第8話 次元の狭間から這い出てきた

 ドレスじゃないと、階段を登るのも楽だなぁと部屋用の靴(もちろん外出出来そう)で、先ほどの音と衝撃の正体を探りに行く。たぶん、マキアの牢獄あたりだ。また何かやらかしたのだろうが、何をやらかしたかが問題であって……。昼間、フレッドに「これからもいろいろある」と言われたことを思い出し、気が重くなる。

 マキアの牢獄のある階につくと、予想通り黒い煙がモクモク出ていた。火薬の臭いはしないから、爆弾の類ではなさそうだ。でも、あのマキアだ。何をしでかしたか見当も付かない。牢の前の護衛は、廊下に倒れていた。動いているから、死んではいなそうだが、相変わらずムダな鎧だ。

「大丈夫ですか?」

 駆け寄ると、すっかり気を失って「ふぅ~ん」と唸っている。

 エルナの後ろ、牢獄の中から物音がした。

「どうやら、私の登場に恐れをなしたらしいな」

 マキアとは違う、大人の男性の声に顔を上げる。牢の中には、偉そうにふんぞり返るキラキラした衣装の男いた。足元には、面白くなさそうなマキア。

「だ、だれ?」

 マキアに尋ねるが、答えたのはその男だった。

 赤い髪を頭頂部でひとつに結っていて、それでも腰の中ほどまでの長さだった。毛先が白く、まるで狐のしっぽのようだ。おでこからこめかみをたれる前髪の筋が、触覚のように動いている……ように見えた。実際は、体を左右に揺らしているだけのようだが。

「私の名はダミアン。誰もが恐れをなして、私を前にすると泣き叫ぶ恐怖の大王とはこのダミアン様のことよ!」

「自称」

 すぐに、付け加えるようにしてマキアがぼそりと呟く。

「まさか、マキアはこの人を使ってこの国を我が物にしようとしているの?」

 どこから出てきたのか。鍵のかけられたままの牢の中にいて、煙もそこから出ているということは、ここに呼び出した、ということになるのだろう。理屈は考えるな、と言ったフレッドの言葉が身にしみる。これは夢のようだ。考えたところで理解などできない。うーん、と人差し指でこめかみをぐりぐり揉んだ。

「マキアが呼び出したの?」

「そーだけどさ……でも、コレを使って征服しようとは思っていないけどね」

 くいっ、と小馬鹿にしたようにダミアンをあごで指す。

「じゃあ、なんで呼び出したの」

「練習だよ、練習。もっと大物を呼ぶためのね。今のところ、十回やってずっとコイツ」

 随分な言いようだが、確かにダミアンの姿を見ていると、どうにも頼りない。というか、自分で大王と言ってしまう辺り、怪しさと実力のなさを露呈しているようなものだが。

 バタバタと、階下から足音がする。

「どうした!」

 ようやく、兵士を携えフレッドがやってきた。寝起きの頭はぼさぼさだったが、気の緩んだ姿は初めてなので緊張する。……なぜだろう、と自問するが、答えを見つける前にフレッドが肩を握る。

