まぁ、まずは戸惑うだろうね

 それから??

{なんでそんなことしたのか、問い詰める

 ……問い詰める、で済むの??

 嫌いになっちゃったりしない??

 もう顔も見たくない、みたいな……。

{友達、なんでしょ? その子とは

 うん……。

{だったら、理由も聞かずに嫌いになんてならないよ

 ……ほんとに??

{たぶんね

 たぶん……。

{ねぇ、ちー

 なぁに??

ってことは、ちーは好きなんだよね、その子のこと

 ……なんで、わかったの

{わかるさ、親友だもの

 ……うん、好き。すごく好き。あたしは沙奈のことが大好き。

{その沙奈って子とは、それっきり?

 うん。逃げ回ってる。

{沙奈ちゃんが?

 あたしが。沙奈から。

{ダメだよ、ちゃんと話さなきゃ

 ……わかっては、いるんだけど。

{私は絶対、ちーの味方だから

{誰がなんと言おうと、私は応援するから

{だから、頑張れ、ちー

 朱美……。

{それで、もしダメだったら、私の膝で泣きな

 ……ありがとう、朱美……。



【第四章 沙奈】



 本当は、もっとうまくやるつもりだった。

 沙奈への恋心を自覚したあたしは、想いを伝える決心をした。

 問題は、その方法だった。

 ただ普通に伝えるだけじゃ、ダメだと思った。「好きです」と告白して、戸惑わせて、「ごめんなさい」とフラれる。そんな未来しか想像できなかった。そんな見え見えの結末は、嫌だった。

