第2話  身の上ばなし

 十日ほど前から男は、陸奥湾沿いにある川内という集落の廻船問屋「西屋」で

住み込みで働いていた。

帳付けや代筆などの仕事をしている。


恐山へやってきたのは、西屋の主人の使いで書状と進物を預かり、

山主に届ける為だった。

道案内をしてくれた杣人の少年に、わずかな駄賃を渡し別れた。


 総門側の寺務所の重い引き戸を開けると、

薄暗い小部屋で、作務衣さむえ姿の若い僧侶が文机の前に座っていた


「西屋の使いで参りました。津村栄一郎と申します。

山主様はいらっしゃいますか」


「遠いところを、ご苦労様でした。あいにく山主は病に臥しております。

私が代わりに承ります」


立ち上がった僧侶は色白で痩せているが、驚くほど背が高い。

穏やかな口調ながら、その声は地を這うように低く響き、

どこか白蛇の化身を思わせるような妖気すら漂っている。


 何もない簡素な奥の座敷に通された。

窓から見える青い空が白くぼやけて見えるのは、温泉の湯気なのだろうか。

それとも硫黄の臭いのせいか。

頭が痛んで目も霞むようだ。


僧侶は進物として受け取った、

マルメロの砂糖漬けが入った小さな包みを側らに置き、

切れ長の目を書状に走らせた。

まもなく音も無く静かに、小坊主が熱い茶を運んできた。 

久しぶりの手にした白磁の美しい茶碗に津村は見とれていた。

花菱はなびしの家紋が入っている。


「津村様は会津のお侍さんですか」


「そうです。やはり会津訛りがありますか」


僧侶は何も言わずに微笑む。

「戊辰の内乱では会津の方は大変なご苦労をされましたね。お気の毒でした。

私もこの土地の者ではございませんが、今では、すっかり、ここが故郷となりました」


「方丈様は、お国はどちらですか」


「私は越前国(福井県)の永平寺より参りました。

ご存知かもしれませんが、ここ恐山菩提寺の本院は田名部にある円通寺で、

永平寺と同じ曹同宗の寺なのです」


「ああ、そうでしたか。明治三年には円通寺境内に、斗南藩と名を改めた我が藩の藩庁を置かせていただき、ありがとうございました」


「どういたしまして。会津の皆さんは着の身着のままで来られたのに、すぐに円通寺の近くに日新館を開校して、他にもいくつかの学問所を創られたことに感心いたしました」


「会津藩士の矜持きょうじでしょうか。痩せた土地に武士のにわか百姓で、毎日飢餓と貧苦と病気の為、多くの人が死んでいくのに、子弟の学問どころではないのですが」


津村は視線を畳の上に落とした。


「いえ、ご立派ですよ」


本心でそう言っているのだろうか。

上目遣いで僧侶を見る。

白蛇のようだと思っていたが笑顔が優しい。


「下北が作物の育たない寒冷な土地だということは、

山川大参事もよくご存知でした。

農作物以外にも様々な物作りを試しました。

山川大参事は幕府の使者と同行して世界中を見聞したお方。

見識も広く蝦夷地や北方のことにも詳しい。

ここ下北に長崎のような外国との商いをする為の、

大きな港を開くお考えだったのです。

しかし、上手くいかなかった。

そして明治四年に藩制度は廃止されて、青森県となり斗南藩は無くなった。

故郷会津へ帰った者、蝦夷へ渡った者など様々です。

斗南藩がこの下北の地に存在したのは、たったの一年でした」


津村はいつになく饒舌じょうぜつに話し続けた。


「実は、拙者が田名部にある斗南ヶ丘に、ようやくたどり着いた時には、

空き家ばかりで、藩士たちはもう居ませんでした。

親子三人、田名部へ向かう途中で拙者の足の傷が悪化して、

三戸で百姓屋を借りて一年間療養を余儀なくされました。

妻には苦労をかけ通しでした。

やっと藩庁のある田名部にたどり着いたのが明治四年。

廃藩置県で斗南藩はすでに消滅していたのです」


「それから、どちらへ行かれたのですか」


「すぐに、妻の親族が暮らしていた、陸奥湾沿いの脇野沢村へ行きました。

そこで四つの娘を病で亡くしました。

可愛い盛りだった・・・・・・妻はふさぎ込んでいました。


拙者は船に乗って蝦夷のニシン場、江差へ出稼ぎに行きました。

なにしろ一文無しで、会津へ帰る路銀すら、ありませんでしたから。

