第14話 バカの住処で独り占め

「お兄様にだっこされて、部屋まで連れてきてもらった挙げ句、看病までさせているというバカの住みかはここか!」

 荒々しく部屋のドアを開けて、リカが入ってきた。

 ベッドに横たわるエルナは頭痛と傷の痛みを酷くしながらも、リカを笑顔で迎えた。

「いや〜なんだか気が抜けたら熱出ちゃって」

 おでこに乗せた、水に浸した布を手で抑えながら起き上がる。

「バカ、寝ていろ」

 フレッドに押し戻され、リカになぜか突き飛ばされ、エルナは柔らかい枕に頭を乗せる。

「お兄様の手を煩わせることはないわ。リカがやってあげる」

 思いもよらぬ優しい言葉に、エルナとフレッドは目を合わせ、頬を緩めた。

「何よ、その態度」

 機嫌の悪そうな声に、エルナたちは思わず口を結ぶ。

「リカは、兄と出かけていたんでしょう?」

 一晩眠り続け、目を覚ましたらフレッドと兄がいた。

 話によると、あの事件があった時、二人はこそこそと街に出ていたそうで、騒動を何も知らない。

 ベネディクトには泣いて抱きつかれた。

生きていてくれてよかった、と何度も言って。

どうせ死んだら金のなる妹がいなくなるからだろう、と心の中で悪態をついた。だけど、その抱擁はあまりに長く、ベネディクトの心配が伝わった。フレッドがどういう風に知らせたのかはわからないが、かなり心を痛めてくれたようだ。

 今は、リカと入れ違いで部屋を出ている。

「いつもの八百屋さんにある、冷やした生野菜が食べたい」

 というエルナの要望に答えるため、数日前までに住んでいた地域まで走っている……はず。途中で道草を食わなければ。

「一緒に出掛けた、ということは、兄のこと気に入ったの?」

 すると、リカはふん、と鼻を鳴らした。

「荷物持ちにしてあげただけよ」

 ほいほいついていくベネディクトが想像出来て、なんだか可笑しくなる。

「荷物持ちでも喜ぶと思う」

「デカ蝿」から「荷物持ち」とは出世したものだ。

エルナは、横になっていることにもどかしさを感じていた。

 熱とはいえ、さほど高くはなさそうだ。声も出るし、頭もはっきりしている。手の傷だって、糸で縫ってもらった。鼓動と同じ周期でズキズキとする。相当痛むけれど、気を紛らわせていた方がいいような気がした。それに、休むのは落ち着かない。だが、フレッドは強引に寝かせた。

