恐山温泉

オボロツキーヨ

第1話  宇曽利湖

「ナンデコンナトコロ、アルイテル?」

頭上を飛ぶ一羽のカラスが問いかけてきた。


 曲りくねった恐山菩提寺への道は、巨大な蛇がのたうちまわっているようだ。

時に狂暴だったり穏やかだったりと、上り下りを繰り返す山道。

息苦しいほど濃密なヒバの森に包まれる。

ここは緑の地獄だろうか。

獣の遠吠えが聞こえる。

いや、これもカラスの鳴き声だ。


 左足太ももの古傷が痛み始めた。

やがてズキズキとした痛みすら感じなくなる。

重い荷物のような左足を引きずって進む。

次に右足の膝の軋む音が聞こえてきた。

もう、海辺の集落からどれぐらい歩いたのだろうか。


 大きく虚ろな目が印象的な、黒く日に焼けた痩せた若い男だった。

男の前方には、道案内役の杣人そまびとの少年が歩いている。

二人は、まだ一度も言葉をかわしていない。

少年はアイヌの民族衣装のような薄汚れた長衣を着て、

頭には色あせた藍色の手ぬぐいを被っている。


 5月だというのに、恐山の風は冷たい。

あの案内人は、恐山集落の子だろうか。

着ているのはアイヌ着物だな。

木の皮の筋を織ったアットウシに違いない。

蝦夷地でよく見かけた。


 

