第9話 バカな女と尊大な男

 ぶつぶつと呟くフレッドの言葉は途中から聞いていなかった。

 みんなが、残って欲しいと言っている。あのリカにまで。決心は簡単に揺らいでしまった。だけど、イカサマだってことは、言えない。

 もしばれたら、この人たちを落胆させてしまうのだろうか。それとも最初から、違法カジノにいたのだからさほど驚かないか。

 その時の浮かべるであろう表情を想像すると、暗い妄想すら浮かばなかった。

 落ち着いて、兵士の顔を見る。すると、半分は笑顔で、半分は納得の言っていないような顔だった。リカは既に素知らぬふり。

 当然だ、こんな素性の知れない娘を置いておく義理などないのだから。全員に快く受け入れてもらえるなどと都合のいい話だ。

 でも、フレッドがここにいていいと言ってくれた。それで十分じゃないか。

「私でどの程度力になれるかわからないけど、あの二人を止めるお手伝いをします」

 うっかり忘れかけていたが、マキアはこの国と世界を征服しようとしていて、ダミアンは自称・悪の大王なのだ。どんなにとんちんかんなことを言っていても、危険因子であることに違いない。

「ああ。よろしく頼む」

 優しく微笑むフレッドに、エルナも笑顔を返した。

 それに対し、リカは睨んでくる。残って欲しいのか、帰って欲しいのかよくわからないが、ひきつった笑顔を返した。そうすると、リカはいつも照れたようにそっぽを向くから面白い。



 部屋に帰るなり、エルナはベッドにつっぷした。

「しまったぁ~流されるがまま結局残ることになるなんて」

 後悔していると、その後ろからベネディクトがやってきた。

「どうしたどうした、上で何があったんだ」

 手短に説明し、結局ここに残ることにしてしまったというと、ベネディクトは目を輝かせた。

「そうかそうか! いやぁ、おにーちゃんは嬉しいよ。エルナは責任感の強い子だ」

 喜んでいる場合じゃないだろうに、と言いたかった。でも、決めたのは自分だし、これ以上言っても仕方ない。だけど……。

「あの人たち、なんなんだろう」

 異世界から来た少年と、自称・悪の大王。この国も世界も征服するのだというが、どうしてそんなことをするのかもわからない。やるならさっさとやればいいのに(やられても困るが)ぐずぐずと何度もダミアンを呼び出してはいるが、何もしていない。

 どうって、世界を征服するというの?

 フレッドも事態を把握していないのではないだろうか。マキアはそれに関しては秘密にしたがっていた。

 余計なことに巻き込まれたな、とまたも後悔の波が押し寄せ、あぁぁ、と頭を抱えるのだった。

 暗黒妄想も出来ないくらい、とんでもない状態に陥っている。


 運ばれてきた朝食をベネディクトと摂る。そして沈んだ気分のまま窓際に椅子を置き、外を眺めていた。

 ベネディクトは、気が付いたら部屋からいなくなっていた。流浪の男、といえば若干聞こえはいいが、ただの気まぐれ。いちいち気にしていられない。

 フレッドはきっと忙しいのだろう。だが、ちゃんと話を聞きたい。自分がどうすればいいのか、考えなくては。何も出来ないとは思うけれど、少しくらい役に立ちたい。

 物思いに耽っていると、ドアがノックされた。返事をすると、遠慮がちに開かれる。

「エルナ、今いいか?」

 フレッドが、身なりを整えてやってきた。服装は、最初にイカサマカジノにやってきたときと同じ、白い軍服のような格好だ。これが、王室としての正装なのだ、と眺めつつ、頷いた。

「わたしはずっと暇だよ」

「そ、そうか。って、まだ着替えていなかったのか」

 エルナは寝巻き姿のままだった。意外とこの白いワンピースのような格好が気に入っていて、動きやすいし可愛いし、着替えたくなかった。あのドレスは息苦しい。

「あのドレス嫌なんですもん。それにこれ可愛いし」

「バカか! 寝巻き姿でいつまでもふらふらするな!」

 相変わらず、ちょっと興奮すると言葉が悪くなる。まったく、人のことをすぐにバカ呼ばわりするとは感心しない。

「ドレスは嫌だし、着てきた服は持っていかれちゃったし、これしかないのだから、しょうがないです」

 フレッドが用意してくれていないのだから、という嫌味を込めて言う。だがすぐに、王子相手に嫌味を言ってどうする、しかも物をねだるとは。それこそバカなことをした、と落ち込んでしまう。