 ベッド脇にいるフレッドを、リカは面白くなさそうに見つめた。しゃがんでいるフレッドの肩に手を置く。

「こういうのは、女の子同士の方がいいの! お兄様どいて」

 嫉妬丸出しでフレッドをどかそうとしたが、言うことを聞かなかった。

「いや、俺にやらせてくれ」

 優しく押し止めるように、肩に置かれたリカの手を取る。

「でも」

 不服そうなリカだが、フレッドが微笑むと大人しく引き下がった。

「それから、ベネディクトが帰ってきたらこの部屋には通すなよ。相手をしてくれ」

「えぇ〜、なんでリカがそんなこと……」

 最大限嫌そうに眉間にしわを寄せた。だが、フレッドが意見を曲げないとわかると、降参した。

「あぁ、もうなんでリカが……」

 ぶつくさ文句を言いながら、リカは部屋のドアを開けた。そしてエルナを振り替える。

「まったく、凡人が無茶して」

 わずかに笑ってそれだけ言い残し、リカは部屋を出た。言葉は悪いが、優しい声と目線は、今までのリカとは違うように思えた。

 その対応に驚いていると、フレッドは小さく笑う。

「友達は、いつの間にかなるもの、か」

 最初にここに来た時、リカと友達になって欲しいと頼まれた。その時、エルナが言った言葉だ。

「友達って言うにはまだまだだよ」

 横になったままだと会話しにくい。エルナは体を横に向けてフレッドを見た。

おでこの布が落ちると、フレッドはそれをエルナの額にあてがう。その手は離さない。

 じっと顔を覗き込まれ、エルナは居心地が悪くなる。

 そんなに、真剣に見つめられたら……。

「ねぇ、ダミアンはどうなったの?」

 話を変えた。実際眠っていた間のことは聞いていない。エルナは熱だけではない顔の赤みのまま尋ねた。

「もう、すっかり普通にうるさい奴に戻った。しかし、マキアが姿をくらませたままだから元の世界に帰れないそうだ。今、必死で捜索している」

 言いながらも、フレッドはエルナの顔を見つめ、手をあてたまま。なぜそんなにひっつくの、と聞きたかった。でも、なぜか怖くて聞けない。

「でも、マキアは最後に考え直してくれたんだね」

 あのりんごは、ダミアンを正気に戻した。一体なんの力が込められていたのかはわからない。だが、救われた。この国も、ダミアンも守れた。

 それなのに、姿を見せない。

「ありがとう、エルナ。エルナのおかげで、俺は……」

 言葉にならないようで、そこでつまらせた。エルナは首を振る。

「私をあの屋根から助けてくれたのはフレッドだよ」

「それだけかよ」

 フレッドは、悲しそうに微笑む。ずっと見ていたら泣いてしまいそうな顔で、つい視線をそらした。

 実際に、あの屋根から救い出してくれなかったら、りんごを口に入れることすら出来なかった。

 フレッドは少しの沈黙すら耐えられないかのように、所在無く視線を彷徨わせた。そして、ひとつ呼吸をすると、エルナに向き合う。

「聞いていいか」

「何?」

「エルナ、イカサマディーラーの割には凄いけど、」

「えー!」

 続きの言葉を遮り大声をあげる。驚きのあまり、上体を起こしてしまった。めまいがするが、それどころではない。

「知っていたの……?」

 驚いたことに、逆に、不思議そうな顔をされてしまった。いったい、どういうことだ?

「分かっていたから、ここに連れてきたんだよ。イカサマディーラーなのに、イカサマだとばれない腕を持っていたから。真剣な瞳と、洞察力を買った。まさか、バレていないとでも思っていたのか? 違法カジノをしておいて、何を気にしているんだ」

 なんということだ。イカサマであることをあんなにも悩んでいたのに、最初から知っていたとは。

 エルナは頭がくらくらして、再びベッドに横になった。

「なんだ、言っておいた方がよかったか? 仮にも王宮に招くのだから、素行調査はちゃんとしてある。カジノは認められていないし、ましてイカサマで儲けていることも知っていたが、今はそれどころではない。それから、アパートの退去手続きもしておいた」