<江差の五月は江戸にも無い>と謳われるくらいですから、さすがに景気がいい。

群来(くき)と言ってニシンの大群が来ると海岸が白く染まるのですよ。


重労働で辛かったが、仕事の後に酒を飲んで飯も食べれました。

その二ヶ月間は久しぶりに生きていると実感いたしました。

まとまった金を手に入れ身欠ニシンを手みやげにして、

妻が喜ぶ顔を思い浮かべながら、脇野沢村へ戻りました」


そこまで、一気に話すと男は自分が泣いていることに気がついた。

子どものころから、決して人前で涙を流すまいと決めていたのだが。


「奥方様に何かあったのですか」


「妻は、拙者が出稼ぎ中に病で亡くなりました。

極貧暮らしで体が弱っていたのか、あっけない死でした。

でも、同居していた親族たちが、

拙者に何か隠しているような気がしてならないのです。

もしかしたら妻は自害したのではないかと、すべて拙者のせいです。

妻は体も心も弱っていたのに、離れて暮らしてしまった。

親族は昨年、会津へ帰りました。

拙者は今年もう一度だけ、

江差のニシン場でひと稼ぎをしてから帰るつもりでしたが、

読み書きと算術ができるということで、帳場を任されました。

西屋の主人に拾われた」


涙を流すどころか、畳に伏して背中を丸めて、あきれるほど泣きじゃくっていた。

まるで赤ん坊のように。


「津村様、これまで泣いたことがありましたか。

きっと我慢していたのでしょう。

涙が出ないくらい悲しかったのではないですか。

苦しかったでしょうね。

たくさん泣いたほうがいいですよ。

それによって、やっと奥方様とお嬢様の死を受け入れることができますからね」


僧侶が背を撫でる。


やっと、泣き止み顔を上げると、小坊主があわてて大量の鼻紙を持ってきた。

僧侶は、泣き腫らした津村の目を真っ直ぐ見て言った。


「今の新政府はどうかしています。日本中の伝統ある寺を破壊している。

奈良の興福寺だけでも千体を越す貴重な仏像が破壊され、

尊い仏教の経典は包装紙にされている。


そして新政府は権力と富を自分たちだけに集めようと必死です。

不平不満を持つ士族は多いようですね。

近いうちにまた大きな内乱が起きるでしょう。

でも津村様、あなたは決して、それに加わってはいけませんよ」


「何故ですか?落ちぶれてはいますが拙者も武士。

会津戦争のあだ討ちができるのなら、ぜひ仲間と共に戦いたいと思います。

<斗南>とは南の敵、つまり薩摩長州閥と戦えという意味がある。

拙者は今、その為に生かされています」


両手の拳を固く握り締める。


「ほお、そうですか。北斗以南皆帝州・・・・・・北斗星から南は、すべて帝の治める土地という意味で<斗南>という藩名にしたと会津の人から聞きましたが」


「それは敵を欺く為、表向きのことだと思っております」


僧侶をにらみつけたつもりだったが、逆に刃物のような鋭い目で斬り返された。


「津村様、あなたは、わかっているはずだ。戦の愚かさが」


この僧侶は凄みがある。

低い声が、まるで梵鐘のように心に響く

戦の愚かさを知っているのに、

また戦へ行こうと考えているおれは何なのだろう。

何のため、誰のための戦か。



 二人の間の重い空気を和らげるように、小坊主が何か汁の入った椀をお膳に乗せて運んで来た。


「どうぞ召し上がってください」


僧侶がすすめてくれた。


「では、ご馳走になります」


美味そうな匂いがする。

ツヤツヤとした卵形の大きなだんごが二つ、だし汁に沈んでいた。

柔かいだんごを噛むと、中から何かがドロリと出てきた。


「おっと、これは、意外なものが」


津村の箸が止まる。


「いかがですか<けいらん>と言って、

もち米をこねて鶏の卵の形に丸めた郷土料理です。

だし汁は昆布と椎茸から取っています」


「だし汁に甘い小豆あんが入っているとは、

不思議な組み合わせですが、とても美味しい。

これは、特別なご馳走ですね」


空腹だった津村は夢中で食べた。

甘いあんが心をなごませる。


気の利く小坊主が、もう一椀、持ってきてくれた。




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