「どうした、エルナ」

 ずーんと肩を落としているエルナに、フレッドは心配そうな顔で覗き込んでくる。

「ううん、わがまま言ってしまったから。ごめんなさい。私にそんなに構わなくていいから、それよりマキアのことを……」

「わがままなどではない! リカなんて、毎日毎日新しい服を買っては「リカの可愛らしさを引き立てる服を買って何が悪い」などと意味不明なことを言って自己正当化している。なんという謙虚さ……」

 リカがオカシイんだよ、と血のつながった兄に言うことは出来なかった。あの妹がいたら、苦労するだろうな、と同情した。

 じっと、新しい生物を見るかのような目で見られても、とエルナは居心地が悪い。

「よし、城下町に服を買いに行こう!」

 はりきって言うので、またエルナは居心地が悪くなる。王子というと、もっと落ち着いた人を想像していたのだが、結構感情で動く人のようだ。

「まさか、フレッドと一緒に?」

「……俺と一緒じゃ嫌か?」

 物悲しそうな顔をされ、なんだかエルナが苛めたみたいになっている。顔を大きく横に振ってそれは否定した。

「違います! だってフレッドは忙しいでしょう? それに、有名人だし……」

「有名人とは言っても、エルナは俺の顔を知らなかったではないか」

 物を知らない、と言われているようで居心地が悪い。言い訳をするように小さな声で反論する。

「国のことより、自分のこと、っていう生活をしていたから」

「俺は、ほとんど世間に顔出ししていない。出たとしても、父の後ろで控えている程度だから、あまり顔は知られていない。街中もウロウロできる。でなければ、エルナを見つけることも出来なかった」

 そういえば、上流階級、富裕層であるカジノの客も、誰も気が付かなかった。ということは、フレッドの言うことは本当なのだろう。

「今は生まれ育ったフルゥアという国を助けたいと思っているの。それなのに、のんきにお買い物だなんていいのかなって……」

 またも、フレッドは感涙したように手を目頭にあてた。どれだけリカにいいように使われているのだろうか。ベネディクトと話が合わなくても仕方がない。

「よい。忙しいことを言い訳に、詳しいことを説明しないでここまで連れてきてしまった。買い物がてら、この件について話そう。エルナの知恵も借りたい」

 知恵って……そんな、何もないのにどうしよう。

 エルナはどきどきしながら、中身のないからっぽな自分が過大評価されていることに慄いていた。

「じゃあ、いいか? 行くぞ」

「え? うん、わかりました。そこまで言うなら、甘えさせていただきます」

 そのまま、部屋を出ようとするとフレッドに腕を捕まれた。

「バカか! その格好じゃダメだから買い物に行くんだろうが」

 う、とエルナは口ごもる。それはそうだが……。

「他に、着るものないんだもの」

「ドレスがあるだろう」

「あんな恥ずかしい姿で、歩けるはずないです!」

「俺としては、こっちの方が恥ずかしい!」

 二人の意見は合うことがなかったので、折衷案として「寝巻きの上から大きなショールを羽織ること」になった。

 ドレス着用時に使っていた透けた素材のものではなく、肌触りのいい絹の布だ。大判で、背中まで覆ってくれる。刺繍で赤い花が描かれていて可愛らしい。

「これでいいな。絶対とるなよ、それ」

 もう反論は許さない、と言わんばかりに肩をがっしり掴まれる。強い力は、有無を言わせない。

「はい、大丈夫。これ可愛いです」

「女の可愛いはわからん……」

「こっちだって、王室の正装がわからないです」

 そう言い合うと、なんとなく目を合わせて笑いあった。どうして笑ったのかは分からないが、初めて意見を交換出来たような、それが通じたというような気分になったのだ。フレッドといると、言いたいことも言えて、それが楽しい。

「じゃ、行くぞ」

 フレッドが部屋から出て行くので、慌ててエルナもついていった。


 お店はすぐそこにあるというが、警護が大変だという兵士たちの言葉で馬車を使うことにした。王子というのも大変だな、と感心してしまう。

「あれお二人さん、逢引ですかい」

 ひっひっひ、と下賎な笑みを浮かべるのは、何度か顔を見たことのある兵士。どうやら彼が馬を操縦するらしい。年はエルナたちよりもかなり上のようだ。しかし発言のせいか、もっと年齢を上に感じさせる。下衆なオヤジ、といったところだ。