 想いを伝えるだけで満足できたなら、それでもよかったかもしれない。

 だけどあたしは……沙奈と恋人になりたいと、思ってしまった。

 沙奈と好き同士になった幸せな未来を、思い描いてしまった。

 普通のやり方では、それは無理なのだ。

 それは世間一般の、普通の幸せのかたちとは違うから。

 教科書通りの道筋をたどっても、そこにはきっと、たどり着けない。


 なにか、インパクトが必要だと思った。


“こちら側”になびいてもらうための。

 道を踏み外してもらうための。

 とっておきの、飛び道具が。

 ……で。

 熟考に熟考を重ねた結果。


「不意打ちでキスしてみる」


 くらいしか、あたしには思いつかなかったわけで……。


「やっちゃった、のかなぁ……」

 枕に額をこすりつけながら、あの日のことを思い返す。

 アイデアとしては、たしかに凡庸だったり陳腐だったりしたかもしれない。

 だけど、なにも行き当たりばったりの行動ってわけじゃない。

 作戦だって、それなりには練ったのだ。


 あの日、沙奈が来る前に屋上の先客のみなさんに頭を下げることで、二人きりの世界を用意した。

 それから、少しでもあたしのことを意識してもらえるようなことをして。

 ……それから、

『沙奈はさ……あたしのこと、好き?』

 そんなことを訊いた。

 その答えが肯定だとしても、あたしが本当に望む答えとは違うって、わかってる。

 それでも、これからすることを考えると、最低限確認しておきたかった。

 そしてあたしは、沙奈の唇を奪ってから、こう言うのだ。

「あたしも、沙奈のことが好き」

 その、つもりだった。

 だけど実際には、自分のしでかしたことが、急に怖くなって。

 だんだんと血の気が引いてきて。

『…………ごめん、なさい』

 沙奈の前から、逃げ出した。


「はぁぁ……」

 最低すぎて、思い返しただけで溜息が出る。

 あれから一週間。

 沙奈とは、ただの一度も口を利いていない。

 沙奈はこんなあたしを気遣って、何度も声をかけようとしてくれている。

 それなのに、あたしは逃げ続けている。

 朱美にも言われた。自分でもわかってる。

 このままでいいわけがないって。

 それに、早く決着をつけないと、あと少しで夏休みに入る。

 ……このまま夏休みまで逃げきれば、当分は沙奈と顔を合わせずに済む……なんて、身勝手の極みみたいな考えが脳裏をよぎったりもして。


 ……怖い。

 沙奈に会うのが。


 沙奈の“返事”を聞くことが――怖い。



 放課後になった。

 沙奈とは言葉を交わすどころか、顔も見れない。

 こっそりと遠巻きに眺めただけで、罪悪感に押しつぶされそうになった。


「ねぇサヤ、今日このあと暇?」

「どっか遊びに行かない?」

「たまには変わったところがいいよね」

「変わったところ……カラオケとか?」

「だから、それいつもじゃん……」

「ねぇ……サヤはどこがいいと思う?」


 あたしは俯いていた顔をあげた。


「じゃあ……カラオケにしよっか」

「うんうん、いいねカラオケ!」

「やっぱそうだよね」

「何度行っても飽きないよね、カラオケって!」

「あれ、さっき変わったところがいいって、」

「そんなこと言ってない! 言ってないからねサヤっ!?」


 あたしは手早く鞄に荷物を詰めると、椅子を引いて立ちあがった。

 誰よりも先に、逃げるように教室の外へ向かう。

 扉の前で一度だけ、足を止めた。

 何気ないふうを装って、肩ごしに教室の一角を振り返る。


 バッチリと、目が合ってしまった。


 ……うん。

 今、決めた。

 今日の目標は――逃げないこと。

 とりあえずは……物理的に。

 あたしは、後に続いていたみんなに向き直る。


「ごめん、みんな……やっぱり行くのやめた」

「えっ……」

「そ、そっか……」

「う、うん、わかった!」

「それと、本当に申し訳ないと思うんだけど、今日はみんな、早く教室を出ていってくれない?」


 あたしの発言に、教室中が静まった。

「一人になりたいの。お願い」

 従順なみんなの行動は迅速だった。

 教室から次々に人がけていく。

 最後に残ったのは――あたしと、あたしのことを恐れない、ただ一人のクラスメイトだけ。

 あたしは自分の席に戻って……机に突っ伏した。


 自分から呼び出す勇気は、なかった。

 だから、こうした。

 沙奈のほうから話しかけてくれるのを、待つことにした。


 我ながら、ずるいと思う。

 だけど。

 逃げることだけは……もう、やめにする。


 椅子を引く音が聞こえた。

 心の準備もできないうちに、足音が近づいてくる。

 足音は、あたしのすぐ近くで止まった。


「知夏ちゃん」


 声が聞こえた。

 優しさに満ちた声。


「わたしね、知夏のこと、心の中ではずっとそう呼んでるの」


 だけどどこか緊張感を孕んだ、その声は……少し、震えていた。


「顔をあげて、知夏」

 あたしはこのまま殻に閉じこもりたい気持ちを無理やり押さえつけて、言われたとおりに顔をあげた。

「……泣かなくてもいいよ、怒ってなんかないから」

 沙奈はあたしの顔に手を伸ばして、指の腹で頬に触れた。

 離れた沙奈の指先が濡れているのを見て、あたしは自分が涙を流していたことを知った。


「だけど、ひとつだけ……確認したいことがあるの」

 沙奈はあたしを傷つけないように、言葉を選んでくれている。それがわかる。

「あの、キスは――そういう意味って捉えても、いいのかな」

「うん、沙奈が好き……あたしは、沙奈のことがっ」

 言おうとして言ったわけじゃない。口をついて、想いがあふれ出した。

 そんな自分に、自分で驚く。

 一週間ぶりに交わす言葉が、愛の告白になるとは思わなかった。

「そっか……うん、知夏の気持ちはわかった。――だけどね、」

 耳を塞ぎたい衝動を、太腿に爪を立ててやり過ごした。


「だめ、だよ」


 あまりに深刻そうな表情で言うものだから、あたしは思わず笑いそうになって、

 だけどやっぱり泣きそうになって、

「だって、わたしには――知夏の気持ちを受け取る資格が、ないから」

 予想もしていなかった沙奈の言葉に、感情の奔流が堰き止められる。

 ……気持ちを受け取る資格って、なに?

 少し考えて、ああ、きっと断るための口実なんだ、って思い至って。

「いいよ、あたしのことなら気にしなくても、」


「わたしは!」


 沙奈が突然、声を張りあげた。


「わたしはっ……知夏ちゃんが思ってるような子じゃないの! 知夏ちゃんは本当のわたしを知らないから! 知夏ちゃんはっ……わたしのことを誤解してるだけなの!」


 声を荒らげる沙奈も。感情を剥き出しにする沙奈も。

 ……はじめて、見た。


「本当は全然クールなんかじゃないしっ、孤高でもない! 好きで独りでいるんじゃない! 本当はもっとみんなと仲良くできたらいいなって、ずっと思ってるよ……! だけど! 他人とコミュニケーションを取るのが苦手だからっ、うまくいかないの! それだけなの!」

 はじめて見る沙奈の姿に圧倒されて、あたしは押し黙った。

「……お昼ごはんだって、毎日知夏ちゃんと一緒に食べたいって思ってるし。もっと誘ってくれればいいのに、とか思ってるし!」

「…………」

「知夏ちゃんはわたしのことを、ほかの子とは“違う”って言ったけど! 同じなの! わたしはほかのみんなとなにも変わらない! ……ううん、ほかの誰よりもダメな子って意味でなら、“違う”のかも。……ねぇ、もうわかったでしょ?」

