第10話 可愛いリカちゃん
「なんか用? って。用があるからわざわざ来てあげたんでしょうが。バカなの?」
妹にもバカと言われた。わかったから、もうあまり苛めないで欲しい。
「とりあえず、どうぞ。何もないけど」
部屋に招き入れると、リカは本当ね、と眺め回した。あんたの家でしょうが、と言い返したくなったが、口ではリカに敵わないのでやめておいた。
「あなたも、大胆なものよね」
「へ?」
唐突に、腕を組まれたまま言われ、エルナは面食らう。一体何のことか、イカサマディーラーがバレた? しかし、リカの顔色を見ていると、どうやら違うようだ。呆れたような、だけど少し心許したような顔をしているから。
「お兄様に、近寄るなーだなんて。即座に首を切られても文句は言えないよ?」
幼い顔に似合わず、妖艶な笑みを見せる。年頃なのだから、こちらの顔の方が相応なのだが。
「もしかして、仲裁に来てくれたの? それとも、処刑台に引きずり出しに来たの?」
年下だからか、お姫様っぽくないせいか、リカに対しては砕けた口調になってしまう。リカがあまり気にしていないようなのでやめなくてもいいのか、と心の隅で思った。
「どうしてリカが処刑人を引っ張り出すような仕事するのよ。仲裁に決まっているでしょうが」
人差し指で、自らの頭を指す。バカ、と言いたいらしい。どこまでもバカにされ、エルナは『悲しい』を通り越して、この兄妹の見下し具合が合致する事実に、驚愕を禁じえない。
「それはどうも。でも、あなたは私が嫌いでしょう? 少なくとも私は嫌いだけど」
エルナが普通に言ったことで、リカはほんの一瞬、顔を歪ませた。そして、また笑みを浮かべる。
「ええ、リカも大嫌いよ」
「なぜですか?」
純粋な疑問でエルナは尋ねた。すると、リカは今度こそ顔を歪ませた。
「嫌い、と言った人に対し、わたしも嫌いだと言ったら、普通理由を聞く?」
「だって、私には理由がある。あなたは胸が大きい」
それだけを言い、エルナは黙った。
続きを待っていたリカだが、それ以上は嫌いの理由がないことを確認するまで、エルナを見つめていた。だが、エルナからそれ以上の理由など出てこなかった。それしかないのだから。
「えっと……ちょっと待って。わたしのこと、胸が大きいから嫌いなの? その他は?」
考え、一生懸命理解するように頭に手をあてる。
「ないですよ。でも、私は巨乳が大嫌いなの」
「……理由を聞いてもいいかしら」
リカが、疲弊したように近くにあった椅子に腰をかけると、エルナもその隣に座る。
「いや、なんで隣に?」
嫌そうに、リカは顔をゆがめる。
「ここしかないのだから、仕方ないです」
実際、エルナの部屋に椅子はこの長椅子ひとつだった。
「巨乳嫌いの理由はですか? 私の兄、ベネディクトっているでしょ」
「あのうるさいデカ蝿ね」
どうやら、リカにしつこく付きまとっていたらしい。残念ながら、まったく脈はないようだ。
「兄は、巨乳女となると見境なくお金を貢いで、我が家を破綻させたんです。それで、私にばかり負担をかけて……」
そこで口を閉じる。イカサマディーラーであることまで口にしてしまいそうだった。
だが、それだけでリカは顔を歪ませた。歪んだところで、元から可愛らしい顔立ちだからあまり崩れない。羨ましいと思っていると、リカはエルナに抱きついてきた。
「そんな事情があったのね。わたし、てっきり自分の胸の無さから嫉妬しているのだと思っていた」
ぎゅむ、とお腹あたりに胸の感触がある。いったいこれにいくらつまっているのだろう、と考えるだけで腹立たしい。なんのついでか、失礼なことも言われている。
「そういうことなので、私に大きな胸を見せるとぶっ潰すかもしれませんよ」
イライラとして言うと、さすがに、すぐに身を引いた。
「そんなに憎いの、これ」
そう言って、胸をさす。エルナは大きくうなずいた。
「それより、あなたが私を嫌いな理由も教えて欲しい」
こっちが言ったのだから、とエルナはリカに詰め寄る。
「そ、それは……」
目を逸らしながら、リカはもごもごと答える。