「バカか。逢引とは、人目を隠れて会うことだ。こんなに堂々としていたら違うだろう」

 呆れたように、鎧の上から頭を小突く。本当はもっと護衛を連れて行きたいとダダをこねる兵士の鎧を、無理やり剥ぎ取ろうとしていた。フレッドとしては、鎧など着けられたら目立つから嫌らしい。

 そんなやり取りをしている間、王宮を見上げた。ここに来たときは、外観を見る余裕もなかったから。暗かったこともあるが。

 遠くから見ると宝石のように見える青い屋根も、見上げるとその姿を確認出来ない。とにかく大きくて、こんなものを人が作ったのか、と感慨深くもなる。

「エルナ」

 振り向くと、フレッドに鎧を剥ぎ取られた兵士が、情けない顔で馬車の御者席に座るところだった。鎧に隠されたお腹もだいぶ情けないことが判明した。やはり、顔だけで見るよりも、年齢は上なのかもしれないな、と思わせる貫禄があった。

 そして、馬車の中はフレッドと二人きり。乗り込んだはいいものの、何を話していいか困る雰囲気だった。

 がたがたと揺れて走り出す馬車に、ちんまりと座る。そして、窺うようにフレッドを見た。すると、フレッドもこちらを窺うように見ていて、ちょうど視線が合ってしまった。なぜだか気まずくて、お互い視線を逸らしてしまう。

 おかしいな、いつも二人でも平気な上、さっきは会話もできたのに。

 なんとなく、空気が止まっているせいだ、と思う。

 ――広い部屋と違って、ここでオナラでもしようものなら即バレて、嫌われてしまう。馬車から放り出されて、二度と王宮に入ることはないだろう――

 エルナは腹の調子を心配しつつ、黙っているだけで目的地についてしまった。本当に近い。お店の前にぴたりと付けた状態で、これなら誰にも会わずにすっと店内に入れるであろう。

 とはいっても、カジノでも顔を知られていなかったくらいだから、平気なのかもしれないが……。王宮絵師は絵が下手なのか、それとも出回ってすらいないのか。少なくとも、エルナは一度も見たことはない。

 フレッドは腹をさすりながら、馬車のドアを開けた。先に降りると、躊躇うようにあちこちを見た挙句、遠慮がちに手を差し伸べてきた。

 珍しいこともある、と驚いたことが先に立ってしまい、どう反応していいかわからなかった。

 女性扱いがうまいという点ではベネディクトは星五なのだが、フレッドはその片鱗すら見せなかった。いつも自分が先頭で、みんなをひっぱるという態度だったから、今のこの状態が不思議だった。

 それがエルナの顔に出たのか、フレッドは顔を赤くして手をひっこめてしまった。

「嫌ならいいって」

「もう、すぐ嫌ならいいって言いますけど、ちょっとは待ってください。せっかちなんだから」

 そういって強引にフレッドの手を引き寄せた。そのせいで、自然と馬車からは降りてしまったのだけど。

「そいじゃ、おいらはここで待っておりますんで」

 二人の様子を見ていた兵士は、にしし、と笑っていた。

「バカか、いちいち反応するな」

 エルナの手を振りほどいて、店の中に入ってしまった。なんだか後味の悪い気分だ。どうしてフレッドは、すぐに「バカ」と言うのだろう。

 ずっと気になっていた。何気ない言葉なのだろうが、エルナにはきつい言葉だった。今の、自分の状態を見透かされているようで。

 一瞬触れ合った手を、しげしげと眺める。手を差し出してくれたのは嬉しかったのに、それも表現出来なかった。だからフレッドは怒ってしまったのかもしれない。

 でもそれだけじゃない。エルナは余計なことばかり言う兵士を睨むと、店内に入っていった。

 お店の中は、目もくらむような派手な服が並んでいた。と言っても乱雑に並んでいるわけではなく、品よくまとめられている。遠い世界に来たような店内はエルナには眩しすぎる。

「フレデリック様! ようこそいらっしゃいませ。ご連絡をいただければ、おもてなしいたしましたのに……」

 店主と思われる、中年だが美しい女が姿勢低く挨拶する。それに合わせ、若い女性店員もかしこまって「いらっしゃいませ」と言った。突然の訪問に驚いている様子だ。よく利用しているのか、顔見知りの様子。それでも店内の緊張感はエルナの感じたことのないものだった。