 戊辰の内乱で、敗北した会津藩は、

明治二年(1869年)に本州最北端の陸奥国で、

名を斗南藩と改め再興することを許された。

だが、それは農業には向かない不毛の土地での

流罪同様の生活だった。

粗悪な扶持米と、極わずかな支援金が渡された。


 髷を落とした散切り頭に、古びた木綿の着物と野袴。

風呂敷と笠をしょって粗末な杖を手にしている。

昔ながらの下級武士の旅姿だが帯刀はしていない。

これで足さえ良ければ、どんなにいいだろう。

刀無しだと、こんなにも体が軽くなるとは驚きだ。

まるで、おれは侍の抜け殻のようだな。

自分をあざ笑う。


 手に長い杖を持った木こり少年の後姿を見て、

何故か会津戦争で散った娘子軍じょうじぐんの、

なぎなたの名手、中野竹子を思い出す。


 ふくよかな美しい娘だったな・・・・・・

その姿をいつも目で追っていた連中が多かった。

娘子軍は長い黒髪を切って男のような野袴を履き、

得意の薙刀なぎなたを持ち鶴ヶ城の外に出ていたのだ。

江戸から援軍に来た幕府脱走軍の衝鋒隊に入って戦ったという。

敵に頭を撃ちぬかれた竹子の首を、

一緒に戦っていた母と妹は気丈にも介錯したそうだ。

今朝まで生きていた美しい娘は、

夕方には首だけの姿となって城へ帰ってきたのだ。


 城内は女や子ども老人で溢れていた。

ひと月の篭城戦といっても

働き盛りの男たちは城外や会津藩の領地内で戦っていた。


 女たちは篭城中の食糧が底をつくと、

城からこっそり抜け出して、畑から命がけで調達してくることもあった。

もっとも大変だったのは腐臭漂う死にかけた怪我人の世話だろう。

薬も包帯も足りないから、傷口が膿んでくる。


 弾薬作りも女たちの仕事だった。

城は数千もの砲弾を浴び、

飛んできた砲弾に濡れた布団を被せて<焼玉押さえ>をしようとした

山川様の奥方が爆死した。

だか、その後も女たちが弱音を吐くことは無かった。

本当に頭が下がる思いだった。


 城中に居る女や子どもや老人、怪我人など、おかまいなしに砲弾が落ちてくる。

怪我が癒えてきたと、微笑んでいた友の上にも落ちた。

篭城中、いつもおれの話し相手になってくれた。

月の明るい晩には城から外に出て、月見をしながら互いの為に詩歌を詠じた。

会津武士たるもの、それぐらいの心の余裕はある。

大切な友であった。

何故あのような惨い死に方をしなければならなかったのか。

バラバラになった友の体を、手足や顔を、

おれは震えながら探して拾い集めた。


 城の外へ出て戦いたかったが、何しろこのとおりの足だ。

城内で婦女子を守衛する任に着いていたが、実際は痛んで動けないことが多く、

かえって女たちに世話を焼いてもらう只のやっかい者だった。

情けなかったが、死ぬわけにはいかなかった。

なぜなら、妻と生まれたばかりの小さな娘がいる。


 会津若松になだれ込むように攻め込んできた自らを<官軍>と称する兵たちが、まともな武士であるはずもない。

略奪と人殺しと女たちを犯す為だけにやってきた、西国の極悪ならずもの集団。

奴らは金に困っていたのだろう。

会津若松の金目の物を根こそぎ奪っていった。

略奪品を積んだ大八車の長い列ができたらしい。

さぞかし戦で儲けたのだろうな。

もしかしたら、奴らは人ですらなかったのかもしれない。


 