「大丈夫か、エルナ」

 真剣な瞳にただ頷いた。一度呼吸を整えて、それから言葉にする。

「えっと、なんだかお客さんが来ているようなんだけど」

 そう言って、牢の中を見る。まだ偉そうにしながらこちらをしたり顔で見るダミアンと、失敗したせいか、やる気のないマキア。

「またダミアンか」

 そしてフレッドもため息をつく。どれほど飽きられているのだ、この大王様は。

「おお、フレッド。久しいな」

 なおざりに返事をすると、フレッドはマキアに向かって話しかける。

「まったく、朝から何をしている」

「国を征服するのに、時間なんて関係ないよ。そっちも注意することだね」

「お前に言われなくても」

 苦々しい顔で、マキアを睨みつける。

 こんなことが頻繁にあったら、それは王宮で面倒を見たくなるのも分かる気がする。いちいち牢獄まで出向いていたら、時間のムダだ。

「でも、コイツじゃなぁ……」

 フレッドまで可哀想なものを見る目で見ている。どれほど哀れまれているのやら。もっとも、エルナもなんだか役に立たない人材だろうな……と思っている。

 フレッドはエルナに近寄ると、耳打ちした。

「こいつを呼び出すとはいっても、どこからか連れ込んでいるのだと思っていた。だからエルナに頼ろうと思ったのだが……」

 どうやら、本当にどこからか呼び出しているらしい。

 つまり、やっぱり、エルナは用なしというわけで……。

 言うなら今かもしれない。フレッドだって暇じゃない。

 そう決意し、フレッドの顔を見る。目を眠たそうに瞬かせている顔は、王子というよりもただの若者のようで、無防備だった。ちょっと笑ってしまう。

「なんだよ」

 不機嫌そうに言われ、エルナは首を振った。

「ううん、なんでもない。それより、フレッドに言わなくてはいけないことがあって」

「い、言わなきゃいけない? こ、こんなところで?」

 フレッドはあたりを見回す。兵士もいるし、マキアとダミアンもいる。もちろん、そんなことは関係ないが。

「せっかくだから、皆さんにもお知らせしておきたいし」

「そ、そうか……って、なんだその格好!」

 フレッドは寝巻き姿を見て動揺する。

「朝なんだから不思議じゃないでしょ。それに、これなら私のいつもの普段着よりちゃんとした格好だよ」

 すると、フレッドは信じられないと目を丸くした。そして、あまりエルナに視線を合わせないようにして、話の続きを促す。

「それで、何を言いたい?」

「あの……マキアがイカサマではなく本物の力だってわかったでしょう? だったら私の出番はもうないかなって。だから、もうこれ以上お世話になるわけにはいかないの」

 すると、フレッドは一瞬固まる。それから、力強く肩を掴むと、じーっとエルナの顔を覗き込んだ。

「つまり、ここを出るということか」

「うん、まぁ今までの生活に戻るだけだよ。長くいたら、元の生活に戻れなくなってしまう」

「いや、ダメだ! 認めない」

 肩を揺さぶられ、エルナはぐらぐらと頭を揺らす。

「何が何でも、この件を解決してくれないと困る!」

「だ、だって。私には手に余ることですよ、これは」

「だからって、他に誰がいる。魔法なんて使えるやつはこの世界のどこにもいない」

 でも私はイカサマディーラーで、と言いかけてやめた。肝心なところで自己保身に走ってしまう。

「エルナの観察眼が必要なのだ。誰も気が付かなかったことに気付ける、それは才能じゃないか。それに、そんな格好が当たり前の世界に返すわけには行かない!」

 後半はフレッドの私情ではないか、とは、エルナは気が付かなかった。だが、周りの兵士は気がついてニヤニヤしていた。

「たいした事じゃないですって……」

「いいや、今まで何人もの人が気付けなかったことを、エルナは気付けた。それだけで凄いと思わないのか?」

 言うほどのものじゃないと思うのだが、フレッドはそう主張して憚らない。そのやり取りを格子に腕をかけて見ていたマキアは、どこかやる気のなさそうな声でフレッドに助け舟を出す。