 王子の貫禄を、肌で感じる。こんなに、尊重されているだなんて。

「この女性に似合う服を持ってきてくれ」

 いつもと違う、威圧的で尊厳高い声に、エルナはフレッドの顔を見てしまった。当然のように発言し、それをありがたそうに受け取る店員たち。

 今更ながら、フレッドはこのフルゥアの王子なのだと痛感した。本当は、気安く言葉を利いてはいけないくらいの人なのだ。違法カジノのイカサマディーラーである自分が、まるで友達のように接するなど……。

「どうした?」

 いつもとは、やはり少し違う声で話しかけられて、エルナは作り笑いを浮かべるしかなかった。それを不審に思う様子もなく、フレッドは服を選べと背中を押す。

 見回しても、豪華な装飾があるものばかりであまり好みのものはなかった。高そうだし、それをねだる気にもなれなかった。

「うん……もっと、地味なものでいいです」

「地味なものを取り扱っている店を選んだつもりだが」

「本当に、こういうのが希望です」

 ショールを開いて、寝巻きを見せると、慌ててフレッドは手を握って服を隠した。

「バカか! 見せない為にこれを羽織らせたんだろうが」

 だけど、と言い返したかったが、店の中だ。店員もいる前で、あれこれ言ってフレッドに恥をかかせたくはなかった。

「おい、ここには、もっと地味な装飾の服はないか」

 フレッドが店員に尋ねる。店員はあちこちにちらばり、店内にある服をかき集めてフレッドの前に並べた。だが、言葉に反して店の中でも割合派手なものばかりだ。フレッド相手だから、店員も混乱しているのだろうか。

「うーん……。女ものなど買わないからなぁ」

「いつもは、リカ様もご一緒で、楽しそうに選んでいらっしゃるところを見ているだけですものね」

 取り繕うような笑顔で、店員が言葉を挟む。リカの買い物に付き合わされているようだ。

「エルナ、気に入ったものはあるか」

 難しそうな顔をして、フレッドは服を眺めている。

「ない、ですね」

 遠慮しながらもきっぱり言うと、店員がまた慌てて店内の品物を物色し始めた。

 それに申し訳なくなり、エルナは自分で服を探すことにした。

 店内の隅、あまり人が寄らないようなところに、割合装飾の少ないものが見つかった。

 色は淡いピンクで、エルナの髪の色に近いような、少し茶色がかったワンピース。胸元のレースが可愛らしいし、貧相な体でも無理なく着こなせそうだった。星四といったところか。壁にかけてあるそれをとるが、値段はどこにも書いていない。正直、今着ているものと何が違うのかよく分からない。

「それがいいのか?」

 後ろから話しかけられ、エルナは頷く。

「はい」

「じゃあ、色違いもいるな」

 そう言って、店員に色違いはあるかと尋ねる。即決する姿は堂に入っていて、いつもこうした買い物をしてきているのだろうと思わせた。慌てふためく店員は、店主のきびきびとした指示で店の裏側から色違いのワンピースを急いで探してきた。

 エルナには充分早かったが、フレッドは遅い、と言わんばかりに顔をしかめていく。

 そんなに、急がせるような顔をしなくてもいいのに。エルナは、その顔に距離を感じてしまった。

 色違いを三色、袋につめてもらうと、礼も言わずに手に取った。そしてお金も払わずに店を出ようとする。

「ちょっと、フレッド」

 呼び止めると振り返った。フレッドは、せっかちにも店員がドアを開けることすら待たない。

「いいんだ。お金はあとで、まとめて払うから」

 それもそうだが、フレッドに叱られないようにと誠意を尽くしてくれた店員への態度も気に入らなかった。

 やってもらって当たり前、という風に育ったのはわかる。エルナと同じ尺度で物事を考えていないことも。

 だけど……。

 エルナは店員に「ありがとうございました」と声をかけた。

 店を出て、にやにやのんき顔の兵士が待つ馬車へ。無言で乗り込む。さすがに「おや?」という顔をしたが、何も言わずに御者席に座った。

 全員が乗り込むと、静かに、馬車は走り出した。

 うつむきながら、何が正しかったのか考えてしまう。

 あの人たちは、ありがとうなんて言葉を待っていないのかもしれない。それに、エルナのような下賎の者から言われたところでありがたみもないであろう。

 だけど、エルナだって一時期はイカサマカジノとはいえ客商売をやっていた。どこの誰に「ありがとう」と言われても嬉しかった。お茶を出した時も、注文された食事を出した時も。たった一言が励みになった。