「わたしに、挑戦的な目を向けてきたからよ。お兄様とも親しくて……」
「じゃあ、なんで今来てくれたの? 嫌いなら、私が斬られたっていいじゃないですか」
命を救ってくれようとしてくれていることはありがたい。だが、リカがどうのこうの言ったくらいで収まるだろうか。最悪の妄想をするまでもなく、最悪の結末しか待っていない。
「斬られたら嫌だもん。わたし、本当は……」
もじもじとうつむく姿は可愛らしい。つい、からかいたくなった。
「やっぱり私のことが好きなの?」
途端に呆れた顔を返される。
「……まだ言っているの、そんなこと」
「冗談に決まってるじゃない」
そう言うと、二人はくすくす笑い出した。傍から見れば、長年の友人のような態度で。
「まぁいいわ。とりあえず、何かあればわたしは間に入るから。出来れば、わたしの仲裁なしで仲良くなって欲しいけど」
「いいの? 仲良くなって」
すると、リカはつまる。そして顔を赤くして言った。
「わたしとも、同じように仲良くしてくれたらね」
思わず、可愛い、と思ってしまった。さすが、魔性の女は同性すらも虜にしてしまいそうだ。
「いいよ、書面にして提出しようか。私は、リカと友達になることにします、って」
笑いながら言うと、きっと睨まれる。
「わたしたちは、紙の上での付き合いだけなの?」
そして、寂しそうに目を伏せる。感情が激しいけれど、正直にぶつかってきてくれる。それが嬉しくて、エルナはまたにやけてしまう。
「冗談冗談。そんなに怒らないで」
「もう、すぐわたしを怒らせたがるんだから!」
捨てるように言葉を投げつけると、椅子から立ち上がった。そして、底意地が悪そうに、にーっと笑った。
「仕返してあげるわ。そうね。お兄様、呼んでこようかな」
「え、やめてよ……どんな顔すればいいか」
なんという反撃だ。こんなことならば、余計な意地悪を言わなければ良かった。今会ったら、どんな顔をすればいいかわからなくなってしまう。思わず、頬に手を当てた。
「バカね。男と女の喧嘩なんて、早く治さないと傷は深くなる一方なんだから」
年下に教えられるとは。エルナは屈辱的になりながらも、従う他なかった。そういった経験ではリカの方が上だろうし……って、どういう経験だ。自分とフレッドはそんな関係では……と、ぐるぐる考えていた。
どちらでもいいか、と考えをやめる。今となっては、リカのおかげで死なずに済むかもしれないのだから。
「それじゃ、おとなしく待っていてね」
リカは部屋を出て行った。性格が崩れて普通になっているよ、と言うのを忘れていた。まぁ、エルナの前で無理して可愛くいる必要はないからいいのだろうけれど。
しんとした部屋、エルナはとため息をついた。
いくらなんでも、リカがどうのこうのしてくれるほどのものかわからない。それに、マキアのことだってエルナのような非力な人間ではどうしようも出来ない。
フレッドがここに来る前に……。
「やっぱり帰ろう」
そう決意したが、体が重たくてなかなか動かない。現実を受け入れなさいよ、と言い聞かせ、ゆっくりと立つ。持って行くものなど何もない。今着ている服はいただいてしまうことになるけれど、それ以外は手ぶらでいいのだから。早く部屋から出なくては。
だけど、なかなか足が動かなかった。
ここにいたいと、願っているようだ。だけど、願ってもどうしようもないことはいくらでもある。今がそうだ。ここから出なければ、処刑か、役立たずか、どちらにせよフレッドに軽蔑されて、この場からいなくなる運命になる。
帰るしかない。ベッドに座り、身の回りのものをひとつにまとめる。ほとんど持ち物なんてない。準備はすぐに終わったけれど、なんとなく立ち上がれないでいた。
「結局、自分が一番可愛いんでしょ」
やっぱりバカだな、と呆れ笑いをしてしまう。
この部屋が恋しいのか、それとも……。
廊下の方から、遠慮がちな咳払いの声がした。そして、小さくノック。
フレッドだ、もう呼ばれて来たのだ。そう分かった途端、エルナはなぜかベッドで寝たふりをすることにした。そうすれば、起こすことなく帰ってくれるだろう。