「ボクも、エルナには残って欲しいなぁ」

 思いもよらぬところからの追撃に、エルナは驚いてそちらを振り向く。体裁の悪いような顔で、鼻の頭をかいている。

「だって、ライバルがいないとつまらないじゃないか」

 そして、格子の中に消えていった。変わりにダミアンが顔を出す。

「あなたのような女性ならば大歓迎ですぞ! あのリカという女はまぁーーーーーあ、腹立たしいことこの上ない」

「誰が腹立たしいって?」

 いつもの低めの声が聞こえて来た。それに似合わぬ可愛い顔と、相変わらず大きな胸を揺らしながら。着ているのはエルナと同じ形の寝巻き。色は淡い桃色ではあるが。

 きゃっ、と可愛い悲鳴をあげて、ダミアンは牢の中にひっこんでしまった。何をされたか知らないが、まぁ想像できなくはない。

「リカまでそんな格好でうろうろするな」

 たしなめるようにフレッドが言う。兵士が分かりやすく鼻の下を伸ばしてその姿を見ていた。

 同じ形とはいえ、リカの格好はエルナとは大違いだった。

 エルナの布地は透けてはいないが、リカの服はよく見ると透けていて、体の線が見えなくもない。もちろん胸のあたりは厚手の布が縫い付けてあるが、それでも隙間から胸の形がうっすらと見える。

 思わず、その横と下からのぞく胸を凝視してしまい、エルナは自己嫌悪に陥る。

 凝視されていることを恥ずかしいと思うそぶりも見せず、堂々と胸をはってその兵士たちの横を通り過ぎ、フレッドの元に来た。

「いいじゃない。それよりお兄様、この人、帰るの?」

 さぞ喜ぶのだろうなと思っていると、リカはエルナを見ようともしないでフレッドに言った。

「わたし、この人とまだ勝負つけていないの。逃げ帰るなんて卑怯だから許さない」

 そこまで言って、はっと何かに気が付いたように言い直す。

「逃げ帰るなんて、リカ許さない」

 わざわざ言い直さなくても……作った個性に踊らされているなぁと可哀想に見てしまう。それに気付いてか、リカはバツの悪そうな顔で顔を逸らす。

 そして、また堂々と胸をはり、兵士の脇を通り抜けて階段を下りていった。そして。

「ぎゃっ」

 妙な悲鳴のあと、重い足音が聞こえた。それから咳払いをするような声がして、また階段を下りていく足音が聞こえた。そこにいた誰しもが「踏み外したことを誤魔化したな」と思った。