「ああそうですか」

 すべて、フレッドの頭の中で物事が進んでいたわけか。なんということだ。悩んで損した。

「もうっ、なんで大事なことは何も言わないの! 意地悪! 私を欺いたのね」

 バレないように、とあれほど心を痛めたというのに。酷い。悩んだ時間を返して欲しい。

「嘘つき!」

 思わず起き上がり、フレッドの口を、手のひらでぺちっと叩いた。痛くはないが、少し驚いたようにして、それから唇を押さえながら笑う。

 こんなときに笑うなんて、ずるい。照れてしまうではないか。叩いた手が熱くなる。

「だから、俺はベネディクトに冷たくしていた」

どうして? と少し首をかしげて聞いてみる。フレッドはうーん、と小さく唸り、エルナに優しく言う。

「俺も、兄だからな。妹をこういう風に扱うのは許せなかった」

「それだけ?」

つい言ってしまい、エルナは顔を赤らめる。何を言って欲しいというのか。

「ごめん、聞かなかったことにして」

 ああ、なんてことを。エルナがぎゅっと目を閉じて、こめかみをぐりぐりともんだ。

 だが、フレッドは嬉しそうに弾んだ声を出した。

「そのまま、目を開かないで聞いてくれ」

 え? と目を開こうとすると、手のひらで視界を遮られた。まぶたを覆うフレッドのぬくもりに、鼓動が早くなる。

「屋根の上で言ったこと、覚えているか」

 屋根の上。恐怖ばかりが先立ち、あまり記憶にない。だがよくよく思い返してみると、ひとつあった。

「ちょ、ちょっと好きって言ったこと? あ、あの、ごめんなさい。勝手なこと言って。でも、王子様とはいえ、死ぬ前に伝えたかったの」

 弁明していると、フレッドは視界を遮ったまま顔を近付けてきた。衣擦れの音と、声が近くなる。

「好きなのは、ちょっとだけ?」

 どう答えればいいのか。本当は、ちょっとじゃないかもしれない。だけど、危機があったせいでどこまでが自分の本当の気持ちかわからない。

「ちょっと、じゃないかもしれない」

 曖昧に答えると、フレッドは責めるように聞き返す。

「じゃあ、どのくらい?」

「う……ん……。結構……?」

「そんなもの? 俺の立場なんてどうでもいいから、聞かせて」

 そこまで言われると……。エルナは困った。いつもぐいぐい押して来る人だが、今日は一段とすごい。

 実際、二人で買い物に行き、喧嘩をした時からエルナのフレッドに対する気持ちは変化していた。

 立場さえ違えば、側に居続けたいと。だからこそ、あまりの立場の違いに、一緒にいられないことに絶望すらした。

 気持ちは決まっている。

 伝えたらどうなるだろう。無礼者、と追い出されるかもしれない。

それでもいい。最初から、ここにはふさわしくないのだから。

 エルナは視界をさえぎられたまま、勇気を出して言うことにした。あの屋根に登ったり、恐ろしい姿に変わるダミアンに向かっていったりした時のことを思えばなんでもない。そうは思いつつ、それよりも緊張するのはどうしてだろう。

 伝えたいのに、怖く感じるのは視界をさえぎられているからだろうか。胸の中が、騒がしくなっている。体が揺れてしまいそうなほどに。

息が苦しいながらも、エルナは想いを伝えた。

「いられるものなら、ずっと側にいたいくらい、好き、かな」

 息を飲む音がした。今、フレッドはどんな顔をしているのだろう。怒った?

「じゃあ、こんなことしても、怒るなよ。俺はずっと我慢していた。最初に……エルナを連れ去る少し前、下見でカジノに行った時からずっと」

 カジノから? 何を我慢していたの? と聞きたかった。だけど、唇に何かが近づく気配に言葉がなくなる。

 少しずつ、近づく。吐息が絡まる。息をすることも躊躇われ、エルナは体を硬直させて、されるがままになっていた。

 世界が、こんなにもゆっくりだったなんて。

 いつもより、過ぎ去る時間を長く感じていると。

 バン、とドアが開いた。

「よかったよかった! ボクの気持ちが通じたね! でも、これじゃあ元の世界に帰れないなぁ。出来損ない、って怒られちゃう……あれ、お邪魔だった?」

 能天気なマキアが、ノックもなく部屋に入ってきた。

 二人は動けず、ただ少年のマキアを見て、それから体を離した。フレッドは咳払いをすると、腰にさした剣に手をやり、立ち上がる。

「バカは死ななきゃ治らないなら、俺が治してやる」

するり、と剣を抜く。

「ちょっと、そこまで……」

 エルナが止めに入ると、フレッドは殺気を隠そうともせず剣を構えた。

「そこまで? 実行されていたら世界が崩壊していたんだ。今からだって処刑していい重罪なんだ。それを、自ら殺してくれと言わんばかりに出てくるとはな……探す手間が省けたというものだ」

 エルナの声も聞かず、フレッドの目は真剣だった。それは、当然のことだ。それ以上、エルナに止めることなど出来ない。

 自分も、危うく転落死するところだったのだ。

 かといって、少年姿のマキアを処刑だなんて、心が痛まないといえば嘘になる。

「重罪だろうけど……でも、ボクは皆を幸せにしようとしたんだよ。それで民衆の心を掌握しようとしたけどさ」

 その言葉に、二人は固まる。

「危険なものを撒き散らせておいて、何が幸せだ!」

「そうよ、ふざけないで!」

 さすがにエルナも怒り心頭。体をベッドから出して詰め寄った。いて、と右手を見る。ダミアンに噛まれたから、布でぐるぐる巻きにされている。頭に血が上っている勢いで痛みも増す。