ドアに背を向けて、横になる。もう一度、大きくノックされたが返事をしなかった。
「入るぞ」
小さくドアは開かれた。こちらの様子を窺っている空気が伝わる。エルナは、寝たふりをしたいのに、体が硬直していた。
「なんだ、寝ているのか」
確認するように、問いかけてくる。エルナは身動きをせず、ただ沈黙を守っていた。
「のんきに寝て……」
のんきではない、と言い返したいが、どう顔を見ていいかわからなくて、エルナは目を閉じたままだった。
ベッドが沈む。フレッドが腰掛けたようだ。どうして出て行ってくれないのだ、と焦る気持ちを抑え、寝ているにしては不自然に息を潜めていた。
「エルナ」
眠っているはずのエルナに、声をかける。そして、顔にかかった髪の毛をすくうと、エルナの顔を手で撫でた。
どういったことかわからないが、ここまで寝たふりをしてしまった以上、もう目を開けることは出来ない。仕方ないので、そのまま眠ったふりを続行する。
そして、独り言のように、小さな声でエルナに話しかけた。
「エルナ、……俺が悪かったなら謝るから。バカって言うのは、クセみたいなものだから……。そう言っていないと、自分が低く見られてしまいそうで怖いからだ。だから、店の人間にも、尊厳ある人間だと思われたくて。くだらないプライドのせいで、エルナを傷つけてしまった。本当の俺は、ただの気の弱い男なのかもしれない。エルナ、すまない。もう言わない、言わないから……その……」
謝っている? フレッドが!
そのことに驚き、寝ている場合ではないと起きようとした瞬間、頭上で聞きなれた轟音が響く。
ぐらぐら、と体が揺れる。
フレッドはエルナに覆いかぶさるようにベッドに乗り上げてきた。抱きしめるように手に力が込められ、顔が側まで寄っているのか、頬に吐息がかかった。くすぐったくて、思わず肩をすくめてしまう。
天井からは埃が落ちてきていて、エルナの顔にも少しついた。だけど、ほとんどをフレッドが守っていた。
とはいえ、今回もまたダミアンが遊びに来たのか、と面倒に思っていた。だが、予想に反して、その揺れと轟音はしばらく続いた。
いつもと違うことは、フレッドも分かったようだ。神経を尖らせて様子を窺っている。エルナも目を開いた。
「うぉ、エルナ! 起きていたのか!」
後ろに飛びのいて驚くフレッドに、申し訳なく思いながらも訂正を入れる。
「ご、ごめんなさい。ちょっと、気まずくて寝たふりを……」
「う……そうだったか。じゃあ、さっきのも聞いていて……」
恥ずかしそうに、頭をかく。そこから、埃がはらはらと落ちる。まだ、王宮は揺れていた。
そこで、二人は顔を見合わせ厳しい表情になる。
「このことは、またにしましょう。それよりも、この衝撃は前と違う気がします。早くマキアのところに行かないと」
立ち上がってドアから出ようとすると、フレッドにまた腕を引っ張られた。
「バカか! そのままウロウロしないように服を買ったのではないか!」
またバカと言われた。フレッドも気が付いたようで、慌てて口を閉じる。
だけど、今度は腹が立たなかった。
フレッドにも弱い部分があって、それを補うためだと分かればもういい。エルナの暗黒妄想と一緒だろう。弱い部分もあって当たり前なのだから。
「それどころじゃないと思うんですけど」
微笑んで言うと、フレッドは安心したようにエルナの頭を小突いた。
「ちょっとで着替えられるだろう。気になって落ち着かない」
懇願するように言われると、エルナも断れない。このやりとりも時間のムダになる。
「わかりました。急いで着替えるから、先に行っていてください」
安心したように頷くと、フレッドは部屋の外に出て行った。
また帰れなくなってしまった。そうは思いつつ、まだここにいられることに喜びを感じていた。
上ではまだ揺れている。急いで着替えて、エルナは勢いよく部屋を飛び出た。
星四の淡いピンクのワンピースは、膝丈でとても動きやすかった。これなら階段も踏み外さないだろう。
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