第7話 イカサマの葛藤

 部屋の中は真っ暗で、だけど明かりをつける気にはなれなかった。しばらくじっとしていたあと、さすがに、月明かりだけではこの部屋を動き回ることが出来ないので、小さな燭台に炎を灯す。

 炎の揺らめきをじっと見ていると、ようやく肩の力が抜ける。

 ぼんやりした頭のまま、ドレスを脱ぐ。息苦しかったコルセットベルトをとると、なんだかお腹の辺りがかゆくなってくる。ぼりぼりかきながら、下着姿のままドレスをたたむ。とはいっても、どうやってたたまれていたか記憶になく、何度もそれらしいたたみ方をしてみるものの、すべて裏目に出る。

 いい加減体も冷えてきたので、寝巻きに着替えてからにしよう、と衣装箱となっていた籠を覗くと、寝巻きと共に衣装をかける木型があった。どうやらたたむのではなく、ここにかけるらしい。それはそうか、こんなムダに布地を使っているものをたたんだところでシワしかできない。ひとり顔を赤くしながらその木型にドレスをかける。

 寝巻きは白を基調にした、レース素材だった。これだけで外出出来そうなものだ。ワンピースを頭から被り、耳の上でひとつに結っていた髪を解く。

 そのまま、ベッドに倒れこむ。

 眠いわけではないが、気を張って疲れていた。それに……。

「私、何しているんだろう」

 天井のあるベッドを見上げながら、ごろりと寝返りを打つ。

 あれほど、人を騙したくない。イカサマをしたくないと思っていたのに、やっていることはあまり変わらないような気がする。いい暮らしがしたくて、フレッドを欺いているのだから。

 もっとも、マキアが普通の人間ではないと分かってしまった以上、普通の人間であるエルナに用はない。さっきはフレッドに「マキアの件が落ち着くまでここにいたい」なんて言ったけれど、自分の為じゃないか。国のために頑張っているフレッドや、ここの人たちに迷惑はかけられない。どちらにせよ、ここから出て行くしかないのだ。

 途端に、涙が溢れそうになる。まだ一日しかここにいない。だけど……。

 ここを出てからは、またイカサマディーラーに戻ってしまうのか。それとも、何かいい仕事を見つけようか。浪費家のベネディクトさえいなければ、一人で生活する分は稼げるだろう。

 これ以上、誰かに迷惑のかかることだけはしたくない。

 エルナは目じりを指で拭うと、強く目をつぶった。

 もう少しだけ、ほんの少しだけ、ここで夢のような生活を送っていたかった。


 夜が明けるころ、エルナは起き出していた。ほとんど荷物は持ってこなかったから、帰るのも楽だ。出口で止められたらどうしよう、と思ったが、まぁ出る分にはどうにかなるだろう。

 しかし、着てきた服はどこかに持っていかれてしまった。寝巻きのまま帰るしかなさそうだ。

「後で送り返せばいいか」

 あの後うっかり眠ってしまい、ここから抜け出すのも随分とぎりぎりになってしまった。

 出来ることは少ないけれど、ベッドや洗面具は綺麗にした。ここを去る。そう思うと涙が出そうだったが、それを振り切ってドアを開ける。

「どこ行くの」

 兄のベネディクトがドアの外にいて、エルナは思わず息が止まりそうになる。驚いた。いつでもどこでも沸いてくる、と内心舌打ちする。

「帰ろう、兄さん」

「は?」

「これ以上ここにいても、私たちが出来ることなんてない。もう誰かを騙すのは嫌なの。私はただのイカサマディーラーなの。それを、どう勘違いしたかここに来たけど……もう用なんてない」

 兄を押して外に出ようとするが、ベネディクトは通せんぼをした。

「何言っているんだよ。イカサマだろうがなんだろうが、エルナを見込んで頼んできた王子のことを裏切るのか?」

 一見まともなことを言っているように見えるが、兄はただ単にここに居座りたいだけなのだ。大好きな巨乳のリカもいるし、黙っていても美味しい食事が出てくる。今も、いささか酒くさい。きっと外で女相手に自慢話でもしてきたのだろう。

 こんな兄のために、自分が犠牲になるのももう嫌だ。

「兄さんは何もしないくせに。私のやりたいようにやらせてよ」

「そうだけど、もうちょっと待てよ。あの王子だって、まだエルナを用済みだなんて言ってないんだろう?」

 用済み、という言葉に胸が痛くなる。だけど、それを無視して首を振った。

「どうせいつかは言われるもの。そうしたら、きっと今より惨めになる。惨めな女は働く気も起きずに家でふさぎこむんだわ。そうしたら、収入がまるでなくなって、私も兄さんも野たれ死ぬ運命なのよ。誰も、お墓も立ててくれない……」

 得意の暗黒妄想だが、今回は随分と具体的だ。やっぱり、そういう運命にしかならないのだ。

 エルナは大きくため息をつく。さすがのベネディクトも「働きたくない」と言い出されては困るのであろう。それ以上は何も言えなくなっていた。

「俺だって……」

 ベネディクトはいいにくそうに口を開き、エルナを見た。

「エルナをこきつかってばかりいる悪い兄だということは分かっている。こんな俺を見捨てないでいてくれることも感謝しているんだ。本当なら、とっくに捨てられても仕方のないことをしてきたのにな」

 すん、と鼻をすする。どうせ演技だろうと冷ややかに見ていたが、いつもの様子とは違う。通例ならば、さっさと涙を流して見せて「あーもういいよ」と言わせる手筈なのに。それどころか、我慢しているような、苦悶の表情。

「もう、俺には何も言えないよ。ここから出たいというのなら止めない。だけどなエルナ。頼まれたことは、最後までやるものだ。それが恩義というものだろう」

 その言葉に、エルナはあっけに取られる。

 確かにそうだ。頼まれたものをなかったことにして、自分だけが都合よく去ろうなんて……。いなくなったと知れば、フレッドも落胆するだろう。こんな奴に重要なことを教えてしまったと。

 だったら、せめて最後に何か言ってここを出るべきではないのか。

「そうだね、兄さん。私、逃げようとしていた。いらないって言われるのが怖くて」

 うつむきながら、こっそりとベネディクトの表情を盗み見た。やはり、してやったりのニヤケ顔だ。言っていることが真っ当だからと、ちょっとでも信用した自分がバカだった。呆れ果てて言葉もない。

 エルナがいったん部屋に戻ろうとしたその時、頭上で爆音が響き、建物が揺れた。驚いて、つい兄にしがみついてしまった。ベネディクトも、エルナの頭に手を回して抱きしめる。

「何、何があったの?」

 早い鼓動にあわせるように、早口になったエルナは、ベネディクトに問いかける。守ってくれたことに、少なからず感動してしまう。

だが。

「知るかよ! ちょっと、様子見てこい」

 ぱらぱらと天井の埃が落ちる中、エルナはベネディクトに背中をぽーんと押された。

 一瞬でも優しさを感じた自分がバカだった、とエルナは嫌な顔をする。

「えぇー。嫌な予感しかしないんだけど」

「だから、エルナがひとりで行ってこい」

 爽やかに笑い、親指を立てる。

 やっぱり、捨ててやろうかな、と思いつつ、ここでダダをこねたところでベネディクトの考えは変わらないので、さっさと一人で行くことにした。こうして、エルナはどんどんと逞しくなっていく。

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