 ちらり、とフレッドの顔を見る。不機嫌なエルナの様子を気にすることもなく、窓の外を眺めていた。

「フレッド、服、ありがとう」

「ああ」

 それだけで、また馬車の中の空気は重苦しくなる。ここへ来たときとは違う、期待を含んだ楽しい沈黙ではなかった。フレッドには、違いなど分からないだろうけれど。

 ガタガタと揺れる馬車が、腹立たしく感じてしまう。

「王子って、偉いのね」

 つい、本音が出てしまった。

 どんなに偉そうでも、基本は優しい人だと思っていた。店の人間に対し、あのような尊大な態度は解せなかった。カジノに来てくれていた客は、エルナにとても優しい。それが、当たり前だと思っていた。

「どういう意味だ?」

 不可思議そうにフレッドに問われると、さらに苛立つ。分かっていない。何も。

 エルナが黙っていると、すぐ王宮についた。またフレッドは先に降りて、エルナの手をとろうとしたが、それを拒否するようにひとりで降りた。なぜ、という顔をされたが、気にしないようにした。

「エルナ、部屋まで送るから」

「いいよ、もう覚えたから」

 王宮の玄関口で、そっけなくしているエルナに、フレッドはさすがに苛立ちを覚えたようだ。

「どうしたというのだ。急におかしいぞ」

 どうしたと言われても、今はただ、立場の違いだけを痛感し、自らのことを恥ずかしく思ったのだ。それを、フレッドに対しての怒りにも似たような感情になっている。

 言葉遣いは、いつもどおりに戻っている。だけど、いつもどおりって、どちらなのだろう。エルナは遠い存在に感じてしまったフレッドとの距離を、どうしても元に戻せなかった。

「なんでもないです。気にしないでください」

 無理して笑うと、いつも泣きたくなる。両親が亡くなったときも、おいおいと声を出して泣く兄をなだめた。無理して笑って。イカサマディーラーとなったときも、無理して笑った。人を騙していることを誤魔化しているようで。

 それでも、作り笑いは続けていた。笑えば、周りは気に留めない。これ以上、心の中に踏み込まれないから。暗い考えは心の中だけで十分だ。

 だけど、今日はうまくいかなかった。嘘でも笑顔が出ない。その変化はすぐ見破られてしまう。

「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言え、バカ」

 そこで、エルナは急激に体が冷えていくのがわかった。そして、次第に熱くなる。この場には、兵士も、国の要人もいる。こちらを気にする人もいる。だけど、我慢出来なかった。

「バカって……何回も言われなくたって、私がバカなことは私が一番よく知っています! それに、私とフレッドは違う。どんなに親しくしたって、何もかも違うんです。私には気を遣ってくれているのかもしれないけど、結局は尊大な王子様なんでしょ。店での大きな態度が本当のフレッドなんでしょ? これ以上、私なんかに近寄らないで!」

 大きな声は、ホール内に響いた。自分でも驚くほどに。フレッドは固まり、辺りを歩いていた人すべてが足を止め、エルナを見つめていた。

 そこで、とんでもないことを言ったと気がついて震える。足も口も。

 なんということを。相手が相手なのに。

「ごめんなさい!」

 そう叫んで、その場を逃げてしまった。夢中で逃げた先が、与えられた部屋というところが物悲しかった。外に出ないで、ここに戻ってくるなんて。

 ドアを閉めると、その場に座りこんだ。

 自分の叫び声のせいで、耳がきんきんする。

「もう、ここともお別れかな……」

 部屋を見回す。広い部屋に現実味がなく、やっぱり夢だったのかと思ってしまった。

 だから、扉がノックされたことも夢心地に聞いていた。返事をしないでいると、それは音を大きくしていく。ノックではなく、ただ殴っていると言う状態になった時、声が聞こえた。

「ちょっと、返事くらいしなさいよ! リカが来たんだから!」

 怒りがすぐ頂点に達する人だなぁ、とぼんやり思いつつ、なぜここに来たのだろうと不思議に思った。ゆっくりと立ち上がり、部屋のドアを開ける。そっと開くと、可愛いリカの怒り顔が見えた。

「なんか、用ですか?」

 またなにか噛み付かれるのか、と思うと憂鬱だった。それが声に出てしまい、エルナは気まずい顔をしてしまう。

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