 沙奈は、自嘲するように笑った。

 これもはじめて見る沙奈の顔だった。


「知夏が好きになった、瀧口沙奈なんて女の子は、本当はどこにもいないんだよ」


 ……あたしは、なにも言えなかった。

 なにも、言葉が出てこない。

「…………そっか」

 ようやく出てきたのは、そんな言葉で。

「そう、だったんだ……」

「……安心して。キスのことも、さっきの告白も。ぜんぶなかったことにしてあげるから」

 顔をそむけながら、沙奈は言った。

 その横顔は、どこかつらそうで。

 だからあたしは、ハッキリと自分の気持ちを口にした。

「ごめんなさい、沙奈」

「……ううん、いいの」

「つらい思い、させちゃったね」

「…………え?」


 沙奈は、キョトンとした顔をあたしに向けた。

 なにを言われたのかわからない、という表情だ。

「沙奈のこと、なにもわかってなかった」

 バカだ、あたしは。

「勝手にわかってるつもりになって、なにひとつ理解してなかった」

 本当の自分でいられないこと、本当の自分が理解されないことのつらさは、誰よりもわかっていたはずなのに。

「だけど、これからは。ちゃんと見るから。沙奈のこと」

「あの、知夏……?」

「なに、沙奈」

「わたしのこと……受け入れてくれる、の?」

「……沙奈のほうこそ、どうなの」

「え……どうって……?」

「キス。まだ有効だから」

「……っ!」

 すごい勢いで、沙奈は視線を逸らした。心なしか……顔が赤い。

「聞いて、沙奈。あたし、ちゃんと告白するから」

「……そんなこと、宣言しなくていいよ」

 あたしは沙奈の目をまっすぐに見ながら、言葉を紡いだ。



 今日、今まで知らなかった沙奈を知れた

 だけどきっと、まだまだ知らないことだらけだと思う

 もし、沙奈さえよかったら……あたしはこれからも、沙奈のことをもっともっと、知っていきたい

 沙奈。あたしは沙奈のことが好き

 それは友達としてじゃなくて……それ以上の関係になれたらって、そう思ってる

 もしも、沙奈が嫌じゃなかったら――あたしの、恋人になってください



 態度でとか、口をついてとかじゃなく。

 はじめてちゃんと意識して言葉にし、気持ちを伝えることができた。


 心臓の音がうるさい。

 信じられないほど顔が熱い。

 じっと返事を待つことができなくて、あたしは思わず背を向けそうになって。

 それよりも早く。


 眼前に、沙奈が迫った。


 沙奈は、強く強く、唇を押しつけてきた。

 息が苦しくなるほどの、長い時間……触れ続けていた。

「ふふ、仕返し」

 顔が離れ、沙奈はいつかと同じように微笑んだ。

「……長いよ、仕返し」

「嫌だった?」

「……そんなわけない」

 そう、そんなわけない。

 うれしくないはずはないのに。


「……いいの、沙奈。本当に」

 あれほど望んでいた未来が、今、手を伸ばせば届く距離にある。

 もっと幸せな気持ちに包まれるものと思っていた。

 なのに……あたしは今、言いようのない不安に包まれている。


「どういう意味?」

「……無理とか、してない?」

「無理なんてしてないっ!」

 沙奈は怒ったように声を荒らげた。

「ご、ごめん……でも、これはあたしの、想像だけど。沙奈はあたしのこと――友達として想ってくれてたんだよね?」


 沙奈は少し迷うような仕草を見せてから、口を開いた。

「……うん、否定はしない。たしかにわたしの知夏に対する“好き”は、友達としての“好き”――だったんだと思う。だけど今は、心の底から知夏の恋人になりたいって、思ってる。なんでだと思う?」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて、問いかけてくる。

 あたしはまた恋に落ちるところだった。

「……あたしの告白を聞いたから、とか?」

「知夏にキスされたからだよ」

「……ごめん」

「謝らなくていいから、責任、取って」

「……責任って?」

「わかるでしょ」

 沙奈は真っ赤な顔であたしを見つめた。


「わたしを恋人にしてよ、知夏」


 あたしは沙奈の華奢な身体を抱きすくめた。

 次から次へと涙があふれてきて、止まらない。

 沙奈に頭を撫でられて、余計に止まらなくなった。

 不安はいつの間にか、どこかへと消え去って。

 今、あたしを包みこんでいるのは……


 幸せ以外の、何物でもなかった。

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