「そりゃー、永遠の幸せを送ることは、ボク自身面白くもないし」

「死んだら幸せじゃないだろうが!」

フレッドの叫びに、今度はマキアが目をくりっと動かす。

「誰も、死なないけど」

「……処刑されたくないからと、今更命乞いをするような真似をするとはな」

剣をさらにマキアにつきつける。だが、エルナはマキアの言葉に冷静になる。

「フレッド、待って。マキアは嘘を言っていないよ。りんごを渡してくれたときと同じ目をしている」

その言葉に、フレッドはエルナを振り返る。

「そうなのか?」

「あれぇ、エルナの言うことは聞くんだ。むふふ」

妙な笑い声をするが、今はそれに構っている場合ではない。

「どういう予定でこの世界を制圧しようとした? 言わないとすぐに首を飛ばすぞ」

「ひぃっ」

 あまりの殺気に、マキアは飛びのく。

「早く言え。じゃないと、俺の剣が黙っていない」

「その剣、しゃべるの?」

 純粋な顔で問うが、フレッドは顔を険しくしただけだった。エルナは頭を抱えてしまった。

「冗談が言えるとは、よほど余裕があるのだなぁ」

 フレッドは人が代わったかのように、非道な顔で、剣先をぺしぺしマキアの頬にあてている。エルナのあまり見ない、王子の顔だ。

「ヒッ! 冗談じゃなくて、この世界の剣はおしゃべりもできるのかなぁと思っただけだよ。だから落ち着いて」

 さすがに、マキアも言ってはいけないことだと分かったようだ。慌てて発言を取り消す。本当にそう思っただけのようにも見えるが。

「落ち着くために、とりあえず本当のことを話してもらおうか」

「わ、わかったよぅ」

 こほん、と咳払いをすると、どこかもったいぶったように言う。フレッドがイラついたのがわかるので、エルナは腕を掴んで落ち着かせた。

 マキアは腕を後ろに組み、部屋の中をうろうろしながら話し始めた。

「この世界に疫をばら撒くと、人々は幸せになるんだ。生活も楽になるし、作物はよく育つし、家畜も肥える」

「なぜそれが疫になる?」

 呆れたように言うが、エルナは思い返していた。

 もしかして、と独り言のように呟く。

「空は美しくなくて、人も優しくない。あなたの世界とこの世界は間逆なのね」

エルナの言葉に、マキアはようやく笑顔になって頷く。

「その通りだよ。ボクの世界での疫は、この世界にとっては恵みなんだ。そして疫……こっちでいう恵みを与えることによって、ボクを神として崇め奉ってもらおうと思ったわけさ。作物は育ち、魚も取れる。誰も困ることなく生活出来るんだよ。捨てるところなしのいい計画でしょ」

「よくないよ」

 ずっとマキアを擁護していたはずのエルナの冷えた声に、マキアは不思議そうに見つめ返してきた。この子は、何もわかっていない。

 エルナは少しかがんで、少年マキアの背に合わせた。

「いい? 与えられた恵みでは、人々は結局ダメになってしまう。努力して、考えるから人間なの。工夫して、悩んで、それで生きていくの。結局、あなたはじわじわとこの世界を滅ぼすことになっていたのよ。それを、きちんと理解して」

 自由に作物が育ち、魚が取れる。それはいいかもしれないが、一度味わった幸福のせいで、元の暮らしに戻れなくなってしまう。堕落したら、簡単には努力をしなくなる。

 エルナの真剣な言葉に、マキアはわずかに頷いていた。心底理解していないとは思ったが、いつか、分かってくれると信じて。

 その様子に、フレッドは黙って剣を納めた。

「あなたは、いけないことをした。それだけはわかって。じゃないと、フレッドに処刑されちゃうよ」

 最後は、冗談めかして言った。マキアの顔がどんどんと青ざめていたから。そして、その目に涙を溜め込んだ。

「う、うぇ……ごめんなさい、ごめんなさい」

 この少年が、いったい何年生きているのか。この世界の尺度では測れない。けれど、見た目どおり、まだ子供なのだ。

「今回は失敗したけど、またどこかの世界を滅ぼそうとしている? お父様の言うとおりにする?」

 お父様の言うとおり、という言葉にマキアは涙を飛ばして首を振った。

「ううん。もう、そんなことで世界を制圧しようだなんて思わない。ボクは、ボクの考えで、自分の世界を……どうにかするよ。人の世界を滅ぼして得たものに、きっと価値なんてない。でしょ?」

 あやふやな答えに、思わず笑ってしまう。

「うん、そうだね」

今すぐ、どうにかしようだなんてわからなくていい。だけど、きっと幸せな世界にしてくれることを祈る。

「とりあえず、綺麗な空になってくれればいいな。こっちで覚えたりんごも、たーくさん植えたい」

 呟いた願いに、マキアの小さな決心を見た気がした。

「ま、もっとも処刑しようとしたところで、ボク逃げちゃうけどね」

 可愛げのないことを言って、あの耳を取り出して猫の姿になる。白煙が晴れるころには、もうマキアはいなかった。

「おい!」

 フレッドの声が、むなしく響く。

 この状態で、二人っきりになると、いたたまれなくなる。

「じゃ、じゃあまた。処理作業があるから」

 フレッドもそうだったのか、足早に部屋を出てしまった。

 そうれはそうだ。王子なのだから、忙しいだろう。それなのに、ずっと看病をしてくれていたとは。国民には申し訳ないけれど、フレッドを独り占めできた気分だった。

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