 降伏開城した後、城内に居た男たちは、

新政府軍によって<東京>と名を変えた江戸へ連れて行かれた。

劣悪な謹慎所での暮らしが、俺の足の傷を悪化させたようだ。


 幸い妻と娘は薩摩長州のならず者達が会津若松に侵入する前に、

親族と共に田舎の百姓家に逃がすことができた。

ようやく妻子と会うことができたのは、

会津戦争終結後一年経ってからのことで、

乳飲み子だった娘は元気に歩き回っていた。


それにしても、会津戦争の半年前、

慶応四年(1868年)一月、

鳥羽伏見では惨めな戦いをしたものだ。

今思えば、そこからすべてが変わってしまった。

まるで悪い夢の続きを見ているようだ。

何ゆえ、京の都の治安を守り、

天子様からの信頼の厚い我が会津藩が逆賊として、

討伐されることになったのか。


 文久二年の蛤御門の変で、天子様の住まわれる京都御所に、

大砲を打ち込んだ大罪人の長州藩が<錦の御旗>を掲げた官軍とは、

ほとほとあきれたものだ。

あれほど外国人を殺傷し攘夷を叫び、

徳川幕府の開国を阻んでいた輩は、

すぐに英国人に、ひざまづき魂を売り払い、

大量の武器弾薬を手に入れ嬉々としていた。



 慶応四年で明治元年に一九歳だった俺は、

松平容保公の供奉兵として初めて京の都の土を踏んだ。

二条城へ入城した時は武士として誇らしかったのだが。

それもつかの間、思い出したくも無いが、

伏見での戦で左太腿に鉛玉を食らった。

鉛玉は俺の分厚い腿の肉を焼きながら貫通していった。

そこから先の記憶がほとんど無い。


 戸板に乗せられて、情けない姿で会津若松の家に帰ったというわけだ。

それでも妻は、俺が生きていてくれてよかったと涙を流した。

妻の白い柔らかい体を抱くと、

すり寄せられた滑らかな頬の熱さが、煙硝と血の匂いを消し、

俺を正気に戻してくれた。

だが、その年に故郷の会津若松は奪われた。


 五年ほどの間に様々な土地へ行った。

京の都、東京、南部の三戸、蝦夷の江差えさし

そして、ここは南部の秘境の宇曽利郷だ。

どことなく蝦夷地に似ている。

宇曽利うそりとは、アイヌ語で窪地くぼちという意味らしい。

昔は、たくさんのアイヌが暮らしていたのだろう。

色々あったが、おれはこうして生きている。


「ダカラコンナトコロヲ、アルイテイル」


 少年が道端の岩の間から、

シャバシャバと音をたてて流れる湧き水を飲んでいた。


「これが伝説の恐山の冷水だよ。この水を飲むと長生きができる」


少年は、まだ声変わりしていない。

清らかな声で嬉しそうに言った。

豊かな水音に聞き入っていた男も岩に顔を近づけた。

そして、夢中で両手にすくった水をゴクゴクと喉をならして飲む。


「ふむ、そうか。長生きなどはしたくはないが、確かに美味い水だな」


体が軽くなって疲れが、すっと抜けて行くような気がした。

冷たくて甘い水だった。


 恐山の湧き水に力を与えられ歩き出すと、

道端に多数の小さな石仏や石の道標があることに気づく。

千年つづく霊場に入る心の支度をしろということか。


「あれが結界門だよ」


突然少年が指をさす。

見上げると、言われなければ気づかないほど、

ヒバの木の葉に隠されている。

朽ちた木を、ただ四角く組み合わせたような、粗末な門だった。

門をくぐり少し歩くと、腐った卵のような臭いが鼻をつく。


「何だ、このひどい臭いは」

「硫黄の臭い、恐山はいい湯治場だよ」

「温泉が出ているのか? 」

男が問うと、そんなことも知らなかったのかと、あきれたようにポカンと幼い口を開けた少年は頷いた。


「あ、三途さんずの川を渡る橋が見えてきた。お侍さんは渡れるかな」


「何をいうか、渡れるわい、拙者は罪人ではない」

三途の川を渡る橋は、

罪人には針の山に見えて渡れないという言い伝えを男は知っていた。


「三途の川を渡る時は南部藩の殿様だって駕籠から降りるよ。

この橋を駕籠に乗って渡ることができるのは、

この世でただ一人、恐山の山主様だけだ」


「ほう、恐山の山主とは、それほど偉いお方なのか」


三途の川は薄緑色に透き通る不思議な色だった。

三途の川を渡る橋を渡りしばらく歩くと、ようやく恐山菩提寺おそれざんぼだいじが見えてきた。


 恐山菩提寺は山の上にあるのではなく、

八つの山に囲まれた宇曽利湖のほとりに建っている。

男は足の痛さも忘れて、水辺へ駆け寄った。

空の青と山の緑を映した美しい湖に吸い込まれるそうになる。

覗き込むと、透き通った翡翠色ひすいいろの湖面には、

静けさだけが漂っていた。


「これが宇曽利湖。魚はいない。飲めない水さ」


「なぜだ? こんなに澄んで、きれいな水なのに」


「わからないけど、毒の水なんだ。

飲むことができる強いカラスもいるらしいけど」


「もっと先へ行くと白い砂浜があるよ。ほんとに極楽みたいに綺麗だよ。

だから極楽浜さ。皆、浜で死者の名を叫ぶのさ」


 八つの山々の峰が蓮華れんげの花びらに見立てられている。

恐山菩提寺と宇曽利湖は蓮華の花芯にあたる。

恐山と言う名の山は存在しないが、

この八峰の蓮華の花びらと花芯を総じて恐山と言う。


 霊場にふさわしい趣のある総門をくぐると、

これまで見たことの無い風景が広がっていた。

白いゴツゴツとした、

かさぶたのように不気味に盛り上がった岩肌のあちらこちらから、

地獄さながら火山の熱による煙が上がっている。

巨大な卒塔婆の後ろには、

恐ろしい怪物のような灰色の大岩が鎮座していた。


 白髪の貧しい身なりの老婆が一人。

白い砂に座り込み、平べったい小石を積み重ねている。

白い布をグルグルと巻かれた地蔵の前の地面には、

赤い風車が突き刺さっている。

硫黄を含んだ恐山の強い風と赤い風車のカタカタと回る音が混ざり合い、

あの世の歌声のように聴こえた。


 足元に、わずかに生えている細い草と草が繋がれて、

すべて輪のように丸く結ばれている。


「これは、一体何だ」

「参拝者たちが罠を作っている」

少年が草の輪を指で、なぞりながら答えた。


「つまらない悪戯いたずらをする者が、どこにでもいるのだな」

「違う、悪戯じゃないよ。

賽の河原では子どもたちは死んでからも、親を喜ばせようとして石を積んでいる。

でも鬼は子どもたちを泣かせるために石を蹴散らしにくる。

だから、これは鬼の足を引っ掛けて懲らしめる為の罠だよ」


「そうだったのか・・・・・・死んだ子どもの為だったのか」

男は結ばれた草の輪をしみじみと見つめた。


 人の血を絞ったような赤い水を湛えた深い池。

地底から湧き出した黄金色の水が、草の生えない白砂の上に、

まるで書画でも描くように細い帯状に流れていく。

境内には地獄と極楽の壮大な風景が広がっていた。

どうやら、旅人を驚かせる為に太古の神が作庭したらしい。

恐山菩提寺の庭に男は、何故か不思議な懐かしさを感じた。


・三戸(青森県三戸郡)

・宇曽利(青森県むつ市)



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