「フレッド、あの階段、なんかおかしいんじゃないのでは? 段差がおかしいとか」

「かもな……。一度建設師を呼ばなくては。って、そんなことよりだ」

 フレッドは頬をかきながら、乱れた髪に手をやる。

 どうしようもない状態だ。使い物にならない自称大王ならば、放っておいた方がよさそうだ。

 全員が眠そうな顔をしているのを見て、フレッドは告げた。

「じゃあ、今晩は各自部屋に戻ろう」

 そう言って、マキアとダミアンを無視しようとしたら、牢の中から妙な叫び声が聞こえて来た。ダミアンの声だ。

「えぇー! まだここにいたい! もう帰らせるなんてひど」

 酷い、と言おうとして、どうやら元の世界に戻されたらしい。どういう仕組みなのだろう、という疑問は残りつつ、見ることは出来なかった。

みんなで階段を下りようとした時、またもマキアの牢で轟音が響いた。

「な、なに今度は!」

 慌てて振り返ると、また黒煙が上がっている。

 兵士共々、そーっと近寄って見ると、消えたと思われたダミアンがいた。空中から、体半分だけ出ている。

 牢の中に、小さな暗黒の隙間が出来ていた。宙に浮くそれは、まるで違うもので出来ていると見てわかるような、異質な雰囲気だった。見ているだけで、鳥肌が立つ代物だ。

 今の現象を、これまでの常識で考えると、頭から黒煙が出そうだった。

 ダミアンはそこからずりずりと這い出てきて、最終的には床に落ちた。

「うべっ」

 アゴ打ったな。誰しもが痛そうに顔を歪めた。

「ひぇー。勝手に戻ってこないでよ。帰ったんじゃないの」

 マキアですら驚いたようで、壁際に寄っている。

「これが黙って帰れるものか。私は見つけてしまったのだ。麗しい乙女を!」

 そして、アゴをさすりながらエルナを指差した。

「え、わ、私?」

 急に指名されて、思わず回りをきょろきょろする。だが、乙女といえる性別は、エルナしかいない。

「えーっと、なんで?」

 つい尋ねてしまう。すると、ダミアンは勢いよく格子に捕まり、目を輝かせながら嬉々として語りだした。

「なんで、って、我らの世界ではあなたのような女性はいないんです! みーんな、怖い顔をしていて、男を飼いならすものだと思っている!」

 知らない文化だな、と思いつつ、色々大変そうだ。怖い顔というのが、どの程度かも知りたいところだが。

「だったら、リカも可愛いじゃない。ちょっと怖いけど、いい体しているし」

「あれじゃあこっちの世界の女と変わらない! もっと控えめな女性がよいのであーる!」

 よいのであーる、と言われても困る。

「バカか! 余計なことを言い出すのではない!」

 なぜか興奮した様子で、フレッドが噛み付かんばかりの勢いで言う。マキアは、あー面倒、とぼやいて牢の隅に座り込んだ。

あんたが呼び出したんでしょう! と言いたくなるくらい、やる気の欠片も見えない。

気持ちを落ち着かせ、たしなめるように言う。

「マキア、なんでこの人帰っていないの?」

「ちょっと油断した。送り返したと思ったら、自らの力で次元の狭間から這い出てきたんだ」

 次元の狭間か。すでに跡形もなく消えているが、先ほどの黒い隙間を思い出す。それだけで、不思議と鳥肌がたった。

 エルナ達二人のやりとりの隣で、男二人はまだ言い訳をしていた。

「なにおーう? お前のような男にはわからないのだ。われわれがこちらの世界でいかに辛く当たられているか……」

 目じりを拭うダミアンを見ていると、なぜだか可哀想になってくる。

「お前の世界のことなど知るか! エルナに変な色目を使うのはやめろ」

「なぜだ。お前の身内ではないのだからいいだろうが」

 正論を返され、フレッドは押し黙る。

「そうだが……」

「ちょっと何事なのよ!」

 いったん帰ったと思われたリカがまたやってきた。相変わらずの格好ではあるが、もう慣れた。

 リカの登場に、ダミアンはきゃっと悲鳴をあげて格子の内側にひっこむ。なんでそのような悲鳴を、と情けなくもなる。

「ダミアンが、エルナを気に入ったとかで……」

 フレッドが言いにくそうに告げると、リカはぱっと顔を明るくした。

「じゃあ、ダミアンと一緒の世界に行ってしまえばいいじゃない」

 そんなに嬉しそうな顔で言われる覚えもない。しかも、こっちの都合は無視か、とエルナはげっそりする。

「なんであなたにそんなことを言われなければいけないの」

「あなたがいなくなれば、わたしは幸せだからよ」

 うふふ、と幼い顔に見合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。

「別に、ずっとここにいるわけじゃないもの。用が済んだら帰るし、そんなに目の仇にしなくてもいいじゃない」

 すると、リカはちょっと寂しそうな顔になる。

「ちょっと、さっき逃げ帰るのは許さないって言ったじゃない」

 その反応に、エルナは戸惑う。

「だって、この人たちのイカサマを見破るために来ただけだから……」

 それに、イカサマどころの騒ぎではない。ここに長くいる理由もない。明日にでも出て行けと言われるのは覚悟している。

「待て待て! 誰が出て行けなどと言った?」

 先ほどまでダミアンといがみ合っていたフレッドが、こちらに来た。ダミアンはひとり、牢の中でぎゃんぎゃん騒いでいる。

「だって、そうじゃない? 用が済んだらもうここにいる理由がないもの」

 そうだけど……、とリカがうつむく。

「もっとわたしと……リカと喧嘩してくれないと面白くないじゃないの」

 この子は人格が破綻しているのではないだろうか、と心配になる。だけど、照れたように横を向くリカを見ていると、もしかして兄のフレッドと一緒で照れ屋さん? それにしては、あまり可愛げがないけれど。

 フレッドも追従するように、エルナを引き止める。

「みんなが引き止めている。もっとここにいてもいいのではないか? べ、別に俺はそこまで引き止めるつもりはない……いや、あるけど」

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